虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

ビンラディン虐殺についてのパキスタン左翼の見解

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インターナショナル・ビューポイント オンラインマガジン : IV436 - May 2011

復讐の感情はオサマが死んでも終わらないだろう―パキスタン左翼の見解
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2138
 
ファルーク・タリク



 オサマ・ビンラディンの死から四日たった今、パキスタンの大衆的反応はきわめて錯綜している。パンジャブ州(中東部の州、州都:ラホール)ではオサマへの一般的同情が見られるが、シンド州(南東部の州、州都:カラチ)ではその共感を公然と表現する人は多くはない。しかし市によって反応は異なっている。例えばカラチではオサマへの同情とアメリカへの非難はより能動的である。

 驚くべきことに、オサマが殺害されたカイバル・パクトゥンカワ州(旧北西辺境州、州都:ペシャワール)では多くのことが起きているわけではない。同様にバロチスタン州(西部の州、イランに隣接)では殺害に対する反応は穏やかなものだ。しかしながらアボタバードの住宅地区への攻撃に対する厳しい反応は、広範に広がっており、他の地域にも拡大するだろう。多くの宗教的原理主義者たちは、アフガニスタンから逃げ出してバロチスタン州とカイバル・パクトゥンカワ州に難民として流れ込んでいる。かれらは2002年から08年までこうした州を統治してきた。

 原理主義者の支配が生じたのは、ムシャラフ将軍がアメリカ帝国主義との二元的ゲームにうつつをぬかしていた時だった。彼は一方で「対テロ戦争」連合に参加し、他方では原理主義者との闘いという名目でアメリカ帝国主義からより多くの軍事的・経済的援助を引き出すために、原理主義者の成長に依拠していたのである。この時期に、オサマ・ビンラディンは国境を越えてパキスタンに入ったに違いない。

 2011年5月の攻撃は誰をも驚かせた。人びとは当惑し言葉を失った。今年初めラホールで白昼堂々と二人のパキスタン人を殺したCIAの工作員デービッド・レイモンドが釈放された直後に、こうした厚かましい行為がなされるとは誰も予測していなかった。オサマ暗殺への穏やかな反応と対比すれば、デービッド・レイモンドの殺人行為への大衆的反応はきわめて強力なものだったため政府は受け身に追いやられた。今回の攻撃によってアメリカ帝国主義は、パキスタン征服を前進させたように見える。

 ジャマアト・イスラミ、ジャミアト・ウレマイ・イスラムなどの宗教政党は、アルカイーダが行った殺害や残虐行為には沈黙しているが、アメリカについては「パキスタンの主権侵害」として厳しくこきおろしている。ジャマト・ダワの強硬派であるハフィド・サイードは、一部の地域においてオサマ・ビンラディンの霊を慰め、ナマ・ジェナザ(ムスリムの死に際して行われる祈り)を捧げる最も行動的な宗教的原理主義者になっている。こうした諸政党がオサマへの支持を組織し、襲撃に反対して街頭に出るのもそれほど先の話ではないだろう。

 パキスタン人民党、パキスタンムスリム連盟Q(訳注:カーイデ・アザム派)、パキスタンムスリム連盟L(訳注:シャリーフ派)などのブルジョア政党はアメリカの行為を支持し、オサマ殺害は宗教的原理主義の高揚に対決する偉大な勝利と見なしている。政府はいまだに一貫性のある説明を行っていない。そのかわりに様々な高官が矛盾だらけの声明を発表している。



パキスタン・米国同盟



 昨年いっぱいを通じて、パキスタンと米国の政府は両者の関係を打ち固めた。それは情報当局間の相互訪問がより頻繁に行われたことや、CIA要員へのビザ発行数からも分かることだ。さらに政府は、米国政府に無人機による攻撃へのフリーハンドを与え、攻撃の最初の局面では行っていた非難の見せかけをも放棄した。ワシントンはオサマ・ビンラディンがパキスタンにいたことを知っていたように思われる。

 米国政府は、きわめて脆弱な人民党(PPP)政権に全面的な政治的支援を行った。パキスタン政府はなんのためらいもなく、アメリカ帝国主義、IMF、世界銀行のアドバイスに従って行動した。米国政府は、最も腐敗した反民衆的な部分が主導するこの政府以上にましなパートナーを持つことができなかったのである。さらにワシントンは、ムスリム連盟Q(PMLQ)――ムシャラフ将軍と政権を共有していた――が現政権に入ることをも支持していたように見える。オサマが殺されたまさにその日、PMLQの一四人の新閣僚が宣誓を行い、新たに就任したかれら閣僚たちが「沈みかけた船」と呼んでいた政府に参加したのである。

 米国がオサマ・ビンラディンを「テイクアウト」(殺害)するために海軍特殊部隊(SEALS)を送りこみ、パキスタンの主権をあからさまに侵害したことは、二国の支配階級間の関係を悪化させないだろう。オバマと彼の補佐官たちは、パキスタン政府に反対するようなことを一言も語らなかった。それどころか、彼らは情報の共有を称賛したのである。



共同の努力



 オサマ・グループへの攻撃は、パキスタンとアメリカの情報機関の共同の努力によるものだった。ムシャラフが大統領だった当時から軍を指導していたキアニ将軍は、ISI(パキスタン国軍情報部)の前長官である。

彼にはアメリカ帝国主義と密接な関係を持って活動してきた長い歴史がある。2007年に立ち戻れば、彼はムシャラフとの権力分有の交渉をベナジール・ブットとの間で開始した一人であった。ベナジールがムシャラフ将軍に対して軍における彼の地位から退くよう圧力をかけた際、キアニ将軍がその地位を引き継いだ。彼の監視の下で、パキスタン軍の機構は宗教的過激派との伝統的連携を切断し始め、かれらへの軍事作戦を発動した。宗教的過激派は軍司令部をターゲットにして反撃し、軍の幹部を殺害した。



軍内部の分極化



 その結果、軍内部で将校と下部兵士との間での分極化が生じている。軍の上級士官はアメリカ軍上層部との密接な関係を形成した。かれらは莫大な資産を支配し、よりリベラルな生活様式を維持している。しかし軍の下部は依然として宗教的であり、原理主義者や宗教政党を支持しており、いまなお反インド・反西側の感情を保持している。

この分極化ゆえに、パキスタンの軍と情報機関が反テロ戦争を精力的に遂行する能力に信頼を置くことについて、米政府はためらいを見せているのである。



宗教的テロは終わらない



 ビンラディンの死という重大な打撃にもかかわらず、アルカイダや他の宗教的過激テロリスト集団は成長するだろう。レオン・トロツキーは彼の素晴らしいパンフレットで「なぜマルクス主義者は個人テロに反対するのか」と問い、「復讐の感情にはけ口を与えようとすることは、常にテロリズムの最も重要な心理的要因である」と述べている(訳注:トロツキー「テロリズム」、1911年。邦訳『トロツキー研究』一七号所収)。

復讐の感情は、オサマの死によっては終わらない。彼の殺害、オサマの遺体のアラビア海への投棄は、テロリズムに終止符を打つことにはならないだろう。実際、宗教的テロリズムはアメリカ帝国主義の行為の結果として拡大するだろう。アメリカ帝国主義に反対する道を探し求めているムスリム青年の一定の部分はテロリズムに引きつけられるかもしれない。新しいテロリストグループが形成されるだろう。

それは宗教的過激派がパキスタンで権力を獲得することを意味しない。パキスタン軍部は残虐な勢力であり、かれらは幾度かにわたって、ひとたび自分たちの権力が脅かされるや、どれだけの暴力を行使するかを見せつけてきた。パキスタン軍は過激派がイスラマバードを手中に収めたり、同国の核技術に手をつけることのないようにするためにアメリカとぐるになって活動するだろう。

