虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

【イタリア】国民投票における民衆の勝利

イタリア国民投票についての翻訳を送ります。
ここでは脱原発よりも水道民営化反対の勝利の方に焦点が当てられています。
 


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インターナショナル・ビューポイント6月号 IV Online magazine : IV437 - June 2011


イタリア国民投票 われわれはラディカルな動員を通じてベルルスコーニを政治的に敗北させた

公共水道委員会万歳!
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2182


 イタリアで、6月12日、13日に水道サービスの民営化容認法案撤廃、原子力エネルギーへの回帰容認規定と刑事司法手続き(とりわけ首相の起訴免除条項)の撤回をめぐる国民投票が行われた。登録有権者の五五%が投票し、国民投票結果を有効なものとする50%規定に到達した。以前の六回の国民投票はこ50%に達しなかったのである。水道、原子力などの国民投票課題に九五%、すなわち約2600万人が賛成投票した。ベルルスコーニが支配するメディアの報道は故意に関心を向けさせず、政府与党は有効投票基準を満たさないようにするために、支持者に対して反対票を投じるのではなく棄権するよう促したのであった。(「インターナショナルビューポイント」編集部)



批判的左翼(SC)全国執行委員会を代表したフラビア・ダンジェリとエミリアーノ・ビティの声明



 国民投票の結果は、政治情勢の歴史的転換を示している。民衆の投票はベルルスコーニの時代に終止符を打った。彼は自由市場政策のチャンピオンである。したがってこの結果は、民営化政策と「共同の財貨(コモン・グッド)」に対する市場の優位の敗北でもある。「われわれの生は利潤よちも価値がある」というスローガンは、本日のイタリア国民投票の結果において意義深いものがある。一つの局面が終わった。ベルルスコーニは国民投票を通じた民主主義的動員によって打ち負かされた。これは国民投票が直接民主主義の枠組み以上のものを提供した典型的なケースである。

 決定的な役割、そして幾つかの点で歴史的な役割を果たした、以前にはなかった政治的主体――公共水道委員会――の役割に焦点を当てることが重要である。かれらはメディアの注目からはずれたところで活動していたが、国民投票の引き金となるこれまでで最大の署名を集めた。この委員会は、水の配分を公共的に管理するための政治的要求に基づいたキャンペーンを専門的にかつ一貫して繰り広げた。

民主党(PD――主要な社会民主主義野党、旧イタリア共産党の後身である左翼民主党が中心になって作った政党)はかれらに反対した。民主党は、自分たちがすでに水道を民営化していた「赤い地域」(旧共産党の拠点だったボローニャなどを中心とした地方)の投票結果に示された鮮明なメッセージに耳を傾けなければならない。IDV(ディ・ピエトロが指導する「道徳的価値のイタリア党」)もまた公共水道委員会に反対した。

今日この二党は、投票結果に大喜びしている。しかし委員会を代表する者は誰もTV番組に招かれなかった。本日の勝利はかれら委員会の勝利である。TAV反対グループ(高速鉄道反対運動)のような、利潤とカネの圧倒的な力に反対してきた運動にとって、今日は偉大な日である。こうしたキャンペーンを統一した運動に結集させたあらゆるイニシアチブ――ゴミの廃棄・焼却、地方税、高速鉄道網に反対する運動――は喜んで受け入れられるべきであり、批判的左翼はその目標のために休むことなく活動するだろう。

この勝利は、伝統的、制度的諸政党の政治についてわれわれに教えてくれる。この闘いが勝利したのは民衆が大きく結集したためであり、そこには地域や職場で遂行された熱情的でラディカルな活動があり、そして活動家たちが特定の課題を取り上げ、戦略を打ち立てることができたためである。それはラディカルな要求が勝利しうることを立証した。エマ・マルセガグリア(イタリア産業連盟会長)や、原子力で大儲けし水道を民営化したいと願っていたすべての産業は、ベルルスコーニとともに敗北した。もちろんこの同じ連中が、今や再生可能エネルギー部門に参入しようとしている! 鮮明にラディカルで反資本主義的でエコロジカルな左翼は可能であり、その役割は民主党や中道左派勢力が描く軌道に従属したものであってはならない。

今やわれわれの戦略的な政治プロジェクトは大きな勢いを得ることになった。

(フラビア・ダンジェリはイタリア批判的左翼の指導部メンバーで全国スポークスパースンであり、第四インターナショナルの指導部メンバー。エミリアーノ・ビティはイタリア批判的左翼の指導部メンバー)



(「インターナショナルビューポイント」2011年6月号)
 

【脱原発100万人アクション】横浜・桜木町駅前広場を3000人が埋め尽くす



脱原発100万人アクションは横浜・桜木町駅前広場を3000人の参加者が埋め尽くしデモに出発した。デモの前と解散後に集会はおこなわれなかったが、雨がようやく上がった街頭に意思表示をおこなった。

隊列は横須賀月例デモでおなじみのよろずピースバンドを先頭とするてい団、宣伝カーと共にシュプレヒコールを流す隊列、サウンドカーはラテンのリズムにのせて踊る一隊とロックバンドの生演奏で脱原発を訴える一隊とがあり、いずれも原発を許さないという熱気と使命感に包まれていた。

