第四インター日本支部機関紙 週刊『世界革命』(現『かけはし』)1988年5月2日号(第1042号)から。


4.23-24 原発をとめよう

東京の空に二万人の声
かつてない運動の広がりと高まり

4月23、24日の二日間、東京で開かれた「原発とめよう一万人行動」は、全国から二万人を結集してかつてない大成功を勝ちとった。政府・電力資本など原発推進勢力はこの反原発闘争のたかまりに直面し、早くも商業新聞各紙に全面広告を出すなどの反撃を開始した。しかしこの反原発の高まりは、推進派のデマがもう通用しないことのあらわれなのだ。四月行動の力を倍加、十倍化し、本当に原発を止めるまで闘い続けよう。

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●あらゆる人の予想を越えて

4月23日、24日の二日間にわたって行われた「チェルノブイリから二年、いま全国から 原発をとめよう一万人行動」は、日本の反原発運動でかつてない大成功をかちとった。

23日、15の会場に分かれたテーマ別分散会、関連企画には、どこにも会場に入り切れない人が出るほどの結集で、合計三千人を超す人々が参加し、熱のこもった活発な討論や報告が続いた。

24日の集会&フェスティバルでは、日比谷公会堂と小音楽堂をギッシリと埋めつくしただけでなく、公園全体を人の波、旗、のぼりが埋め、各所で集会、コンサート、署名、出店、そして音楽にあわせた踊りがくりひろげられた。「一万人行動」は、「二万人行動」となり、あらゆる人の予想を超えた。集会後の銀座通り、東京駅から常盤橋公園へとむかう約3キロのパレードは、先頭が解散地点に到着しても最後尾が公園を出発していないという長蛇の列となり、この間にない大デモンストレーションとなった。

チェルノブイリ原発事故から2年、伊方原発出力調整実験反対運動から一挙に高まった反原発闘争の新たなうねりは、全国各地でねばり強く闘い続けられてきた農漁民、周辺住民の不屈の闘いと結びつき、この大高揚を実現したのである。

「チェルノブイリをくりかえしてはならない」「子供たちの、自分たちの、そして地球の未来を守らなければならない」。この強烈な感情が、全国から参加した二万人を強く結びつけていた。そして全参加者は、この力をさらに押し広げ、必ず原発を止めることを固く誓い合った。本当に原発を止めるまで、全世界ですべての原発を止めるまで、休みことなく闘い続けよう。

●政府省庁との直接交渉

23日、午前十時から行動が始った。十時半から予定されている政府省庁との直接交渉に、あらかじめ決められた代表団が向かう。通産省、科学技術庁、厚生省、労働省、消防庁の各省庁は、それぞれ原発の許認可、運転や、原発で働く労働者の安全、輸入食料品の放射能汚染、原発事故の際の対策などに責任を持つべきところだ。そこに多くの人々が原発について抱くさまざまな不安や疑問をぶつけ、責任ある回答を引き出そうという行動である。

しかし、彼らの第一の回答は、霞が関一体に配備された装甲車、放水車など大量の警備車両と、何重にも張り巡らされた機動隊の列だった。各省庁側の要求を受け入れ、事前に交渉団の氏名や住所その他を伝えてあるにもかかわらず、何の権限もないはずの警察が、何度も何度もチェックを繰り返す。また、通産省を抗議の人間の鎖で包囲しようと集まった人々に対しては、全く不当にも暴力的に日比谷公園に追い立て、そこから一歩も出さないという暴挙を働いた。

交渉団を待つ間、集まった千人あまりの人々は抗議の集会を開く。伊方、上関、下北、浜岡など、全国各地から闘いの報告があい次いだ。午後1時半からの分散会に出発しなければならないギリギリの時間に、交渉団が帰り、経過を報告した。

通産省との交渉について、女川原発反対同盟の阿部宗悦さんは、「これまで二十数回も女川のことで交渉してきたが、いつも同じ判で押したような回答ばかりだった。しかし今回のは一番悪い。彼らには人間的な感情の一片もない。原発を止めるまで闘い抜く」と怒りの報告。通産省はこの間の事故の例を挙げた追及にたいして、何の根拠も示さず「日本ではスリーマイルやチェルノブイリのような事故は起こりえない」「電力会社も事故防止に努力している」などという、度しがたい答弁に終始した。

