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【解説】 1997年7月の香港返還以降、政治・経済における中国政府の影響力が増していることに香港市民は常に敏感に反応してきた。近年では2003年に締結され、その後何度も拡大緩和されてきた中国・香港間の経済連携協定によって、モノやサービスの貿易だけでなく、大陸からの香港への個人旅行の解禁などを含む人の移動が香港社会にさまざまな影響を及ぼしている。最近では中国からの投機マネーによる香港不動産のバブルにともなう物価上昇、香港で出生した子には香港の永住権が取得できるという最高裁の判決によって多数の中国人妊産婦が香港に押し寄せるなど、香港では「嫌中」デマゴギーが社会に広まりつつある。香港嶺南大学の陳雲が昨年11月に出版した『香港ポリス論』では、このような「嫌中」世論に便乗する形で、香港の自治権の更なる拡大を訴えた。中国の民主化ではなく、中国から独立したポリス(ギリシャ語の都市国家)としての香港を目指すことで香港の自治権を守ること訴えた『香港ポリス論』は香港市民にも一定程度浸透している。以下は香港の左翼アクティビストのネットワーク「左翼21」が1月29日に主催した青年キャンプでの発言をもとに書かれた報告。香港・先駆社のウェブサイトより訳出した。小見出しは訳者がつけた。(H)



香港のあり方をめぐる右翼と左翼:『香港ポリス論』批判

区龍宇

◎ 意識的な排外主義には意識的に対抗すべし

孔慶東(訳注:北京大学の教授、悪口で知られる)が「一部の」香港人は(殖民主義者の)イヌだ、と口汚く罵った事件をはじめ、その他一連の事件は、中国と香港のインターネット上で熾烈な議論に発展した。同地域の人間すべてが悪人であるかのような考えには当然のごとく反対である。「香港人はイヌだ」であろうと「中国人こそイナゴだ」であろうと(訳注:先の孔慶東の発言に対して、香港のインターネット上では、大陸から香港にやってくるパワフルな中国人らを揶揄したこのような応酬があった)、あるいは陳雲のように、中国大陸の人々はすべて「全体主義政府を信奉している」とか中国からの新移民はすべて「中国共産党思想に汚染された人」(原注1)という考えはすべて、事実無根あるいは科学的根拠のない主張であり、純粋な差別思想に他ならない。

だが庶民が一時的にそういった感情を持ったとしても、持続はしないし、その影響もそう深刻なものにはならない。そのような考えに対しては批判すべきだが、厳しく批判するほどのことでもないだろう。われわれは、そのような主張をする庶民に対しては、批判すべきは不当な行為そのものに対してであり、人そのものへの批判をすべきではないし、ましてやその地域すべての人をひとまとめに考えるべきでない、と指摘すればいいだけである。


しかし陳雲のように意識的、そして綱領的に中国からの新移民を排斥する主張に対しては異なる対応が必要である。彼は「中国の人間は公民・民主主義の意識に欠ける」から「中国が急速に民主化すれば、ファシスト軍国主義に突入する可能性があり、香港を蹂躙し絞め殺すかもしれない」(原注2)と考えている。このような差別的な考えが、「香港の自治権擁護」という外套に包まれて主張されているのである。だからこそとりわけ真剣に向き合わなければならないのである。


◎ すべての中国人が全体主義の政府を信奉している?


陳雲はすべての中国人が「全体主義の政府を信奉している」と主張しているが、まずこれが事実ではない。この様な主張に対しては、中国共産党の独裁に対して中国では誰も抵抗したことはないのか、民主主義のために闘ってきた人はいないのか、と問いたださなければならない。

もしそういう事例があるのであれば、民主主義を求める闘いが勝利したか否かに関わらず、陳雲の主張の前提が根本的に誤っていることが証明される。陳雲は1989年の壮烈な民主化運動を完全に忘れている。自分自身も積極的に支持していたにも関わらず、である。269頁に及ぶ彼の著書のなかで、89年民主化運動に言及した箇所はほとんどないが、それは偶然ではなく、意図的に歴史を無視しているからだろう。


中国人はすべて「全体主義の政府を信奉している」とさげすんでいるこの著書に果たしてどれほどの学術的あるいは政治的価値があるのかは推して知るべしである。89年民主化運動が敗北してから現在までの20年間、民主化を求める声は押さえつけられてはきたが、それは大敗北の後の消沈状態なのであって、中国の民衆が本質的に民主化を追求しなくなったということでは全くない。(原注3)