デモ行進のコースは桜木町駅からまっすぐ西に向かい、横浜スタジアムにぶつかって左折し、山下公園で解散するというものだ。落ち着いた通りが多いため、若い人をサウンドカーに巻き込むことが出来なかったのは残念でもあるが、反面、静かに歩いていた人たちが東電神奈川支店のビルの前で一転猛烈な抗議の声を浴びせていたために、原発事故の被害拡大に対する怒りの根深さは際立って感じられた。

また反原発で話題の山本太郎氏が、芝居の稽古の合間を縫ってデモ出発前に簡単な発言をした。同じ日に神奈川県とその周辺では鎌倉、秦野、横須賀、町田で街頭行動がおこなわれた。

(海)

「6・11原発いらね!郡山パレード」に350人

 【福島】東日本大震災から三カ月目の6月11日、脱原発100万人アクションに呼応して福島県郡山市でも「6・11原発いらね!郡山パレード」(主催、実行委員会)が行われた。会場の郡山駅西口広場に約350人が集まった。


▲渋谷~郡山~広島

 パレードに先立って正午から開かれた集会では実行委の黒田節子代表世話人が「世界中の原発を廃炉へ、福島から声をあげていこう」と呼びかけた。参加者からの一分間アピールが続いた後、脱原発福島ネットワーク代表でいわき市議の佐藤和良さんや前郡山市議の駒崎ゆき子さんらが東電・国の責任と補償、脱原発社会に向けた行動などを訴えた後、「子どもを放射能から守る措置」や「原発推進キャンペーンに反対」する内容を盛り込んだ宣言を行い、集会の最後に参加者全員で「ウィ シャル オーバーカム(勝利の日まで)」を合唱してパレードに移った。

 サキソフォンと太鼓による「会津磐梯山」が小気味よく奏でられてパレードの人々を元気づけ、道行く人々も注目する。それぞれの思いを込めた横断幕が、プラカードが揺れる。「原発いらない」「ふるさとを返せ」「東電は補償せよ」。ビルの中から手を振ってくれる人々、通りかかった若者たちも拍手で、手を振って、Vサインでこたえる。

 集会時には小雨が降っていたものの、パレードが始まるとともに晴れ上がり、国道4号を経由して再び駅前まで戻るパレードは歌あり、賑やかな楽器の演奏あり、シュプレヒコールありの行動日となった。(M)

6・11脱原発 世界同日アクション原発いらん!関西行動第二弾 -関電は原子力からの撤退を-

611osaka【大阪】集まろう!中之島へ、届けよう!原発やめての声を。原発いらん!関西行動(第二弾)が6月11日大阪中之島剣先公園に4000人を集めて開かれた。早朝までの大雨はウソのように止み、集会にふさわしい日和となった。四月一六日に次ぐ第二弾の集会は、ストップ・ザ・もんじゅ、美浜・大阪・高浜原発に反対する大阪の会、若狭連帯行動ネットワークなど大阪、京都、滋賀、和歌山、奈良で活動する反原発10団体の呼びかけで開かれた。

 池島さん(ストップ・ザ・もんじゅ)は主催者あいさつで、関西の114団体が賛同したこと、福島原発事故は三ヶ月たった今も少しも収束していないこと、福島からメッセージをもらっていること、四月の行動では22万円のカンパが集まり経費を差し引いた15万円を福島の子どもたちを守るためにカンパしたことを述べ、新たにカンパを訴えた。また集会と並行して関電への申し入れを行うことを報告し、脱原発社会のための運動を継続しようと訴えた。

 若狭から参加した中島哲演さん(若狭ネット)は、「大きいことは良いことだのかけ声の下、大量生産、大量輸送、大量消費、そして大量投棄。その結果の自然破壊。その象徴が巨大原発群だ。若狭の原発は四〇年間に四五万人もの被曝労働者を生み出した。政府・電力会社は第二、第三の福島原発事故を引き起こすつもりか。もういい加減に原発は止めようではないか。安心して若狭の海で泳ぐことができるよう、安心して若狭の海の幸を関西の台所に届けられるようにしてほしい。若狭市議会は脱原発を国に求める決議を全会一致で可決した。関西の皆さん、若狭の原発を止めても本当に大丈夫なのだということをもう一度調べて証明してほしい。関西圏の消費電力の55%は若狭の原発によってまかなわれている。もんじゅ・ふげん以外の若狭の11の原発の生産する年間電力量は620億キロワット時だが、現地の住民が消費した電力は六億キロワット時にすぎない。関西の消費電力の需給関係の実態を調べ上げてほしい。若狭から30キロメートルの距離にある関西の水甕、琵琶湖の水を守ろう。避難所にもなる緑地帯を増やしていこう。最後に、国のシステムを変えていく眼目の一つに、自衛隊を軍事的な組織から災害救助隊へ、憲法九条にふさわしい組織につくりかえていこう」と、僧侶の服装で訴えた。

  「原発事故から子どもたちを守る福島ネットワーク」からのメッセージを美浜・大阪・高浜原発に反対する大阪の会が代読した。メッセージは、学童疎開の一大国民運動を訴えていた。

 続いて、集会アピール(福島原発のような事故は今後どこでも起こりうる、福島原発事故は現在進行形であることを関電はきちんと受け止めよ、電力各社、政府は責任を自覚せよ、脱原発を目指して闘い、原発のない社会を目指そう)が読み上げられ、拍手で確認された。


