DSCF7791 【沖縄】九月九日、宜野湾海浜公園において「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」が開催され、主催者発表で一〇万一千人の人々が集まった。この集会は、沖縄県下の各政党、自治体、議会、教育委員会連合会、労働組合、商工会連合会、農協中央会、漁協連合会、PTA連合会、婦人連合会、生協連合会等の主要二二団体が実行委員会を結成し、さらに様々な一五三団体が共催団体として名を連ね、準備が進められてきた。当初八月五日に予定されていたものの、台風接近により延期となっていた。なお、宮古・八重山地区でも同じ時間帯に、本島の闘いに呼応する集会がそれぞれ開かれた。



 この日は天候に恵まれ、厳しい日射しの中、午前一一時の開会の何時間も前から、会場を目指す人々の流れが続いた。年齢や男女を問わず幅広い層の人々が参加していることが見て取れた。家族連れも多く、車いすやベビーカーは珍しい存在ではなかった。

参加した人々の多様性はのぼり旗にも表現されていた。県内各地の市町村自治体の旗、地域の自治会旗が県内のあらゆる地域からの参加があることを示し、そこには米空軍基地をかかえる嘉手納町、辺野古新基地建設計画を阻止し続けている名護市、高江のヘリパッド建設と対峙している東村の旗があった。嘉手納爆音訴訟原告団の旗や各種の労働組合などの社会運動体の旗に加えて、農協の旗、病院の旗、生協の旗、大学の旗など、優に一〇〇種類を超える様々な旗が彩り豊かに風になびいている様は壮観であり、沖縄に住む人々がそのままこの宜野湾海浜公園に集まっているのだと実感させられた。なお、岩国からの参加者など内地からの旗がここに加わっていたことも付け加えておきたい。
 
 

IMG_5040 今回の県民大会のイメージカラーは赤とされ、服装やプラカード等、そのほか家庭にある赤いものを持ってくるように実行委員会は呼びかけた(注)。これは前回二〇一〇年五月の県民大会で、黄色をイメージカラーとして、普天間基地の県外移設を求め、日本政府にイエローカードを突きつけたことに続くものだ。
この時の県民大会に対する政府の回答は、米国に屈して県内建設へ回帰するという裏切りであった。そして、今また、沖縄県民の普天間基地へのオスプレイ配備反対の声にもかかわらず、政府は米国に配備撤回を求めるどころか、あべこべに県民に対して受け入れを「説得」しようとしている。このような政府の姿勢に対して、もはやレッドカードを突きつけるほかないという県民の意思が、この赤にこめられていた。

それぞれの参加者は思い思いに、赤いTシャツをきたり、赤いリボン、タオルを身に着けたりしていた。紅白帽や野球帽をかぶっている子どもや、赤い風船をもった子どもたちの姿も見られた。



 集会はまず、開会に先立って、沖縄出身の音楽アーティストが舞台に上がり、炎天下で開会を待っている人々に音楽を届け、また自らの思いを語りかけた。午前一一時に開会が宣言され、永山盛廣さん(県市議会議長会会長)が開会挨拶にたち、集まった参加者に感謝の意を述べ、オスプレイ配備を拒否し、日米両政府に基地撤去を求めていく闘いが、日本全国に燎原の火のごとく広がっていくことを期待すると述べた。大会事務局からこれまでに集まったカンパの報告があり、二〇〇〇万円以上が寄せられたことが報告された。登壇者紹介が行われ、主催各団体からの代表者、各自治体の首長、議員、駆け付けた国会議員などが起立する形で手短かに紹介された。

 集会は、実行委員会共同代表のあいさつへと移った。共同代表は県内各界を挙げての取り組みであることを示すために、県議会議長、市長会会長、商工会連合会会長、連合沖縄会長、県婦人連合会会長の五人が立てられており、それぞれがスピーチを行った。

喜納昌春さん(県議会議長)は、この二〇年で世界は大きく変わってきたが、沖縄への基地集中という差別的状況は変わらず、住民が日常的に騒音被害と危険に曝されていると訴えた。マグルビー在沖米総領事による普天間基地について「特に危険とは認識していない」とする暴言、住民の安全を守ることを優先しない政府を批判し、この集会を闘いの大きな一里塚としていこうと述べた。

 翁長雄志さん(県市長会会長)は、沖縄のすべての反対を押し切ってのオスプレイ配備は、銃剣とブルドーザーによる土地の収奪の歴史の継続ではないかと憤った。「普天間が固定化される恐れがある」として辺野古新基地建設をせまる論法にも怒りを表明した。日本の安全と称して沖縄だけが危険に曝されていると指摘し、このことを日本国民全体に訴えていきたいとした。そして、アメリカの言い分を追認するだけの政府や、沖縄と内地との温度差を考えると、楽観視はできない、沖縄の心をひとつにして頑張ろうと呼びかけた。

 照屋義実さん(商工連合会会長)は、商工連合会は経済団体ではあるが、地域社会を暮らしやすくする使命もまた負っていると前置きし、誰もが犠牲者になる可能性を持っているオスプレイは、中小企業の経済活動の前提となる安全・安心を脅かすものだ、知恵と勇気を以てそれぞれの立場から協力して運動していこうと訴えた。そして、オスプレイ配備に際して、米国はたった一篇の通知をするだけで済むという地位協定そのものに問題があると指摘した。この地位協定のために沖縄の人間の尊厳が踏みにじられて悔しい思いをしてきた、その本質が問われるべきだと聴衆に訴えかけた。