世界的観点を持った過激派による個人テロの脅威は、一国に封じ込められるものではない。かれらは民族解放の名において闘うIRA(アイルランド共和国軍)と似通った存在ではなく、イデオロギー的な戦争を闘い、きわめて狭い社会基盤しか持っていなかったために粉砕されてしまった赤い旅団により似通った存在である。

アルカイダやその他の宗教的過激派は、幾百万人ものムスリムの宗教的感情を利用している。こうした過激派はイスラム教内部の幾つかの異なる傾向や宗派を代表しているが、幾つかの国々で大衆的社会基盤を植え付けることができた。

アルカイダは疑いなくこれまで世界で見られたテロリスト組織の中で最も成功したものの一つである。彼らは20年以上にわたって生き延び、幾度か目標への攻撃計画を立て、成功裏に実行した。かれらは自分と他人を殺害することによって天国に行く用意のある自殺部隊を持っている。主要指導者の殺害にもかかわらず、かれらが消滅する兆候はない。しかし個人テロ行為は、かれら自身の限界である。



個人テロの限界



国家テロリズムを個人テロリズムと切り離すことはできない。両者は同じ性質と方針を持っている。両者は同一の結果を引き起こす。しかし国家テロ行為はその立場を継続し、幾つかの課題に逃げ込むことができる。

アルカイダの最も成功したテロである「9.11」は、ムスリムたちを利することなく、幾百万人ものムスリムの生活は完全な悲惨な状態に置かれてしまった。それはオサマのような少数の過激派の魂を満足させたが、幾百万人もの魂は打撃を受けた。帝国主義はこの攻撃に対して、恐るべき暴虐をもって応えた。

ロシアで1911年の閣僚殺害後に起こった情勢についてコメントしたロシア革命の主要な「建築家」の一人であったレオン・トロツキーは以下のように書いている。

「テロリスト的企図が、たとえ『うまくいった』場合でも、支配層に混乱をもたらすか否かは、具体的な政治的事情に依存している。いずれにせよ、この混乱は一時的なものでしかない。資本主義国家は大臣に依拠しているのではなく、彼らを殺害したからといって滅びるものではない。その国家が奉仕している階級は常に新しい人物を見つけだす。メカニズムは全体として維持され、機能し続ける」。

「テロリスト的行動が『効果的』であればあるほど、それが大きな印象を引き起こせば引き起こすほど……それだけますます大衆の自己組織化と自己啓発にたいする関心を低めることになる。しかし爆発の煙が晴れ、パニックが収まり、殺された大臣の後任者が登場すると、生活は再び旧来の軌道に入り、資本主義的搾取の車輪が以前と同じように回転し、警察の弾圧だけがより過酷で下劣なものになる。そしてその結果、燃え上がらされた希望と人為的にかきたてられた興奮の後に、幻滅とアパシーとが始まる」(前掲 トロツキー「テロリズム」1911年)。



殺害は宗教的原理主義を終わらせるのか



 ワシントンがかつてアフガニスタンのムジャヒディン(イスラム聖戦機構)を支持したことについて、ヒラリー・クリントン米国務長官が行った二〇〇九年の発言を検証してみよう。

 「ISI(パキスタン軍情報部)とパキスタン軍に処理させよう。そしてこうしたムジャヒディンたちを雇おう。……それはソ連邦を終わらせるための悪くはない投資だが、われわれが撒いた種について注意を払おう……。われわれがそれを収穫することになるのだから……」(ヒラリー・クリントン、2009年4月23日)。

 この10年以上にわたってワシントンと過激派は、ともに自らの撒いた種を収穫している。一つの復讐行為がもう一つの復讐をもたらしている。

 宗教的原理主義を力ずくで打ち負かすことはできない。アメリカ帝国主義の戦争と占領の政策は、成功ではなく失敗の例を提示している。その教訓は鮮明である。「思想を殺すことはできない」。普通の人びとの生活にとって宗教的原理主義の真の意味は何かを暴きだす政治的闘争がなければならないのだ。



政治的イスラムの勃興



 政治的イスラムの勃興は、ムスリム世界における左翼政党の弱体化の広がりと結びついている。一方で、1990年代においてはソ連邦の崩壊後に社会主義は敗北したように見られた。他方、ポピュリスト、反帝国主義者、ブットの人民党のような大衆的基盤を持った政党も信頼を失った。宗教は、唯一手に入れることができる反帝国主義の政綱であるように思われた。

実際には、タリバンやアルカイダといった宗教的過激派は、決して帝国主義に対するオルタナティブにはならなかった。かれら自身が、かれらの宗教的信条を共有しない人びとを搾取し、抑圧し、殺害したのである。かれらは政治的反対派の物理的絶滅を信奉している。かれらは帝国主義の覇権に反対して闘う進歩的勢力ではなく、極右反動である。かれらは、歴史の時計の針をむりやり逆戻りさせるよう望んでいる。宗教的過激派は新しいファシストである。

 宗教的過激派と帝国主義諸国は、おたがいに暴力のエスカレーションを正当化している。これは終わりのない循環である。

 宗教的原理主義者の成長は、パキスタンの文民政権と軍事政権がともに労働者階級と農民の基本的問題をなに一つ解決できないという完全な失敗への反応でもある。歴代の政権は、封建主義の支配、パキスタンの資本家たちの抑圧的・搾取的本質、労働者への侮辱的扱い、国内の少数民族の抑圧と天然資源の搾取を終わらせることができなかったのだ。



文民政権の失敗



 パキスタンの支配階級は、どのような民主主義的基準をもたらすという点においても悲惨な失敗を遂げてきた。その結果、文民政府が軍事独裁によって打倒された時、大衆の圧倒的多数は抵抗の姿勢を見せなかった。現在、文民政府の政策は、パキスタンの国民に悲惨な結果を指令するアメリカ帝国主義やIMF、世界銀行といった機関によって支配されている。日々の自爆攻撃とならぶ戦争と経済的悲惨により、住民は恐怖状況に置かれている。全般的心理は不確かな未来というものだ。希望は消滅している。パキスタン政府がその政治的・経済的政策の優先順位を変えなければならないのは明らかである。政府は、腐敗を終わらせ、自らをアメリカ帝国主義に縛りつけている紐帯を断ち切らなければならない。

 左翼の混乱は9.11の後で頂点に達した。オルタナティブを築き上げる必要はないと語り、宗教的過激派に反対してNATO軍との協力を支持する人びとがいた。「宗教的過激派はファシストであり、NATOは彼らを消滅させるに十分なほど強力だ」という主張が押し出された。「NATOはわれわれのなすべきことをやっている。軍事的解決こそ唯一のオルタナティブだ。われわれは沈黙を守り目を閉じてアメリカ人と協力しなければならない。大衆を巻き込んだ反戦運動を作る必要はない」というのが、その主張の路線だった。

 もう一方で、紛争の支配的な担い手たちの中心的な理論的枠組を強めるために、問題を「米国VS彼ら」、「善と悪との戦い」、「イスラム・テロリズムに対決する十字軍」、「文明VS混沌」として提出する人びとがいた。国家、メディア、リベラル派は一部の進歩派と手を携えて、こうした議論を支配することができた。



われわれは何をなすべきか



 アメリカ人によるオサマの殺害は、対決の新たな時代を切り開いている。アルカイダ、あるいは他のテロリスト的宗教的原理主義者とつながっている諸グループや個人は、この事件を利用し、かれらの反動的路線を支持して民衆を動員しようとするだろう。

 われわれは米帝国主義、原理主義者、ならびに双方の勢力とのパキスタン政府の共謀に反対しなければならない。この議論においてわれわれは、帝国主義、資本主義国家、宗教的原理主義者についてのわれわれ自身の立場を提起してきた。われわれはかれらの宣伝と行き詰りに陥った解決策を暴露しなければならない。



