6111  6月11日、東京芝公園23号地で、「6・11脱原発100万人アクション・東京―くり返すな! 原発震災 つくろう! 脱原発社会」が原水爆禁止日本国民会議、プルトニウムなんていらないよ!東京、原子力資料情報室、日本消費者連盟、ふぇみん婦人民主クラブ、たんぽぽ舎、福島老朽原発を考える会の呼びかけによって開かれた。朝方は激しい雨が降り、天気が心配されたが集会開催時には小雨になり、デモに出発する時は夏の好天気となった。福島原発震災から三カ月、全国各地域の人々とともに、脱原発を求める百万人アクションの一環として取り組まれ、会場を埋め尽くす6000人が集まった。

 福島郡山からバスで40人がかけつけ、全労協が新しく作った「反原発」ののぼり旗を作り林立させた。芝工大全学闘、日大全共闘、明大土曜会の旗、大震災義援!ウシトラ旅団、団塊世代など様々な世代、市民グループが参加した。

6115 集会は原水爆禁止日本国民会議の藤本泰成事務局長が「政府はウソといつわりでここまで原発政策をやってきたし、福島事故後も同じだ。原発を日本、地球からなくさないといけない」と述べた。さらに、藤本さんは、「五月に水俣病患者たちと会った時、水俣病患者たちは『経済優先が悲惨な水俣を生んだ。今度は福島を生んだ。命がなぜこんなに軽んじられるのか』と訴えていた。私たち原水禁は命の問題を出発点としてヒロシマ・ナガサキを取り組んできた。もう命を軽んじる社会・政治を許してはならない。命を基本とする社会を作ろう」と主催者あいさつをした。

 司会者から、今日の行動が日本108カ所、世界11カ国・20カ所で取り組まれていることが報告された。

 次に、伴英幸さん(原子力資料情報室)が「福島原発の現状」を報告した。

 「東電はウラン燃料の一部が損傷したのみと事故の小ささを発表したが、二カ月経ってから全面的なメルトダウン、あるいはメルトスルーだと極端な報告をした。メルトスルーとは原子炉・圧力容器が壊れ、ウラン燃料が圧力容器の下に落ちていくということで、今は冷却水で冷やされているから、これ以上の爆発は起こらないとされている。しかし、これは図上の解析で行っているのみで、近づくことさえできないので真相は分からない」。

 「東電は事故収束に向けてロードマップを発表した。燃料が溶けているので、冷やすために水を一杯入れて、水棺を作ろうとやりはじめた。しかし、一号機では水が入っていかず、水が漏れて、建屋の下に溜まっている。他の原子炉は手つかずだ。そして、放射能除去装置が動き始めた。成功すればかろうじて冷却できる。しかしこれも放射能をなくすわけではなく、高濃度の放射能を作り出す。それをどうするか、決まっているわけではない。そうしか対応できない」。

 「汚染は広範囲に進んでいる。東京でもホットスポットが出ているし、静岡のお茶にまで広がっている。もちろん、地元はもっとひどい。さらに、海への汚染も続いている。これから台風の季節がくる。非常に危険な状況になる。4号炉のプールにウラン燃料が保存されているが、この水が漏れたら、再び大きな事故につながっていく」。

 「政府・企業は原発を続けていこうとしている。現在、原発の三七基が止まっている。運転再開を認めていいのか。どの原発も福島と同じことが起きる。当面の課題は稼働中の原発を止めていくことである」。

 子どもたちの浴びる線量を二〇ミリシーベルトと定めた文科省と闘ってきた阪上武さん(福島老朽原発を考える会)が、福島郡山からかけつけ東電への申し入れ行動を行い参加した四〇人の仲間たちを紹介した。鈴木浩行さん(福島県教組郡山支部書記長)が「二日間で二ミリシーベルトになる。放射線量を測り、それを毎日FAXニュースにして流して、対応をとっている。子どもたちを放射能から守らなければならない」と訴えた。

 佐藤さん(男性)は「バスで東京に来るとき、放射線測定器を持ってきて、ところどころで測った。郡山とほとんど変わらない。東電前の樹木も〇・二マイクロシーベルトあった。放射能汚染問題は決して福島だけの問題ではなく日本全体の問題だ。原発があるかぎり、第二・第三の福島が出てくる。必ず、原発をやめさせよう」と語った。

