虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

東日本大震災と自衛隊の救援活動を考える

jdf●災害有事=「史上最大の作戦」
 
 東日本大震災にあたり、自衛隊は「史上最大の作戦」を発動した。3月11日菅政権が災害出動を発令した自衛隊の動員規模は5万人。それだけで阪神淡路大震災の際のピーク時の1万9千人をはるかに上回った。

しかし被害の規模がほぼ明らかになった翌12日に、菅首相は動員規模を倍の十万人にすることを要請、北澤防衛相は13日の防衛省対策会議で「救助の手を差し伸べることができるのはわれわれ自衛隊しかいない。全軍を視野に入れて十万人態勢を築いてほしい」と指示を下した。この十万人態勢に伴って、防衛省は従来の災害対策動員では陸海空それぞれ別の指揮系統に置かれていたのを、陸自東北方面総監に指揮を一元化。さらに3月14日には即応予備自衛官と予備自衛官にも招集命令を出すことを決定、3月23日には即応予備自衛官一六〇人の「編成完結式」が宮城県の陸自多賀城駐屯地で行われ、被災地に出動した。予備自衛官の招集・出動は初めてである。
 
3月15日には、菅内閣の緊急災害対策会議本部の会議で被災地への食料・水などの支援物資輸送に関して、地域ごとに陸自駐屯地や空自基地に物資を集積し、輸送を自衛隊によって一元管理することになった。

こうして動員された自衛隊員の規模は3月26日段階で陸海空合わせて約10万7千人で、実に三自衛隊実員総数約23万人の半数近くに及ぶ。「災統合任務部隊」(JTF―TH)と名付けられ、新たに編成された動員部隊は、ヘリ約200機、固定翼機約300機、艦艇五〇隻に達する。

陸自の動員部隊は北海道から九州までに及び、空自の輸送拠点は宮城県の空自松島基地だけではなく岩手県の花巻空港、福島空港といった民間空港にも置かれた。また海外派兵の先遣部隊でもある陸自中央即応集団は、福島第一原発に配置されている。自衛隊員は、救援、食料・物資の輸送、瓦礫の除去、遺体の捜索、搬送だけではなく福島第一原発への放水作業という特殊任務にも従事した。

大震災で機能が崩壊した被災地自治体の行政機能を自衛隊が「肩代わり」する光景が各地で見られる。ある自衛隊幹部は、この自衛隊の活動について「侵攻してくる敵か、災害か、の違いはあるが、態勢は『有事』と全く同じ」と語ったという(「朝日」3月27日)。
 
●米軍の「お友だち作戦」
 
東日本大震災にあたっての自衛隊の「有事」出動は、同時に「日米共同作戦」としても展開されている。ゲーツ米国防長官は大震災が発生した翌日の3月12日には、ルース駐日大使と電話会談を行い「日本政府の依頼にはすべて応じたい」と伝え、ただちに米韓軍事演習に向かっていた空母ロナルド・レーガンを随伴艦チャンセラーズビルなど三隻とともに三陸沖に向かわせた。横須賀基地からは巡洋艦カウペンスなどイージス艦七隻が急派された。八戸沖には佐世保基地の強襲揚陸艦エセックス、揚陸艦四隻が派遣され、海兵隊員計3000人を乗せ、救援物資を運搬した。揚陸艦トーテュガは苫小牧で陸自隊員273人と車両93両を乗せ、青森県の大湊港に上陸用舟艇で上陸させた。国内で米艦艇が陸自部隊を輸送したのは初めてのことである。

沖縄の第三一海兵遠征軍も強襲揚陸艦エセックスで東北沖に展開しており、普天間基地や岩国基地からは輸送機で連日の物資輸送作戦が行われている。

「オペレーション・トモダチ」(お友だち作戦)と名付けけられたこの作戦には米第七艦隊の艦艇20隻、航空機140機、兵員1万2千人が参加している。そして陸自仙台基地に置かれた「日米共同調整所」において3月14日以後、朝夕二回自衛隊幹部と米第三一海兵遠征軍の将校とが綿密な作戦会議を行っている。自衛隊と米軍との共同救援作戦は、こうして東日本大震災被災者救援を契機に、「有事」に対応する実戦的対応としていっそうの深化を遂げているの。それは例年展開されてきた「防災」名目の化学戦を想定した「対テロ」作戦訓練を実際の出動を通じて決定的にレベルアップする役割を果たしている。