◎ 近代化と民主主義


彼の主張は実のところ何ら目新しいものではない。1980年代以来の「素質論」「国民性」「小農DNA」、そして「中国人奴隷根性論」などの主張(原注4)の延長に過ぎない。中国人には絶対君主専制がお似合いであると信じる論調は、古代の中国においては無理筋ながらも一定の説得力はあるのかもしれないが、現代に置き換えると全く通用しない主張である。

古代中国における小農の閉鎖性と分散性、それに加えて広大な国土は、民主制の実施を困難にさせたことは確かである(だがこれについても中国特有の事象ではない。古代社会において民主制は例外的であった)。しかし近代化がもたらした都市化、教育の普及、通信技術の発達、市民階級意識の発展など、それらは民主化の十分要件ではないにしろ、必要条件であることには変わりない。これらの条件は、さまざまな非民主的な悪習を改善することを可能にする。


◎ 民主的意識の基盤


インドの社会的条件は中国よりも良好であるとはいえない。しかし少なくとも半世紀以上に及ぶ代議制民主主義を実施してきた。もちろん誰もが民主主義の受容を願っている、というわけではない。そこで決定的な影響を及ぼすのは、民族や地域の違いよりも階級の違いのほうである。支配階級は確かに民主主義を受容したがらない。それは意識が高いかどうかではなく、階級利害の問題である。


しかしプロレタリア民衆の民主意識の不足は、階級的利益に基づいたものではなく、状況が規定する意識の問題によるものである。抑圧(経済上の搾取という抑圧を含む)の廃止は、普通の人民にとって何ら不利益ではなく、むしろ有利に働く。もし意識的な問題ととらえるのなら、啓蒙と教育を通じてそれは変化させることは可能である(もちろんそれには社会が、教育や政治的自由やまともな賃金などを含む十分な物質的条件を提供する必要がある)。いわゆる啓蒙や教育は、インテリゲンチャがプロレタリアートに対して一方的に外部注入するというという旧来的な意味での教育観ではなく、民主的で双方向の教育観、つまりプロレタリアートも自らの学習と闘争を通じて民主主義的習慣を養うことができるということである。


◎ 中国における民主主義の二つの実例


実際に、2010年の中国ホンダ争議の労働者たちは自発的に労働者代表を民主的に選出して会社との交渉に当たったし、昨年末の広東省烏坎村の農民たちも自主的に選挙で臨時理事会の指導者を選出して権利擁護のためにたたかい、最近では民主選挙を通じて村民委員会を選出した。これらはすべて民主意識の表れである。そしてこの二つの闘争において、これら民主的に選出された労働者、農民の代表は全国規模での改革をも訴えていたのである。これは現代中国の労働者と農民による民主的自治の可能性を物語っている。


もちろんこれらのケースは労働者農民全体の中の極々一部を代表するに過ぎない。だがそれは中国共産党独裁政権がこれらの極少数が多数に発展することをことごとく妨害しているからであり、われわれはこのような政権を批判しなければならない。しかるに陳雲は抑圧される人民と独裁制の支配者を同等に並べている。これは客観的に見て後者の犯罪性を擁護することに等しい。


◎ ナチスは選挙で権力を握ったのではない


陳雲は中国からの新移民がファシストになる可能性があると嘲笑しているが、彼自身ファシズムとは何かを知っているわけではない。だからこそ、民主的選挙の結果をみて「中国が急速に民主化すれば、ファシスト軍国主義に突入する可能性がある」などという結論を導きだしているが、これは葉劉淑儀の受け売りに過ぎない(訳注:元保安局長で現立法議員の葉劉淑儀が保安局長時代の2002年に治安法を制定しようとした際、「欧米のブルジョア民主主義は万能薬ではない。ヒトラーも民主的選挙で権力を握り、その後700万人のユダヤ人を虐殺した」と述べ批判を受けた)。

ヒトラーは選挙で権力を握ったのではない!ナチスは権力につくまで得票率は四割を超えたことはなった。ヒトラーが権力を握る際に最もよりどころとしたのは、いつでもクーデターに打って出ることができ暴力的に労働運動と政治的自由を圧殺することができた40万の突撃隊であり、保守反動のヒンデンブルグ大統領によって首相に任命され権力の座についたのである。ファシズムが選挙で権力を握ったという主張は事実に反するし、民主的選挙を貶めることになる(原注5)。陳雲は自由民主は必要だという。しかし彼は「大功を為すものは衆人に諮らず」(訳注:春秋戦国時代の秦の政治家、商鞅の言葉)を何度も強調する。(原注6)。まるで民主派というよりも右派のイメージに近い主張である。