●われわれは宗教的過激派と闘うために、包括的で広範な政治・経済戦略を呼びかける。パキスタン国家はあらゆる形態での宗教的マドラサ(イスラム教の教義に基づく教育を行う私設宗教学校)への支援をやめなければならない。少なくとも国家予算の10%を教育に支出すべきである。教育はすべてのパキスタン人に対して大学のレベルまで無償にしなければならない。国家は宗教的実践とのつながりを断ち、マドラサへの制度的オルタナティブを提供しなければならない。

●われわれはIMFと世界銀行の経済政策への従属を終わらせるよう呼びかける。政府は労働者と農民の利益に奉仕しなければならない。

●われわれは米帝国主義と戦争機構との結びつきを断つよう呼びかける。



 宗教的原理主義の勃興は、支配的エリートの政府政策、ならびにアメリカなどの帝国主義諸国への従属の直接的結果である。帝国主義と植民地化、そして新植民地化との闘いは、宗教的過激派へのいかなる譲歩も行うことなく、われわれのあらゆる宣伝における主要な優先課題でなければならない。

 いまやオルタナティブは大アラブ地域の春によって提起されている。自爆攻撃、爆弾、無人機攻撃その他の暴力的手段の時代は、大アラブ地域の独裁者、独裁体制に対する大衆的決起に比べればはるかに効果のないものになっている。反撃のためのアラブの道は、体制の変革から社会主義オルタナティブへと至る道筋を進む確信を大衆の間に、ついにもたらし始めているのだ。(2011年5月6日)

▼ファルーク・タリクはパキスタン労働党(LPP)の全国スポークスパースン。

(「インターナショナルビューポイント」2011年5月号)

【報告】参議員憲法審査会規定策定を許すな! 5.10参院院内集会

510 5月10日、参議院議員会館で「参院憲法審査会規程強行策定反対緊急院内集会」が100人の参加で開催された。主催は2011年5.3憲法集会実行委員会。
 
2007年5月、当時の安倍内閣は改憲手続き法を強行成立させた。2009年6月には麻生内閣の下で、衆議院での憲法審査会規程の作成が強行された。当時、民主党は衆院での規程作成に反対した。しかし2010年5月に民主党・鳩山政権の下で改憲国民投票法が全面施行されると、参院選で大敗北を喫した民主党は参院での憲法審査会規程作成に賛成するようになった。だが今までそれができなかったのは、2007年5月に改憲国手続き法が参院で可決・成立した際に付けられた一八項目の付帯条項(成年規定、有効最低投票率など)の論議が、まったく進展していないということもあった。

しかし東日本大震災によって「挙国一致」ムードが高められる中で、改憲への動きが再度息を吹き返している。4月28日には「新憲法制定議員同盟」の「新しい憲法を制定する推進大会」が院内で開催され、鳩山由紀夫前首相が同議員同盟顧問に復帰した。改憲派の主張は、大震災を利用して「非常緊急事態」についての規定を憲法に導入し、「有事」における権利制限を可能にさせることが前面に打ち出されている。

こうした状況において5月2日の参院議院運営委員会で、民主党はついに参院での規定作成を提案するに至った。そして院内集会が開催された5月10日には、民主党は四年ぶりに党の憲法調査会を設置し、会長に改憲派の前原誠司・前外相を据えた。



院内集会では、主催者を代表して高田健さんが報告。続いて共産党の井上哲士参院議員が経過を説明して、こうした動きの背後に政党を超えた改憲派のつながりがあると指摘、阻止するのは国民の力だ、と強調した。社民党の福島みずほ党首は、東北地方での避難所での被災者との対話を通じて「憲法25条の生存権、憲法13条の幸福追求権を一刻も早く実現するために政治の力を発揮すべきだと実感した」と語り、「緊急事態規定がないから何もできない」という改憲派の主張を批判した。

社民党の吉田忠智参院議員、山内徳信参院議員、服部良一衆院議員、共産党の宮本岳志衆院議員の発言に続いて、許すな!憲法改悪・市民連絡会の土井登美江さん、平和憲法21世紀の会の伊藤成彦さん、前共産党参院議員の仁比聡平さんらが発言。仁比さんは「いま聞くべきは弱者、被災者の声であり、民主主義の力を発揮すべきは今である」と訴えた。



追記:5月18日に参院本会議で憲法審査会規定作成が可決された。共産党、社民党、無所属の糸数慶子議員が反対した。民主党からは五人(相原久美子、有田芳生、大河原雅子、今野東、田城郁)が棄権にまわった。(K)
 

光州民衆蜂起31年 : 韓国民主労総の声明

1980年、全斗煥率いるクーデター軍による戒厳令体制に抗して、光州では民衆蜂起によって一時行政区域全体を解放し、血の弾圧を加えられてから31年に際しての闘う労働組合のナショナルセンター:民主労総の声明。





声明 No,6,547

5.18光州(クァンジュ)抗争31周年を迎えて- 2012年、権力を5.18虐殺勢力から国民へ
http://nodong.org/612433

イ・ミョンバク政権4年目とともに迎える5.18光州(クァンジュ)抗争31周年は格別だ。 その日光州の街頭と市民らの胸に響いて広がった民主主義と解放の熱望は相変らず進行形であり、イ・ミョンバク政権の下で一層切実だ。いつの間にか31年という歳月が流れたが、"5. 18光州"は私たちの歴史の消されない傷であり栄光だ。その日以後、私たちの社会は民主主義の回復と変革のために激しい時代を生きた。そして光州から燃え上がった抵抗の火花はついに87年民主化の野火として復活した。しかし民衆の抗争は完全な勝利をおさめることができなかった。欺瞞的な6.29宣言で軍部独裁は生き長らえたし、その権力集団の主流派であるハンナラ党政権は相変らずこの地の権力を独占している。

これら反動保守勢力の執拗な蠢動の中にまだ5.18光州虐殺の真実は徹底的に糾明されなかったし、虐殺勢力の親分は29万ウォンで国民にいやがらせをして、10億を越える血税で警護されながら豪華な生活を享受している。これらの権力を継承しているイ・ミョンバクは執権中ただの一度も5.18光州抗争記念式に参加しなかったし、ハンナラ党代表であったアン・サンスという者は卑劣にも5.18烈士墓地参拝の過程で烈士墓地の上席を侵す不敬も厭わなかった。さらに国家アイデンティティ回復国民協議会などという極右保守団体などは光州虐殺が北の蛮行という天人共怒する歪曲を日常的に行ったし、彼らにイ・ミョンバク政権は毎年3千万ウォンを越える国民の血税を使って支援している。

31年前、5.18において最も残忍で悪らつな本性を表わした国家暴力はまだ‘法と秩序’という美名の下で公然と暴政を行っている。そのように"5.18光州"は国家暴力の再発見だったが、民主主義と変革、祖国解放の熱望とその主人公らを再発見した歴史でもある。独裁の銃刀の前に命を投げ出して民主主義を守ろうと思った市民軍は平凡な市民らであったし労働者であった。これら民衆は軍部の銃刀に対抗して、たとえ短い期間ではあるが崇高な民衆共同体の希望を歴史の中に刻印したし抵抗と抗争の価値を呼び覚ました。そして私たちの民衆は5.18精神を継承して不当な権力と戦ってきたし、労働者はその先頭で新しい社会に対する夢を引っ張ってきた。

それでもまだ権力は国民の中に戻らなかった。軍部独裁勢力が銃刀で簒奪したその権力は、また財閥の市場独裁が簒奪してしまった。だから絶対多数の国民の人生と日常の労働は相変らず大変疲弊して、両極化と勝者一人占めの無限競争は全社会を葛藤と不幸の阿修羅にしている。より一層みじめなのは権力簒奪の典型だった独裁者パク・チョンヒのムチをあたかも経済発展の成果で称賛して、その娘を有力な大統領選候補に注目している現実だ。パク・クネはただ一度も独裁の遺産を反省しなかった独裁の後えいであるゆえ、2012年という政治の激変期に私たちは、独裁勢力に対抗した大胆な挑戦と抗争に出るだろう。5.18光州抗争31周年をむかえる今日、私たちは今もって虐殺権力が闊歩するということを目撃して、新たに反省と決意を新たにする。光州から始めた民主主義と変革、祖国解放と労働解放の夢は相変らず時代の希望であり指向であることを確認する。

その道を民主労総は弛みない意志と犠牲で民衆と共に歩むだろう。


2011.5.18.

