yf180■青年戦線 第180号ができました。目次とJCYアピールを紹介します。ぜひ購読を


青年戦線 第180号 


400円(送料:1冊80円)
発行日 2011年5月23日
編集発行
日本共産青年同盟「青年戦線」編集委員会
東京都渋谷区初台1-50-4-103 新時代社気付
電話 03-3372-9401
FAX 03-3372-9402


青年戦線180号目次
 

■JCYアピール                
■10.29アジア連帯講座
広がる放射能汚染 緩められる基準にNO!
 6.11脱原発100万人アクション       
■9.11再稼働反対・脱原発アクション
■9.19さようなら原発1000万人アクション   
■11.6もうアッタマにきた ふざけんな東電  
■11.11再稼働反対!全国アクション    
■8.13 2011平和の灯を!ヤスクニの闇へ 
■8.15反「靖国」行動
■声明 8.15反『靖国』行動
■6.4アジア連帯講座 中東民衆革命はどこへ
■三里塚一坪共有地裁判で相次ぐ不当判決      
■1989年の「北京の春」と労働者の闘争

 

日本共産青年同盟(JCY)アピール

破綻した資本主義システムはいらない!
脱原発・核廃絶の世界を実現しよう


 新・「巻き返し政策」の黎明


 3・11を境に日本は変わった――程度の差こそあれ、誰もがそう感じていると思う。政治を取り巻く情勢も大きく変化したものの一つといえるであろう。原子力発電所の稼動・建設に反対するデモに若者が大勢繰り出す、こんなことは昨年からは想像しえない光景であり、運動に強い追い風が吹いていることを確信させられる。しかし今、逆風のふいごに強靭な足が掛けられているのもまた事実である。権力はこわれたパズルのピースを、元に戻すふりをして都合よく組み替えてしまおうとしている。

 脱原発運動の高まりは時の首相・菅から原発懐疑発言を引き出したが、野田新首相は代表選の公約で「安全性を確認した原発の活用で電力安定供給」することを訴え、福島原発事故によって脆くも崩れ去った原発安全神話のよき宣教師となっている。彼のひたむきな伝道欲はあまねく世界にも向いており、「(原発の)危険性と安全対策を伝えることは、震災後の日本だからこそできる新しい国際貢献でもあります。」との説法で、どうにも結びつかない原発輸出と国際貢献とを神秘的にもイコールの両辺に置いてしまった。

 資本の、資本による、資本のための政治へ

 このリンカーンの名言も、実情、資本に置き換えた方がしっくりくるのは嘆かわしいことだ。

 野田政権は党内各グループ、自民党と公明党、日本経団連など財界との関係修復を喫緊の課題としており、「社会保障と税制の一体的改革」「復興財源確保」と銘打った政策に動いている。名称は見目麗しいが、内容は実に凶暴な性格を帯びている。11月21日に成立した第三次補正予算では、所得税・住民税が大幅に引き上げられる一方、法人税は形式的には増税されたように見えるものの実質的には大減税となるカラクリが用意されているのである。また政権は消費税率の引き上げや福祉政策の切捨ても示唆しており、「人民」を「資本」に書き換える気が満ち満ちているようだ。

 加えて野田はTPP(環太平洋パートナーシップ協定)参加に向けた協議に突入することを公言し、いっそう反人民色を強めている。ここでも彼は「世界に誇る日本の医療制度、日本の伝統文化、美しい農村は断固として守り抜く」「分厚い中間層によって支えられる安定した社会の再構築を実現する」との明らかな矛盾を平気で述べる離れ業を披露しているのである。


 親米右派政権の本質


 もちろん、普天間基地移設問題を巡ってほころびの露見したアメリカ合衆国との関係も、政権にとって人民の生活より重大な懸案事項である。9月13日の所信表明で野田は「即応性、機動性などを備えた動的防衛力を構築」するとし、米国の軍事戦略を能動的に補完する「日米同盟深化」を掲げた。また「脆弱国家支援」と称して、ソマリア、アフガニスタンといった地域へ積極的介入を行う米国の肩代わりを買ってでようと目論んでいる。これも一見国際貢献の美徳を積むようでありながら、植民地主義の実践と海外派兵の既成事実づくりに他ならないのである。

 野田首相、前原政務調査会長らは日本の侵略戦争を正当化しかねない保守派の論客として高名であり、過剰に中国脅威論を振りまいて自衛隊武器使用範囲の拡大を狙っている右翼的勢力である。それでいて、沖縄の人々を一顧だにしないのである。

 野田が自認する「どじょう政権」の名は、庶民的で腰の低い政治、といったイメージを想起させる。だがこの「庶民的」の実態とは、小農や漁民を犠牲にして大資本を助けることや、復興より大企業優遇を重んじること、人民の安全を犠牲にして技術を売り込むことである。「腰が低い」とは、あからさまでなく、言葉のオブラートに包んで苛烈な政策を遂行することなのである。

 この「どじょう」を被った政権の本質を暴露し、明確にNOの声をあげていこう!