さらに米国にとっては、福島第一原発事故は核戦争に対処する独自の意義を持っている。北朝鮮の核実験の際に放射能を測定した空軍の大気収集機「コンスタント・フェニックス」が派遣され、無人機グローバルホーク、U2偵察機、情報収集衛星などの活動と組み合わせながら、福島第一原発災害での放射能飛散への情報収集につとめていることは「日本側発表の事故情報への不信感が背景にある」と報じられている(「毎日新聞」3月20日)。
 

●自衛隊の救援活動とわれわれの立場
 
それでは、東日本大震災救援活動における日米の軍事的共同作戦の飛躍的強化に対して、どのように考えるべきなのだろうか。

われわれは第一に、この戦後最大規模の地震・津波・原発事故が複合した大惨事という緊急的情勢において、菅政権が持てるあらゆる手段を総動員して被災者の救援、原発災害の拡大の防止、生活再建に総力を上げるよう訴える。そして、国家的手段・資源の総力での動員には、自衛隊が持つ専門的な組織的能力を被災者救援のために全面的かつ効果的に活用することも含まれる。被災者の救援、食料・生活物資の支援、原発被害の拡大防止という緊急優先課題のために、当面、自衛隊が果たす役割を民間組織や自治体によって代替するのは不可能だからである。

もちろん労働者・民衆は独自の立場から被災者・避難民の支援と、生活再建にむけた活動を全力で展開していかなければならない。福島第一原発事故の災害が拡大することを避けるためのあらゆる方途についても住民の立場に立つ信頼しうる専門家の知見に基づく提案の実行を求め、被曝の脅威にさらされる原発作業員や住民の安全と権利を防衛するだろう。

その際われわれは自衛隊による住民支援活動に反対しないどころか、自衛隊が被災者救援のために、その持てる組織的・技術的能力を救援のために最も効果的に発揮することを求めるだろう。必要に応じて自衛隊員の活動の個々の実践的側面に「協力」していくこともありうる。この局面において、「反自衛隊」の立場から自衛隊の被災者救援活動に反対することは誤りであり、最も困難な状況に直面している人びとの理解を得ることはできない。その際われわれは、自衛隊に対する原則的な批判の立場を変えることはない。自衛隊がブルジョア国家の「暴力装置」としての本質を持っているという規定についてもなんら棚上げする必要はない。

われわれは自衛隊による救援活動の範囲と任務、期間についての正確な情報の公開を求めるとともに、自衛隊あるいは米軍が、住民あるいは支援の人びとの独自の自主的な活動に不当な妨害、敵対をすることのないよう求め、監視し、妨害に対してはきっぱりと抗議する。

「隊を敵とし、兵を友とせよ」という反軍闘争における基本的立場はここでも貫かれる。われわれは危険な業務にたずさわる自衛隊兵士の発言権・団結権、その安全や不当かつ危険な命令への「拒否権」も防衛する。同時にわれわれは「有事」を口実にした労働者・市民の政治的・社会的諸権利を奪い去ろうとする企図を容認しない。

「かけはし」四月四日号に掲載された福島県いわき市の仲間の報告の中で、全港湾労組小名浜支部の活動が紹介されていた。チャーター船による自衛隊の救援物資の荷役作業から全港湾組合員を排除しようという動きに対し、反戦平和の立場を取る全港湾労組はそうした権利はく奪の目論見を拒否し、組合員を動員・配置して自衛隊救援物資の荷役をやり遂げたことが報告されていた。これは一つの重要な闘いである。
 
●軍事作戦としての救援活動
 

その上で、第二にわれわれが確認すべきは、自衛隊と米軍によって組織された大規模・緊密な「共同救援作戦」は、昨年一二月に閣議決定された新防衛計画大綱で明らかにされた、グローバルな危機に対応する日米間のより実践的な共同作戦態勢の構築、そのための国内体制構築の具体的一環である、ということをはっきりと意識することである。

新防衛計画大綱の「V 防衛力の在り方」の「1 防衛力の役割 (1)実効的な抑止及び対処」では「ア 周辺海空域の安全確保」「イ 島嶼部に対する攻撃への対応」「ウ サイバー攻撃への対応」「エ ゲリラや特殊部隊による攻撃への対応」「オ 弾道ミサイル攻撃への対応」「カ 複合事態への対応」と一連の「有事」における軍事的対応が続き、その最後は「キ 大規模・特殊災害への対応」でしめくくられている。すなわち自衛隊にとって空前の規模の今回の「災害救援作戦」の展開は、「ア」から「カ」に至る軍事作戦と決して切り離すことのできないものであることを忘れてはならない。