【案内】つくろう!脱原発社会5.27集会・デモ

つくろう!脱原発社会5.27集会・デモ

日比谷3月11日の東日本大震災・福島第一原発事故以来、東京でも毎週のように集会やデモが行われ、毎回数千人以上の人々が参加しています。5月27日には、日比谷野外音楽堂で集会とデモが開催されます。

どなたでも参加できます。平日の夕方という時間帯ですが、プラカードや横断幕、楽器、光り物などいろいろご用意ください。「つくろう! 脱原発社会」の声を上げましょう。

日時:6月27日(金)開場17:30 開始18:00 デモ出発19:00

場所:東京・日比谷野外音楽
   (地下鉄「霞ヶ関駅」3分、「日比谷駅」5分)

内容:●福島原発、六ヶ所再処理工場、柏崎刈羽原発、浜岡原発等の報告
   ●デモコース 日比谷~東電前~銀座~常盤橋公園

共催:原発とめよう!東京ネットワーク/再処理とめたい!首都圏市民のつどい

雨天決行/参加費無料

◆なお、同集会・デモは6月24日(金)にも予定されています(会場・時間同)


【関連企画】
再処理とめたい! 経済産業省前行動

 原水禁も参加する、「再処理とめたい!市民のつどい」は2004年12月から第4水曜日に、経済産業省別館前で、チラシの配布や申し入れ行動を続けています。どなたでも参加できます。

日時:5月25日(水)18:30~19:00
場所:経済産業省別館前(地下鉄「霞ヶ関駅」C2出口)

主催:再処理とめたい!首都圏市民のつどい

呼びかけ団体:原水禁国民会議(03-5289-8224)/プルトニウムなんていらないよ!東京(旧称 ストップ・ザ・もんじゅ東京)/大地を守る会/福島原発老朽化問題を考える会/たんぽぽ舎/日本山妙法寺/日本消費者連盟/ふぇみん婦人民主クラブ/グリーンピース・ジャパン/原子力資料情報室

報告 沖縄5.15「復帰39年 平和とくらしを守る県民大会」

515  5月15日、宜野湾海浜公園屋外劇場で5・15平和行進実行委員会、沖縄平和運動センターの主催による「復帰39年 平和とくらしを守る県民大会」が行われ、3300人が参加した。


 沖縄が1972年5月15日に日本に復帰してから39年。基地撤去、反戦・平和を求める沖縄民衆の意志を圧殺し続けたままだ。辺野古新基地建設問題、高江ヘリパッド建設問題、先島地域への自衛隊配備増強など基地強化にむけて新たな策動が続いている。辺野古新基地が頓挫しつつあるなか米上院軍事委員会の三議員が「日米現行計画は非現実的で実行不可能」として嘉手納基地への統合を中心とする移設案の検討を国防総省に要請した(11日)。さらに国民新党の下地幹郎幹事は、飛行場建設地として国頭村安波区案をぶち上げ、「地元合意は結果を示すというやり方もある」などと居直り誘致工作に奔走している。沖縄民衆は、基地強化、騒音拡大につながる嘉手納統合案、安波区案に反対だ。県民大会は、このような流れを許さず、反戦・反基地運動を強化していく意志一致する場となった。


 大会に先立って平和行進が米軍普天間飛行場の周囲の南ウィング(1500人)、北ウィング(1700人)で行われ、「普天間撤去」「県内移設反対」などのシュプレヒコールを上げた。行進は、毎年3日間だったが、今回は参加労組が東日本大震災の被災地支援の取組みも行っているため1日だけになった。


普天間基地の固定化も、嘉手納統合案も反対!


 大会は崎山嗣幸実行委員長(沖縄平和運動センター議長)の主催者あいさつで始まり、「日米両政府が県内に普天間飛行場の移設先を物色しているのは県民への背信行為だ。普天間基地を即時閉鎖、返還させる運動をさらに広げよう」と訴えた。


 東日本大震災の被災者追悼の黙祷とカンパが呼びかけられた。


 安里猛さん(宜野湾市長)は、「第三次普天間飛行場返還アクションプログラムの指針に沿って2014年までの早期返還を取り組んでいる。今後も県内移設に反対し、返還を勝ち取っていこう」とアピール。


 稲嶺進・名護市長からのメッセージが紹介された。


 連帯あいさつが藤本泰成さん(フォーラム平和・人権・環境事務局長)、新里米吉さん(社民党県連委員長・県議)、糸数慶子さん(社大党委員長・参議員)から行われた。


 「地域の訴え」として次の3人がアピール


 安次富浩さん(ヘリ基地反対協共同代表)は、「ウィキリークスによってグアム移転協定をめぐる公電で人員、予算の水増し、米従属の外務省官僚などが暴露された。まじめにやっていないことがはっきりした。福島原発事故は国策として押し付けてきた破綻の結果だ。米軍基地も同様の押し付けだ。大震災直後にかかわらず『思いやり予算』を可決してしまった。反対したのは、社民党、共産党、社大党の人たちだ。普天間基地の固定化も、嘉手納統合案も絶対に許すことはできない。普天間基地はアメリカに持っていかせる。ウチナンチューの闘いを妨害する土建政治家を許さず、次の選挙で落とそう」と批判した。


 伊佐真次さん(ヘリパッドいらない高江住民の会)は、「1月から2月にかけて高江で激しい闘いがあった。多くの方が駆けつけてくれた。すでに米軍ヘリの訓練が強行されているが、北沢防衛相はオスプレイ配備を明言した。どんな訓練が行われるのか、全く明らかになっていない。アセス違反は明白だ。基地は撤去しかない。貴重な天然森林が伐採され、自然・環境破壊をくり返している。低空飛行など危険な状態になってしまう。7月から工事が再開される。高江、ヤンバルに基地は作らせない。沖縄の貴重な水源地に基地を作らせることはできない」と訴えた。


 下地朝夫さん(宮古実行委員会・県職労宮古支部長)は、「宮古・八重山への自衛隊配備強化など進められている。沖縄本島では、基地周辺の軍用機の騒音、事件・事故は増大し、基地負担は過重になっている。宮古・八重山にも広がっている。小さな離島で軍事と農漁業、観光産業は両立しない。平和で自然豊かな島のために軍事化・軍事利用は反対です」と発言。


 非核平和行進引継ぎ式、平和行進報告


 最後に大会宣言(①政府は、米軍再編予算を復興支援に組み替えるなど被災地の復興に全力を傾注せよ②普天間基地をはじめ米軍基地の県内移設を確認した日米合意を撤回し、辺野古新基地建設、高江ヘリパッド建設を断念せよ③防衛計画大綱に基づく先島地域への自衛隊の配備、増強を中止せよ)を参加者全体で採択し、カンバロー三唱した。(Y)

【案内】6.26三里塚・東峰現地行動

 6.26三里塚・東峰現地行動 

日時:6月26日(日)/集会:午後1:30/デモは開拓道路コース

会場:東峰共同出荷場

会場への行き方:京成東成田駅地上 午後12:40に集合 迎え車待機

主催:三里塚空港に反対する連絡会
〒289-1601 千葉県山武郡芝山町香山新田131-4 電話&fax0479-78-0039

京成電鉄

上野駅特急 10:50発→成田駅11:57着 成田駅乗り換え芝山千代田行12:06発→東成田12:12着 (帰りも車に分乗して東成田駅へ)


成田空港30万回発着を中止せよ!航空機騒音拡大・環境破壊を許さない!東峰住民の追い出しをやめろ!一坪共有地・団結小屋裁判の勝利を!すべての原発を停止せよ!TPPに反対する!


manifすべての原発を停止せよ!

