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『カール・マルクスの亡霊』

 [著] ロナン・ド・カラン 

 [訳] 岩澤雅利 


 [発行] ディスカヴァー・トゥエンティワン

 [価格] 税込み 1,260円

 http://www.d21.co.jp/products/isbn9784799310274

 
 
『カール・マルクスの亡霊』という面白い本が出た。A5版、64ページの読みやすいサイズ、かわいい絵本、というデザインで、分かりやすい語り口調で書かれている。

 


「<市場>の問題に決着をつけ、人間解放の道をひらくべく、マルクスは挑んだ!」という帯広告にあるように、<市場>とはなにか、そしてマルクスのいう人間解放とは何かを分かりやすく説明している。

 


物語は、赤いシーツをかぶり亡霊に変身したマルクスの登場から始まる。このちょっぴり愛嬌のあるマルクスは語り始める。
「シーツの下で何をしているのか、だって?話すと長くなるが、要するに<階級闘争>だよ。」

 

そして、ちょっぴり悲しいシレジアの人々の物語をマルクスが語り始める。

 

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現在のポーランド南東部からチェコ北東部の一帯はシレジア地方と呼ばれ、マルクスが生きていた時代はプロイセン帝国に支配されていた。

 

このシレジア地方で小麦を作っていた農民たちに「市場」の原理がおそいかかる。

 

「あんたがたの小麦は高すぎる!」といって商人から小麦の買い取りを拒否されてしまう。

 

小麦が売れず、新しい種を買うお金もなくなり、シレジアの人々はしかたなく家を売ろうとするが、不動産屋にこう言われる。

 

「あなたがたの家は高すぎる!」。そして不動産屋ははした金でシレジアの人々から家を奪い取った。

 

シレジアの人々は、はした金とちょっとの家財道具だけを持って仕事を求めて町へ移住した。

 

幸いにも家内工業の織物職人の職を見つけたシレジアの人々だったが、しばらくすると生地を買っていた商人からこう言われる。

 

「あなたがたの布は高すぎる!フランケンの織物工場では、もっと安い値段で売ってくれるよ。」

「あなたがたも工場へ行って雇ってもらうといい」
と。

 

小麦商人も、不動産屋も、生地商人も、同じようにこう言った。

 

「そんな目で見られても困るな。私には責任はないんだ。これが市場の厳しい現実というものだ」と。

 

打ちひしがれたシレジアの人々が工場へ向かうと、「市場」によって同じように追いやられた沢山の人々が工場の前で黒山の人だかりを作っていた。

 

現場監督は仕事を求める人々にむかってこう怒鳴った。

 

「これじゃあ人数が多すぎる。他の人より安い給料で働いてくれる人だけを雇うことにしたい。」


「悪いのは私じゃない。市場の仕組みとはそういうものだ。」

 

シレジアの人々の我慢は限界に達した。工場の機械をハンマーで打ち壊し、焼き討ちにした。シレジアの人々の怒りは、畑を奪い、家を奪い、仕事を奪い、そしていまかれら自身のからだと力を奪おうとしている「市場」というものに我慢できなくなった素朴な怒りだった。

 

しかしその国の国王は軍隊を派遣してシレジアの人々の怒りを打ち壊そうとしてこう怒鳴る。

 

「市場のおかげで成り立っているわれわれの社会の基盤である<所有権>を、あの者たちは揺るがし、侵害しているのだ。」


「軍の兵士たちに伝えよ。言うことを聞かなかったら発砲してもかまわない。」


「国王の命令であるとともに、市場の命令である」

 
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銃を構えた軍隊のまえにシレジアの人々は正々堂々と対峙し、そして凶弾にたおれる。シレジアの人々が織ったシーツは血で真っ赤に染まった。

 

この事件を目撃していたマルクスは語る。

 

「<市場>はかれらから持ち物を取り上げ、土地を奪い、破産させ、低い給料で働かせたあげく、とうとうかれらの命をも奪ったのだ。このむごたらしい光景を前にして、わしは哲学者カントの言う<定言的命令>を胸に刻んだ。つまり、人を辱め、抑圧し、見捨て、軽視するようなことすべて(社会)を変えることに、人生を捧げることを誓ったのだ。」

 

そしてマルクスは、シレジアの人々のことを忘れないように、そっとそのシーツをつかんで持って帰る……。

 

ちなみにこのシレジアの人々の物語は、マルクスと交流のあった詩人ハイネが「シレジアの職工」という詩にしている。

 