そして災害救援における緊密な日米共同作戦もまた、グローバルな「日米軍事一体化」の一環であり、それをより実戦的にレベルアップした活動が現に展開されていることに注意すべきである。われわれは二〇〇四年一二月のスマトラ沖大地震以後、国際的救援活動の軍事化が米国が主導する「対テロ」戦争戦略の一環としての性格を強め、米軍と一体となった自衛隊の海外派遣にはずみがつけられていると述べてきた。陸自中央即応部隊を派遣した昨年のハイチ大地震もその典型的な例であった。

そしてまた今回の日米共同による救援軍事作戦の中で、あらためて「日米同盟の意義」があからさまな形で人びとに印象づけられようとしていることを、われわれは厳しく批判する。米海兵隊当局者は「この支援活動で、普天間飛行場の位置が災害対策に決定的に重要であることがはっきりした」と語った。米政府によって日米間の震災救援協力の調整役に任命されたのは、「沖縄はゆすりの名人」という差別に満ちた暴言で米国務省日本部長の職を解かれた元沖縄米総領事メアである。

沖縄の人びとの闘いを踏みにじり、救援活動を沖縄での新基地建設を正当化するために利用しようとするこうした意図を、われわれは怒りを込めて糾弾する。
 

●自衛隊の装備・編成は「救援活動」には適さない
 

「日本は一つのチーム」「日本は強い国」「がんばろう日本」というメッセージが社団法人・ACジャパン(公共広告機構)のCMを通じて、くりかえし垂れ流されている。「国民の公共意識の涵養」を主眼に設立されたACジャパンによるキャンペーンは、東日本大震災の惨劇で被害にあった人びとを支援しようという人びとの意識を利用しながら「日本国民の団結」を促し、空前の原発事故をもたらした歴代政府と東電の責任追及をそらそうという思惑に貫かれたものである。

「国難」を打開するための民主党と自公野党の「救国・大連立内閣」の動きが加速する中で、「日米同盟」と自衛隊の果たす役割の重要性という宣伝がさらに強化されようとしている。

先述したように、われわれは政府が、あらゆる持てる国家的資源・組織を有効に動員して被災者救援活動にあたることを求める。その中には現にある自衛隊の能力の緊急活用もふくまれる。

しかしそのことは同時に自衛隊の根本的性格の問題をあらためて俎上に載せることになる。国家の「暴力装置」としての自衛隊は、軍事組織=戦争と治安弾圧のための組織であり、その装備・編成において「災害救援」を本務とするものではないことは阪神淡路大震災での活動の中で、自衛隊幹部からも公然と語られた。

F4やF15戦闘機、最新鋭のイージス艦搭載兵器や潜水艦、弾道弾迎撃ミサイルなどの正面装備は、十万人を動員した救援作戦においては無用の長物以外の何物でもない。それは、「日米同盟の深化」に対応した「動的防衛力」の構築という軍事戦略・編成・装備、在沖・在日米軍基地、さらには日米安保そのものへの本格的批判をあらためて多くの人びとに提起する基盤を作り上げるし、また労働者・市民はその課題を積極的に提起していかなければならない。

自衛隊の解体と国際的・国内的な恒常的災害救援専門組織の建設をふくめて、われわれは広範な論議を開始すべき時である。(K)

【反原発1988】伊方原発の出力調整実験に反対する人々が通産省に突入

▼記録映画『実録 伊方原発出力調整実験反対行動』から


第四インター日本支部機関紙 週刊『世界革命』(現『かけはし』)1988年3月7日号(第1034号)から。

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出力調整実験糾弾! すべての原発を今すぐ止めろ!

