jpg 5月18日、「いま成田空港で何が起きているのか」プロジェクト(成田プロジェクト)は、文京シビックセンターで「未来永劫、世直し 三里塚の最新情報を聞いて、鎌田さんと柳川さんの話をじっくり聞く会」を行い、60人が参加した。

 成田空港が国策として機動隊の暴力とカネの札束で強行開港してから三五年。政府・成田国際空港会社の傲慢な姿勢は、なんら変わっていない。発着回数を30万回へと大幅増便していくために夜間・早朝の離着陸制限の緩和、司法権力を使った一坪共有地強奪、横堀・団結小屋破壊(12・11・28)、闘う農民の追い出し攻撃を繰り返している。プロジェクトは、人権侵害、環境破壊を許さず、三里塚闘争に心を寄せる仲間たちとともに集会を設定した。



あいかわらずの農民・住民無視



 集会は、中里英章さんの主催者あいさつから始まった。

 山崎宏さん(横堀地区・案山子亭)は、横堀・団結小屋破壊や声明/一坪共有地裁判・最高裁不当判決糾弾(三里塚空港反対同盟大地共有委員会/13・5・14)を紹介し、「会社は、三里塚闘争破壊のために横堀・団結小屋を破壊し、私を追い出したが、逆に空港用地内の横堀大鉄塔横の案山子亭で住むことになった。今後も頑張っていく」と発言した。

 平野靖識さん(地球的課題の実験村)は、「最近の三里塚」をテーマに「国と空港会社は、12年12月に深夜・早朝の離着陸制限緩和を提案してきた。B滑走路南端の東峰区は、遠山地区の『騒対協』での説明会に東峰区長の参加を求めたが、騒対協役員でないことを理由に断ってきた。申し入れでは『シンポ・円卓会議のような当事者住民が参加し充分な議論ができるような公的な場、社会的な場を用意することから考え直すべき』と訴えた。結局、午後11時から12時に緩和してしまった。騒音被害が深刻化するにもかかわらず、被害者の『当事者―騒音下住民の了承』なき首長判断は『地元の同意』ではない」と強調した。

 さらに「空港会社は、『へ』の字に曲がった誘導路を直線化するために天神峰地区の市東孝夫さんの農地明け渡し要求を千葉地裁に提訴(06・10)し、農地強奪をねらっている。市東さんは、北原派だが空港会社のやり方は許せない」と述べ、農民無視が続いていることを批判した。

 柳川秀夫さん(三里塚の農民)は、「横風滑走路には鉄板で囲まれているが、現闘本部が建っている。土地は司法強奪したが、まだ建物は拠点として健在している。三里塚闘争に多くの人々が関わり、様々な問題を提起してきた。1991年のシンポから円卓会議で提起した民主主義の問題がいまだに解決されず、権力は力で押し進めている。力の対決構造が続いている」ことを明らかにした。

 今後の展望として①新しい物差しを作っていく協同作業の蓄積②大量生産・大量消費・大量廃棄社会から転換した社会ビジョンの提示③弱肉強食の経済成長主義を実践的に批判し、「腹八分目」の生き方が重要であると問題提起し、「TPPにしても推進派は、農業が『大事』だと言っているが農民は大事じゃないんだ。アメリカ型の大きな農業をめざしている。それは農村の破壊だ」と厳しく批判した。



三里塚と脱原発



 鎌田慧さん(ルポライター)は、かつての三里塚「廃港」要求宣言の会、3・11以降の「さようなら原発一万人署名市民の会」の取り組みを紹介しながら、「『未来永劫、世直し』とは永続革命ということだ。空港が開港してから三五年たっても今日のような集会を開く状況だ。三里塚闘争が切り開いた道を現在の運動にどのように結びつけていくかだ。三里塚闘争は、実力闘争であり、全国から人々が駆けつけ、三里塚の地で闘われた。やがて水俣、反公害、環境破壊反対、反原発運動へとつながり、人々の生活から反対していく運動へと裾野がった。運動作りについても、一緒にやるなら他を批判するな、内ゲバをやるなと言ってきたことは生かしていくべきだ」と総括した。

 さらに、「青年行動隊だった相川勝重は、現在、芝山町長で発着回数30万回の推進派だ。権力は、より狡猾に懐柔策を強めてきている。同様に権力は、原発再稼働推進派を巻き込みながら懐柔策を強めながら強行しようとしている。三里塚闘争は、三里塚実験村という対案を提起したが、なぜうまくいかなかったのかの総括は重要だ。脱原発など現在の運動に生かしていくべきだ」と問いかけた。

 パネルディスカッションに移り、各報告者間の意見交換が行われた。会場からは、TPP反対運動を取り組む大野和興さん(農業ジャーナリスト)、たじまよしおさん(長野在住)などから発言があった。

(Y)