 普天間基地閉鎖 辺野古・高江を守ろう
 

 10月から11月にかけて野田首相とその閣僚達は米側の「普天間代替」基地建設の手順のひとつである環境アセスの評価書の年内提出をにおわしたり、説得のために沖縄を訪問してみせたり、アメリカ支配層向けのパフォーマンスをしている。TPPと同じく、反対の意見をゆさぶるために用いる得意の方法だ。追加資料で新たな施設や飛行経路が明らかになり、オスプレイの使用も明記されていないという、根本的な不備に触れないままの評価書である。2012年にも配備が画策されるオスプレイについては10万回飛行で1・28回の事故率であり危険ではないと日米政府は公表した。実際には数億円の機体損傷につながった事故など数件を統計に含めていないといわれている。


 それに加え、自らの環境アセス強要をレイプにたとえ、いみじくも日米政府と沖縄との関係を暴露することとなった田中聡沖縄防衛局長の沖縄差別・女性差別発言に対して、沖縄では「許しがたい暴言」という怒りの声がうずまいている。この暴言を許さず、沖縄民衆の怒りに連帯し、男主義の最たる象徴である基地・軍隊は解体するしかない。

 もはや滑走路がV字、I字、何字であろうが、海の破壊と引き比べても、県民に対しなんらの「振興策」をもたらさないこと、飛行経路と訓練の危険度が無政府的に拡大することをほとんどの沖縄県民は理解している。それは鳩山政権時の8万人県民大会などを経て勝ち取った教訓である。

 1月に交通事故を起こして不起訴になっていた米軍属が起訴されるというニュースは、度重なる被害者、遺族のたたかいが日米地位協定にまた一つの風穴を開けたあかしだといえる。ただF15機などの事故頻発を含め、抜本的な住民被害根絶に遠いいま、米軍基地増設とそれにともなう米兵犯罪という図式は、基地機能拡張のための別の部分にすりかえられているといえる。その特徴として、円高を含めたアメリカ側の財政負担の膨張と軍事プレゼンスの変容、日本の不安定就労の増加とナショナリズムの極端化ということだといえる。


 NO 天皇制・侵略戦争賛美教科書


 いわゆる「つくる会」系歴史教科書は2011年も横浜市をはじめ育鵬社等の採択地区数を延ばしたが、そのずさんな、密室政治によって動く茶番が、最も無残な戦争被害を経験した沖縄でも繰り広げられた。8月に八重山採択地区協議会が中学校公民教科書に育鵬社版を答申すると、同じ版の採択で追随した石垣市、与那国町とは逆に、東京書籍版を採択した竹富島教委に対し、中川文科相は「教科書を自費で購入しろ」という発言をして沖縄県民の反発を呼んだ。その根拠は採択地区は同じ教科書でなければならないという教科書無償法を論拠としているが、結果として文科省もつくる会系教科書の拡大に加担していることが一層明白になったのである。


 その分教科書の内容が妥当かどうかという議論をつくる会教科書容認派は意図的に避けている。今回は沖縄県での歴史教科書でこそ、つくる会系教科書版採択は強行されなかったが、天皇制と家父長制強化、9条を押し付け憲法とする改憲論、米軍基地被害の軽視、原発推進など盛り込まれたこの教科書を、ヤマト政府に散々国策のつけを払わされた沖縄で導入することは最も許されない行為である。


 しかし公民教科書であろうと、とんでもない教科書採択を強行したことは、2007年の11万人県民大会での歴史改ざんを許すなという声を切り崩そうとする右派勢力の卑劣な攻撃が新たな段階を迎えたこととして受け止めなければならない。沖縄の動向だけでなく、同様に横浜市など多くの自治体で図られたつくる会系教科書を流布しようとする策動をひっくりかえすことで、沖縄への連帯を表現するしかないのである。

 そして尖閣「騒動」を利用して対中国境軍備と称して与那国島へ2015年までに自衛隊を配備しようという画策も日本政府はちらつかせており、その手法自体に反対しなければならない。ナショナリズムの扇動による自衛隊の実働部隊化と、米軍による徹底した統制システムの構築、基地機能維持の資金源としての日本政府のあり方は、「沖縄返還時」の沖縄密約の構造を保ったまま、緊密度を深めている。再開した米軍北部訓練場高江ヘリパッド建設工事と辺野古建設計画も白紙撤回まで油断はできない。沖縄をはじめとするすべての米軍基地、自衛隊基地を廃棄するまでたたかおう。