 仲村信正さん(連合沖縄会長)は、まず県の内外からの参加者に謝意を述べた。米国の言いなりとなっている政府に「ここはどこの国なのか」と怒りを表明し、オスプレイの事故をパイロットのミスと決めつけた米国の報告書について、むしろわずかなミスで制御不能になる機体の危険性を証明していると指摘した。

この危険性は米国内でも繰り返し指摘されているにも関わらず、沖縄に、それも住宅密集地にある普天間基地に配備しようとしていることを強く批判した。オスプレイは本土にも飛来する計画となっており、「抑止力」という言葉に惑わされることなく、全国へ広げ、連帯して阻止の闘いを作っていこうと述べた。

 平良菊さん(県婦人連合会会長)は、女性を代表する立場から、女性は子や孫を守るため今日ここに結集したと述べ、子どもたちが騒音や危険と隣り合わせの状況に置かれていると訴えた。国民の命を守るのが政府の役割ではないのかと憤り、島の心と子どもを犠牲にしてはならない、オスプレイを沖縄のどこにも配備することを許さない、と訴えかけた。

 仲井眞弘多沖縄県知事は大会前から表明していたとおり欠席したため、メッセージが代読された。県下自治体の首長、議員の大半が顔をそろえるなかでの県知事の欠席は島ぐるみ闘争に水を差す形となった。メッセージの朗読中には会場からはブーイングが起こり、白けた空気が漂った。「安全性が確認されない限り」反対するという仲井眞知事は容認へ転じる余地を残しているとみられており、今回の欠席は沖縄振興予算と引き換えの政府との取引ではないかと観測する向きもあった。



 普天間基地を抱える地元自治体である宜野湾市の佐喜眞淳市長が演壇に立ち、SACO合意で勝ち取られた基地負担軽減の原点はどこにいったのか、いつになったら基地がないふつうの生活が手に入るのかと憤った。宜野湾市では市民大会を通じて訴えてきたが無視されてきた、安全保障のためというのであれば国民が等しく負担すべきではないのか、早期閉鎖返還を、と訴えた。

 加治工綾美さん(沖縄国際大学生)が「未来へのメッセージ」として演壇に立った。加治工さんはまず、二〇〇四年の沖縄国際大学でのヘリ墜落事故の当時、テレビで見て本当かと目を疑った、それまでは若い世代にとって基地が当たり前の存在になってしまっていた、と振り返った。

窓を閉めていても航空機の騒音で授業が中断されるという沖縄国際大学の状況を訴えた。そして、なぜ日本政府は断れないのか、どうして安全だというばかりなのか、沖縄差別ではないのかと怒りを表明した。若い世代が基地への認識を深め、基地が返還されて、大いに地域に役立てられた未来を想像してみようと呼びかけた。青い空、海は 沖縄県民のものだ、基地のない沖縄のために頑張っていこうと訴えた。

 続いて大会決議案が読み上げられ、拍手で承認された。この決議を日米両政府に届け、オスプレイ配備の撤回、普天間基地の撤去を求めていくと表明された。行動提起として、この大会が出発点であることを全体で確認し、今後は市町村単位でも集会を開いていくことや、曜日を決めて基地ゲート前で集会を継続することなどが提案された。

また、使節団を組織して本土の基地を抱える自治体と連携していくこと、訪米団を組織する計画が表明された。また、この日の結集が一〇万を超え復帰後の最大結集となったことが報告された。ガンバロー三唱が行われ、参加者はオスプレイNO!のプラカード、こぶし、あるいはそれぞれの旗を天に突き上げた。

DSCF7801 最後に加藤裕さん(県弁護士会会長)が閉会挨拶に立った。これまでの沖縄の人々の闘いの歴史を振り返り、サンフランシスコ講和条約にあたって米軍がどのように使用しようとも自由とされた沖縄が、その後本土復帰をはたし、痛ましい少女暴行事件を経て普天間返還合意にまでこぎ着けた歴史を振り返り、頑張っても無駄なのか、そうではない、未来をつくっていくのは、あなたであり私だ、心を一つにしようと会場に語りかけた。オスプレイ配備阻止、宜野湾、嘉手納、高江…、沖縄のどこにも飛ばさせない、という加藤さんの訴えに呼応する参加者の万雷の拍手によって集会は幕を閉じた。



 今回の集会では、単純にオスプレイという航空機一機種の危険性のみが問題とされているのではないと感じられた。太平洋戦争で捨石にされて凄惨な犠牲を払った後で米国に売り渡され、一九五九年の宮森小学校米軍機墜落事故をはじめとする基地被害、軍人による犯罪の被害を被ってきた沖縄に、ようやく約束されたはずの普天間基地の閉鎖・返還である。それが果たされない上に、さらなる負担・犠牲を強いようとする日米両政府に対する怒り、住民でなく米国に向いている(政権交代をしても変わることのない)日本政府の姿勢への憤り、そしてあえて付け加えるなら、多少は同情しても結局のところ基地を沖縄に押し付けて良しとしている内地の人々への不信が、参加者一〇万人という復帰後最大の県民集会に結果したように思われた。内地、すなわちヤマトを変えていくために、どのような社会運動を形成していくかが重大な課題となっている。

(注)大会事務局は集会のために赤いプラカードや団扇などを準備した。不愉快なことに、この大会を貶める目的で、「幸福の科学」メンバーらが偽物の団扇を作成し、公式の団扇の配布所に紛れ込ませるということが行われた。初期の段階で注意が喚起され、大きな影響はなかったとみられる。この偽物の団扇は中国国旗を模したデザインとなっており、裏面には大会趣旨に真っ向から反する文章が記載されたものであった。この他にも、同グループのメンバーは大会会場においてオスプレイ配備に賛成する内容の冊子を配布するなどの活動を行った。