 福島に親族がいるという東京在住の女性が「絶望と恐怖、喪失感があり、訴えたい気持ちはあるがそれができないと言う。それならばということで、首都圏在住の福島出身者が6・26福島アクションを成功させ隊をつくった。6月26日(日)午後一時半、福島県庁前広場(福島市)、『県都福島から声をあげよう!立ち上がろう! グッバイ原発!さようなら放射能 一万人ハンカチパレード』」を呼びかけた。

 渡辺さん(28歳、男性)が「空気、地面が汚染されている。これが『現実なんだな』と思う。原発事故の収束は東電ではできない。行動するしか変わらない。『Are You Ready? FUKUSHIMA』のTシャツ(三千円)を作った。ぜひ買って欲しい。行動しよう」と訴えた。

 東京在住の女性が「一人ひとりが今変えていかなければ世界は終わってしまう。動物たちが餓死していっている。殺さなければいけなくなっている。動物たちを生かす『フォーム・サンクチュア計画』を行っている。皆で動物を助けよう」と訴えた。

 阪上武さんが「二〇ミリシーベルト問題で文科省は一ミリシーベルトをめざすとしたが、内部被曝は対象にしない、学校の外は配慮しないなど、問題がいっぱいだ。子どもたちの疎開・避難を援助していきたい。今、緊急に行わなければならないのは、山下俊一長崎大教授によって行われている『一〇〇ミリシーベルトまで安全だ』というアドバイザー活動だ。彼を解任しなければならない。ネットでも署名運動を始めた」と報告した。

 阿部宗悦さん(85歳、宮城県・女川原発反対同盟)が原発との闘いを報告し、のどが痛むということでメッセージが代読された。

 「幸福とはすべての人たちの幸福を追求することだ。私は復員して後、原爆投下後の広島と長崎を訪れた。その惨状はものすごいものだった。原子力に平和利用などありえないと思った。原子力の平和利用と言って原発を推進してきた歴代の自民党政権に怒りを持ち、全国を巡り原発断固反対の運動を作ってきた。そして裁判闘争も行った。今度の福島原発の事故を受け、自民・公明などを裁判で訴えたい」。

 小笠原厚子さん(青森県大間・あさこハウス/大間原発の建設差し止め訴訟原告)が建設中の大間原発について語った。

 「大間原発は2005年着工、2010年稼働計画だったが、原子炉から五〇mの敷地のど真ん中に母(故熊谷あさ子)の土地があり売らなかった。そのため200m移動して原子炉設置許可申請をした。 大間原発は、2008年に建設工事を開始し、原子炉はとりつけたが燃料棒は入っていない。計画では2013年試運転開始予定だが稼働させない。大間原発の炉心予定地から約300メートルの所に『あさこはうす』がある。『あさこはうす』は、母が大間の海は宝の海と語り土地を売ることを拒否し続けたが建てたログハウスだ。この『あさこはうす』を使わないと道路が封鎖される可能性がある。郵便物や宅配物が届くと『あさこはうす』に配達してくれる。ぜひ郵便物を出してほしい(〒〇三九―四六〇一 青森県下北郡大間町字小奥戸三九六あさこはうす 小笠原厚子)。これから私が守っていく」。

 最後に、呼びかけ団体の日本消費者連盟、ふぇみん婦人民主クラブ、たんぽぽ舎から訴えがあり、東電本社前での抗議を行い、銀座を通り東京駅先まで長いデモを行った。

6112 この後、渋谷パレード、新宿サウンドデモを行ったグループとも新宿東口アルタ前に合流し、午後六時から宣伝活動を行った。合流するデモは午後七時過ぎても終わらなかった。JR新宿駅東口は1960年代後半の闘いの時のように、一万人以上が集まり、暑い熱気に包まれ巨大な反原発の大合唱で埋め尽くされた。さらなる闘いの炎を!(M)






▲TBSでLIVE中継された「新宿タハリール広場」



▲解放感あふれる新宿デモと夜の街頭アピール