講座写真 1月26日、アジア連帯講座は、文京シビックセンターで「宮城からの報告/復興の名の下で何が起きているのか」について公開講座を行った。報告は、電気通信産業労働組合の日野正美さん、高橋喜一さんから行われた。

 報告者が所属する電通労組は、2011年3月11日の東日本大震災、福島原発事故以降、家屋損壊による移転や、福島県の緊急時避難準備区域をはじめ日常的被ばくの環境の中に生活を強いられる組合員・家族も抱えながら、被災地の組合として「希望を持てる復興と生活再建に取り組もう!」のスローガンを掲げ、救援活動やボランティア活動を取り組んできた。

 その過程で政府の復旧復興政策が被災地住民の地域コミュニティを基本とした復旧、復興ではなく、企業活動を重視した特区構想など新自由主義的復興であることがますます明らかとなった。とりわけ宮城県の村井知事が進める「宮城県方式復興策」(高台移転・職住分離、建設制限、復興増税、水産業特区、原発不問等)がその典型的な施策だ。「除染・廃炉ビジネス」も大手ゼネコンが大儲けし、ピンハネを通した下請け構造を作り出している。まさに大震災を利用した、社会を上から変えようとする「惨事便乗型復興」でしかなく、「住民一人ひとりが主体」となる復旧・復興とはほど遠いのが実態だ。

 しかも住居、医療・福祉・教育、水産業、農業、雇用問題など、最優先されるべき被災地の生活再建が進んでおらず、湾岸改修や被災学校の復旧、鉄道再建等の交通インフラ、被災家屋の修理などの課題に被災地は直面しつづけている。

 2人の報告を以下、紹介する。



■日野報告

 「地域コミュニティ(生業)再生として復興政策を!」




 遅々して進まない復旧、復興



 2005年4月に「平成の大合併」を強行した。石巻市と周辺六町が合併して新石巻市(16万6900人)ができた。被災後は、一万人ぐらいの人口が流失している。復旧・復興の要となる公務労働者が削減されてきたため復旧、復興の遅れを作り出してきている。自治体労働者の多くが被災した。死者・行方不明者が四八人。

 被災しながらも、不眠不休の自治体労働者が、先の見えない業務をこなしていた。長期化と過酷な労働環境でストレス増大、病休、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、鬱病が多発している。

 復旧、復興を押し進めるために公務労働者を増やし、待遇改善することが必要だ。ところが麻生財務相は、「震災復興財源確保のため国家公務員の賃金をカット(7.8%)し、3000億円を二次補正予算に盛り込む。さらに自治体への地方交付金を削減して地方公務員の賃下げを行え」と強要している。公務労働者削減、労働条件の悪化では復旧、復興の遅れを取り戻すことはできない。

 数十万人の方が仮設住宅と「みなし仮設」に住んでいる。だが入居の仕方が地域コミュ二ティを重視した形ではなく、抽選等の方法によって断絶が進行した。寒冷地仕様でない施工(騒音等)のため施工変更が繰り返されている。結果としてプレハブ協会とハウスメーカ、ゼネコンに膨大な仮設建設費用が落ちているのが現状だ。

 「みなし仮設」は、民間の賃貸家屋を国が借りて被災者が住むことになっている。だが居住地から離れた隣接市町(人口流出)、支援活動が届かない問題がある。現在、災害復興住宅が作られており、県で24000戸をめざしているが、着工は半分に至っていない。被災者たちは、2014年度末の完成入居ができるのか不安状態にある。

 仮設住宅同様に入居方法が抽選のため地域コミュ二ティや、従前の人間関係が断ち切られ、居住者の孤立が進行している。阪神淡路大震災後、孤独死が950人だった。再発させないような取り組みが重要だ。

 被災者は、高齢化、失職している人が多く、低収入なので自力再建がかなり困難だ。また、地域の将来が見えないから、そこに住むということも決められない不安が続いている。

 国、県、市町村は場当たり的対応でしかない。平常時から大災害時の住宅復興の方針を持っておくべきだ。



 教育の現状



 被災した小学校、中学校は、高台にある小中学校の校庭にプレハブを建て教室として使っている。2~3年後に小中学校の統廃合と広域移転を行い、新校舎を建設する予定だ。沿岸部の学校は廃止となる。これまでの地域で子育てという繋がりの崩壊だ。

 震災時の津波によって大川小学校生徒74人が亡くなった。石巻市は、避難行動を検証する第三者検証委員会を設置した。検証委員にハザードマップを作った人物が入っていたり、事務局にコンサルティング会社が入っていたりして、保護者から異論があった。2月から検証作業が始まる。今後も注目していきたい。