 
  最後に、国会議員の宮本猛さん(共産)、服部良一さん(社民)があいさつをし、辻恵さん(民主)と山本太郎さん(俳優)のメッセージが紹介され集会を終えた。そして、順次御堂筋デモに移り、約六キロの道のりを三時間かけてなんばまでデモを敢行した。(T・T)

【報告】6.11脱原発100万人アクション・東京

6111  6月11日、東京芝公園23号地で、「6・11脱原発100万人アクション・東京―くり返すな! 原発震災 つくろう! 脱原発社会」が原水爆禁止日本国民会議、プルトニウムなんていらないよ!東京、原子力資料情報室、日本消費者連盟、ふぇみん婦人民主クラブ、たんぽぽ舎、福島老朽原発を考える会の呼びかけによって開かれた。朝方は激しい雨が降り、天気が心配されたが集会開催時には小雨になり、デモに出発する時は夏の好天気となった。福島原発震災から三カ月、全国各地域の人々とともに、脱原発を求める百万人アクションの一環として取り組まれ、会場を埋め尽くす6000人が集まった。

 福島郡山からバスで40人がかけつけ、全労協が新しく作った「反原発」ののぼり旗を作り林立させた。芝工大全学闘、日大全共闘、明大土曜会の旗、大震災義援!ウシトラ旅団、団塊世代など様々な世代、市民グループが参加した。

6115 集会は原水爆禁止日本国民会議の藤本泰成事務局長が「政府はウソといつわりでここまで原発政策をやってきたし、福島事故後も同じだ。原発を日本、地球からなくさないといけない」と述べた。さらに、藤本さんは、「五月に水俣病患者たちと会った時、水俣病患者たちは『経済優先が悲惨な水俣を生んだ。今度は福島を生んだ。命がなぜこんなに軽んじられるのか』と訴えていた。私たち原水禁は命の問題を出発点としてヒロシマ・ナガサキを取り組んできた。もう命を軽んじる社会・政治を許してはならない。命を基本とする社会を作ろう」と主催者あいさつをした。

 司会者から、今日の行動が日本108カ所、世界11カ国・20カ所で取り組まれていることが報告された。

 次に、伴英幸さん(原子力資料情報室)が「福島原発の現状」を報告した。

 「東電はウラン燃料の一部が損傷したのみと事故の小ささを発表したが、二カ月経ってから全面的なメルトダウン、あるいはメルトスルーだと極端な報告をした。メルトスルーとは原子炉・圧力容器が壊れ、ウラン燃料が圧力容器の下に落ちていくということで、今は冷却水で冷やされているから、これ以上の爆発は起こらないとされている。しかし、これは図上の解析で行っているのみで、近づくことさえできないので真相は分からない」。

 「東電は事故収束に向けてロードマップを発表した。燃料が溶けているので、冷やすために水を一杯入れて、水棺を作ろうとやりはじめた。しかし、一号機では水が入っていかず、水が漏れて、建屋の下に溜まっている。他の原子炉は手つかずだ。そして、放射能除去装置が動き始めた。成功すればかろうじて冷却できる。しかしこれも放射能をなくすわけではなく、高濃度の放射能を作り出す。それをどうするか、決まっているわけではない。そうしか対応できない」。

 「汚染は広範囲に進んでいる。東京でもホットスポットが出ているし、静岡のお茶にまで広がっている。もちろん、地元はもっとひどい。さらに、海への汚染も続いている。これから台風の季節がくる。非常に危険な状況になる。4号炉のプールにウラン燃料が保存されているが、この水が漏れたら、再び大きな事故につながっていく」。

 「政府・企業は原発を続けていこうとしている。現在、原発の三七基が止まっている。運転再開を認めていいのか。どの原発も福島と同じことが起きる。当面の課題は稼働中の原発を止めていくことである」。

 子どもたちの浴びる線量を二〇ミリシーベルトと定めた文科省と闘ってきた阪上武さん(福島老朽原発を考える会)が、福島郡山からかけつけ東電への申し入れ行動を行い参加した四〇人の仲間たちを紹介した。鈴木浩行さん(福島県教組郡山支部書記長)が「二日間で二ミリシーベルトになる。放射線量を測り、それを毎日FAXニュースにして流して、対応をとっている。子どもたちを放射能から守らなければならない」と訴えた。

 佐藤さん(男性)は「バスで東京に来るとき、放射線測定器を持ってきて、ところどころで測った。郡山とほとんど変わらない。東電前の樹木も〇・二マイクロシーベルトあった。放射能汚染問題は決して福島だけの問題ではなく日本全体の問題だ。原発があるかぎり、第二・第三の福島が出てくる。必ず、原発をやめさせよう」と語った。

 福島に親族がいるという東京在住の女性が「絶望と恐怖、喪失感があり、訴えたい気持ちはあるがそれができないと言う。それならばということで、首都圏在住の福島出身者が6・26福島アクションを成功させ隊をつくった。6月26日(日)午後一時半、福島県庁前広場(福島市)、『県都福島から声をあげよう!立ち上がろう! グッバイ原発!さようなら放射能 一万人ハンカチパレード』」を呼びかけた。

 渡辺さん(28歳、男性)が「空気、地面が汚染されている。これが『現実なんだな』と思う。原発事故の収束は東電ではできない。行動するしか変わらない。『Are You Ready? FUKUSHIMA』のTシャツ(三千円)を作った。ぜひ買って欲しい。行動しよう」と訴えた。

