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11月16日の夕方、新疆ウィグル自治区巴楚県色力布亜鎮(マラルベシ県セラッカブヤ鎮:ウィグル語)の派出所が襲撃され、2名の警察協力員が死亡する事件が起こった。襲撃した9人は全員その場で射殺された。政府系メディアでは襲撃者は阿布拉艾海提(アブラアイハイティ:音訳)ら9名とされ、地元民の可能性が高く、殺害された2名の警察協力員も地元ウィグル族という情報もある。


セラッカブヤ鎮では、今年4月23日にも地元行政職員を巻き込んだ暴力事件が発生しており、警察や行政職員ら15人が死亡(ウィグル族10人、モンゴル族2人、漢族3人)、容疑者も6人が死亡し、「テロリスト」として逮捕された2名に死刑、1名が無期懲役、2名にそれぞれ9年と9年6カ月の懲役の判決が下されている。6月にはトルファン(死者は警官9人、民間人8人、襲撃者10人が射殺、死刑判決3人、懲役25年1人)などでも襲撃・衝突事件が起きている。


襲撃や衝突の原因について、政府系メディアや政府の公式見解はおしなべて「テロリスト」というレッテルをはり、治安監視体制を強化するだけであるが、これでは事件の真相や解決に迫ることはできないだろう。

以下は、11月7日にウェブサイト「ウィグルオンライン」に掲載されたウィグル族研究者によるこの間中国で発生している爆発事件についての見解と、北京在住のウィグル族学生が、ウィグル族による犯行とされる天安門での車両爆発事件の後に遭遇したエピソードの翻訳である。(H)


双重標準(ダブルスタンダード)
「テロリズム」はウィグル人へのレッテル貼り


イリハム・トフティ


2013年11月7日

11月6日7時40分ごろ、太原市迎沢大街の中国共産党山西省委員会付近で連続して7回の小規模爆発が発生し、現在までに死者一人、重傷一人、軽傷七人、車輌も被害を受けた。警察が現場を封鎖、事件は現在捜査中である。(訳注1)


爆発物には殺傷能力を高めるための鉄球と鉄釘が含まれていることからも、人員の殺傷を旨とする襲撃事件であることは明らかであり、手製か兵器工場製かにかかわらず、内部に鉄球を仕掛けるという事実は、対物ではなく対人殺傷能力を高めるためである。中国の政府系メディアは「手製の爆弾が爆発した疑い」と報道している。

この事件の発生は天安門での車衝突事件のすぐ後、そして中国共産党18期3中全会のわずか数日前であったことから、国際的な関心を集めた。現在までに、当局は今回の爆発事件の性格を定義してはおらず、警察は「調査中」としかコメントしていないが、当局がこの事件の性格をどのように定義するのかにも注目が集まっている。(訳注2)殺傷能力を高めるという動機からみても、山西省の爆発事件は近年の中国での類似事件のなかでも比較的悪質な性質といえる。しかしアナリストによると、当局は「政治的必要性」に依拠して事件の性格を規定することから、すぐにテロ事件として扱うことはないだろうという。


中国の公共空間で近年多発する人為的爆発事件や放火事件に対する性格付けをみても、この分析は正確なものに近いだろうと予想される。2008年以降のおもな襲撃事件をあげる。2008年7月の昆明爆破事件では、男が雲南省昆明市の二台のバスに爆弾を仕掛け死者2名、負傷者14名を出し、容疑者は五ヵ月後に自爆自殺した。2009年6月の成都放火事件では、失業者の男がバスに放火し、本人を含め28人が死亡し、70名以上が負傷した。2010年7月の長沙飛行場放火事件では、男が長沙飛行場の定期バスに火を放ち、2人が死亡し、10人が負傷した。犯人には死刑の判決が下った。


2011年5月の福州爆破事件では、男が福州市庁舎付近で爆弾を爆発させ、本人を含む3人が死亡した。2011年6月の天津爆破事件は、現地住民が現地政府の庁舎前で爆弾を爆発させ、2名に軽傷を負わせた。2013年6月のアモイ放火事件では、男がバスに放火し、本人を含む47人が死亡した。2013年7月の首都飛行場爆破事件では、障碍のある男が北京首都国際飛行場で爆発物を爆発させ本人が負傷した。これらの事件はいずれも「暴力テロ襲撃事件」とは定義されていない。


だが、同じ性質の事件が新疆ウィグル自治区で発生し、それがウィグル族と関係していれば、「三つの勢力」(訳注3)に関連付けられ、テロリストのレッテルを貼られる。前述の公共空間での爆破放火事件が例外なく「暴力テロ襲撃事件」と定義されないことと同様に、天安門の車輌衝突事件およびそれまでにウィグル自治区で発生した一連の事件は、ひとつの例外もなく「暴力テロ襲撃事件」と定義されている。その定義において、他の地区で発生した暴力事件とは鮮明な対比がみられ、「ダブルスタンダード」という感覚を免れない。もし天安門の車輌衝突事件の実行者がウィグル人でなかったとしたら、果たしてこの事件が「暴力テロ襲撃事件」と定義されたであろうか?