 東日本大震災は巨大な津波により、大きな人的被害をもたらし、いまだにその人数が判らないという悲惨な状況である。また、津波によって福島原発の重大な事故が起きた。これはまさに天災によって引き起こされたとは言え、この原因は、100%人災と言ってよい。そもそも「原子力のエネルギーを利用する」ということ事態、人間の思い上がりである。その危険性は最初から指摘され、多くの人々が原発に反対してきた。その闘いを国家権力の暴力とカネの力で圧殺し、しゃにむに建設を進めてきた結果が今起こっている事態である。千葉県下でも放射能物質の飛散により野菜出荷ができなくなったところが出ている。

 原子力行政を進めてきた歴代自民党政権、財界、官僚、政権について原発抑制から大きく推進に舵を切った菅民主党政府も重大な責任がある。民主党政権は経済政策の大きな柱として原発の輸出を据え、ベトナム等への売り込みを行ってきた。経済至上主義のもと国内のみならず外国にまでその危険なエネルギー政策を拡大させようとしていた。

 原発の維持のためには多くの労働者が犠牲になっていることも見逃してはならない。被曝を伴う危険な作業は東電の下請け、孫受請け企業の労働者が従事させられ、実際に命を奪われたり、今後現れてくるであろう被曝による健康上の問題にさいなまれている。今回の事故でも労働者は極限状態の中で復旧作業に従事している。

 自らの飽くなき利潤の追及のために労働者、住民を犠牲にしてはばからない支配者階級を許してはならない。すべての原発を停止せよ!

成田空港30万回発着を中止せよ!

 成田空港は建設当初から住民の意志を無視して一方的に位置決定し、反対する農民に対して有無を言わせずに国家権力の暴力装置機動隊を使って強権的に建設を進めてきた。農地を守り、生活を守る農民とそれを支援する全国の労働者、学生、市民の闘いにより、45年たっても未だに完成することのない空港として存在している。

 成田空港は、アジア諸国の国際空港の整備や羽田空港の国際化が推進され、「アジアのハブ空港としての成田」という目標を実現する上で大きく立ち遅れてしまった。

 首都圏からのアクセスの悪さ、内陸空港ゆえに24時間使用できないという決定的なマイナス要件を抱え、焦る成田空港は年間30万回(現在22万回)発着を目指し、さまざまな策動を行っている。昨年10月、騒音区域の拡大により騒音被害やその補償に不安を抱く住民の反対を押し切って周辺自治体と30万回発着合合意を取り付けた。

 また、新たに平行(B)滑走路の西側に誘導路を建設しようとしている。これによって東峰・天神峰住民は完全に四方を誘導路、滑走路で囲い込まれ、これまで以上の騒音と排気ガスにさいなまれることになる。

 成田国際空港会社は格安航空会社の参入をはかるために専用ターミナルを建設しようとしている。

一坪共有地・団結小屋裁判の勝利を!

 空港会社は現在の空港施設の拡張を図るために、用地内に点在する一坪共有地の強奪を目論み、裁判によって土地を取り上げようと横堀、木の根、東峰の6カ所の共有地の金銭による明け渡しを求める訴訟を2009年9月、千葉地裁に起こした。また、共有運動の現地拠点となっている団結小屋の撤去を求める訴訟も地主を原告として起こさせた。

 共有地裁判は2月、3月と反対同盟・共有者側の証人尋問が行われ、空港会社側の不当性、共有運動の意義などが明らかにされた。裁判は6月に最終意見陳述が行われ、結審を迎える。空港反対、農民追い出しを許さない!裁判闘争に勝利を!

用地内農民と連帯し、6.26三里塚・東峰現地行動に結集して闘い抜こう!農業破壊のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に反対する!

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木の根プール開き準備スタッフ会議
続・木の根物語プロジェクト
プール開きは7月17~18日を予定━
木の根プール開き準備スタッフ会議
6月25日(土)夜。木の根ペンション
木の根プール再開作業
6月26日(日)午前10時
【木の根ペンションへの行き方/連絡先】
京成電鉄東成田駅徒歩5分 成田市木の根宇西口296-3 
TEL:090-4595-6612

【案内】5.28成田プロジェクト「空港と原発―巨大科学技術を考える」

narita 5.28成田プロジェクト

 「空港と原発巨大科学技術を考える」
 講 演 巨大科学技術の時代…………鎌田 慧(ドキュメンタリー作家)

 報告1 福島原発で何が起きたか……伴 英幸(原子力資料情報室共同代表)

 報告2 騒音直下の東峰から…………平野靖識(地球的課題の実験村)

 パネルディスカッション/司会 大野和興(農業ジャーナリスト)/鎌田 慧、伴 英幸、平野靖識、柳川秀夫(三里塚の農民)、石井紀子(三里塚・東峰の農民)

日時:528日(土)/開会200(開場130) 閉会450

会場:コア・いけぶくろ(豊島区民センター) 5階・音楽室(JR山手線池袋駅東口下車 徒歩約5分)/資料代:500

主催:成田プロジェクト 電話 03-3818-1835 ファクス 03-3818-9312 メール narita-pj@pen.co.jp
 

 「いま成田空港で何が起きているのかプロジェクト」(成田プロジェクト)は、来る5月28日に「空港と原発──巨大科学技術を考える」というテーマの集会を行います。

 当初は「成田空港 騒音問題と一坪共有地を考える」というテーマで集会準備をすすめていました。三里塚の東峰地区では、巨大なジェット旅客機が90100デシベルの大騒音をまき散らしながら、農家の頭上わずか40メートルを1分半~2分間隔で舞い降りてきています。そして、成田国際空港会社は強権的に一坪用地を巻き上げようとしているからです。

fukushima4 ところが311東北大震災による多数の死者とたいへんな被害の発生。さらに福島第一原発(16号炉)と第二原発(14機号炉)では炉心溶融、使用済み燃料冷却材喪失事故、水素爆発など予断を許さない危機的状況が続くなか、成田空港問題とともに深刻な原発事故についても考え、巨大な科学技術が私たちに何をもたらしているのかを見つめ直し、これからの未来を考えていくことになりました。

 成田プロジェクトは、二〇〇九年四月にスタートし、成田空港=三里塚問題にこだわりつづける浅井真由美さん(『労働情報』編集長)、大野和興さん(地球的課題の実験村共同代表)、梶川凉子さん(成田バスツアーの会)、鎌田慧さん(ルポライター)、白川真澄さん(『ピープルズ・プラン』編集長)、高木久仁子さん、高橋千代司さん(三里塚一坪共有者)、中里英章さん(成田バスツアーの会)が呼びかけました。三里塚農民との交流成田空港B滑走路による人権・生存権や環境、安全性の問題点航空機事故、騒音・低周波被害、環境汚染、グローバル社会のなかでの空港などの学習会を行ってきました。