◎ 中国共産党と中国民衆の区別が重要


陳雲は、すべての中国人が反民主的だと考えているが、それはどうしようもなく排外的であるばかりでなく、戦略的に見ても甚だしくおろかな主張である。ちっぽけな香港が長期にわたって自治権を維持するためには、中国共産党とプロレタリア民衆をはっきりと区別した上で、中国の労働者と農民に対して独裁反対に立ち上がることを呼びかけ、全国各地で中国ホンダや烏坎村のたたかいを登場させる必要がある。


このような区別こそが長期的に中国共産党の力を弱めることができるし、少なくとも潜在的な盟友を敵の側に区分してしまっている。陳雲はやみくもに中国のプロレタリア大衆を排斥しているが、それはまさに香港自治崩壊の近道である。逆に香港人が中国の民主化を適切に支持すれば、それは中国人民にとってだけではなく香港民衆にとっても得るところがある。


◎ 賄賂で売買される移民枠


話を戻そう。陳雲の主張も一部には理にかなったところもある。たとえばわれわれとは違った理由からだが、香港政府は移民認可権を中国から取り戻すべきだ、という主張がそれだ。香港政府は現在、中国からの移民を一日当たり150人の枠に設定しており、この受け入れ枠は継続すべきだとわれわれも考える。

しかし中国の地方政府の腐敗は甚だしく、許認可権をもつ地方役人への賄賂で移民枠を購入するという現状がある。そのために、中国と香港で離れ離れになっている家族状況を解決しなければならない人々の香港への移民が難しくなっている状況がある。このような状況において、香港政府が家族の団らんを優先するという原則に従って移民を認可するよう要求することは、きわめて合理的なものである。


◎ 思想調査は民主主義に反する


陳雲も同様に香港政府が移民認可権を取り戻すことを要求している。しかしその理由は、中国の腐敗役人が移民枠の采配を独占している状況を改善するためではなく、中国人が「全体主義政府を信奉している」ので、移民審査の際に政治審査を新たに設けて、移民希望者が民主主義的自由に同意するかどうかを審査しなければならないということなのである。しかしそのような思想審査こそが、個人が享受する権利はその政治信条によって異なるところがあってはならないという民主主義精神に反するものである。


彼は著書の別な箇所でも、香港籍取得の宣誓式で香港に忠誠を誓わせることで政治審査の目的を達成すべきだと述べている。「国民全員が病気である」中国人が「私利を貪る」ことに長けている(原注7)というのであれば、そのような宣誓にいったいどのような効果があるというのか。効果がないどころかかえって反感を買うだけだろう。


◎ 根源は中国の政治体制


夫婦ともに香港籍を持たない中国人妊婦の出産をめぐる騒動(訳注:2001年に香港最高裁が香港で生まれた子には永住権があると認め、中国人の香港旅行が自由化された2003年以降に香港で出産する中国人妊産婦が急増し社会的議論になっている)も同じように、問題の根っこは香港にあるのではなく、移民許可の枠を賄賂で融通する、医療制度の腐敗、一人っ子政策などの不公平、市民権の欠如などといった中国の専制腐敗の制度にある。


いま、このちっぽけな香港が独裁体制から(一時的にではあるが)逃れようとする十万もの中国の人々の避難所となっている。問題は、香港は無制限の避難所になれるような条件がないということである。だから中国からの妊産婦の受け入れも、受け入れ可能な人数を順序だてて受け入れていくべきである。これは排外的な思想ではない。


◎ 民主主義の脅威(1) 内部の敵


陳雲は自らが作り出した香港人/中国人という二元対立の虚構に酔いしれ、香港人は「極めて優秀な人種」に進化しているなどと主張する!(原注8)それゆえ彼は、香港の自治権の危険はすべて外部から、しかも中国政府によってではなく、中国からの移民によってもたらされると考えている。それは、この上なく愚かな考えである。

「香港人種」という滑稽さもさることながら、利害が一致した運命共同体の「香港人」なるものも虚構の産物でしかない。現実は、互いに利益が相反する社会的カテゴリーである富豪階級・親中派政党とプロレタリア大衆という二つに分裂している。中国政府からの危機を勘案しないとすれば、香港の自治の主要な危険は香港の内部、つまり香港の大財閥、大官僚、親中派議員にある。