当局が天安門の車輌衝突事件の性格を定義したとき、私は自分の考えを海外のメディアに伝えた。「もし政府が十分な証拠によって組織的で計画的なテロ襲撃であることを証明できるのであれば、ウィグル人、漢人、国民全体に対して責任を負う立場からしても、掌握している証拠を公開すべきである。外国の組織と関係があると考えるのであれば、どのような組織とどのような関係があるのかについて証拠を提供しなければならない。過度にあわてて結論を下すことは問題解決にとって不利である。」


今日、中国共産党山西省委員会の入口でも硝煙が立ち込めた。当局の天安門車輌衝突事件の報道はひと段落着いたが、世論はいまだ議論百出であり、事件の詳細についての疑問は噴出しており、事件の調査結果に対して海外からも異議がだされ、西側メディアの多くは、そそくさと「テロリズム」というレッテルを貼ることで真実の動機や背景を無視するやり方は妥当ではないと考えている。


新疆統治の観点からみても、事件の性格をそそくさとテロリズム勢力の仕業であると定義づけするよりも、事件の背後にある原因を真摯に反省すべきである。さもなくば問題の真の解決は不可能であり、さらに悪化さえするかもしれない。ウィグル人に「テロリズム」のレッテルを貼ることで多くの事柄が「解決する」と考える人がいるかもしれないが、それによってもたらされるウィグル社会の更なる統制およびウィグル人に対する差別と誤解は、問題をさらに悪化させるだけかもしれない。


暴力事件は誰もが目にしたくないものであるが、矛盾にすべてふたをしてしまうことも、問題解決の方法ではない。政府は外界からの善意の視点とアドバイスに対して真摯に対応し、民族政策に問題がないかどうか、あるいは民族政策がウィグル自治区に及ぼしている実際の状況に過失がないかを再検討する必要がある。頻発する暴力事件の背後に蓄積されている社会問題が無視され続けるのであれば、どれだけ多くの社会的資源を表面をつくろうだけの治安維持に投じたとしても、社会の安寧、調和、安定の追求は、木に登って魚を捕ろうとする[徒労に終わるという意味の孟子の教え:訳注]だけであり、ひいてはこのような悪循環によって暴力事件が常態化してしまうだろう。


2013年11月7日


ウィグルオンライン(http://www.uighurbiz.net/archives/21303)より訳出


訳注1 人民日報日本語版ウェブサイトは11月9日に次のような報道を掲載した。「8日午前2時、豊志均容疑者が市内で逮捕され、事件は解決した。……警察当局は豊容疑者の自宅から手製の爆発装置を押収したほか、大量の証拠を発見。犯行時に使った車両も取り調べ、押収した。豊容疑者は犯罪の事実を包み隠さず自供。現在、取り調べや証拠収集を急いで進めている。」つまり事件は何も解決していないということである。3中全会の開催日である11月9日までに「事件は解決」されなければならなかったということである。
http://j.people.com.cn/94475/8451428.html


訳注2 中国公安部ウェブサイトは11月8日付けで「豊志均容疑者は犯罪事実について素直に供述に応じ、爆弾を製造して社会に報復するつもりだった」と報じ、社会への報復が犯行の理由であったという暫定的な定義を下している。かりに豊が犯人であったとして、権力の象徴である共産党委員会付近での犯行は「共産党への報復」あるいは「共産党が支配する社会への報復」と言える。
http://www.mps.gov.cn/n16/n1237/n1342/n803715/3925134.html


訳注3 「三つの勢力」とは過激宗教勢力、 民族分裂勢力、国際テロ勢力を指す。



あるウィグル人大学生が経験した
天安門の車輌衝突事件の後のできごと


2013/11/7


僕は北京で大学に通うウィグル学生で、北京市豊台区の中古車市場でバイトをしています。ここでは、たくさんのウィグル人が中古車を買って新疆に持っていくので、僕の仕事はウィグル人のお客さんの名義変更手続のお手伝いや通訳をすることです。天安門での車輌衝突事件は、僕のバイトやここでのウィグル人の商いにも影響を及ぼしています。


事件後、車輌管理所はウィグル人の手続を受け付けなくなり、漢族はウィグル族への販売を拒否し、ホテルはウィグル人のお客を断り、警察はウィグル人と見ると身分証明書を提示するように言い、警察署に連行して写真、指紋、足紋、採決をします。そんなことから市場で商いをしていたウィグル人は居づらくなってみんな新疆に帰ってしまい、ナンやシシカバブ売りのウィグル人も姿を消してしまいました。僕と同じようなバイトをしていた学生もいなくなりました。大学生という身分だといろいろと面倒なことに遭遇します。


今日、警察が僕を豊台区公安局画像採集室に連れて行き、指紋、足紋の採取と採血を行い、さらに今後はウィグル人の車輌名義変更のバイトはしてはならない、もしまだ続けるなら僕を拘束する、そうすると卒業できなくなり、拘留期間終了後に校長が身柄引き受けとして迎えにくると警告されました。この日は2時間ぐらいで解放されました。


その日の夜、兄貴から電話があり、実家に警察がやってきて僕のことを聞いていったので、家族がとても心配していると言っていました。何も違法なことはしていないのに、警察の調査対象になってしまいました。天安門での車輌衝突がどのような性格のものか、僕には分かりません。だけど、はっきりしているのは、事件の後、中古車市場でのウィグル人の境遇やウィグル人が受けた嫌がらせからも分かるように、事件はウィグル人が起こしたものということで、ウィグル族全員が一蓮托生で罰を受けなければならないということです。


ウィグルオンライン読者コーナー(http://www.uighurbiz.net/archives/21203)より訳出