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12月12日の村民大会の様子


中国・広東省の烏坎村では、民主化を求める村民らの「村ぐるみ闘争」が闘われている。1980年代から始まった改革・開放は農村における自由化からスタートした。30年を経たいま、グローバル資本主義の「世界の工場」から「世界の市場」へと変貌を遂げつつようあるなかで、中国における農村は「資本主義化のベルトコンベアー」としての官僚独裁体制がグローバル資本主義と癒着し、資本主義の本源的蓄積の実験場となってきたといえるだろう。農地を農民から二束三文で取り上げられた土地は、香港をはじめとするグローバルマネーの餌食となり、官僚とブルジョアジーを肥え太らせている。烏坎村の「村ぐるみ闘争」は国家の暴力装置と対峙しながら、民主化をもとめる中国民衆の声を世界に向けて発している。以下は、烏坎村の闘いに連帯する香港の運動ネットワーク「左翼21」による呼びかけ。(H)


腐敗官僚を打倒し、われらが土地を取り戻そう!


香港アクション・グローバルコール

陸豊・烏坎村民の民主化闘争を支持しよう!

 

原文

 

1927年11月21日、中国共産党の革命的先駆者であり社会主義者の彭湃(1896年10月22日~1929年8月30日)の指導下、広東省海陸豊地区は全国で最初のソビエト地区を形成した。澎湃は貧富の格差の問題に取り組み、地主、資本家、腐敗官僚を排除し、中国共産主義運動の最初の号砲を打ち鳴らした。

 
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彭湃


2011年11月21日、そのソビエト政権が成立した旧跡から数キロばかり離れた陸豊東海鎮烏坎村で、数千人の村民が街頭に繰り出し、「独裁反対、腐敗を処罰し、政官財の結託反対、我らの耕す田畑を返せ!」のスローガンを高らかに掲げたデモ行進が陸豊市政府に押し寄せ、政府役人による私的な土地売買に抗議し、市民の同意を得ずに売り出された土地の回収、1978年以降に売り出された6000ムー〔1ムーは6.667アール:訳注〕余りの土地の所有状況の公表、選挙期間中に行われた不正と捏造の徹底調査、法律に則って「村民委員会組織法」を実施し、村指導者の選挙を行うことを要求した。村民たちは市長宛の要請書を手渡した後に平和裏に解散した。

 

政官財の腐敗による公有地の私的売買に

対して村民が自発的に抵抗を組織化

 

1990年代初頭以降、烏坎村民は、陸豊市やその上部自治体である汕尾市と広東省政府に対して何度も陳情を行ってきたにもかかわらず、納得のいく説明は一切なかった。烏坎村のトップである共産党委員会書記の薛昌は、民主的選挙によらず村党書記に41年間も居座り続けていた。何千ムーもの土地が村民の同意を経ることなく、「村民委員会」名で売却あるいはリースされた。だが村民はこの数十年の間にわずか500元ほどの補償しか得ていない。

 

今回の事件の原因は、烏坎村に戸籍がある香港のビジネスマン陳文清が、村民委員会と癒着し土地を開発事業者の碧桂園に転売し、碧桂園から支払われる土地補償費用7億元を着服しようとしたことによる。陳文清は中国と香港で、広東省および汕尾市の政治協商委員など多くの公職上の肩書きをもち、中国国内で多くのホテルや開発事業会社を経営している。また碧桂園は開発工事を始めており、地元村民らの反発をかっている。

 

2011年9月21日と22日には、事態を重くみた烏坎村民らによって市政府への抗議行動が呼びかけられ、市政府は事件の徹底調査を約束した。村民らから批判を受けた村民委員会の執行部は逃亡し、三階建てのオフィスビルはもぬけの殻になっていたという。

 

村の自治体組織である村民委員会の逃亡によって無政府状態になることを回避し、〔抵抗の〕規律を強化するために、村民は民主的選挙で13人の代表を選出し、「臨時代表理事会」を結成して村行政につとめた。10月中旬、村民らは「女性代表連合会」を結成して闘争を支援した。陸豊市政府も専門チームを派遣して状況の把握に努めたが、市政府は11月1日に、村の党支部書記の薛昌和と副書記の陳舜意を解任し、陳舜意が村委員会主任〔村長に相当:訳注〕を辞任することを許可する決定を発表しただけで、そこ民主的選挙への言及もなく、烏坎村が所属する東海鎮の副鎮長が烏坎村の党支部書記を兼任するという人事を行った。村民らが訴えていた土地問題と官僚の腐敗問題に対しての徹底した調査はなかった。およそ2ヶ月にわたる政府の無責任な対応が、11月21日の平和的行動を促した。

 