 すべての原発をただちに止めろ


 福島第一原発事故は終わっていない。政府は「年内の冷温停止」という目標を掲げているが、簡単には収束しない。原発事故は、大量の放射能を大気中や海に放出した。原子力安全保安院でさえ、放射性セシウムの量は広島型原爆の168倍としている。9か月を過ぎようとする現在も、放出し続けている。いまだに、原子炉に人間が近づくこともできない。内部がどうなっているのか、だれにもわからない。

 原発周辺の住民は、事故直後、政府の「念のための避難」という言葉で避難を始めたが、いまだに戻ることができない。数万人が短期間に住まいや生活の場を失った。戦後、さまざまな公共事業で強制収用や立退きがあったが、今回の事故による避難はそれらを上回るものといえるだろう。避難した人たちは、今後の生活や住まいがどうなるのか、まったく見通せない状況にある。また、十分な生活保障も受けていない。賠償金は、加害者である東京電力が査定するという仕組みになっている。

 今、政府や福島県は除染に力をそそいでいる。しかし、効果は少なく、二次被害の可能性もある。避難地域を少なく見せ、県外への人口の流失をとめるのが目的であり、住民の安全は二の次だ。除染作業にあたる人の健康被害はもとより、効果の少ない除染で、結果的に放射線量の多い場所での生活が強いられることになる。とりわけ、子どもたちへの影響が心配される。

 また、政府は長期低線量被曝や内部被曝の影響を過少評価している。ヒロシマ・ナガサキの原爆被害、チェルノブイリ原発事故の経験からから、健康に被害があることがわかっている。しかし、日本政府は、原発推進の立場から、過少評価をしている。

 食品の放射能基準見直しにその姿勢が表れている。これまでは、外部被曝と内部被曝を合わせて年間1ミリシーベルトであったものが、食品による内部被曝だけで年間1ミリシーベルトに緩めようとしているのだ。

 仮に、影響がはっきりとしないとしても、被ばくをさける努力をするべきだ。いま、政府が行っているのは、「放射能安全神話」の布教ともいうべきものだ。

 しかし、一方で放射能に対する過剰反応は、福島の人々をはじめ原発による被災者にたいする差別や人権侵害をもたらしている。このことにも注意しなければならない。

 発電所での被曝労働のほとんどは下請けであったり、東京電力が供給する管内に原発はなく、福島県は東北電力から電力の供給を受けている。原子力発電は、ウラン鉱の採掘、加工、原発の立地、運転、廃棄物の処理保管、あらゆる場面で差別体系の上に成り立っている。ここに、あらたな差別を加えてはならない。

 原発は人類と共存できないことも確認しておこう。原発は運転することで、さまざまな放射性物質、核廃棄物を作り出す。廃棄物は処理することができない。その一つ、プルトニウム239の半減期は2万4000年だ。日本では、最終処分場の場所さえない。六ヶ所村に建設中の再処理工場は、プルトニウムを取り出すためのものである。再処理工場を動かすと、原発1年分の放射能を1日で出し、元の使用済み燃料に比べ200倍もの廃棄物を生み出す。

 使用済み燃料の多くが、運転中の原発内で保管されている。まもなく満杯となる。すくなくとも数百年の管理が必要と言われているが、その保管場所さえ決まっていない。はたして、この社会が数百年後も続いているのだろうか。

 未来に大きなツケを残す原子力発電はただちに止めなけれなならない。


 脱原発社会に向かって
 

 脱原発は経済優先社会との決別である。原発は石油など化石燃料よりも安いとされてきた。ウランの埋蔵量は、石油よりも早く枯渇すると言われている。にもかかわらず、安いのは、産出国(アメリカ、オーストラリア、南アフリカ)が政治的に安定しているからだ。また、原発は1基4000億円、リスクのない事業だ。日本は事故にもかかわらず、ベトナムなどに輸出しようとしているのは道義的にも許せない行為だ。

 脱原発を決めることは民主主義の試金石である。原発の出発点は、原爆開発のマンハッタン計画にある。戦争に勝つための新兵器開発という政治的意図が、軍事機密のもとで膨大な資金と人員を動員して作り上げた。核兵器用プルトニウム作り出すのに開発されたのが原発だ。戦後、放射能の影響を隠し、平和利用の名のもと推進されたのが原子力発電だった。政治的決断で作り出されたものは、人間の手によって終わらせることができる。軍事力支配と利権と決別する社会をめざし、脱原発を実現しよう。


 われわれは99%だ


 「あんたらは1%、われわれは99%だ!」――金融帝国主義の心臓部であるウォール街に青年たちの声が響いた。マスコミでは「反格差デモ」などと呼ばれているが、明確に反資本主義の意識を持った「ウォール街を占拠せよ!」運動が打ち出した、ごく一部の富裕層と圧倒的大多数の貧困層を鮮烈に対比するスローガンだ。