2.29 百万人の署名持ち通産省へ抗議
「原発やめて、命が大事」 鉄柵のりこえ抗議の叫び


22912月29日、グループ「原発なしで暮らしたい」(別府)、「原発なしで暮らしたい」九州共同行動、伊方原発反対八西連絡協議会のよびかけで、全国から集まった労働者、学生、市民500人が、通産省に対して、2月12日に四国電力伊方2号炉で強行された出力調整実験に抗議する申し入れ行動を行った。この実験は、第二、第三のチェルノブイリに直結する恐るべき危険性を持っている。そしてこれが「成功」すれば、過剰設備にあえぐ全国の原発で、日常的に危険極まりない出力調整が行われることになる。

「私たちの生命を、子供たちの未来を守れ」という、九州、四国の女性たちを中心にした抗議の叫びは、わずか二カ月で百万人を越える実験反対の署名となって燃え広がった。しかし、通産省、四国電力は、この声を無視し、危険な実験を強行した。そしてこの日も通産省は、抗議の申し入れも、署名の受け取りも拒否し、鉄柵と扉を閉ざした。

2293怒りの声と叫びは、通産省前で爆発した。鉄柵を乗り越え、正面玄関前で話し合いを要求する闘いは昼過ぎから夜まで続いた。これに対して権力は、多数の女性や幼児をふくむ仲間たちを通産省正面玄関前から暴力で引きずりだした上、中学生と高校生をふくむ三人を全く不当にも検挙した。しかし、全国から集まった人々はこれに屈することなく、夜遅くまで抗議の闘いを展開した。

私たちには時間がないんだ!

それは、まさにあっと言う間だった。銀座通りを縦横にデモした300余人が、通産省前に到着したのは午後1時半。鉄柵を閉ざして話し合いを拒否する通産省に抗議し「中に入れろ!」「開けて!」と叫んでいた仲間たちは、一人、また一人と作を乗り越えはじめ、内側から柵をあけ、通産省前でデモの到着を待っていた反原労など100数十人とともにまたたく間に全員が構内に入ってしまったのだ。

2292階段をかけ登り、二番目の柵も越え、ガラス扉を押しまくる。厚い扉がきしみ、今にも破れそうだ。「何で開けてくれないの!」「僕たちの言うことを何で聞いてくれないんだ!」。女性や、中学生、高校生など若い仲間たちが先頭だ。最初のうちは「通産省」の腕章をまいた職員数人が扉の横に立っていた。広瀬隆さんが、彼らに激しく詰め寄っている。「私たちには時間がないんだ!」。

そうだ。明日にも、いやこの瞬間にも事故が起きるかもしれないのだ。日本のどの原発でいつ大事故が起きても何の不思議もない状態にあり、この間もまさに瀬戸際としか言いようのない事故が連続している。そしてひとたび大事故が発生すれば、もうどんなことをしても取り返しがつかない。日本全土が汚染されるだけでなく、放射能は海外にまで深刻な汚染を広げるだろう。このせまい日本で、逃げる場所もなく、移住する場所もない。人民の未来は閉ざされる。

「明日がないかもしれない」。この強烈な切迫感が、皆を突き動かしている。そして皆、思い思いに自分自身の気持ちを、精いっぱい体で表現しつづけている。日比谷公園から東京電力前、銀座を通るデモの間じゅう続けられた踊りが始る。打ち鳴らされる太鼓に合わせ、笛の音に合わせ、手をたたきながら、通産省玄関前いっぱいに踊りまわり、そして歌う。「原発やめて、命が大事」「原発やめて、子供が大事」「原発やめて、仲間が大事」」「原発やめて、緑が大事」。

2294構内には、段ボール箱数十個につめ込まれた百万人の署名簿が持ちこまれている。だれかが、それを一枚一枚通産省入口の階段に広げ始める。正面玄関の壁にも、一面に無数の署名簿が貼りつけられる。そして鉄柵にも、あらゆるところに、全国の人々の思いを込めた署名簿が貼られる。そのひとつひとつに、千羽鶴を下げている女性もいる。まだ中学生ぐらいだろうか、ガラス扉に全力で体当たりを繰り返し続けている男の子もいる。

この私の絶叫を聞いて下さい

突然、年配の女性が叫ぶ。「皆さん!この私の絶叫を聞いて下さい!私の夫は長崎で被爆し、32年間苦しみ続けてガンで死にました。被爆二世として生まれた息子は、小さい時から体が悪く、体のあちこちに何度も腫ようができ、医者にも今後も良くなる見込みもないと言われています。息子は私に『何で僕を生んだんだ!』と言いながら、ビールビンや、皿をぶつけ、怒りをぶつけてきます。31歳になりますが、結婚する望みすらないのが現実なのです。最近は私の苦しみも理解してくれるようになりましたが、私の生活は地獄でした。放射能ほど恐ろしいものはありません!だから、今すぐ原発を止めてください!」。歌も、踊りもやみ、静まり返った一瞬だった。

