『魯迅とトロツキー 中国における「文学と革命」』

長堀祐造 著
平凡社 2011年9月 
3,990円


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そういえば、90年代初めに留学していた中国の大学の寮の自室で、トロツキーの写真を掲げ、本棚には魯迅全集が並んでいたことを思い出した。新版が出版されることになった魯迅全集の購入を勧めてくれた歴史学部出身の中国人の友人が、トロツキーの写真を見て困ったような笑みを浮かべていたことを思いだす。(この友人の名誉のために付け加えると、彼が社会人に成りたてで遭遇した1989年の民主化運動では、直接運動に参加はしなかったが、シンパシーを持って民主化運動をとらえていた。)


結局、トロツキーをまともに読んだのはそれからだいぶ後になってからのことだったし、内容を理解するにはさらに時間がかかった。魯迅全集に至ってはほとんど読みもせず、留学を終えて帰国する際、その友人にあげてしまった。トロツキーの知識は「フォービギナーズ」止まり、魯迅に至っては中学生の時に国語の教科書に載っていた『故郷』のうろ覚え程度という状態がしばらく続いた。


その後、社会運動に興味を持ち、縮刷版「世界革命」で香港にもトロツキー派組織があったことを知った。「トロツキー研究所」や日本と香港のトロツキー派組織と連絡を取り、新聞や書籍を読み始めた頃だったか、かつての留学先に件の友人を訪ねた。何かの拍子に、日本でもトロツキー派の社会運動にかかわり始めたと言ったとき、彼から即座に「右派の?」と聞き返された。


その時は「左翼の運動なのになんで右派?」と一体何のことやらわからなかったが、その後、左翼運動にも右派や左派があることを学び、『トロツキー研究』や香港のトロツキー派の出版物などから、陳独秀をはじめとする中国トロツキー派が、公式共産党の歴史においてはご多聞に漏れず中国でも「帝国主義の手先」として位置づけられてきたこと、近年になってから「帝国主義の手先」から「右派」に名誉回復(?)されたことなどを知った。


さて、いつものように前置きが長くなったが、慶応大学教授の長堀祐造氏の『魯迅とトロツキー』を手にしたとき、もう20年近く前のこういった事柄を思い出した。


長堀氏はこれまでにも中国トロツキー派の鄭超麟の回想録(日本語訳『初期中国共産党群像』平凡社東洋文庫)の翻訳や「トロツキー研究」等で中国トロツキー派に関する論考を精力的に発表してきた稀有な研究者である。『魯迅とトロツキー』はこれまでの研究成果の集大成といえる力作であり、魯迅とトロツキーおよび中国トロツキー派を巡るさまざまな論争を、詳細な実証資料を交えて紹介・研究したものである。


 ◆


1937年10月19日、延安の毛沢東は魯迅逝去一周年に際して「魯迅は新中国の聖人だ」と称えた。後年の魯迅神格化はここから始まったという。


その魯迅が「最初期に関心を寄せたマルクス主義文芸批評の専著はトロツキーの『文革と革命』であった。」「折からの革命文学論争では、……トロツキー理論に依拠しながら自らの革命文学論を展開した。」「最晩年の魯迅は、中共・コミンテルンの人民戦線(統一戦線)戦術に異を唱え、周揚ら中共主流派の文学官僚からはトロツキストと非難される仕儀となる。」


しかし奇妙なことに、魯迅の死後に革命が成就して建国された中華人民共和国では、上記の毛沢東による魯迅の神格化が本格的に進む。その理由は、最晩年の魯迅が病床から書いたと言われてきた「トロツキー派に答える手紙」の存在である。この「手紙」は巧妙な書きぶりで中国トロツキー派が日本帝国主義から資金援助の疑いがあることを示唆したうえで、毛沢東率いる中国共産党の支持を明確に打ち出した。


この「手紙」は第一義的には当時スターリンによって全世界で展開されていた「トロツキスト=帝国主義の手先」の中国版であり、毛沢東というよりも王明ら純粋スターリニストたちを大いに喜ばせたのだが、その後、毛沢東が権力を握るようになったのちも、この「手紙」および神格化された魯迅を徹底的に利用したことは言うまでもない。


長堀氏は、毛沢東によって神格化された魯迅を「救い出すこと」を本書の目的のひとつとして以下のように書き記している。


「魯迅の威を借りてトロツキーや中国トロツキー派復権を意図するものではない。むしろ情勢はその逆を要求していると筆者は考えている。中共が自主的にせよ、迫られてにせよ、最終的に社会主義の看板を下ろすような状況が出来するときに備え、スターリニスト、毛沢東主義者に『拉致』された魯迅(のテクスト)を開かれた場に解放しておくことが必要なのである。トロツキー及び中国トロツキー派の『復権』はもはや魯迅に頼るまでもない。」(198頁)


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詳細な注釈が付けられた本書を一読すれば、筆者のような文学の門外漢であっても、初期の魯迅がいかにトロツキーの文学理論に傾倒、重用したのかを知ることができる。また当時の文学論争や毛沢東の文芸政策の問題点、毛沢東による最初の粛清事件である「富田事件」の顛末など、中国革命をめぐる様々な真相を、詳細な資料によって描き出している。中国近代史や中国革命の重要な一端を知る上でも貴重な資料となっている。


個人的には、第7章の「『トロツキー派に答える手紙』をめぐる諸問題」がもっとも関心を引いた。事の顛末や結論については本書を読んでいただきたいが、この「手紙」で侮蔑されたトロツキー派の陳仲山の生い立ちをはじめ、その経過をたどる長堀氏の筆には、毛沢東の獄に繋がれたり、亡命を余儀なくされてきた老托派(中国オールドトロツキスト)たちの想いが乗り移ったかのようである。


長堀氏は、日本帝国主義によって逮捕・処刑されたにもかかわらず、共産党によって後々も「国民党のスパイ」であったかのように語られ続けてきたトロツキー派の陳仲山の名誉回復にも労を折っている。魯迅の断固たる「すべて派=無条件擁護派」であり、本書の随所に登場する老托派のよき理解者であり「同伴者」である長堀氏の過去と未来の歴史に対する誠実さにあふれた本書を、一人でも多くの同志・友人に読んでもらいたい。


長堀氏は、「『トロツキー派に答える手紙』をめぐる諸問題」の章をこう締めくくっている。


「1952年、中国トロツキー派は大陸から一掃され、現在はわずかに香港の民主派内の小勢力として残存するに過ぎない。しかし今や中共の批判勢力としては最も尖鋭な合法的存在となった。中国トロツキー派の掲げる民主と人権の旗は、実は結成以来の彼らの伝統でもある。陳仲山の遺志はおそらくしばらくは香港で生き続けることだろう。そして魯迅の批判的精神は幾分なりとも彼らと共鳴するはずのものなのである。」


共鳴の旗印は、「アラブの春」から金融危機に揺れる世界を回り、いまふたたび「北京の春」の大地に翻ろうとしている。

2011年12月22日

(H)