 東京在住の女性が「一人ひとりが今変えていかなければ世界は終わってしまう。動物たちが餓死していっている。殺さなければいけなくなっている。動物たちを生かす『フォーム・サンクチュア計画』を行っている。皆で動物を助けよう」と訴えた。

 阪上武さんが「二〇ミリシーベルト問題で文科省は一ミリシーベルトをめざすとしたが、内部被曝は対象にしない、学校の外は配慮しないなど、問題がいっぱいだ。子どもたちの疎開・避難を援助していきたい。今、緊急に行わなければならないのは、山下俊一長崎大教授によって行われている『一〇〇ミリシーベルトまで安全だ』というアドバイザー活動だ。彼を解任しなければならない。ネットでも署名運動を始めた」と報告した。

 阿部宗悦さん(85歳、宮城県・女川原発反対同盟)が原発との闘いを報告し、のどが痛むということでメッセージが代読された。

 「幸福とはすべての人たちの幸福を追求することだ。私は復員して後、原爆投下後の広島と長崎を訪れた。その惨状はものすごいものだった。原子力に平和利用などありえないと思った。原子力の平和利用と言って原発を推進してきた歴代の自民党政権に怒りを持ち、全国を巡り原発断固反対の運動を作ってきた。そして裁判闘争も行った。今度の福島原発の事故を受け、自民・公明などを裁判で訴えたい」。

 小笠原厚子さん(青森県大間・あさこハウス/大間原発の建設差し止め訴訟原告)が建設中の大間原発について語った。

 「大間原発は2005年着工、2010年稼働計画だったが、原子炉から五〇mの敷地のど真ん中に母(故熊谷あさ子)の土地があり売らなかった。そのため200m移動して原子炉設置許可申請をした。 大間原発は、2008年に建設工事を開始し、原子炉はとりつけたが燃料棒は入っていない。計画では2013年試運転開始予定だが稼働させない。大間原発の炉心予定地から約300メートルの所に『あさこはうす』がある。『あさこはうす』は、母が大間の海は宝の海と語り土地を売ることを拒否し続けたが建てたログハウスだ。この『あさこはうす』を使わないと道路が封鎖される可能性がある。郵便物や宅配物が届くと『あさこはうす』に配達してくれる。ぜひ郵便物を出してほしい(〒〇三九―四六〇一 青森県下北郡大間町字小奥戸三九六あさこはうす 小笠原厚子)。これから私が守っていく」。

 最後に、呼びかけ団体の日本消費者連盟、ふぇみん婦人民主クラブ、たんぽぽ舎から訴えがあり、東電本社前での抗議を行い、銀座を通り東京駅先まで長いデモを行った。

6112 この後、渋谷パレード、新宿サウンドデモを行ったグループとも新宿東口アルタ前に合流し、午後六時から宣伝活動を行った。合流するデモは午後七時過ぎても終わらなかった。JR新宿駅東口は1960年代後半の闘いの時のように、一万人以上が集まり、暑い熱気に包まれ巨大な反原発の大合唱で埋め尽くされた。さらなる闘いの炎を!(M)






▲TBSでLIVE中継された「新宿タハリール広場」



▲解放感あふれる新宿デモと夜の街頭アピール

【三里塚】一坪共有地裁判 第二次カンパにご協力を

hitotubo一坪共有地裁判 第二次カンパにご協力を
一坪共有地の強奪・団結小屋破壊を許さない

 3月11日に起きた東日本大震災は大津波を伴い甚大な被害をもたらしました。被害に逢われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 今回被害があった東北地方にも多くの一坪共有者がおられ安否が気がかりです。

 福島原発の事故の発生、その後の東電、菅民主党政権の対応のでたらめさはさらに被害を拡大しています。

 また未だに万単位の被災した住民の方々が不便な避難所での生活を余儀なくされています。そうした中で環境の劣悪さ、医療の不備などが原因で高齢者、病気を抱える人たちが亡くなったり、症状を悪化させるという事態が進んでいます。

 何よりも優先しなければならない住民の生命を守るということがないがしろにされているように思われます。

 政府のやっている「復興」とは住民の健康、生活を第一にするのではなく、経済優先の産業復興とそのための基盤整備、社会再編にほかなりません。政府は大企業をはじめとする資本と、それに連なる利害集団のために政策を遂行するという国家の本質が改めて明らかになりました。

 原発の問題にはそれが如実に現れています。国策として進められてきた原発推進の結果、放射性物質の拡散により地元住民を犠牲にし、さらに広範囲に被害が及んでいます。放射能は確実に子どもたちの健康に影響を及ぼします。政府の出した放射線量の規定の根拠など全く信用に値いしないものです。目先の利益のために子どもたちに犠牲を負わせる許しがたい暴挙といえます。

 われわれは国策としての空港建設に反対した歴史の中で国家の本質を知り、その構造、手口を学んできました。裁判所さえもその一角であることを思い知らされてきました。それ故一層裁判闘争で負けるわけにはいきません。

 司法権力を使って一坪共有地を強奪・団結小屋の破壊を目論む空港会社の策動を断固粉砕しなければなりません。裁判の結果は予断を許せません。いかなる結果になろうとも上告審まで闘うことは必至です。