◎ 民主主義の敵(2) 自由資本主義


香港自治権に対する危険の根源の二つ目は、他でもなく「自由資本主義」である。それによって中国共産党が企業買収を通じて香港のメディア、ブルジョアジー、政客、政党を買収を容易にしている。亜州電視(香港の民間テレビ局)が「第二の中国中央放送局」と言われていることからもそれが分かる(訳注:経営危機に陥り中国国務院傘下の企業の資本参加によって救済された。スポンサーに多数の中国企業が並ぶ)。


また多額の投資・貿易関係を通じて、香港を中国経済に緊密につなぎとめることを容易にし、政治的コントロールが行われている。陳雲は、そのような「内部に存在する深刻な災い」さえも分からずに、妄想の大敵にむけて大砲を撃ち放っている。なんと愚かなことであろうか。だが厳格に言えば、これを「愚か」の一言で済ますことはできない。資本主義という社会経済制度が資本の力によって政府をはじめ一切を主導していることを理解しないがゆえに、法人として香港に投資する中国資本に対しては何ら警戒さえしないが、自然人としてやってくる中国人には過剰反応をしているのだ。


◎ 中国を無視することはできない


陳雲は香港自治権の防衛を高らかにうたっている。しかし「敵と刺し違えることも恐れない」(原注9)などといった感情的な字句以外に、香港がどのような方法でその目的を達成することができるのかについて何ら提示することができない。中短期的に言えば、香港が中国の独裁主義に対してNOを突きつけることは確かに可能である。2003年の香港基本23条に対する反対運動の成功のように(訳注:本紙2003年8月4日号「香港で国家安全条例反対闘争の高揚」参照)。


だが長期的な観点から見れば、その他の条件が不変であるとするなら、香港だけで中国への吸収に抵抗することは難しいだろう。陳雲は「中国のことを忘れよ」と呼びかけているが、それは独りよがりの願望に過ぎない。陳雲は中国のことを忘れることができるかもしれないが、中国はこちらのことを忘れはしないからだ。


北京政府は毎日のように香港政府に口出しする。経済面についてはすでに述べたので、ここでは政治の領域について述べよう。すでに北京政府は香港基本法を通じて香港をしっかりとコントロールしている。陳雲は、香港基本法が香港に高度の自治を付与しており、行政長官も香港で推挙されると言う。

だがそれは事実ではない! 行政長官どころか局長でさえも北京政府(訳注:国務院)による任命が必要である。この点については中国の省長の地位にも及ばないのである。中国の省長は各省の人民代表会議(訳注:地方議会)での選挙によって選出・任命されるのであり、国務院の任命は必要ない。


◎ 香港基本法の抜本的改正を


基本法に原則的批判を行っていない陳雲のポリス論はラディカルなように見えるが実際には保守的なものである。もし香港がポリス的自治精神を必要とするのであれば、まず何よりも基本法の民主的制定(あるいは全人民による憲法制定)を提起すべきである。基本法は、北京政府が押し付けたという根本的な弱点がある。もしこの点を克服しようとするのであれば、香港人代表会議でもう一度基本法を制定しなおす必要がある。国防と外交権は、現在と同じように北京政府に帰属するものと認めるとしても(だから我々の主張を香港独立と批判することはできない)、自治に関する一切の規定は香港人の民主的決定によるものとすべきだろう。


我々は香港における民主的な憲法制定の実現に努力することはもちろん、中国における民主的憲法の制定も支持するものである。そのためには長期的な奮闘が必要であり、中国の人民大衆との同盟も必要だろう。もちろんそれは容易なことではない。しかし、中国民衆を貶めて敵とみなすことよりもずっと賢明であることには違いない。


◎ 四つの路線


これまで中国と香港の関係に関して、メインストリームには二つの路線しかなかった。ひとつは大ブルジョアジーと高級官僚と親中派政党らの共産党に身をゆだねて香港を裏切るという路線である。もうひとつはブルジョア民主派および中産上流階層による軟弱な自主防衛路線であり、相互不干渉と選挙制度改革における妥協(訳注:民主党などブルジョア民主派は全議席の直接選挙実施の主張を後退させた)によって香港の自治を保障しようというものである。この路線は日々破産が明らかになり、ますます多くの人々が困惑しうんざりしている。