2295全国からこの闘いに駆けつけた人々が、それぞれの闘い、それぞれの思いを語る。下北核燃サイクルと闘う浜関根共有地主会の放出さんは怒りの声をあげた。「反原発の動きが高まれば高まるほど、青森ではテレビ・ラジオで原発のコマーシャルがひっきりなしに流れ、原発関係の番組で占領されている。彼らは力で闘いをつぶそうとしている。人間の住む村に核のゴミを持って来る。文句があるやつは死ねと言う。核廃棄物の源である原発を止めよう。伊方、高松、通産省と高まった闘いを、4.9の青森現地行動と百万人署名に結びつけ、原発と核燃をつぶすまで闘う」。

出力調整反対のステ貼りで不当逮捕された松山のA子さんは「私が貼ったのがもし動物愛護のステッカーだったら、警察は逮捕したでしょうか。市民が、いやなものをいやと言うこともできないなんて許せない。私は裁判を起こして闘います」と力強く語った。

能登では、12月にも原発の着工が予定されている。「もし着工されたら、チェルノブイリ以後はじめての着工だ。絶対に建てさせてはならない」。この訴えも女性だ。

中学生の女の子がマイクを握る。「四電の前でも、今日も、一生懸命話しかけたけど、ひとこともしゃべってくれなかった。子供たちは、子供たちにつながりを作り、皆につたえて頑張ります」。

弾圧に怒り新たに闘いの決意

22962月1日、浜岡でまさにゾッとする事態が発生していた。浜岡原発1号炉の再循環ポンプが二つとも停止したということだけが報道されたが、このとき、無停電電源、すなわちどんな事態になっても、あらゆる電源が止まっても確保されているはずの電源まで止まり、原子炉の自動停止も緊急停止もできず、4時間後に電源の一部を回復し手動で止めはじめ、12時間後にようやく止めることができたというのだ。

この間、原子炉の中がどうなっているのか、どんな状況なのか、何ひとつ分からなかったということが明らかになったのだ。浜岡1号炉の設置許可申請では、再循環ポンプについての項が75年に変更され、それまで「二つとも止まることはない」となっていたものが「もし止まっても原子炉は自動停止する」とされた。しかし、自動停止どころか、手動で停止することすらできなかったのだ。

この恐るべき事故について語った静岡の仲間は、事故の全データを公開し、それにもとづき公開討論をするよう求め、その結論が出るまで停止せよと要求して署名運動を開始することを報告した。

この日の行動の呼びかけ三団体の連名で、なぜ実験を強行させたのか説明を求め、通産省に申し入れをするとともに、原子力安全委員会に対して「出力調整」に関する説明会の開催を申し入れていた。これに対する科学技術庁の回答は驚くべきものだった。①人数は三人以下 ②時間は30分 ③住所、氏名、連絡先を事前に明らかにする ④当日、身分証明書持参 ⑤カメラ、テレコ、拡声器、旗、ゼッケン持ち込み禁止。奇異な服装でなく常識的な服装(スーツなど)で来る ⑥子供連れはだめ ⑦これらの条件をのんでも、科技庁で了解した人とだけ対応する。当日平穏な話し合いができない状況が生じた場合(その判断は科技庁がする)には、話し合いをやめる。

これでは、話し合いでもなんでもない。科技庁が嫌だと思えば、代表者であっても無視することができ、途中でいつでも中断できるというのだ。しかしこの日、全体を代表して九州共同行動の中島さんが科技庁を訪れた。彼らの言い分は次のようだった。

「公開討論会はできない。すでに国民の声を聞くために公開ヒアリング15回、公開シンポジウム1回をやっている。9年前の公開シンポではヤジと怒号に終始した。この経験から、同レベルの能力を持つ人とやり合わなければ意味がない。だから、学術会議や原子力学会の主催、後援のような形のもの以外にはできない。しかも、あなたたちだけに説明会を開くと、次から次へと説明会の要求が起こって対応できなくなる。したがって、あなたたちだけに説明会を開くと『公平の原則』にもとる。私たちの見解は、マスコミを通じて広く国民に伝わっているはずだ」。