シレジアの人々の物語を紹介したマルクスは、商品の価値の秘密=労働価値を市場(いちば)で解明してみせたり、市場(しじょう)をじかに支配する<生産関係>を探るために工場に乗り込み労働者を安く買い叩く資本家の言い分を聞いてみたりする。詳細はぜひ本書を手にとって読んでもらいたい。

 

そして、この物語の最後にマルクスはあのシレジアの人々の血に染まったシーツをかぶって、労働者を安く買い叩こうとする資本家の前に現れ、労働者を鼓舞し、私的所有の廃止を訴える。

 

資本家はこう叫ぶ。

 

「あなたはずいぶん無責任ですな、おめでたい思想家さん!」

 

マルクスはこう答える。

 

「ひと握りの人間による無数の人間の搾取を認めることを責任というなら、わたしは進んで無責任になるよ。」

 

そして<私的所有>にかわって、<社会>が生産を担当するようになった暁には人々の生活はこうかわる、とマルクスは語る。

 

「食べ、住む場所を持ち、教育を受けるための社会的任務を終えたあとは、それぞれ自分の好きなことに時間を使うことができる。新しいものを考案したり、本を読んだり、芸術作品を作ったり、魚を釣ったり、狩りをしたりするのだ。午後は家畜の世話をし、夜は哲学の問題に思いをめぐらすのもいいだろう。」

 

それに対して、資本家はこう口をはさむ。

 

「あなたって人は、手のつけられない夢想家ですね。そんなこと、実現するはずないでしょう?」

 

マルクスはこう答える。

 

「そうかもしれない。だが、人間を隷属状態から解放することほど、やってみる価値のあることはほかにないんじゃないかな。」

 

こうして労働者を鼓舞したマルクスは、シレジアの人たちが織ったシーツを手に次の目的地へ向かう……。

 
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この短い絵本物語では、現代のマルクス主義が避けて通ることの出来ないスターリニズムの問題や、フェミニズムやエコロジーといった重要な課題、そしてインターナショナルな視点など、語られていないことも多いことも確かだ。

 

とはいえ、未曾有の金融危機が世界を襲い、地球環境の危機が貧しい人々の生存を脅かし、戦争と貧困から抜け出せずに多くの人々が苦しみに喘ぎ、放射能の恐怖がやむことなくつづく社会、つまりこの本でマルクスが言うところの「人を辱め、抑圧し、見捨て、軽視するような」社会を支配する<市場>のひみつと、その大胆な解決方法を、だれにでも分かるように、絵本にして描き出したのはお見事と言うしかない。

 

資本家がマルクスに投げかけた「夢想家」という揶揄と、それに対するマルクスの「だが、人間を隷属状態から解放することほど、やってみる価値のあることはほかにないんじゃないかな。」という回答は、「生きている限り、私は未来のために闘う」と20世紀初頭に宣言した青年トロツキーの次の一文を思い起こさずにはいられない。

 

19世紀は多くの点で未来の楽観論者の期待を満たしたが、さらに多くの点で裏切りもした。このため彼は、自分の大部分の希望を20世紀にもちこむしかなかった。そしてその20世紀がやってきた! それは自分の入口の前で何と出会ったか?


 フランスでは――人種的憎悪の有毒な泡、オーストリアには――ブルジョア的ショーヴィニストたちの民族主義的ないがみ合い、南アフリカでは――強大な帝国によって殲滅されつつある少数民族の断末魔の苦しみ、《自由な》島では――主戦論者、株式仲買人どもの勝ち誇った強欲を記念して捧げられる頌歌、東洋では劇的な《紛糾》、イタリア、ブルガリア、ルーマニアでは――飢えた人民大衆の反乱運動、憎悪と殺戮、飢餓と流血……


 ユートピアに死を! 信念に死を! 愛に死を! 希望に死を!銃砲の一斉射撃と大砲の長く断続的な轟音によって、
20世紀は怒鳴りたてる。


 降伏せよ、汝あわれな夢想家よ! 汝の待ちこがれし
20世紀、汝の《未来》たるわれは来たりしぞ!


 否、と不撓不屈の楽観論者は答える。そういうお前はただの《現在》にすぎないではないか!」

 

――「楽観論と悲観論に関して、20世紀に関して、その他多くの事柄に関して」(トロツキー、1901年)

 

「人間を隷属状態から解放することほど、やってみる価値のあることはほかにないんじゃないかな」と考えるたくさんの夢想家たちとともに、戦争も搾取も原発もない21世紀をつくりたい、そう思える一冊だ。この夏休みに「未来の楽観論者」たる子どもたちといっしょに読むのもお勧めだ。(I