 医療の現状



 自治体病院が被災し、当時、赤十字石巻病院が唯一救済する病院だった。現在、臨時診療所が開設されているが、病院、開業医も津波に襲われて医療従事者が流出してしまっており、医療・介護は深刻な状態だ。

 震災以前から宮城県地域医療再生計画はあったが、震災で地域医療復興計画も同時に進められている。自治体病院の統合・再編、集約と機能分担を行おうとしていた。被災地の沿岸部では人口流出もあり公立病院を再建しない方針である。在宅医療を基本に据えた診療所化を構想している。利用者のための医療体制の充実には程遠い。復興の名のもとに公共サービスが置き去りにされている。



 村井構想



 村井宮城県知事は、「富県戦略」を掲げて当選した。震災後も「特区」(資本のための規制緩和等を行う特定地域)による企業活動を主軸にした復興政策を押し進めている。

 水産業に対しては「特区」構想の押し付けに力を注いだ。すでに政府の規制改革会議が「日本の水産業の衰退と再生」を答申(2009年)しており、村井は震災を通して一気に押し進めようとした。

 昨年には水産特区第一号として仙台水産と石巻桃浦浜漁業者との合同会社を設立した。漁業の企業化だ。1つの会社で全過程を扱うことができる六次産業化(一次産業〔生産〕+二次産業〔加工〕+三次〔流通〕)の育成だった。

 漁業破壊につながるとして宮城県漁協は反対している。漁業権=海を守る自治形態として漁業権があるが、水産特区は漁業権の企業への解放であり、管理の権限を漁協から取り上げる。つまり、自治の否定でしかない。だが県は2月にも特区申請をする。一方、漁港港湾に関しては、「選択と集中」と称して、集約化が計られようとしている。

 水産加工業の再開も遅れている。必然的に女性雇用落ち込んでいる。政府は、被災中小企業がグループ化すればグループ化補助金を支出すると言っている。だが、予算額が少なく企業に行き渡らず、年度内消化で、復興の遅れで使われない困難もある。それ以前になかなかグループがつくれず、申請できないケースも多発している。

 農業も同様の事態が進行している。津波で被災した農地は、国が圃場整備で大規模化し、「農と食のフロンティア推進特区」によって、農業法人化と農業の六次産業化を目指している。高齢化、後継者不足を、震災復興を巧みに使った「農業改革」を進めている。

  

 瓦礫問題について



 宮城県は、ガレキを抱えたが、それをゼネコンに丸投げしてしまった。ゼネコンは、談合で気仙沼ブロックを大成建設、石巻ブロックが鹿島建設、東部ブロックがJFEエンジニアリングなどによって分け、瓦礫ビジネスで大儲けだ。



 統一地方選と衆院選挙



 統一地方選は、被災地のため11年11月に実施した。投票率は過去最低で50%切り、政治不信を示した。被災沿岸部の塩釜、石巻で共産党候補が初当選し、女川町議選では共産党候補二人が上位当選した。女川原発反対同盟の阿部宗悦さんの娘の阿部美紀子さんが初当選した。

 福島に隣接する県南の丸森町の県議選での投票率は、77%だったが、これは放射線測定や健康調査を求める町民の声を無視した県への批判の現われだろう。

 2012年12月16日の総選挙では、宮城県1区~6区の民主党候補は5区の安住淳民主党幹事長代行だけが当選したがその他は全員落選した。民主党不信の現われだが、自民党など保守が復活してしまった。



 女川原発について



 震災時、女川原発は、福島第一原発と同様な危機的状況だった。重油タンクの倒壊や原子炉建屋への海水の侵入、県原子力防災対策センターも津波で壊滅的な被害だった。なんとか商用電源の復旧で免れた。

 国の原子力災害対策指針は、10キロ圏から30キロ圏に拡大した。宮城県も地域防災計画の見直しと言っていたが、「原子力災害対策編」では「国の対策論議の動向を踏まえ見直し、修正する」と言っているにすぎない。つまり、全く主体性がないのだ。

 宮城県内の反原発団体は、あまりにもひどいということで県に申し入れ(①「被ばくゼロ」をめざす防災計画を②対象地域を30キロ圏内に限定してはいけない③住民の意見を取り入れるしくみを④関係するすべての自治体と東北電力が安全協定を⑤モニタリング体制の確立を⑥実効性のある計画の確定なしに再稼働は認められない⑦無駄な労力を避けるためには廃炉がベストの選択)を行った。

 石巻は、原発問題も含めて大変な状況にあるが粘り強く取り組んでいきたい。



■高橋報告

「被災地に見る鉄道の復旧問題から公共サービスを考える」
 
 