まさに、怒りなしには聞けない、人民を見下し切った答弁だ。しかも「マスコミを通じて」などと言っておきながら、この日の会見に報道関係者の立ち合いを要求したところ「事態を曲解されると困るのでだめだ」と拒否したのである。科技庁から戻ってきた中島さんの報告に、あらためて怒りの声が湧き上がる。

闘いは続く。踊りも続く。歌も続く。右翼の宣伝カーがやってきて「共産主義のウジ虫どもめ、原発をやめて穴ぐらで暮らしたいのか」とわめき散らす。これが、やつらの水準だ。いまや出力調整に踏み込まざるを得なくなったことによって、いまや崩壊しつつある低水準のデマに、右翼も、通産省も、電力資本もしがみついているのだ。皆の意気はかえって上がるばかりだ。

午後5時45分。地方の仲間が帰り始めて人数が減り、人通りも少なくなった頃を見計らって、通産省は機動隊を導入した。子供をギュッと抱き締める女性も、容赦なく引きずり出し、突き倒す。固いスクラムでグッとこらえる。引いてなるものか。百万人の声が、頑張る仲間を支えている。

6時20分。ついに全員が通産省構内から引きずり出され、排除された。不当にも検挙された三人のうち、中学生と高校生が入っていたことにも、彼らの弾圧が手当たり次第であったことが示されている。通産省周辺では、9時近くまで「原発止めて」の声が響き続けた。伊方、高松、通産省。反原発、まさに直接生命のかかったこの運動の中に新しい闘いが生まれ始めていることを感じさせる闘いだった。闘う労働運動が、この流れと結びつく努力を意識的に開始することが問われているのである。

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「原発は必ず止められる」
出力調整を考える公開討論会に900人

2月28日、社会文化会館(東京)の5階大ホールを900人の人々がうめつくした。公開討論会を主催したのは、伊方原発2号炉の出力調整実験に対する抗議行動を展開してきた三団体、グループ「原発なしで暮らしたい」(別府)、「原発なしで暮らしたい」九州共同行動、伊方原発反対八西連絡協議会。

三団体は、2月17日付で原子力安全委員会の全委員に対して「出力調整に関する公開討論会への招請状」を送付して公の場で討論に応じることを要求していた。あわせて、出席不可能の際は、アンケートに個人として回答することも要請したが、原子力安全委員会の委員たちは、だれひとりとして誠実な対応をしなかった。アンケートの返送さえ全く行わず、全員が、三団体の要求を黙殺する態度をとったのである。

残念ながら「公開討論会」は実現しなかったが、当日は京大原子炉実験所の海老原徹さんと広瀬隆さんが報告を行った。海老原さんは、原発は出力100%の連続運転用に設計され、安全審査もそれを前提に行われていること。出力調整運転には不適切な構造になっていることを強調。広瀬さんは、「徹夜で一睡もしていません。その理由は、重要な書類がたくさん私のところに届いていて、その整理がたいへんだから」と切り出して、浜岡原発できわめて重大な事故が発生していたことを報告した。

2月1日、浜岡原発1号機の再循環ポンプが2台共停止した。再循環ポンプとは、沸騰水型原子炉にとってはまさに命綱で、一次冷却水を炉心からとりだして、再び送り込むものである。故障の原因は電源系統の電磁リレーの損傷。しかし、原子炉は緊急(自動)停止しなかった。中部電力は、出力が定格の半分以下になった原発を、そのまま運転しながら故障原因の究明作業を続け、何とか原発が停止したのは事故の発生から12時間後であった。

「本当に恐ろしいことです。中電は、12時間の間、原発がどうなっているのか、何がなんだかわからなくなっていたのです。伊方の出力調整試験の十日も前に、すでに私たちは終わりになっていたかもしれない。幸運だったとしか言いようがありません」。広瀬さんの報告は、背筋の寒くなるものだったが、彼は最後にこうつけ加えた。

「全国各地を飛びまわっていて、はじめて運動に参加する人たちの『これからは私たちにまかせて』という力強い声をたくさん聞きました。希望を持ってがんばりましょう」。

その後、伊方現地からの発言や、ステッカーをはっていて不当弾圧された女性の裁判への支援の要請、四電社長(もちろん本物ではないが)と参加者とのフリー討論などが行われ、集会はいっそう盛り上がる。司会をしていた小原良子さんのしめくくりの言葉が印象に残った。