 全国の皆様から寄せられた裁判闘争資金カンパは現在約170万円に達しました。しかし、共有地4件、団結小屋の裁判にかかった費用はすでに200万円近くになり、またニュースレターの発行4回の経費など大幅な赤字となっています。

 地震の被災地に支援のカンパを集中しなければならない折、まことに心苦しい思いですが、裁判闘争勝利のためカンパをお願いします。

    大地共有委員会(Ⅱ)

   一口:2000円

連絡先:〒289―1601 
千葉県山武郡芝山町香山新田131―4 
電話&fax0479―78―0039
振替口座:00290―1―100426 大地共有委員会(Ⅱ)

木の根プール再開へ 7月17日プール開きに集まろう

kininepool【大地共有委員会ニュースレター5号(発行:三里塚芝山連合空港反対同盟大地共有委員会(Ⅱ))から転載】
 

木の根プール再開へ
7月17日プール開きに集まろう
 
大森武徳(続・木の根物語プロジェクト)

 
 「続・木の根物語プロジェクト」です。木の根プール再開を一つの目標に昨年夏に始めました。昨年から数人で水抜き・泥かき作業などを続けてきました。今年に入ってから、皆さんのおかげで作業も大分進んできました。

 4月30日~5月2日には10人が参加して集中作業を行い、木の根ペンション裏に重機を入れて、古くなって傾いていた脱衣室の解体、プール周辺の整地、草刈、雑木の除去、はしごの錆び落としなどを行いました。強風でしたが、作業は順調に進み、プールの周り、ペンションの前と裏はきれいになりました。

 5月14~15日にはプール内側のクラック補修、伐採した雑木での薪作り、産廃の分別、鉄くず搬送、2棟あったポンプ小屋とタンクの撤去を行いました。残ったポンプは小さな覆いを作って覆っています。

 今後の作業として、プール底のブラシかけ、産廃の選別・搬送、ポンプ小屋の基礎の撤去、伐採した木の根の撤去作業を予定しています。

 多くの皆さんから、プール再開カンパをいただきました。ありがとうございます。いただいたカンパはプールの内装などに使います。

 木の根は三里塚闘争の原点。東峰・天神峰が騒音問題で厳しい闘いを強いられる中で、木の根は少しほっとできる場所にしたい。空港に囲まれてはいるが、肩身を狭くする必要はない。ゆっくりできて、なおかつ三里塚闘争の今がわかる場所。そういう場所作りをしていきたい。私は9・16、3・26を戦った先輩たちには遠く及びませんが、木の根で生活して何か残せるものがあればいいなと思っています。

 7月17日のプール開きではイベント、ミニライブなどを考えています。続・木の根物語プロジェクトではプール開きに向けて、ほぼ毎週の作業、6月25~26日午前にはプール開きのスタッフ会議と作業を予定しています。ぜひ木の根に集まってください。



 【連絡先】
〒286―0105
千葉県成田市木の根字西口296―3 木の根ペンション内 続・木の根物語プロジェクト 
℡090―4595―6612

報告:6.4アジ連公開講座「中東民衆革命はどこへ」

64 6月4日、アジア連帯講座は、東京・コアいけぶくろで「中東民衆革命はどこへ」と題する講座を行った。1月14日、チュニジアで二三年間続いたベン・アリ政権は、民衆決起で打倒され逃亡した。2月にはエジプト民衆は、30年続いたムバーラク政権を崩壊させた。この民衆革命の波は、イエメン、バーレーン、リビア、シリアなどへとアラブ世界に波及していった。一連のアラブ民衆の闘いをいかにとらえるのかという観点から湯川順夫さん(翻訳家)、田浪亜央江さん(パレスチナ研究)を講師として招き問題提起してもらった。

 開催にあたって司会は、「3・11東日本大震災と福島第一原発事故以降、中東の報道が少なくなってしまった。しかし、現在進行形でチュニジア、エジプトにおいて政権打倒後、支配者たちと民衆の攻防は続いている。中東全体で見ればリビア、シリアなどでも民衆の闘いが波及し、厳しい闘いが展開されている。中東の民衆革命は、歴史的には非常に大きな出来事であり、世界のあり方を変える兆しを垣間見せているのではないか」と指摘した。



湯川報告



 湯川さんは、「チュニジアから始まった革命の波の意味するもの」について報告した。


 第一は、「民衆の決起と『イスラム主義』の関係」についてアプローチし、「イスラム主義が前面に出ていない」と評価した。

 つまり、「今回の運動は、前段の闘争がすでに始まっていた成果なのだ。グローバリゼーションに抵抗する運動、2000年のパレスチナの第二次インティファーダとの連帯闘争、2003年のイラク反戦運動、2006年以降の労働者のストライキ闘争の闘いを積み上げてきた。アラブ世界の中では、社会の中で労働者階級が相対的により大きな位置を占めるチュニジア、エジプトから運動が始まったのもそのような意味をもつものである。さらに女性の大きな役割があった。タハリール広場で男女が平等に討論し、同じ場所で食事、寝泊りし闘った。エジプトでは『ムスリムとキリスト教徒はひとつ、モスクと教会はひとつ』というスローガンがかかげられた。ムバラク体制からの弾圧に対するイスラム教徒とコプト教徒との共同の闘いも実現した」と提起した。