ストライキと商店休業を呼びかける村民たち

民主的に選出された指導者が拷問死

 

12月3日、市政府はマスメディアに対して今回の事件はすでに解決したと一方的に宣伝し、市民らの怒りを買った。12月4日から全村民1万3千人余りがストライキ、授業ボイコット、商店閉鎖、出漁拒否を断行し、集会と抗議デモを繰り広げた。12月5日には、民主的選挙で選ばれていない党書記の就任に抗議した。

 

12月9日、運動の指導者であった荘烈宏、薛錦波、張建城、洪鋭潮、曽昭亮の5人が警察によって逮捕された。二日後の12月11日夜、陸豊市政府は突然、烏坎村の民主的選挙で選出された村代表であり臨時理事会の副会長であった薛錦波が心源性の突然死で死亡したと発表した。外部から何らかの力が加えられたことは否定した。しかしこの発表は、インターネット上に掲載されている薛錦波の娘、薛健婉の証言とは食い違っていた。薛健婉は、父親の胸部が損傷しており、体中に青あざがあり、手が腫れ上がり、手腕も青あざまみれで、下あごと鼻の皮が破れて血が流れており、明らかに拷問による死だと語っている。

 

武装警察が村に進駐し兵糧攻め

 

薛錦波の無辜の死を受け、12月12日と13日には烏坎村民らが追悼集会を開き、闘争の継続と深い官僚の打倒を誓った。現在、烏坎村および近隣の道路は千人以上の公安・武装警察によって包囲され、村民たちは外部との連絡を絶たれ、兵糧攻めに遭っており、村内の備蓄食料も不足しだしている。武装警察はこれまでにも催涙弾などを発射し、村民たちが築いたバリケードを撤去し、民主的に選出された村民の指導者たちを逮捕しようとしてきた。

 
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武装警察と対峙する烏坎村の村民たち


烏坎村民の持続した抗議行動によって、市政府は村役人たちに対して事情聴取と待機処分を命じ、村民から批判されていた党委員会書記の薛昌と地元出身者の香港人ビジネスマンの陳文清が癒着して進めてきた二つの投資プロジェクト案件を一時見合わせている。

 

二つの時代の労農闘争はどちらも資本主義の問題

 

烏坎村民の持続した困難な闘争と時を同じくして、陸豊市の教員たちも12月11日に賃上げを要求する抗議行動に取り組んだ。それは1922年の海陸豊地区の農民会運動と同様に、烏坎村の抗議行動は自主的組織と政治・経済的要求を掲げており、中国の労働者と農民の民主的闘争の歴史において、どちらも先駆的な意義を持つものである。1920年代の海陸豊の農民運動と香港・上海などにおける労働者によるストライキの波は相互に反射し合あっていた。それは、当時のグローバル資本主義が瀕していた経済危機と各国のブルジョア政権が突き当たっていた政治的危機を映し出すものでもあった。

 

80年以上を経た現在、海陸豊地区の労働者と農民の闘争は、同じようにここ数ヶ月来の深セン、東カン、上海などの労働者によるストライキの波と相互に呼応しあっており、また同じように政治的・経済的危機と社会的富と政治権力が極少数に偏重していることを暴露するものである。

 

「腐敗官僚を打倒し、われらが土地を取り戻そう」というスローガンは、十億の中国人民の声であり、それはまた「不動産覇権」の抑圧にあえぐ数百万の香港市民の声でもある。その進軍ラッパの音は、革命的伝統に深く根ざした海陸豊地区から鳴り響いている。烏坎村民の闘争はもっとも困難な刻を迎えている。千人以上の武装警察は依然として村を包囲し、村民らの自発的な民主的組織は政府から非合法組織とみなされ、薛錦波の不可解な死に関する納得のいく説明はなく、民主的に選出された農民運動の指導者たちへの逮捕と拘束は続いており、腐敗官僚に対する処罰も村レベルにとどまっている。

 

われわれは、全世界の進歩的市民、中国全土の人民と香港市民が、烏坎村民の民主的闘争を支持することを訴える! 12月17日には、香港で烏坎村民に連帯し、政府に抗議する行動が行われる。

 

われわれは以下を中国政府に要求する

 

1)烏坎村の包囲をすぐに解除し、烏坎村民および民主的に選出された組織の積極的意義を肯定し、土地を村民に還すこと。

2)逮捕された村民代表をすぐに釈放し、薛錦波の死の真相を公表し、関係者を処罰するとともに、薛錦波の家族に謝罪と補償を行うこと。

3)公開、公平、公正的見地から事件を調査するとともに、民主的選挙の実施という村民らの要求に応えること。

 

左翼21

2011年12月15日