「私は、自分自身のために、自分の子供のためにこの運動を続けています。みなさんもそうだと思います。だれのためでもなく、自分自身と子供たちのために、未来のために、みんなの力を合わせれば原発は必ず止められます」。

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▼記録映画『実録 伊方原発出力調整実験反対行動』 (全篇)
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罪は帝国主義の側にある-ソマリア人四人の日本送致・起訴を許さない

d(日本政府はこんな小舟の「海賊」を1万キロの彼方へ拉致した)

東京地検は4月1日、先の3月5日にオマーン沖において商船三井のタンカーを襲撃したとして、海賊対処法違反(乗っ取り未遂)でソマリア人(と思われる)三人を起訴、未成年と思われる一人を家裁に送致した。私たちは、法的に処罰する正当性もないままにソマリア人四人を日本に送致し、起訴したことをグローバル派兵の時代における「越境軍事裁判」と「敵国人の捕虜化-懲罰政策」の始まりとして、強く抗議し糾弾する。

そもそも、いかなる裁判も「犯罪行為」の認定とその処罰のみを目的とするものではない、というのが法と刑罰の精神の重要な柱であるはずである。そして、その犯罪行為のみではなく、容疑者-被告人の生い立ち・個人的背景・社会的背景・動機なども総合的に勘案されるなかで、その処罰の量刑と酌量が決定されるべきなのは、論を待たないだろう。

そして、この「海賊」とされる四人のソマリア人たちは、1991年に勃発した内戦によってかつてのソマリア民主共和国が三分割された状態となり(メディアでは「無政府状態」と言われるが三つの勢力がそれぞれ暫定政権や自治・独立を宣言している。いわば「主権が弱い」状態であっても完全な「無政府」ではない)、統一国家による統治が崩壊した状態で、彼らの本名や身元を確認するすべもない。

日本政府は、どこの誰かも確認できない者たちをどうやって裁くというのだろうか。日本から1万キロも離れた場所で生活してきた人々が、なぜ・いかにして「海賊」という行為に及んだのか、その背景や動機をどのように解明するというのだろうか。

この四人の捜査段階において、警察は苦労してソマリ語の通訳を見つけたという。そして、裁判では地裁があらためてソマリ語の通訳を見つけ出さなければならない。国家権力のカネとネットワークで裁判のための通訳を見つけ出すことは何とかできるかもしれない。しかし、被告たちにつけられた弁護士もまた別の通訳を見つけ出さなければならず、それ自体が困難を極める作業になるだろう。

日本政府は公正な裁判を保証できるかも不確定なままに、ソマリア人を拉致し、報復と威嚇のためだけに初めての「越境軍事裁判」を行おうとしているのだ。そして、起訴状から審理・判決に至るまで被告人たちにとっては何が起きているのかほとんど分からない暗黒裁判によって、日本の刑務所に放り込もうとしている。この四人の日本送致と裁判(そして収監)は精神的苦痛を与えることを目的とした一つの拷問だ!

このような人権侵害がまかり通れば、次には「日本企業を襲撃した」あるいは自衛隊が海外で展開する地において「敵対した」と見なされた人々を次々と日本の地に送致して一方的に裁き・収監するということが常態化するだろう。いずれ、日本にもアブグレイヴやグアンタナモのような過酷な捕虜収容所が設立されることにもなりかねないのである。

繰り返して言う。被告人の背景を考慮しない裁判は無効である。欧米や日本のメディアでは「ソマリアの海賊」と言われる人々は、はたして、ただの「物盗り」なのだろうか。1991年の内戦勃発により国家主権と支配が著しく弱体化したソマリア沖では、誰も追及することはできないと主に欧米の船舶による化学物質や核廃棄物の投棄が大規模に行われた。国連の調査でも、ソマリア沖でウラニューム、放射能廃棄物、カドニューム、水銀などの毒性の極めて強い廃棄物が投棄されていることが確認されている。そしてまた、ソマリア沖の海洋生物の生態系が一変してしまうほどの無軌道な乱獲が、世界各地からの漁船によって行われた。

「ソマリアの海賊」とは、このような「欧米グローバル企業-帝国主義の海賊」に対する「海洋自警団」として生み出された人々なのである。そして、そこには、明確な「反帝国主義意識」すら持ち合わせているのである。「海賊」とされるグループの一つは、2010年1月のハイチにおける大震災において「我々はハイチに支援物資を届ける能力がある」として被災者のへの支援を申し出、「ハイチへの人道援助は欧米によって牛耳られてはならない。彼らにはそのようなことをする道義的な権威がないからだ」「彼らこそ、長い間、人類から略奪を繰り返してきた張本人なのである」と語っている。(出典