 そのうえで「テロを展開する『イスラム原理主義』の流れは、現実の大衆、社会との接点ないため影響力はなかった。大衆の中に基盤をおく『イスラム主義』(ヒズボラ、ハマス、ムスリム同胞団)は、事態の圧力に押し流されているだけでイニシアチブを発揮できていない」と分析した。

 第二は、アラブにおける運動の特徴について。

 「闘いの担い手は、若者、労働者、女性だった。自由と民主主義、社会・経済的要求(食品価格の暴騰、賃上げ)を掲げた。インターネットや携帯などの新しい情報媒体を活用した。中間総括的にまとめれば民衆の闘いは、アラブ各国の独裁体制のもとで推進されてきた新自由主義のグローバリゼーションの破綻と矛盾の噴出だ。先進国はいずれもこうした独裁政権を支持し支えてきた。グローバリゼーションが生み出したアラブにおける民衆の運動にタイムラグはあるが、世界社会フォーラムに象徴されるグローバリゼーションに抵抗する全世界的な社会運動の成果である。要するに新自由主義政策は、アラブの民衆に何らの恩恵をもたらさなかった」と結論づけた。

 「今回のアラブ全域への民衆の決起の拡大は、アラブ民族主義の新たな形での復活である。同時に、このアラブ民族主義のバックボーンのひとつをなしているのはパレスチナである。パレスチナ解放はアラブ民衆の共通の悲願であり、パレスチナ解放闘争への支援はアラブ大衆をひとつに結集させる巨大な吸引力をもっている。 アラブ各国における民主主義が前進すればす
るほど、各国で民意が反映されるようになればなるほど、パレスチナ解放闘争に対するアラブの大衆動員は強まりこそすれ、弱まることなどまったくない」と強調した。

 「チュニジア、エジプトの今後の闘いの展望」について「社会経済的要求を掲げた労働者の運動に対抗する『秩序の回復』、『平和的移行』を主張する軍、ブルジョアジー、それを後押しする国際帝国主義という対立構造の出現している。リビアの帰趨が他のアラブ諸国における攻防に大きな影響を及ぼす。予断を許さない局面が続いている」とまとめた。
 

田浪報告
 

 田浪さんは、「アラブ民衆革命とパレスチナ」というテーマで報告。冒頭、2月にパレスチナに滞在中、民衆がエジプト革命成功を祝う夕べの模様などを紹介した。

 分析視点の第一として「民衆蜂起の理由を生み出したパレスチナ情勢」と設定した。


 「エジプト政府がガザ封鎖に手を貸し、積極的にパレスチナ民衆の生活を破壊していた。エジプトの民衆は、このような政府を許さず状況の煮詰まりが爆発していったといえる。一九七九年にエジプトはイスラエルとの和平条約を結んだが、エジプト民衆はその30周年にあたって『エジプトには何もメリットがなかった』という総括をしている。そもそも戦争条約だったという評価だ。これまでのアラブ民雌雄の無力感、閉塞感の自覚、国内経済状況の悪化と失業増大問題などが重なり合った」と提起した。

 さらに「一般的にチュニジアの革命によって広がったという評価だが、そもそも民衆の闘いの自信は、イランの2009年5月の大統領選結果を巡る抗議運動=緑の運動が、『フェースブック革命』と形容された出来事だった」と強調した。

 第二は、「アラブ革命に対するパレスチナ側の反応」について報告。

 「チュニジアの闘いに対して当初は、様子見だった。ベンアリ逃亡後、歓迎集会、デモが行われた。エジプトについても様子見だった。ファタハ政府はエジプトへの連帯デモを禁止していたほどだ。ムバラーク辞任後にデモ等を解禁した。パレスチナ人側に立つ新外相ナビール・アラビー就任とアラブ連盟就任を歓迎した。リビア政府に対しては、民間人虐殺に非難声明を出した。ところがリビア政府のガザへの支援停止とリビア国内のパレスチナ人(7万人)の送金停止はハマース政権に打撃であった。シリアに対しては、ハマース政権はアサド政権不安定化に危機感を持ち、ファタハとの和解に向かった。基本的にシリアの内政問題という立場で現状維持だ。例えば、シリア内のパレスチナ人はアサド支持が多数で苦しい立場にあることに現れている」。

 第三は、「エジプトの民主化デモ、ムバラーク辞任に対するイスラエルの反応」について整理した。とりわけ「ファタハとハマースの和解」についてイスラエル・ネタニヤフが正式合意から2時間ほどで「テロリストに勝利を与えた」と非難したが、イスラエル外務省筋文書にある「和解はむしろ(長い眼で見て)イスラエルに戦略的機会を与える。国際社会を前にイスラエルの立場を弱めてはならず、慎重な振る舞いが必要」という見解の存在を紹介し、「9月、アラブ連盟による国連総会でのパレスチナ国家承認要請の動向を見据えたうえでこういう見解が浮上している」と解説した。そのうえで「むしろイスラエルは実をとり、アラブ連盟によるイスラエル承認と関係正常化を手にするか。今後どのように動くか注視する必要がある」とまとめた。(Y)

中国6・4天安門事件22周年~闘争を発展させよう


20110604hk
香港のビクトリア公園の集会には15万人が参加(2011/6/4)

恐怖心は消え去りつつある――闘争を発展させよう

天安門事件22周年を記念する

 