輸入食品の放射能汚染について追及された厚生省は「健康には何ら心配ない」と繰り返すだけだった。事実上ザルにチェック体制で、どんどん汚染食料品が入り続けていることが、市民団体や良心的研究者の調査でも判明しているのが現実なのだ。他の省庁の態度も、全く同様のものだった。「彼らにはチェルノブイリを防ぐ能力はない」。これが交渉が明らかにした現実だった。そして、これら原発推進派のもとで、日々危険性はふくれ上がり、悲劇は引きよせられていく。報告を受けた参加者は、ただちに各分散会会場へ向かった。

各分散会は、いずれも主催者の予想を倍する結集で、熱のこもった報告、討論が行われた。

●会場を埋める人の波

正面から入ると、日比谷公園は小音楽堂から公会堂まで、見渡すかぎり人の波、旗やのぼりの波だ。噴水のまわりで、木陰で、それぞれ集会を開き、歌い、踊り、訴えている。初夏を思わせる日差しのもとでびっくりするほどのにぎやかさ、華やかさだ。

午前11時ちょうど、公会堂で集会が、小音楽堂でフェスティバルが始まった。それぞれで、全国各地の闘いの報告、歌声が続く。

メイン会場でも、昨日の分散会に続きスウェーデンのポール・ドーイさんやオーストリアのペーター・バイシュさんが報告。サミー人の生活と文化を破壊した事故の恐ろしさ。とりわけトナカイの肉を通じた全身被曝が最高で10万ベクレル。ドーイさんのお父さんも2万ベクレルも被曝しているという報告は、会場からどよめきが聞こえるほどの衝撃だった。

3千キロも離れたスウェーデン中部のサミー人地区これほどまでに汚染したチェルノブイリ原発事故。「どこで事故が起きても世界中が汚染される。日本の原発もすべて止めるために皆さんが活動することを期待する」。

バイシュさんは、オーストリアの唯一の原発を稼働前に国民投票で廃止に追い込んだ経験を報告した。スウェーデンでも、11基すべての原発を2010年までに廃棄していくことが決定されている。二人の報告は、あらためて原発の恐ろしさを突きつけると同時に、人民の力でそれを止めることが可能なのだということを教えた。一刻も早く、すべての原発を止めなければならない。二人の報告に決意を込めた全体の拍手。

古川豪&ノビヤカス、館野公一さんなどの軽快な歌声を間にはさんで、各地で反原発闘争を闘っている人々が次々に発言した。

●止められる確信を深め

4252この間、日本の反原発闘争はいくつかの大きな勝利を実現した。四国電力の原発立地計画を押しもどし、3月21日、自社公推薦の原発推進派を破って反原発派町長を誕生させた闘いを、地元・窪川から島岡幹夫さんが報告。

「もし原発が作られれば、その電気は本四架橋で本州に送られるはずだった。これ以上四国を原発で汚染されたくない。八年間の闘いで、勝つには地域の人々の心をつかむこと、魂に訴えることだということを学んだ。リコール運動では住民の行使できる権利をすべて行使してきた。全国も窪川、日高に続いて勝利してほしい。闘えば必ず勝てるということを信じてほしい」。

つづいて、3月31日、和歌山県比井崎漁協臨時総会は、原発建設のための前調査を拒否した。関西電力、和歌山県、日高町当局のすさまじい札束攻勢と切り崩しをはねのけ、海と地域を守る闘いに勝利したのだ。この闘いを日高の漁民・浜一巳さんが報告。闘いは、もう三十年になる。浜さんが父親から引きついでからすでに13年、切り崩されては盛りかえし、また切り崩されては再組織する闘いの連続だった。しかし、絶対にあきらめることなく続けられた苦闘は、ついに勝利を勝ちとったのだ。