 呼びかけ人の鎌田さんは、「青森の六ヶ所村にも通ったが『過激派』を入れると三里塚のようになってしまうとキャンペーンをやられ、住民間で分断しあっていった。延伸されたB滑走路が供用されるが、ジャンボジェット機の轟音はすさまじい。島村家に対して『死ね』というものだ。人道問題として空港会社の暴挙を許してはならない」(〇九年九月/映画『三里塚 第二砦の人々』上映&トーク」)と訴えてきました。

 今回の福島原発事故に対しても、「原発ほどカネで人心を惑わす汚い事業はないですよ。危ない物は1基でも2基でも同じと、地元は次々に受け入れる。毒まんじゅうです」と原発体制によって引き起こされる問題点を批判しています(毎日新聞・特集ワイド/11年4月28日)。

 
さらに「原発反対と書き続けながら大事故を防げなかった。僕も切迫感が足りなかった」と自戒をこめながら反原発運動の取組みに奮闘していく決意を述べています。

 鎌田さんのアピールを受け止めつつ、ともに人権・生存権破壊を許さない取組みを加速させていきましょう。(Y)

【報告】5.7 渋谷・超巨大サウンドデモに1万5千人の大結集

57

 5月7日午後2時、代々木公園内ケヤキ並木にすべての原発の停止を求める数千人の人々が集まった。一万五千人を集めた4.10高円寺サウンドデモを渋谷に再現しようとしたものだ。

 前日の菅総理の「浜岡原発をすべて停止させる」との発表を受けて、「残りの原発も止め、廃炉にしよう、福島など被災者を支援しよう」との訴えがあり、さらに東京電力への怒りとともに、原発企業である東芝、日立、三菱の不買運動や原発推進議員の落選運動の呼びかけもあった。そして、ミュージシャンたちの訴えや演奏も行われた。

 三時からデモ行進が開始した。参加者は若者が目立ち、子ども連れや女性も多かった。ちんどん屋さんやロックバンドなどサウンドカーが先頭に立ち、打楽器・管楽器・弦楽器・笛・ブブゼラなど様々な鳴り物によって、「反原発」の意思をアピールし、渋谷を一周する巨大なデモを行った。主催者によると参加者は増えて一万五千人を超えた。

 ただ、デモは一挺団200人とされ、物切れにされたうえに、警察のサウンドデモに対する規制も厳しく、不当逮捕者がでた。せっかくの巨大な「反原発の意志」が踏みにじられた。次は6月11日の全国反原発統一行動デーに巨大な反原発のうねりをつくりだそう。(M)


 (TBS)


(レイバーネット)


渋谷・原宿で行われた5・7原発やめろデモで4人が逮捕されました(うち2人はその日に釈放)。以下、救援会の声明を転送します。


…………
(転送・転載歓迎)


「5.7原発やめろデモ!!!!! 弾圧救援会」
http://57q.tumblr.com/




5.7原発やめろデモ!!!!! 弾圧救援会声明文


・どんなデモだったのか

2011年5月7日、東京・渋谷で行われた「5.7原発やめろデモ!!!!!」では、15000人を超える参加者を集めるデモ行進がありました。たくさんの人が、それぞれのスタイルで、「原発はいらない」を表現する素敵な行動でした。しかし、警察は大量の機動隊を配置して、デモを妨害し、大量の参加者を細かく分断してしまいました。雨の中、デモ行進は出発だけで3時間もかかってしまうあり様でした。また、機動隊は隊列を取り囲んで身動きが取れないようにしました。他にもまだまだひどいことがあるのですが、ここでは書ききれません。参加者がネット上で様々な立場から異様さを指摘しています。警察の妨害がなければ、デモはもっと自由であったはずです。


・逮捕について

そんな中、4名の参加者が法的な根拠もなく警察に連れ去られました。うち2名はその日のうちに解放されましたが、残る2名は警察の留置場内にいます。警察は公務執行妨害容疑での現行犯逮捕であると言い張っています。そもそもデモ行進に大量の警察官が割り込み、混乱状態を招いておいて公務執行妨害とはまったくおかしな話です。むしろこっちが警察を逮捕してやりたいところです。


・救援会の目的

このような不当な逮捕について、「絶対におかしい!」と思う人があつまり、急遽この救援会を立ち上げました。救援会は、2人を守り、助け出すことを目的にしています。弁護士の面会など法的なサポートはもちろん、差し入れや励ましなどもしていこうと思っています。

今回、原発反対のデモに参加したことで2人は逮捕されています。社会とその価値観が根っこから揺さぶられる一方で非常事態の名のもとに自由が抑圧されている今、政府にとって望ましくない主張をしたからです。思想信条によって人が自由を奪われるようなことが許されてよいはずがありません。

・2人はどんな状態か、これからについて

5月9日現在、2人は原宿署と代々木署に、それぞれ留置されています。逮捕された時に、打撲・擦り傷をおわされたものの、健康状態に問題はないようです。

2人は無実の罪で留置されて取り調べをうけています。日本の警察の取り調べは、弁護士の同席も許さず、密室で行われます。そして、やってもいないことを「自白」するよう強要されるのです。2人はそれにも屈せず、黙秘を貫いています。それが自分や仲間の基本的人権を守る最良の方法だからです。

検察は、起訴しなくても最大23日間にわたり、逮捕した人を留置場に入れておくことができます。それはその人の生活や仕事を破壊するのに十分な時間です。


・逮捕された2人を助け出そう!

これまで述べたように、今回の逮捕はデタラメです。一刻も早く2人を助け出さないといけません。現在、救援会は全力で動いています。しかしながら、私たちだけの力では十分ではありません。多くのみなさんの助けが必要です。救援会は以下のことを要請します。




1. 激励メッセージを送ってください

弁護士が接見を行った時に、みんなのメッセージを見せることができます。文章や絵などを、画像データで救援会のメールアドレスに送ってください。


2. みんなの声を広めよう

今回の不当弾圧は、「反原発」の運動の委縮とイメージダウンを狙ったものです。逮捕がデタラメだということを、ドンドン広めてください。

メディア関係者の人は、どんどんマスコミで発信してください。


3. 救援カンパをお願いします

弁護士費用をはじめ、救援活動には多額の費用が必要となります。どうかカンパをお願いいたします。

郵便振替用紙に「5.7原発やめろデモ!!!!! 弾圧救援会」とお書きいただき、以下へお振り込みください。

 

ゆうちょ振替:
口座番号:00140‐2-750198 口座名称:ミンナノキュー

他銀行からの振込の場合:
019(ゼロイチキュウ)店 当座 0750198


連絡先:
東京都港区新橋2-8-16石田ビル5階(救援連絡センター気付)
tel:03-3591-1301 / fax: 03-3591-3583


メールアドレス:
57nonukyuen@gmail.com

オバマ政権によるビンラディン殺害を糾弾する

real terrorists(戦争ゲームのように虐殺を観戦する米政府首脳)
 
●「裁く」のではなく「殺す」ことだけが目的
 
 五月二日午前一時(現地時間)、パキスタンの首都イスラマバードに近い近郊のアボタバードの住宅地で、米海軍特殊部隊(SEALS)によって編成された約八〇人の部隊が、「イスラム原理主義」テロ組織であるアルカイダの指導者オサマ・ビンラディンへの殺害作戦を敢行した。

 アフガニスタンの基地を発進した二機のヘリコプターがビンラディンの住む邸宅を襲い、ビンラディンとその息子、側近らを銃で殺害した。最初の発表ではその時銃撃戦が起きて射殺したとされていたが、その後の発表ではビンラディンとその家族らは武器をもっておらず、一方的な虐殺であったことを米政府も認めた。ビンラディンの遺体は、米空母に運ばれてアラビア海に投棄された。遺体写真の公開も米国は拒否している。