鉄道① 2011年3・11震災で全国七六鉄道路線が被害を受け、12年4月段階で68路線が復旧した。


 現在未開通区間は、以下のような状況だ。

●JR山田線(盛岡~宮古~釜石158キロ)

●大船渡線(一関~気仙沼~陸前高田から大船渡盛駅106キロ)

●気仙沼線(石巻 前谷地~気仙沼73キロ/不通区間の柳津~気仙沼間〔12年8月、BTR(軌道舗装バス)によるバス代行〕)

●石巻線(小牛田~女川45キロ、貨物鉄道区間小牛田~石巻28キロ、不通区渡波~女川間代行バス)

●仙石線(仙台~石巻52キロ、不通区間高城町~陸前小野間代行バス、貨物鉄道区間陸前山下~石巻、石巻港)

●常磐線(日暮里~宮城県岩沼350キロ、貨物鉄道区間三河島~岩沼、不通区間広野から原町・原発事故警戒区域、相馬~亘理津波被害区域)

●三陸鉄道北リアス線(宮古~久慈71キロ、路線のほとんどが長大トンネル、一部区間開通折り返し運転)

●三陸鉄道南リアス線(大船渡~釜石37キロ、全路線不通)



三陸鉄道の歴史から



 三陸鉄道は、東京の日暮里から常磐線を通り、石巻線~三陸鉄道~八戸から青い森鉄道に繋がっている。東京から太平洋沿岸をまわり青森までの人と物流を作ってきた。その意味で三陸縦貫鉄道は重要な位置を持っている。

 1896年6月15日に明治三陸地震津波があった。三陸沿岸地域の壊滅的被害で23000人の死者が出た。三陸沿岸の交通はなにもなかったが、住民は地域復興のために三陸を縦貫する鉄道が必要だと要求した。

 三陸沿岸の地域は、急峻な山が海沿いに迫り平地の少ない地形だ。沿線に「都市」がない。今回、被害にあったのと同じような地形だ。

 住民の要求から80年後の1969年に宮古線が開通。高度経済成長に伴って少しずつ鉄道が延びていった。しかし、三陸縦貫鉄道開通は国鉄民営化によって翻弄され宮古、久慈、盛の三線は1981年に廃止した。路線廃止基準が1キロあたりの換算輸送人員・4000人としたためだ。

 翌年に、地域の力で縦管鉄道実現を図る運動が起こり、県、沿線自治体による「三陸鉄道(株)」が設立された。第三セクターによる未開通区間の開通。それが、現在の北リアス線、南リアス線だ。「地域住民の悲願であり、地域が育んだ鉄道」だと言える。その後もチリ地震、津波による被害を被ったが、そのたびに復興してきた。



 鉄道復旧の重要性



 JRは震災直後、「すべてを復旧させる」(11年4月)と宣言していた。現実には、三陸沿岸の未開通部分があり、見通しがたっていない。早期復旧を地域住民は要求しているが「高台移転・職住分離」の街の復興構想が策定が前提になっており困難な状況が続いている。

 現在、大船渡、気仙沼、石巻、仙石、常磐の五線が不通区間だが、この沿線で集団移転が検討され、また仮復旧としてBRT(軌道舗装バス)を走らせている区間等、鉄道廃止につながるのではないかと地元住民は反対している。

 JRは、BRTは「鉄道復旧より短期」「鉄道と同じレベルの運賃」「本数の増加」「ニーズに合わせたルート」「停留所の設定」などをするから地域にメリットがあると主張している。

 しかし三陸鉄道全体で見れば第三セクターの三陸線が復旧し始めているにもかわらず、JR線にはBRT導入によって「鉄路廃止」という不安を地域住民は抱いている。東京から青森に通じる鉄道網がBRT導入によって寸断されることであり、BRTは物流の核とはならないと批判している。

 東北運輸局は、「特定の民間企業に財政支援はできないというのが大原則。しかもJRは黒字企業であり国費の直接投入をする理由を見出せない」と言っている。

 JRは、「地域にふさわしい公共交通のあり方を今後検討する」「黒字を生み出しているのは首都圏の路線。東北の在来線はすべて赤字路線であることを国や住民の理解が必要だ」という態度だ。つまり、赤字だから廃止もやむをえないということであり、住民のことは考えていない。
 
 駅の役割
 

鉄道② 国鉄民営化の前に地方路線の駅無人化を行った。当時の国労、動労などが地域住民とともに無人化反対運動を取り組んだ歴史がある。

 駅は、単純な鉄道の乗り降り場所だけではなく、駅員がいて、地域住民とのコミュニケーションの場であり、社会性を持っていた。「鉄路を守れ」を掲げた国労、動労の闘いは地域社会の崩壊をくい止める闘いでもあった。

