53 五月三日、東京の日比谷公会堂で今年で一一回目となる「生かそう憲法 輝け9条 5・3憲法集会」が開かれた。「東日本大震災の被災者に心を寄せ」と副題のついた今年の憲法集会は、何よりも三月一一日に東日本大震災と福島第一原発災害の中で、被災者救援と原発事故を止め原発のない社会を実現するために憲法がどういう役割を果たすべきかに焦点を絞って行われた。集会と銀座パレードには二八〇〇人が参加した。

 最初に平和を実現するキリスト者ネット(キリスト者平和ネット)の糸井玲子さんが主催者あいさつ。糸井さんは、日本国憲法もアジア太平洋戦争の被害者の涙の中から生まれたという歴史に思いをはせながら、被災者救援活動の中で「人間の国、人間の社会が輝いた」と語った。そして大震災での米日共同軍事作戦についてふれ、自衛隊を災害救助隊に作り替えることが必要であり、「武力・原発・日米安保」を捨て、平和条項を実現しよう、と主張した。



 第一部のスピーチの一人目は三宅晶子さん(千葉大教授)。三宅さんは、東日本大震災を受けて今こそ被災者にとって憲法二五条(生存権)、二六条(教育を受ける権利)、二七条(勤労の権利)の実現が大事だと強調した。三宅さんは「日本は一つ」というナショナルなキャンペーンが「日本人以外を排除するもの」だと批判し、朝鮮学校への無償化適用が見送られるとともに、東京、大阪、埼玉、そして宮城でも従来朝鮮学校に出されていた補助金が削られてしまったことを批判し、東アジアの平和のための努力を進めることが重要だと訴えた。

 さらに海外で「ヒロシマ」から「フクシマ」へという言葉が核時代の惨事を象徴するものになっていることを紹介しながら、そうした歴史的パースペクティブをもった行動が必要であると三宅さんは訴え、被曝労働を強いられる人びとに示されるヒエラルキーを問題にすべきだと語った。三宅さんは高木仁三郎さんの最後のメッセージとなった「原子力社会の末期症状」への強烈な危機意識を引用しつつ、専門的知識を持たないわれわれは無能なのかと問いかけた。そして「無能」であることへの自覚というショックは警告への潜在力であり。そこから自ら責任を取ろうとする道か、厚顔無恥でありつづける道かの分岐が生まれると述べた三宅さんは、原発に依存した新自由主義の破綻を見据えて現在と将来の人びとのために踏み出さなければならない、と締めくくった。

 スピーチの二人目はジャーナリストの伊藤千尋さん。世界六八カ国を取材したという伊藤さんは、日本の技術を取り入れた地熱発電で電力の多くをまかなっているアイスランド、自然エネルギーが電力消費の四〇%を占めるスペイン、「九条の碑」があるスペイン領カナリア諸島と沖縄県・読谷村、一九四九年に軍隊を廃止したコスタリカの経験などを紹介した。

「コスタリカでは隣国と戦争を行った反省から、軍事費を教育費にまわし、兵舎を博物館に変えた。兵士の数だけ教師を、というスローガンが掲げられた。コスタリカの憲法では『人は誰でも愛される権利がある』という規定がある。社会と政府が自分を愛するように変えることができる、ということだ。子どもも一人の市民として訴訟の主体になることができる」。

伊藤さんは最後に「行動しない良心は悪の側に立つことになる」という言葉をひいて「市民の元気は自覚した意識にかかっている」と語った。



「寿」の音楽をはさんでスピーチの第二部は社民党の福島みずほ党首と、共産党の志位和夫委員長から。

福島さんは、被災者と自治体のがんばりに励まされながら「3・11」以前とは違う社会を作りたい、と語り、今こそ二五条の生存権や一三条の幸福追求権を現実のものとする社会を目指すと強調した。福島さんは、新しい原発はもう作らない、老朽化した原発は廃炉に、とりわけ浜岡を止める、その上で五月中に原発と手を切るアクションプランを作成する、と述べた。また「札びらで人の顔を叩くような政治を変えることが政権交代だ」と述べ、自民党が「緊急事態」での人権制限を憲法に盛り込もうと主張していることを、参院に「憲法審査会」規定を作ろうとする民主党や自民党の動きを批判した。

志位さんは、劣悪な状況に置かれた避難所を告発するとともに「仮設住宅の前倒し建設、一人ひとりの被災者の生活再建に全力を」と訴えた。彼はさらに、破壊された生活基盤の再建とあらゆる分野での公的支援が憲法の原則として必要であり、被災者生活支援法の最高補償額三〇〇万円の引き上げが必要であること、復興の進め方としては計画は市町村レベルで、実施は国と市町村の共同で、財政保障は最終的に国の責任で行うことを主張した。そして五百旗頭復興構想会議代表の「創造的復興」という理念が上からの押しつけであると批判した。

志位さんは最後に原発事故に関して「原発技術は本質的に未完成なもので危険」であり「安全最優先の原子力行政が必要」だが、「期限を決めて原発をゼロにする」ことが必要だと語り、従来の共産党の原発方針からの転換を示唆した。

最後に参院憲法調査会規程制定や強行や国会議員の比例区定数削減にも反対する集会アピールを確認し、東電前、数寄屋橋交差点を通り東京駅までのパレードを行った。(K)