 この一連の経過から判断する限り、今回の米軍によるビンラディン殺害作戦は、「テロ犯罪容疑者」を逮捕し、裁判にかけることが目的なのではなく、はじめから見せしめと口封じのために「殺す」ことだけを目的にしたものであった。2001年の「9.11」によって当時のブッシュ米政権がアルカイダとアフガニスタン・タリバン政権への「報復戦争」を開始した時点から、米国の目標はビンラディンを「裁く」ことではなく、「抹殺」することだけを目的にしていていた、と言わなければならない。

 今回の作戦は一方的に国境を越えて主権国家パキスタンの領土内に軍の特殊部隊を侵攻させたものであり、かつ無抵抗の「容疑者」の逮捕ではなく、殺害するために発動したものであった。これが国際法にも国際人権法にも違反する犯罪行為=国家テロであることは明らかである。

 アフガニスタンからイラクへと至る米国の「対テロ」戦争は、市民の無差別大量虐殺、アブグレイブやグアンタナモの収容所での凌辱・拷問に示されるようにレイシスト的人道犯罪に貫かれたものだった。今回のビンラディンに対する無法極まる虐殺と死体遺棄行為にも、「対テロ」戦争のレイシスト的本質がくっきりと示されている。

例えば今回の作戦指令においてビンラディンを「ジェロニモ」(白人の侵略に抵抗した米先住民族の指導者)と呼んでいることは、その白人至上主義と先住民族差別の西部劇的価値観の現れである。

われわれはオバマ政権によるビンラディンとその家族虐殺という犯罪を厳しく糾弾する。それはアフガニスタンとイラクにおける米国を中心とした侵略戦争が、いかに不正に満ちたものであるかを明らかにしている。
 

●「対テロ」戦争からの撤退戦略か?



 オバマ米大統領は、自らの責任において発動したビンラディン虐殺=「国家テロリズム」の発動について「パキスタン政府との協力」(しかしパキスタン軍はこの作戦自体については知らされておらず、パキスタン軍・政府にも秘密で米特殊部隊によるビンラディン宅襲撃が決行されたと報じられている)の下で行われたものであり、ビンラディン虐殺によって「正義はなされた」との声明を発表した。潘基文(パンギムン)国連事務総長もオバマと同様に「正義が達成された」と語った。ブッシュの「報復戦争」に同調してアフガニスタンに軍を派遣した西側の帝国主義諸国もほぼ一様にビンラディン殺害作戦を「対テロ戦争」の勝利に向けた区切りとして高く評価している。

日本政府も、小泉政権の下でブッシュのアフガニスタン戦争を全面的に支援し、「テロ特措法」を成立させて自衛隊をインド洋に派兵した。そして菅直人首相は今回の無法きわまるビンラディン殺害について「テロ対策の重要な前進を歓迎する」と称賛する談話を発表した。「9.11」で倒壊したニューヨークの世界貿易センタービル跡の「グラウンドゼロ」では、10年前と同様に市民による「USA! USA!」の愛国主義的興奮が吹き荒れ、オバマ政権の支持率は急上昇している。

 しかし言うまでもなくパキスタンや中東諸国では、民衆の反応は全く異なっている。各国の米大使館前にはビンラディン虐殺に抗議する、大衆的抗議のデモが繰り返されている。パキスタンでは米国に全面的に依存し、無人機によるパキスタンへの越境爆撃・市民の虐殺に対しても暗黙の了解を与えてきた政府・軍首脳に対する批判が拡大しており、軍自身の分解も生じている。

 オバマは「ビンラディン殺害」声明の中で「彼の死は、アルカイダへの戦いにおいて最も重要な偉業だが、これで終わったわけではない」とも訴えている。実際はどうなのだろうか。現実にはオバマの「ビンラディン殺害」声明には、泥沼化したアフガニスタンからも手を引きたいという願望が透けて見えるのではないだろうか。その意味で「ビンラディン殺害」は、「正義の実現」を宣言してアフガニスタンから撤退するための口実づくりと捉えることもできるのではないだろうか。

オバマは2011年中にイラクからの米軍撤退を完了させる計画を立てるとともに、「対テロ戦争」の主戦場と位置づけたアフガニスタンに軍を増派した。しかし米軍・多国籍軍が支援するアフガニスタンのカルザイ政権は、その腐敗・統治能力の欠如によってタリバン勢力の浸透・拡大を抑えることができない。

 今年でまる10年になるアフガニスタン戦争は、GDPに匹敵する米国の深刻な財政赤字の重要な要因となっている、アフガニスタン戦争における米軍の死者は一五〇〇人を超えており、国際治安支援部隊(ISAF)全体では死者数は二五〇〇人近くに達している。アフガニスタン側の死者(武装組織・市民ふくめて)の正確な数は不明だが、おそらく外国軍死者の数十倍となり、それをはるかに上回る難民が生み出されていることは明らかだろう。

 米軍をはじめとする外国軍の投入が続き、占領が長期化すればするほど、アフガニスタン民衆の反占領。反西欧の感情が拡大し、カルザイ政権を不安定化させる結果になることは明らかだろう。またアフガニスタン戦争のパキスタンへの拡大によって、米国にとって「対テロ戦争」の最大の同盟国であるパキスタンにおけるイスラム主義政治勢力の拡大に拍車がかかっていく、それはパキスタンの永続的政情不安を必然化する。

 かくしてオバマ政権によるビンラディンの殺害という犯罪行為は、米帝国主義にとって重荷となった「対テロ」戦争からの「出口戦略」ということもできる。もちろんそれがうまくいく保障はどこにもないのだが。
 

●米国の戦争にも反動的テロリズムにも反対
 
 
 われわれは「9.11」の無差別テロが、帝国主義に対するムスリム労働者民衆の抵抗を表現する正当な闘いの表現ではないこと、ビンラディンやアルカイダに代表される「イスラム原理主義」テロリズムが、ムスリム民衆の民主主義と人権を暴力的に抑圧し、帝国主義の抑圧と搾取に対する闘いの大義に敵対する反動的イデオロギーであると捉えてきた。

 われわれは「テロにも報復戦争にも反対! 市民緊急行動」の一翼を担い、「9.11」の無差別テロに反対するのは帝国主義を擁護するものだという左翼の中に根強く存在する傾向を批判してきた。それはブッシュのアフガニスタン・イラク戦争に反対する広範な運動を、新自由主義と一体となったグローバル資本主義に対する闘いと結びつける上で不可欠の立場であった。

 オバマ米政権によるビンラディン殺害に対する態度に関しても、われわれの態度は基本的に同一である。われわれは国際法の観点から見ても違法きわまる米軍によるビンラディン虐殺を糾弾する。われわれはアメリカ帝国主義とEU・日本など西側陣営によるムスリム諸国民衆への搾取と抑圧、植民地主義とレイシズムを強化する「対テロ」戦争に反対し、アフガニスタンでの侵略・占領の即時終結と撤退を求める。米国に支援されたシオニスト国家イスラエルによるパレスチナ占領の即時終結、入植地の撤廃、難民の帰還の権利を含むパレスチナ民衆の自決権のための闘いを支持する。

 日本政府に対しては、イラク戦争を支持・参戦した経過の事実検証を進める作業を進め、小泉政権の責任を追及しなければならない。海賊対処法の廃止、ソマリア沖・ジブチへの自衛隊派兵をやめよ。

 ビンラディンの虐殺は、そして資本主義の危機の中で吹き荒れるムスリム移民をターゲットにした西側諸国内でのレイシズムは、ムスリム民衆の中で「報復テロ」「自爆テロ」による「西側との闘い」を主張するイスラム主義的テロリズムの流れへの共感を拡大する可能性がある。しかしこうした「西側への抵抗」は、労働者・民衆自身の運動にはなりえない。真に大衆的な反帝国主義闘争の道は、チュニジア、エジプトの革命が示した労働者民衆の民主主義的・社会的運動によってこそ切り開かれるのである。(五月八日 K)