許由(香港・先駆社)

 

1989年6月4日の天安門虐殺事件から22年が過ぎた。中国共産党は学生と労働者の抵抗を弾圧することで、その後の22年の間に資本主義を完全に復活させ、人民の財産を私有化することができた。だが経済発展は政治的独裁と社会的腐敗にふたをすることはできなかった。その歴史的反動性は、そこそこの生活を望むだけの市民や政治に関する発言を避けてきた芸術家などを抵抗に立ち上がらせつつある。

 

近年とくに増加の一途をたどっている民衆の抗議や労働者のストライキなど、人民に渦巻く不満が、中国共産党に一定の改善政策の提起を迫っている。中国共産党の太鼓持ちの文化人たちは、「胡温の新政」(胡錦濤国家主席と温家宝首相による指導部体制:訳注)を大いに持ちあげ、人民は指導者みずからによる改良政策を座して待てと主張している。だが、大きな改良政策の望みがない国のひとつが今日の中国なのである。この「胡温の新政」におけるすべての改良政策がほとんど取るに足らないものなのである。最低賃金の引き上げ、農業補助、公共住宅の建設程度では、独裁支配の暴力性、官僚による公有資産の私有化の猛烈な勢い、官僚と資本による労働者農民に対する熾烈な搾取などの禍害の万分の一さえにも抗うことができない。

 

そればかりでなく、これらのほんの僅かばかりの改良政策でさえも実現することができず、各階層の官僚によって(関連する予算などが)食いつぶされてしまう。「新政」のすべては経済的権利に限定されており、出版、集会、結社、デモ行進や示威行動など、公民の政治的権利に関しては、緩和されていないどころか、逆にますますきつくネジが締められている。だが政治的権利の剥奪は、自衛する武器を奪われたに等しく、官僚や資本家による権利侵害に抵抗することができなくなる。つまり「新政」によって認められた経済的権利さえも絵に描いた餅でしかなくなってしまうのである。

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オリヴィエ・ブザンスノー、2012年大統領選に不出馬を表明

オリビエ・ブザンスノーは2012年選挙のNPA候補者にはならない
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2147 
 

 さる5月2日、反資本主義新党(NPA)指導部は、その最も著名なスポークスパースンであるオリビエ・ブザンスノーが2012年の大統領選挙に党の候補者にはならないと知らされた。NPA創設の基礎を築いたのは、2002年と2007年におけるLCR(革命的共産主義者同盟、第四インターナショナル・フランス支部)によるオリビエの選挙運動が成功したことによるものだった。五月四日のNPA執行委員会の次の会議の後に、オリビエはNPA党員に次の書簡を送った。(「インターナショナルビューポイント」編集部)



 「諸君への最善の奉仕をする者は、諸君とともに自らの生活を送り、同じ苦しみを受ける人びとの中から諸君が選ぶ者だということを忘れてはならない。

 自分自身の利益だけを考える者は、つねに自らを不可欠の存在だと見なすようになってしまうのだが、諸君は大志を抱いた新参者のように挑戦しよう……。

 諸君の票を追い求めようとしない者を選べ。最も重要な徳とは謙虚さであり、有権者にとってそれは、自らの選んだ代表を認めることであり、人目を引くように振る舞わせることではない」。

 パリコミューン国民衛兵中央委員会のアピール 1871年3月25日
 
besacenot 同志諸君。

 私は2012年の大統領選挙において反資本主義新党の候補者にはならない。これは私が行った政治的決断である。そして私が本日、バトンを同志の一人に手渡すのだとしても、私はもはやわれわれのすべての闘争に参加するつもりはない、などと言うつもりはない。全く逆だ。むしろ私は、以前よりも私に刺激を与えている解放のプロジェクトに従って、新しい基盤の上にNPAが自らを確立する機会が存在していることを確信する。

 第一に私は、この機会をとらえて、この10年間にわたり私がスポークスパースンを務めてきた協同の活動に積極的に関わってきたNPA――ならびに前LCR――の人びとに感謝したい。ポスターを貼り、リーフレットを配り、集会を組織した地域支部のすべての同志たち(そしてわれわれを手を広げて歓迎してくれた人びと)に、2002年に、そして2007年にも立候補のための署名を集めてくれた人びと、議論、方針の作成、コミュニケーション、弾圧対策で活動した指導部の同志たち、皆さんすべてに私は感謝の言葉を述べたい。このチームは私に多くのことを教え、スポークスパースンになったことによるこの愉快な経験に多くの貢献を果たしてくれた。

 私は、われわれの思想と信条を広範な聴衆に伝えるために私のレベルで最善を尽くしてきた。そして私は、われわれの綱領を伝え、われわれの行動を促進し、われわれの得票を増大させるために活動し続けたいと強く思っている。NPAの活動家、そしてより全般的に言えば、世界を変えるために闘っているすべての人びとは、私の献身を当てにすることができる。 

 したがってこれは政治的決断なのであり、大きな驚きとすべきではない。私はこの数カ月間、過剰なまでに誇張された特定の個人の押し出しがもたらす政治的リスクについてわが党に警告してきた人びとのうちの一人だった。この考え方は特別な社会的・政治的状況の中で具体的な形をとった。一方で、公的代表制を通じて活動家の課題を委任――特別に時期を区切った委任――することは必要である。それは階級闘争における真の草の根からの行動の代用物としてメディアのゲームにうつつをぬかすこととは全くの別物である。

