527 5月27日、日比谷野外音楽堂で「福島の子どもたちを放射能から守ろう! 原発も再処理もいらない!」集会が原発とめよう!東京ネットワーク、再処理とめたい!首都圏市民のつどいの共催で開かれ、1800人が集まった。

 原子力資料情報室の伴英幸さんが、福島原発事故が起き、重大な放射能汚染が起きていることを指摘し、「原発を止めるしかない。止めたい思いを街へ」と主催者あいさつを簡潔に行った。次に、福島みずほさん(社民党党首)が「5月26日、文科相に20ミリシーベルト問題で申し入れをした。今日、文科相は①児童が浴びる年間被曝量を一ミリシーベルト以下にめざす②校庭の表土の入れ替えなどの費用について、国が責任をもつように財政措置をとる、と表明した。これは運動の成果だ。まだ不十分な点があるのでこれからもがんばっていこう」と報告した。

 次に四つの地域の課題・問題について発言が行われた。まず、最初に「福島原発事故と福島の子どもたちの被ばく問題」。青木一政さん(福島老朽原発を考える会)が、「放射能汚染は宮城県南部まで達し、海洋汚染も深刻だし、福島原発で労働者の大量被曝が起きている。事故の終息はきわめて困難だ」と触れ、菅首相がG8サミットでオバマ米大統領に「原発は安定してきている。人体にまったく危険はない」と表明したように、政治指導のあり方がもっとも深刻な問題と指摘した。しかし、そうした中でも反原発運動に若者たちが真剣に立ち上がっていることに希望があると報告した。

 満田夏花さん(国際環境NGO FoE Japan)が「20ミリシーベルト問題に対して、4月19日以来、文科省と交渉を重ね、5月23日には文科省を包囲した。世界中の専門家が撤回するように声明を出した。そして署名短期間に五万五千筆を超えた。こうした運動が文科省の方針を転換させた。しかし、問題は残っている。文科省は20ミリシーベルト基準を撤回したわけではない。そして財政支援も除染に限っていて、避難や疎開にはあてられない。また『100ミリシーベルトまでだったら安全だ』という政府の安全アドバイザーたちが繰り返し言っている。こうしたウソを打ち破らなければならない」と訴えた。

 山口泰子さん(ふぇみん婦人民主クラブ)が「六ヶ所再処理工場について」報告した。

 「1993年に着工し、2004年に試験運転を開始した。再処理工場は使用済みのウラン燃料からプルトニウムとウランを分ける。そうすると廃棄物が出る。それを処分するためにガラス固化体を作る。これがうまくいかずすべての作業を中断している。すでに長崎原発の四〇個分のプルトニウムがたまっている」と現状を報告し、さらに問題点を明らかにした。「2010年10月完成予定だったが、それが2012年に延期となった。これで18回目だ。また、当初予算が7600億円だったのが、2兆200億円かかっている」。山口さんは最後に、「再処理工場ストップの運動は毎日一回、経産省前行動とデモを行ってきたが、2月は10人で行った。福島原発事故後、1200人で渋谷デモを行った。事故が起こらないと運動が盛り上がらないのは残念だが、核燃サイクルの即時中止を求めていきたい」と訴えた。

 山口幸夫さん(柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会)が「四年前に中越沖地震が起き、七基の原子炉で820万キロワットの柏崎刈羽原発が限界震度を数倍上回る揺れによって、事故を起こし止った。地震一カ月後に私たちは閉鎖をめざす声明を出した。地元では原発が作られる当初から強い反対運動があった。福島原発の事故原因が津波か地震の揺れかで議論が分かれているが、私たちは地震によるダメージが大きかったと判断している。原発問題は推進か反対かしかない。福島原発事故後、科学者たちが廃炉の声明を出すような運動ができていないのが残念だ。反対運動の住民たちが入り、また科学者も入って判断する福島方式を作らなければならない」と述べた。

 槌田春美さん(たんぽぽ舎)が「菅首相は浜岡原発を停止させたが、それは防潮堤などの対策が出来る間の二・三年だ。浜岡は直下型地震が起きる真上に立つ原発だ。巨大地震が起きれば地面が一面トール隆起すると言われている。こんな危険な原発すべてを廃炉にすべきだ」と訴えた。

 最後に、6.11脱原発100万人アクションと9.19明治公園全国集会(五万人集会、一千万署名)への取組みが訴えられ、東電前を通る銀座デモが行われた。さらに大きく脱原発運動を推進しよう。(M)