【報告】4・29反「昭和の日」行動

429 4月29日、4・29反「昭和の日」行動がアジア連帯講座、国連・憲法問題研究会、立川自衛隊監視テント村、反天皇制運動連絡会、「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会、靖国・天皇制問題情報センター、連帯社、労働運動活動者評議会の呼びかけで行われ、120人が参加した。行動は、「サンフランシスコ講和条約・日米安保条約調印から60年植民地主義の歴史と現在を問う4・28、4・29連続行動」として取り組まれた。


 前段の集会は、当初、大久保地域センターで開催する予定だったが、会場がこの間の地震の影響で破損し使えなくなったので、急遽、センター付近の小泉夜雲記念公園で行った。


 集会は、実行委の開催挨拶から始まり、「大地震、大津波、原発事故という最悪の事態のなかで5回目の「昭和の日」を迎えた。 昭和天皇ヒロヒトは、自らの名で植民地拡大の戦争を遂行し、敗戦後、天皇と天皇制を守るために沖縄を米軍に売り渡した。それは1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約で固定化された。継続する植民地主義と領土ナショナリズム、解決されない日米安保・米軍基地の問題。「昭和の日」とは、そういった近代日本の歴史と戦後体制の間違い、その結果の現在の矛盾を、天皇制ともども、まるごと肯定しようという記念日に抗議していこう」とアピール。


4291
 彦坂諦さん(作家)は、「この間、天皇が避難所、被災地を慰問した。被災者は、菅首相が来た時は怒りをもって詰め寄ったが、天皇に対しては怒りを現さず『感動』していた。このシーンを見て私は、東京大空襲直後、天皇が車で被災地をまわった時、人々が土下座してひれ伏し、『もうしわけありません。私たちがいたらなかった』と『お詫び』をしているシーンを思い出した。つまり、私たちが個であることを忘れさせてしまうシンボルが天皇なんだ。こういう存在を象徴として置いておくことが日本の諸問題のすべての原因だ。私たちは自分自身で考え、行動ができるようになるためには、このような天皇制という障害物をなくさなければならない」と強調した。


 さらに、「共和制という制度は、例えば、米国でブッシュを生み出してしまう制度だ。しかし、それは選んだ人間の責任がはっきりしている。だから自分たちで変えなければならない。こういう思想が共和制だ。これに対して君主制、日本の天皇制は、権力側にとって一番都合がいい装置だ。ここに切り込まないかぎり私たちは解放されない」と訴えた。


 連帯発言が差別排外主義に反対する連絡会、反安保実、山谷労働者福祉会館活動委、フリーター全般労働組合、福島原発事故緊急会議、靖国・天皇制問題情報センター、共通番号制・コンピューター監視法を考える集会、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、労働運動活動者評議会、女性と天皇制研究会、ヘイトスピーチに反対する会から行われた。


 集会後、デモに移り新宿の沿道の人々に「『昭和の日』反対!」「反天皇制・安保・基地・戦争!」を呼びかけた。デモ終了後、集会宣言(別掲)が読み上げられ、参加者全体で確認した。(Y)

 

●反「昭和の日」集会宣言

 3月11日の東日本大震災の発生、そしてそれに続く東京電力福島第一原発の事故は、経済成長優先の戦後日本社会の歪みを、 はっきりと浮かび上がらせた。


 天皇アキヒトは、3月16日に「皆がいたわりあって、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています」というビデオ メッセージを出した。さらに天皇夫妻は3月30日の東京武 道館での「被災者慰問」を皮切りに、埼玉県や千葉県、茨城県の避難所 や被災地を訪問した。そして連休の時期には、東北3県の被災地 を歴訪することも計画されている。また、皇太子夫妻や秋篠宮夫妻も、 それぞれ避難所を訪問して回った。


 こうした天皇らの動きを、マスコミは、被災者に想いを寄せ、慰め、 祈り、元気づけるために奔走する「陛下の慈愛」として美しく描き出し ている。しかし私たちは、こうした動きは、被災した人びとを利用する ことで、常に「人びとに寄添うお優しい天皇」というイメージを演出していく天皇一族のパフォーマンスであると断じざるを得ない。これまで も天皇夫妻は、さまざまな災害の被災地や、戦争で多くの人命が失われた地に赴き、そのような立ち振る舞いを続けてきた。


 被災者に対する慰問それ自体は、一概に否定できないのではないかという声も聞こえる。しかし、天皇が動くことで、それを受け入れる側の自治体は、大きな負担を強いられる。天皇警備も厳重だ。皇太子夫妻が都内の避難所を訪問した際、沿道から「来るな、帰れ」と叫んだ青年は、公務執行妨害罪で逮捕され、3日にわたって警察に拘束された。天皇に対する批判的な声は、メディアには決して登場しない。天皇制は人びとを序列化し、排除と包摂によって選別するシステムであり続 けている。


 そればかりではない。天皇とは、憲法で規定された国家の一機構である。にもかかわらず、現実の政治とは無関係に存在しているというタテ マエに立つことによって、あらゆる政治責任から免れていく。したがって、政権は批判されても、天皇は批判されることがない。深い悲しみや喪失感に襲われているだろう人びとに対して、天皇は、「日本はあなたを忘れてはいない」というメッセージをそこで発するのである。それはまさしく、人びとの内面に、天皇をつうじた国家の政治が浸透するということなのだ。天皇が象徴する漠然としたニッポンという共同性の中に、人びとが包摂されていく。それは、「日の丸」をアイコンにした「がんばろう日本!」という「復興ナショナリズム」と歩調を合わせるものであり、当然あるべき責任者への追及や怒りの声を融和し、これまでとは違ったかたちでの生活と社会の再建を図っていこうとする試みをも、国家主導の方向に再び回収していく役割を果たすだろう。


 こうした天皇の動きに、私たちは昭和天皇ヒロヒトの「玉音放送」から「戦後巡幸」という一連の行動を重ね合わせないではいられない。それは戦後、象徴天皇制として天皇制を「国民」のなかに再確立していくための儀式でもあった。戦後天皇制の変容は、日本の敗戦帝国主義としての再編と軌を一にしている。アジアへの植民地支配と侵略戦争を通じてかたちづくられた大日本帝国は、冷戦=サンフランシスコ条約体制の確立をとおして、日米安保体制を柱とする、アメリカの支配体制に内属する戦後国家へと変容したのだ。そして、「沖縄メッセージ」に端的に表われているように、この戦後国家の確立に際して、天皇は重要な政治的役割を果たした。


 それは、現在も続いている。天皇が千葉の被災地を訪問した直後の 4月17日、来日したクリントン国務長官は、皇居で天皇夫妻と 「懇談」した。皇后ミチコは、クリントンと手をつないでみせた。「思 いやり予算」を見直し、それを被災者に回せといったあたりまえの議論 は、「トモダチ作戦」の賛美のなかで消し去られ、今後5年間に毎年1880億円が支払われることが決まったが、天皇夫妻のこの行動は、このような「日米同盟」を追認する儀礼行為であり、その親密さを演出したものにほかならない。


 「危機」の時代に登場し、主体的にふるまう天皇の姿。それは徹頭徹尾、時どきの支配秩序に適合的なかたちで、「日本国家」を再建していくための行動にほかならない。継続する植民地主義と領土ナショナリズム、排外主義と日米安保・「沖縄問題」など、この間私たちも追及してきた運動課題とともに、今現在進みつつある新たな天皇制攻撃に対しても注目し、ともに批判の運動を強めていこう。

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