陳雲は三つ目の路線を提起したといえるだろう。中国人への恨みを扇動して香港の自治を防衛しようとする右翼排外主義という路線である。これは出口のない路線であり、しかも主流にはなり得ないが、政治屋にとってはそれで有権者の支持を取れさえすればかまわない。陳雲がそのような政治屋になるかどうかは分からない。だが一旦表明された主義主張は本人がコントロールできるものではないし、このような排外主義が香港社会全体を保守の側に押しやることで親中派政党のみを利することになることは疑いない。陳雲の著書の危険性はこういった点にもあるのだ。


香港の民衆には、第四の路線、すなわち香港に立脚し、自治を防衛し、同時に中国へも視野を広げ、中国民衆の民主化運動を適切に促すことを通じて、最終的に香港・中国の両人民が連合して民主主義を実現するという路線が必要である。


◎ 階級的視点と社会的アイデンティティ


陳雲の著書が出版された後、「香港地元主義に右も左もない」(原注10)という主張も提起されたが、それには議論の余地が大いにある。陳雲の著書は紛れもない右翼であり、エスニック集団や地域アイデンティティを「人種」の大枠で対立させるとともに、真に問題にすべき階級アイデンティティや階級対立を見えなくし、中国共産による資本家や政治家の買収を資本主義が必然的に助長させていることには無批判である。


このような右翼的言論に対して、民主派あるいは左翼は一線を画し、進歩的左翼あるいは真の民主派としての主張をすべきである。その主張には資本主義に対する批判、そして階級的視点が必要である。階級的視点の必要性は、その他の社会階層的分析を抹殺するということではない。個人とある社会的グループは、階級的アイデンティティだけでなく、その他の多くの社会的アイデンティティを有するものである。伝統的左翼は往々にしてこのことに敏感ではなかった。とはいえ、階級アイデンティティと階級対立に注意を払わないということも、同じように大きな誤りなのである。


◎ 排外主義とファシズムの違い


また、左翼も現在の排外主義的状況に対して正確に対応する必要がある。冷静に言えば、排外主義的感情は間違ってはいるが、それをファシストと形容するのはやや誇張しすぎの面もある。陳雲のような綱領的で政治的目標をもった著書でさえも、それをファシズムということはできない。ファシズムは一般的な右派思想と同じく排外主義であるが、両者には重要な区別がある。ファシズムは極端な暴力をつかって議会民主主義、労働運動、左翼運動を殲滅し、国家主義政権の樹立を目指すものである(原注11)。現在、デモで新移民に反対したり、反移民の主張を掲げる陳雲のような人物は、ファシズムからはまだ距離がある。


◎ 香港人アイデンティティへの注目を


いままさに発展しつつある香港人アイデンティティに対して、左翼は感度を高める必要がある。台湾は香港よりも条件が整っており、「台湾民族」アイデンティティも形成途上にある(台湾人という自己認識はすでに形成されているが、「台湾民族」アイデンティティまでにはいまだ距離がある)。


香港の置かれている条件では、せいぜいのところ、漠然とした香港人アイデンティティと一定の自己認識の発展にとどまるだろう。しかし、すでに述べたところではあるが、中国と香港には極端な違いがある。香港は独立する条件はないが、50年に及ぶ分離と汚職や腐敗を通じた中国共産党の影響力の阻止という二つの条件が香港人アイデンティティ意識を強化した。


◎ 薄れつつある中国人アイデンティティ


戦後に生まれた世代の大半が依然として中国人アイデンティティ意識を有している。1971年7月7日の釣魚台防衛デモの際に警察に暴行された若者らのなかから「中国人は中国人に暴力を振るわない」というスローガンが叫ばれ、警官の中にはそれを聞いて暴力を停止した者もいた。だが今日では、香港で生まれ育った若者の間では、中国人アイデンティティが何か価値のあるものとしてはとらえられてはいない。


中国のなかでさえ「中国人であることに尊厳を感じない」と考える人々がいる中で、香港人であればなおのことではないか。逆に、香港人がいま享受している政治的自由と尊厳については、香港人だけがその身分の貴重さを感じているのではなく、少なくない中国の人々、とりわけ高級官僚や富豪らも香港で出産したり子どものために居住権を取得したいと考えているほどである。