 われわれは、疎外・搾取・抑圧の社会を最終的に片付ける展望を擁護するために、職場で、闘争の場で、選挙の時も日々組織化を行っている。隷属の現代的形式からの解放は、必然的に現在のシステムとの決裂を意味する。この決裂は、政治への民衆の関与の拡大を前提としている。可能な時にはいつでも、明日になるまで革命的約束の沸騰を抑えるのではなく、この決別がいま、この場で推し進められなければならない。

 それはいま、この場ですべての名もなき市民に対し、自分の運命の所有者となるよう、倦まずたゆまずていねいに、われわれが呼びかけることを意味する。われわれがつねに民衆的諸階級に対し、そこでわれわれの生が実現される闘いの場からわれわれを引き離すために政治家たちが擁立したスピーカーたちと決別し、政治の場に飛び込むよう促しているのはそのためである。われわれが活動しているところではどこでも、この家屋資産、ビジネス、学校、大学、路上の市場への独自の破壊的なメッセージを選挙期間中の抗議の主張として、われわれは伝えている。このメッセージは、わが党の特徴を示すものであり、われわれは選挙上の一定の条件反射を理由にしてそれを曇らせてはならない。

 LCRが2002年の大統領選で、若い労働者、「郵便屋」を引き出すという大胆さを持った時、われわれはセンセーションを作り出した。われわれの現実のあり方――集団的手段であり、不均質なグループであるというあり方――を浮かび上がらせるような無名の候補者を次の選挙で立てることによって、再びセンセーションを巻き起こそうではないか。われわれには自分自身を表現する政治家は不要だということを示すこと、解決策を理解し、提案するために力を注ぐことは、進歩的な行為である。われわれは「安全運転」をすべきだと考えて自らを安心させることは、逆に他の人びとのものであるべき有害は保守的本能を生み出すことになる。しかしわれわれは、他の政党がするようには政治を認識しない。

 私の見解では、このような動きは擁護できない矛盾に分解する。その矛盾とは、一方では政治が市場調査の一形式となってしまうシステムを批判しながら、他方ではわれわれの運動と思想を儀式的議論の中にはめこむことで、われわれ自身を無意識のうちに伝統的政治の場に組み込むものである。この危険は、結果としてわれわれを、われわれ自身の戯画、さらにはシステムの失敗のアリバイにすら変形させてしまうのだ。

 皆さんすべてと同様に、これは私にとって個人的に耐えることのできない展望である。


私は、自分が一般大衆にとって伝統的政治家の一人であるように映るようになることを望まない。それは近年、われわれの立場に影響を与えてきたことである。私が郵便局での仕事を続けてきたこと――私が決して手放すことのない活動――は、合意された選挙の戦場やメディアに継続的に強制された力学に対抗する上で十分に強力な長期的予防血清ではない。2002年に政党政治に攻撃をかけるために闘いを始めた若い労働者は、不可避的に2007年には「仕事を続けながら政治をする」者となり、2012年にはおそらく「手短に政治をする」者となるだろう。

私は戦士であり、活動家であり、そうあり続けたいと望んでいる。この矛盾から私を解放することは、私が公的な場で、しかし異なったやり方でNPAの先頭を続けるための最善の保障である。

 そこで私は、私の選択がNPAを最終的に自己確立するための願いだと認識し、支持していただけるよう訴える。皆さん自身で、余り知られてはいないが、より意識的でより一貫した基盤の上に配置することを可能にする集団的アイデンティティーを再確立できる名前を見つけてほしい。現在のシステムとは明確に区別された革命的・国際主義的で、生き生きとしてオープンなプロジェクトを遂行する必要性に、いっそうの注意を払ってほしい。日常生活の全体的活動によりコンスタントに関わり、職場や住居の問題や青年たちの間での活動に恒常的に関与し、社会運動の活動的な抵抗ネットワーク――労働、反レイシズム、環境保護、フェミニズムなどなど――を主導すべきである。

 一年以内に大統領選挙が行われる。それはわれわれに対して、準備し、われわれの再建プロセスの中で2012年を大きなステップとするための時間を与えている。

 私は、自らを100%、わが党=NPAに投入し、そして私ができるかぎりの最善をつくしてわが候補者を支援する準備をしている。われわれが効果的に次期大統領選挙に介入することができるようにするためであり、そのためにわれわれは、自らを世界からこり離すのではなく、幾百万人の民衆にわれわれのメッセージを伝えなければならない。フランスの労働運動が経験している不確実性の時は、資本主義システムがこの三年以上にわたって直面しているグローバルな危機によって多くの場合引き起こされた不安定な政治情勢に暗い影を投げかけるべきではない。

 アラブ革命は一つのことを実証した。歴史の風は変化しており、急速に転換させることができる。
 

革命的あいさつを送る。

オリビエ



▼オリビエ・ブザンスノーは革命的共産主義者同盟(LCR、第四インターナショナル・フランス支部)が呼びかけて2009年に結成された反資本主義新党(NPA)の最も著名なスポークスパースン。彼は2002年、2007年の大統領選でLCRの候補者としてそれぞれ120万票(4.5%)、150万票(4.2%)を獲得した。
 

(「インターナショナルビューポイント」2011年5月号)
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