 第三セクター、無人化駅されたところの街は、ほとんど廃れている。赤字路線の廃止によって地域社会の崩壊が生み出された。人の流出、さびれ行く駅前商店街、病院の統合・閉鎖(個人病院)が続いた。地域社会は高齢化し、交通弱者問題が起きた。鉄道に代わって民間バスが導入されたが、財政基盤が脆弱な自治体のところは不採算路線廃止、ダイヤ縮小していった。駅があれば人が集まり、商業が成り立ち、物流の拠点となり、バス等の交通拠点が生み出されてきたのだ。

 
 被災地と鉄道復旧の関係
 

鉄道図 被災地住民にとって鉄道、駅舎の復旧は生活再建にとって急務だ。住宅再建、仕事の再開、地域社会の復興と直結している。また、被災地域から避難している住民にとって戻れるかどうかの問題でもある。復旧が遅れれば遅れるほど人口流出が拡大し、とくに若者、働き盛りと呼ばれる層の流出は深刻だ。駅を中心とした地域社会の形成が必要だ。

 復興の名のもとに復興道路・復興支援道路の新規事業が決まった。三陸沿岸道路(新規区間一四八キロ)ができるということは、地域が作り上げてきた三陸縦貫鉄道が自動車と競争になることだ。道路整備が進めば鉄道需要減に拍車がかかる。鉄道復旧の「重し」となってしまう。

 地域が支えてきた交通サービスを支えきれなくなっていく。JRは、赤字路線を廃止し、三セクター化へと移行することになってしまう。地域交通の衰退の進行だ。



 高台で「医療・環境都市」の問題



 宮城県は、復旧・復興計画として高台移転と職住分離を構想している。例えば、東松島市の「復興まちづくり」では、持続可能な地域社会を作ると掲げ、民間資源を導入するものだ。官民連携による街づくりと言っている。さらにPPP(行政と民間が組んだ事業)、PFI(民間資金を利用して民間に公共サービスをゆだねる手法)を導入し「公共サービスの民営化」を押し進めていこうとしている。

 読売新聞(12年3月8日)が(東松島市は)「住民と病院や役所をつなぐ地域ソーシャルネットワークサービス(SNS)を構築。住民は日々の血圧などのデータを送信すると、データを分析した病院から高血圧対策のレシピや運動法などの情報が送られてくる」と紹介している。さらに「SNSには、警備会社、電力会社が加入。住民は防災情報の入手や、非常時の警備員派遣、住宅の室温管理などのサービスも受けられる」とPRしている。

 東松島市が内閣府の環境未来都市に選定された。住友林業は、協定を結び、この計画に参加することになった。「木化構想」では有料老人ホーム、保育園、学校などの公共施設、医療施設を木造化、木質化する「新たな都市モデルの創出」を謳っている。

 壊滅的津波被害を受けた女川町では、山を削って地盤を15メートルかさ上げして、津波がきても大丈夫だとしたが、この計画に住民は反対している。高台移転は山を削り、削った土を住宅地に使うことになるが、二次被害の問題が出てくる。台風がくれば山から水、土砂が平地に流れてくる。「盛り土」による地震による地盤沈下、地滑り等、住民の不安は当然だ。高台移転と職住分離は、重大な問題をはらんでいる。

 さらに二重ローンの問題もある。津波浸水区に住んでいた人は、住宅ローンが残ったままだ。かつて坪××万だったが、現在は七割以下の価格だ。しかも売れない。移転先の地価は上がり、新たな家を建てる場合、新たなローンを抱えることになる。高齢化しており支払いが厳しいから、高台に行けない人たちが多い。この問題は東松島だけでなく南三陸でも同様の問題が起きている。被災地3県では「27市町村40000戸」の集団移転計画がある。

 漁業権の免許更新は5年ごとにある。今年が更新の年なので村井宮城県知事は、漁民会社、水産業の儲けがあるところに免許を与える意図だ。特区は、漁業組合員資格の手続きがいらず、コスト削減で民間企業を参入させるのが目的だ。「権利取得」しながら「責任」を負わなくてもよい「低コスト型近代養殖経営」を目指している。

 1970年代以降、大手水産会社と漁業者が一緒にギンサケ養殖を展開した。だが、魚価が暴落すると企業は、養殖事業から撤退し、結局、負債が漁業者に残ってしまったことがあった。漁業者は、企業は利益が見込めないとすぐに撤退するという不信感を持っている。だから企業参入は弱肉強食のなかで地域漁業の習慣文化を崩壊させ、生活基盤と生活圏の侵害だという認識を持っている。

 住民、漁民の自治を無視した復旧・復興政策の問題を継続して監視し、批判していかなければならない。