公園の改修は地域住民のためとされてきたが、改修されたB工区(五渡庭園)は全ての入り口に鉄製のゲートが設置され、朝10時から、夕方4時までしか開けないとの事で、公園の他のエリアも夜間は閉じるという。工事が終了したのに公園の封鎖は解かれていないのだ。
野宿の人たちを排除するために公園の改修が行われている。差別の鋼板を撤去して公園封鎖を止めろと訴えた。
6日の鋼板フェンス設置を受けての緊急の呼びかけにも関わらず、40人の仲間が結集し、亀戸一周のデモに出発した。デモ中にはこの日のために用意したビラを沿道で撒いたが、注目度は高く、次々と受け取られていく。
解散地では三鷹や、立川など遠方より駆けつけてくれた仲間の発言を受け、亀戸駅に移動し、情宣を行った。
午後からは月1回行っている「竪川カフェ」今回は先月好評だった南條直子「山谷への回廊」写真展をもう一度行った。ゲストは七十年代に山谷の活動に関わっていたという救援連絡センターの宇賀神さん。
仲間たちが交流していると、五渡庭園を見に行った仲間が戻ってきて「コイが死んでるぞ!」と報告。この日は開園の式典があり、子供たちによるコイの放流があって、数百匹のコイが庭園の中の池に放流されたが、それがほとんど死んでしまっており、放流した子供たちがショックで泣いているという。
かつて水道屋さんで働いていた仲間によると、打ち立てのコンクリートの池にすぐに魚などを放流しては死んでしまうという事だ。その仲間の見立てによると浄水施設も、「ありゃ、かなり業者にボラレてるな。」との事である。
五渡庭園を夜間封鎖する事の根拠を江東区土木部は「コイがいるから」としていたのであるが、そのコイが死んでしまったのだ。逆に言うと公園を封鎖するためにはこの日にコイを池に入れる必要があったのだ。
竪川河川敷公園は首都高小松川線の下に河川を暗渠にして埋め立てた約4キロに及ぶ細長い公園で、地域住民の通勤通学路であり、散歩道となっていた。それがスカイツリーに来た海外の観光客を呼び込もうと、グロテスクな、まるで「昔のアメリカ映画に出てきたトンデモな日本」のような日本庭園へと改修された姿はあまりにも痛々しいだけではなく、地域住民のニーズにも全く合致していないはずだ。
そして、仲間たちが今まで利用していた五の橋の脇にあるトイレ(野宿の仲間が毎日清掃していた)も秋以降に3ヶ月かけて改修工事が行われる予定であるという。
江東区とは6月以降3回にわたって話し合いが続けられ今も続いているが、区は野宿者排除の姿勢を全く崩していない。
(板)