4242 4月24日、東京・芝公園で「チェルノブイリ原発事故から25年 くり返すな! 原発震災 つくろう! 脱原発社会」の集会が原発とめよう!東京ネットワークの主催で開かれ、4500人が集まった。

 司会の伴英幸さん(原子力資料情報室)が「本日の集会とデモは一日も早く原発を止め、脱原発の社会を実現するために開催した。福島第一原発1~4号機が爆発し、放射能を撒き散らしている。東京でも通常の二〇倍に達している。福島原発は今なお危うい状況にある。原子炉を冷却し続けないとダメだがその能力を確保しているとは言いがたい。冷却水は蒸発したり漏れたりしている。この段階で大きな余震が起きて冷却機能が失われればよりいっそう大きな事故につながる可能性もある」と警告した。

 次にチェルノブイリ事故の被災者であり、汚染地帯で活動する社会団体「ラジーミチ」のパーヴェル・ヴドヴィチェンコさんが次のような報告を行った。



 「チェルノブイリと福島は共通性がある。福島原発事故に耐え忍んでいることに驚嘆しているし、同情している。1986年以前の地方を思い出す。そこは清らかに散歩ができ、野菜を食べていた。そうした以外の生活が来るとは思いもよらなかった。私は180キロメートル離れた所に住んでいたが多くの物を奪った。孫たちは新鮮なミルクを飲むことができない。肉や魚を買うことが出来ない。汚染のない物を買うために200キロメートルも車で行くしかない。医者の検診を恐れる。被曝が分かると恐ろしいからだ。こうした事態が何十年も続くだろう。孫やひ孫の世代にも続く。悲しい十字架を背負っているようだ。チェルノブイリと福島を永遠の警告として残して下さい。核の災いがやってくるのを許さないで下さい」。




 続いて福島現地報告が行われた。最初に、大熊町住民の大賀あや子さんが「福島第一原発が創業から40年ということで、廃炉アクションを昨年から組織して廃炉を実現するようにさまざまな行動を準備してきた。3月11日の地震で電気がすべてストップした。そのためラジオで原発がストップしたことをようやく知り、なんとかつながった携帯電話で非常用ディーゼルが全部止まったことを知った。どうしようもなく逃げるしかなかった。そして爆発があり、原発事故はますますひどくなっていった。20キロ避難、30キロ退避の指示が出され、住民は宙ぶらりんにされた。私は二週間かけて東京に来た。今は廃炉アクションの緊急声明を出したり、福島の運動のサポートをしている」と悔しさをにじませながら語った。

 福島復興会議の中手聖一さんは「私は飯舘村にいた。福島の七六%の土地が危険な状態で、そこに住む160万人が放置されている。約30万人の子どもがいる。そこは汚染管理区域と同じ放射線のレベルだ。子どもたちを助けるのか見殺しにするのか、が問われている。文科省は子どもたちを移動させなくてよいという決定を下した。この決定をなんとしても撤回させようと一晩悩んだ。自分は福島でやれることをやると決めた。首都圏の皆さん、力を合わせて子どもたちを守ってほしい」と訴えた。

 福島の老朽原発を考える会の阪上武さんは「政府は年間20シーベルトという高い放射能を押しつけようとしている。この線量は18歳以下の労働が禁じられている線量の六倍だ。これは労災の認定線量でもある。三春町では校庭での活動を控えていた。国は子どもたちを外に出してよいとした。こんなひどい国のやり方を撤回させなければならない。私たちは国会内で国と交渉を継続している。ネット署名を行っている」と報告した。

 たんぽぽ舎の山崎隆久さんが福島の低レベル線量被曝はイラクの劣化ウラン弾、広島の被爆と同じだと指摘し、4月26日、5月1日、東電抗議・申し入れ行動、4月27日の緊急院内集会の行動への参加を呼びかけた。プルトニウムなんていらないよ!東京の高木章次さんが「浜岡原発では福島原発事故を受けて、砂丘と原発の間に一二メートルの防波壁を二、三年かけて作ると発表した。直下型大地震が起きるとされる原発の真上に立つ浜岡原発が大事故を起こせば日本は終わりだ。すぐに三基を運転停止しろ。中部電力は夏のピーク時に三基止めても80万kw余ると発表している。また中越地震で被害を起こした柏崎・刈羽原発も止めろ。東電は17基すべての原発を止めろ」と力強く訴えた。

4241 最後に集会決議を採択し、東京電力前を通り、日比谷公園に向けたデモを行った。集会が終わるころにもデモ参加者が訪れていた。デモには子ども連れや外国人、労働組合、市民団体、若者から高齢者までさまざまな人たちが参加した。東電前では「原発を止めろ、福島原発震災の責任をとれ」とシュプレヒコールをくり返して東電の責任を厳しく追及した。次は5月27日(金)、午後六時から集会とデモが日比谷野外音楽堂で予定されている。参加を。(M)