◎ 香港自治権の防衛


それゆえ中国と香港の人々の間のわだかまりが「みんな同じ中国人」の一言で解消するわけではない。まして「みんな同じ貧乏人」の一言だけでは、中国の人々に対する同情を引き出すことはできない。われわれは労働者階級の大連合の精神を支持し、中国人民と香港人民の共同の利益を見なければならないが、香港の特殊性についても配慮しなければならない。


現在のところ、香港人が中国の民主化運動をすぐに促進させることはできない状況においては、まず香港の自治権を防衛することは理にかなったことであり、香港人アイデンティティは抵抗意識をつなぎとめることに役立つ。左翼の責任は香港アイデンティティの意識を健全な方向に導くことである。排外主義に陥らず、断固として香港の民主的自治権を防衛し発展させるということである。

◎ 台湾とスコットランドの事例


二つの正反対の事例が左翼の運動いかんで結果が大いに異なることを証明している。

台湾では1980年代末に党外運動(訳注:国民党独裁に反対する民主化運動)と労働運動が盛り上がっていた。しかし当時結成されたばかりの工党(訳注:労働者党)は、中国民族主義の限界から、中国共産党政権はいぜんとして反資本主義の政権と誤って認識し、すでに生まれつつあった台湾人アイデンティティに注意を払わず、中国共産党の資本主義政策に頬かぶりをし、中国と台湾の統一を掲げて台湾独立に対抗した。その結果、高まりつつあった社会運動にコミットすることができなかった。戦略的な考えからすると、台湾独立は聡明な路線とはいえないが、台湾アイデンティティ意識それ自体は正当なものであり、敏感に対応すべきであった。


一方、逆の事例はスコットランドの左翼のである。スコットランドの独立運動は、今後数年のうちにイギリスからの離脱を問う住民投票を実現するだろう。もし勝利すればイギリスの覇権に対するいくばかの打撃となるだろう。ラジカル左翼はこの運動の最前線に立ってきた。スコットランド社会党は独立運動を積極的に担い、かつ独立を目指すブルジョア政党のスコットランド民族党と一線を画して、独立後には民衆の自発的な闘争によるヨーロッパ社会主義連邦の建設を主張している。左翼にとって、地域/民族アイデンティティと各国の労働者人民の民主的連合は、相違したことはなかったし、それが必ずしも民衆の支持を得なかったわけではない。(原注12)


香港の状況に困難が多いことは確かである。中国の資本主義化は過去になく巨大な右傾化をもたらしており、また香港における資本主義の安定と繁栄は左翼主張の周縁化と右翼主張の共鳴をもたらしている。だが、20年前に比べると、思考を模索する若い世代に対する右傾化思想の吸引力は低下していることも確かである。左翼が深い理論的検討を通じて正しい方針を提起することは依然として意味のあることである。本論文をその一助としたい。


2012年2月9日


原注1 『香港城邦論』,陳雲,天窓出版社有限公司,152頁および161頁。
原注2 陳雲,52頁。
原注3 89年民主化運動の内部でも未熟なところもあり、民主主義意識もレベルアップが必要だったことは確かである。しかし運動全体が放った民主主義の力に比べるとそれらは重要ではないし、未熟さは改善することが可能である。陳雲の主張はこの点を完全に無視している。
原注4 香港と台湾で最も有名な作品は孫隆基の《中国文化的深層結構》。
原注5 『第三帝国の興亡』ではこう記されている。「国家社会主義党は1932年7月に最も支持率が高かったときでさえ37%の得票率に過ぎなかった。しかしヒトラーに反対する63%のドイツ国民は四分五裂の状態にあり、また極めて短期的な利害に拘泥し、共同の危機に統一して立ち向かうことができなかった。・・・共産党はモスクワの指令によって最後まで「まず社会民主党を攻撃せよ」という愚かな主張を堅持した。ウィリアム・L・シャイラー著,天地図書有限公司,上冊,265頁。
原注6 彼はこの文言に「市井と話し合いをしない」と特に注釈をつけて説明している。
原注7 陳雲,135頁。
原注8 同上,184頁。
原注9 同上,34頁。
原注10 《政改爭論退場,本土大戦爆発》,孔誥烽,明報,2012年1月15日。
原注11 このほかに、大衆的なファシズム運動は、憤激に満ちたプチブルを社会的基盤にするという特徴がある。
原注12 スコットランド社会党は2003年には6人の国会議員を有していた。その後、ある指導者のスキャンダル(のちにスキャンダルの本人は党を辞めた)で議席を失った。