 この運動は、今年初めから続くチュニジアやエジプトの新自由主義独裁政権を打倒した「ジャスミン革命」、社会保障切り捨てや貧富の格差、そして民主主義の問題を大衆的に提起する広場占拠運動であったスペインの5月15日運動(M―15)の息吹を引き継ぐものであり、だからこそこのスローガンとともに運動は全世界に広がった。

 資本の運動の最深部である労働現場における蜂起からはいまだ距離があるとはいえ、未曾有のマネー投入によって金融市場を麻痺させて恐慌の本格的勃発を先延ばしすることでしか、危機に対処することができなくなっているブルジョアジーらの混乱状況と対比すると、この一連の世界的運動が今後の社会運動に与える影響は計り知れないだろう。


 金融危機ではなく金融詐欺


 2008年9月のリーマンショックから三年が過ぎた今も世界経済の大混乱は一向に収束を見せる気配がない。危機は金融グローバル資本主義の中心の一つであるアメリカから世界中に伝播し、いまもうひとつの中心であるヨーロッパを襲っている。

 欧米日の多国籍金融資本によって流し込まれた膨大なマネーによって、ギリシャやポルトガルなど欧州の周辺国は返済不能の巨額の負債を抱えることになった。危機を先送りにするためにあらゆる金融工学という「錬金術」が駆使されたが、それはあっけなく破綻を迎えた。

 この一連の危機に対して「M―15」の参加者からは「これは金融危機ではなく金融詐欺だ!」という鮮烈なアピールが発せられている。返済のあてもないほど巨額の負債を抱え「国家破たん」の危機にあるギリシャでは、ドイツやフランスなどの多国籍金融資本の詐欺師どもが貸し付けた資金の回収に躍起になっている。IMFからギリシャへの緊急融資はギリシャを素通りしてドイツやフランスの詐欺師どもの懐に流れ込む。ギリシャに残されるのは、さらなる借金と労働者民衆に対する社会保障の切り捨てである。まさに「金融詐欺」そのものだ!

 11月初めにフランス・カンヌで開催されたG20サミットでは、金融規制に一切踏み込むこともなく、危機に瀕した世界経済におびえながら資本主義延命を願う宴が催されたが、近郊の都市ニースには資本主義葬送の鐘をかき鳴らす世界の社会運動が集まりG20反対の声を上げた。


 多国籍資本に奉仕するTPP・自由貿易政策


 欧米金融市場の大混乱は日本経済にも大きな影響を及ぼしている。この「東洋の詐欺師たち」も欧州経済の激変におびえている。90年代のバブル崩壊後、公的資金や国債など民衆へのツケによって危機を乗り切った日本の金融資本のトップである三菱UFJ、みずほ、三井住友のメガバンク3行の欧州重債務国(ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)向けの貸付残高は約2兆円に上っている。

 ごくわずかの利ザヤで巨額のマネーが世界中を駆け巡る仕組みによって規模を拡大してきたグローバル金融市場のルールそのものによって資本主義は危機に直面している。リスク回避の投機マネーが大量に円に流れ込んだ結果、空前の円高状況をもたらしている。

 日本政府は10月31日に10兆円規模の単独の為替介入に踏み切り円高に歯止めをかけようとしたが焼け石に水であった。自動車など輸出を中心とした産業ブルジョアジーにとって予想外の円高水準は大きな足かせになることから、資本家とそれをささえる労働官僚らに奉仕する民主党政権は、為替政策をはじめTPPなど自由貿易政策においても、国内外の労働者・農民・消費者の犠牲のうえに無政府的な経済政策を進めざるを得ない。製造業の海外製造比率はこの10年で11%から20%近くにまで倍増し、海外からの部品調達も増加傾向にある。

 TPPをはじめとする貿易や金融の自由化とは、海外に拠点を構えた日本の多国籍資本の企業内取引への支障を緩和し、海外で稼いだ利益をよりスムーズに日本国内をはじめ全世界に再投資できる環境を整えるためでもある。自国帝国主義打倒のスローガンはいまでも有効だ。


 われわれは100%だ


 投機マネーの原初形態である利子生み資本の源泉は100%労働者が生み出した剰余価値である。現在の投機マネーは、その剰余価値を何年も、何十年も先どりする形で、みにくくふくれあがっている凶暴な幻影にすぎない。グローバル金融詐欺師や資本家どもは1%の価値さえも創り出しはしない。「あんたらは0%、われわれは100%だ!」という反資本主義左翼のスローガンを掲げ、職場で、学園で、街頭で、広場で苦闘する全世界の仲間と共に、搾取も差別も戦争もないもう一つの世界を創り出そう!