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香港のビクトリア公園の集会には15万人が参加(2011/6/4)

恐怖心は消え去りつつある――闘争を発展させよう

天安門事件22周年を記念する

 

許由(香港・先駆社)

 

1989年6月4日の天安門虐殺事件から22年が過ぎた。中国共産党は学生と労働者の抵抗を弾圧することで、その後の22年の間に資本主義を完全に復活させ、人民の財産を私有化することができた。だが経済発展は政治的独裁と社会的腐敗にふたをすることはできなかった。その歴史的反動性は、そこそこの生活を望むだけの市民や政治に関する発言を避けてきた芸術家などを抵抗に立ち上がらせつつある。

 

近年とくに増加の一途をたどっている民衆の抗議や労働者のストライキなど、人民に渦巻く不満が、中国共産党に一定の改善政策の提起を迫っている。中国共産党の太鼓持ちの文化人たちは、「胡温の新政」(胡錦濤国家主席と温家宝首相による指導部体制:訳注)を大いに持ちあげ、人民は指導者みずからによる改良政策を座して待てと主張している。だが、大きな改良政策の望みがない国のひとつが今日の中国なのである。この「胡温の新政」におけるすべての改良政策がほとんど取るに足らないものなのである。最低賃金の引き上げ、農業補助、公共住宅の建設程度では、独裁支配の暴力性、官僚による公有資産の私有化の猛烈な勢い、官僚と資本による労働者農民に対する熾烈な搾取などの禍害の万分の一さえにも抗うことができない。

 

そればかりでなく、これらのほんの僅かばかりの改良政策でさえも実現することができず、各階層の官僚によって(関連する予算などが)食いつぶされてしまう。「新政」のすべては経済的権利に限定されており、出版、集会、結社、デモ行進や示威行動など、公民の政治的権利に関しては、緩和されていないどころか、逆にますますきつくネジが締められている。だが政治的権利の剥奪は、自衛する武器を奪われたに等しく、官僚や資本家による権利侵害に抵抗することができなくなる。つまり「新政」によって認められた経済的権利さえも絵に描いた餅でしかなくなってしまうのである。

 

もし仮に、中国共産党による資本主義復活に一点の歴史的合理性があるとすれば、それは急速な工業化をもたらしたことである。これは旧ソ連圏における資本主義復活には見られなかったことである。現在の中国では初めて都市人口が農村人口を上回り、二億人近い若年成人の農民たちが都市労働者階級に転身した。すべての雇用労働者を合わせると3億人を上回り、農民人口と同じほどになる。新中国建国から最初の30年(1949~1979年)は、中国の労働者階級の急速な発展がみられた。当時のいわゆる「社会主義」的制度によって、雇用は保障されており、不満はあったとしても革命を引き起こすまでには至らなかった。だが最近の30年においては、資本主義復活と急速な工業化が同じ速度で進んだ。それは労働者の数を急速に増加させる一方で、かれらを完全に二等公民と過酷な搾取の対象に陥れた。不満は高まり、自然発生的なストライキが絶えず発生することになった。

 

中国共産党のトップ層には、資本主義の発展は必然的に自らの墓堀人を作り出すというマルクスの名言を記憶している人物が必ずいるだろう。今日の労働者の階級意識と民主主義意識が革命的な意識の高みには至っていないことは確かである。労働者階級の革命は破壊だけに止まらず、建設、つまり真の社会主義的民主主義を建設しなければならない。これについては中国の労働者階級はいまだ準備が整っていない。とはいえ、中国共産党はすでに新しい労働者階級を非常に恐れており、だからこそ新しい労働者階級の階級的覚悟を人一倍弾圧するのである。

 

過去20年間、中国共産党はうまくやってきた。それはこれまでのあらゆる政策だけでなく、1989年の民主化運動に対する弾圧によって長期的な恐怖心と消沈を人民の中に作り出したことにもよる。だが注目すべきことに、この恐怖心が少しずつ過ぎ去りつつある。2008年の通化鉄鋼労働者による民営化反対闘争の勝利や2010年のホンダ労働者のストライキは、労働条件の引き上げの実現に止まらず、(御用)労働組合の改選を大胆に要求した。国有企業労働者と民間部門の労働者の抵抗水準は明らかに高まりつつある。十数年来、労働者階級はずっと打ちのめされ、せいぜい同情の対象であり、社会的弱者とみられてきた。かれらの実力を認識するものはほとんどいなかった。だが通化鉄鋼労働者のこぶしとホンダ労働者の17日間に渡るストライキは、労働者階級が無為無策の段階をすでに終えつつあることを象徴しているのである。

 

このような状況の転換が、中国共産党に「新政」の加速を促した。懐柔政策を以って階級矛盾を緩和しようとしているのである。これは、あれほど強大な中国共産党も、歴史の主宰者ではないということを物語っている。実際、労働者の自然発生的なストライキは共産党が禁止できないまでの広範囲にまで広がっている。共産党は硬軟織り交ぜた対応でストライキを純粋な経済闘争と企業内闘争に押しとどめることしかできない。しかるに、社会全体の腐敗の加速や官僚と資本家による民衆に対する収奪は激しさを増しており、それが労働者の抵抗を純粋な経済領域と個別の生産拠点から乗り越えさせつつある。つまり、中国共産党の独裁支配がますます多くの労働者をさらに広範な闘争に駆り立てつつある。

 

1989年前後には、企業家に中国民主化の希望を託す人々も数多くいた。二十年が過ぎ去ったいま、ブルジョアジーは官僚独裁の反対者ではなく支持者であるという現実が証明された。中国民主化の前途はいまや新しい労働者階級に託された。労働者階級は最も抑圧されているというだけでなく、近代化された生産体制の決定的な位置を占めるという理由からも、独裁支配に抵抗する力をもっている。独裁政権は、民衆のデモを恐れる以上に労働者階級の政治ストライキを恐れるものである。

 

また労働者階級は民主化闘争の旗手になる条件も備えている。労働者は、人数が集中し、数千数万の人間が共同で労働し、身分や地位も比較的同等であることから、平等と民主主義的慣行を形成することが比較的容易になる。だが、独裁体制文化の影響のもと、権威主義的風習を脱しきれない労働争議があることも確かだ。だが多くの闘争において、その当初から民主的精神を有しており、労働者が本能的に民主的方法を用いて各部署の労働者による代表を推挙し、闘争を指導するケースが見られた。ホンダ労働者の闘争がまさにそうであった。労働解放と民主自由を求める崇高な任務こそ、労働者の賞賛すべき民主主義精神を存分に発揮させるのである。

 

だが60年に及ぶ独裁支配と1989年の残酷な弾圧が作り出した困難性――自主的組織の発展の極度の困難性、民主主義意識の衰え等――も軽視することはできない。民主主義の大業を志す友人たちは、最大限の根気をもって黎明を準備せざるを得ないだろう。

 

香港・先駆社ウェブサイト「労働民主網」より

 

(参考)

 通化鉄鋼争議(2009年7月)

国有企業の民営化合併案をストライキで粉砕
中国:復活する「ティドマン殿」のスピリット

階級闘争 威風堂々と:革命勝利から60年の中国(上)
階級闘争 威風堂々と:革命勝利から60年の中国(下)

 

 中国ホンダ争議(2010年6月)

中国ホンダのストライキに国際的支援を!
階級覚醒の新しい曙光
すべての労働者と社会各層に訴える
ホンダのストライキに関する二つの評価(上)
ホンダのストライキに関する二つの評価(下)