「日高原発が止まったことを皆さんに報告します。力をあわせれば、運転中の原発も、計画中の原発も、必ず止めることができます」。

新潟の東北電力巻原発も、巻原発反対共有地主会の存在によって4年前にストップしたままになっている。審査開始から7年、とつくに着工されていなければならないはずだ。東北電力は、共有地を除外して線引きをやり直し、安全審査を再開しようと考えているが、勝利寸前の局面にある。共有地主会の赤川勝さんが報告。

「予定地のどまんなかに私たちの共有地があるために審査を通せない。一時、三里塚のような強制収用を考えたようだ。しかし、そのためには通産省が認可を出すことが必要で、そのためには安全審査を通っていなければならないというジレンマに陥っている。しかし、通産省は、もう国の意思でやると決めたことだからやめるわけにはいかないと言っている。決して安心はできない。国の意思で作ろうと言うのなら、私たちの意思で対抗していかなければならない」。

赤川さんは、夏には共有地に立つ団結浜茶屋を海水浴に大いに利用して欲しいと呼びかけ、同時にこの六月にもチェルノブイリ事故後はじめての新規原発として着工が迫っている能登原発阻止のために、全国の力を結集しようと訴えた。

さらに、伊方原発反対八西連絡協議会から、能登から、核のゴミ捨て場に反対する北海道、幌延、天塩から、この1-2月の伊方原発出力調整実験反対運動で大きな力を発揮した九州から、そして核燃サイクル基地と闘う下北から、次々と発言が続いた。

「安心して飲める牛乳をいつまでも搾っていたい」と語り始めた幌延の川上さんは長い間、反対決議をあげられなかった隣町の天塩農協がこの4月ついに反対決議をかちとったことを報告。「このうねりのなかで動燃をたたきつぶす。押し出すのはもう一息だ。あのときもう少し頑張れば、と後で後悔しない運動をやっていきたい」と決意を述べた。

青森の小林さんは、プルトニウム空輸に反対する意見広告を「ワシントン・ポスト」に出したことを報告。この6月にも下北・六ヶ所村ウラン濃縮工場の許可が下りるかどうかの局面になっている。小林さんはこれに反対する署名を続けてきた。現在約20万人。「5月9日に通産省に提出します。もう一度日比谷に集まって下さい。どこで何をやろうとしても、人は集まるんだ、運動はつぶせないんだということを思い知らせてやりたい」。

九州の松下竜一さんの話は、今始まった反原発の高まりの性格を浮き彫りにするものだった。このチェルノブイリから丸二年の4月26日、九州全域で新聞に一項の意見広告を出す。それは高松闘争を引っ張った『まだ、まにあうのなら』の 甘蔗珠恵子さんと小原良子さんの対談で、松下さんが司会したものだ。

松下さんは小原さんも、 甘蔗さんも、チェルノブイリ当時、事故のあったことすら知らなかったことを知って、あらためてびっくりしたと言う。ところが、広瀬隆さんの本などで事実を知ったとたん、たちまちエネルギーに満ちた反原発運動者に変身したのだ。

これを紹介した松下さんは、「皆、事実さえ知れば、必ず起ち上がる。これを確信して運動をする必要がある」と訴えた。事実を知らせること、徹底的に事実を知らせること、これが新しい反原発闘争の高まりをつくり出したのだ。

集会の最後に、アピールを採択し、福井の小木曽さんが「『脱原発』制定運動について議論をおこそう」と実行委員会を代表して訴えた。

4253●明日からの新たな闘い

集会を終えて、東京電力前から銀座、東京駅を通って常盤橋公園へ向かうパレードに出発。日本の反原発運動史上かつてない大デモンストレーションだ。男も女も、子供たちも、乳母車の赤ん坊も、パンクロックの少年少女も、皆自分の反原発の思いを精いっぱい表現している。既成の組織とほとんど関係ないところで、自発的な意思がこれほど広範に結集し、ひとつにまとまって闘おうとしているのも、この間なかったことだと言えるのではないか。これは確かに、右へ向かう状況を食い破る可能性を持ったエネルギーだ。その可能性を現実のものとするために闘いぬかなければならない。

デモの解散地点で、宣伝カーの上から高木仁三郎さんが叫んでいた。「今日の行動は、二万人を越える人々の結集で大成功をかちとりました。この解散地点は、明日からの闘いのスタート点です」と。

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