この「海賊」とされる人々は、はたして「粗暴な物盗り」として裁かれるべき人々なのだろうか、それとも「帝国主義列強に対するレジスタンスの一環」と考えられるべきなのだろうか。少なくとも、日本の裁判所にそれを判定する能力はないだろう。

そして、日本を含む欧米諸国・大国・帝国主義の強盗たちに、ソマリアの人々を裁く資格などない。むしろ裁かれるべきは、言うまでもなくこの帝国主義の強盗たちだ。

ソマリアの歴史は、欧米諸国による植民地化と略奪の歴史だ。19世紀末にはイギリスが北部を、20世紀初頭にはイタリアが南部を「領有」し、第二次大戦において両国はソマリアの権益をめぐって争うことになる。1960年に南北それぞれが独立をはたして1969年にソマリア民主共和国に統一されることになるが、現在のソマリアの分裂状況は、この植民地として分割された残滓であることは疑う余地はない。

そして、1991年の内戦勃発を機に多国籍軍がソマリアに軍事介入し、映画『ブラックホーク・ダウン』に描かれた1993年の「モガディシュの戦闘」(撃墜された米軍ヘリの乗員を救出しようとして18名の米兵が死亡した事件。この救出作戦において15時間で350人から千人以上のソマリア人が虐殺された)の失敗によって、アメリカはソマリアから撤退を余儀なくされた。

しかし、内戦の泥沼化と主権の弱体化による欧米船の無法行為は90年代にはすでに始まっており、それに対抗する戦いも次第に激化していった(なかにはほんとうに粗暴な海賊もいただろう。しかし、それすらも帝国主義の植民地化と略奪政策が生み出したのである)。そして、欧米中心の「国際社会」がソマリア沖を「海賊の巣窟」として強く認識するようになるのは2005年頃である。そうして、ソマリア沖はイラク・アフガニスタンと並ぶ、「国際的な反テロ共同対処地域」として、日本を含む欧米・中国・韓国の軍艦が展開する海域となっていったのである。

この帝国主義の強盗たちに、ソマリアの人々を裁く道義的・倫理的な正当性は一片もありはしない。帝国主義の強盗たちこそ、アフリカを植民地にし、奴隷として連れ去り、分割統治し、武器を与えてアフリカ人同士を争わせる代理戦争を煽り、この21世紀においても飢餓と戦乱をもたらしてきた犯罪者であり、その数々の犯罪こそ時効なき「人道に対する罪」として裁かれなければならない。

 日本政府は四人のソマリア人を即刻解放しろ!
 海賊対処法を廃止しろ!
 海上自衛隊によるジブチの「海賊対処前線基地」化をやめろ!
 自衛隊とすべての外国軍はソマリア沖から出ていけ!
 多国籍企業船舶による不法投棄と乱獲こそ監視・規制しろ!

(F)

【案内】浜岡原発すぐ止めて! 4・10東京集会&デモ

浜岡原発すぐ止めて! 4・10東京集会&デモ
~福島原発震災を二度とくり返さないために~(仮称)

4月10日(日)
場所 芝公園 23号地
(都営地下鉄三田線芝公園下車 徒歩5分)

集合 12時45分
集会開始 1時
デモ出発 2時

デモコース/経済産業省別館前・中部電力東京支社前・東電本社前・銀座ソニービル前を通り、常磐橋公園で流れ解散(東京駅の先)

参加費無料

主催 浜岡原発すぐ止めて!実行委員会
問い合わせ先 TEL 03-5225-7213 FAX 03-5225-7213 共同事
務所AIR内090

呼びかけ/浜岡原発を考える静岡ネットワーク/ふぇみん婦人民主クラブ/日本消費者連盟/チェルノブイリ子ども基金/原子力資料情報室/プルトニウムなんていらないよ!東京/たんぽぽ舍/福島老朽原発を考える会/チェルノブイリと日本の未来を考える会(3/28現在)

以上 4月1日現在です。

【案内】サンフランシスコ講和条約・日米安保条約調印から60年植民地主義の歴史と現在を問う 4・28-29連続行動

サンフランシスコ講和条約・日米安保条約調印から60年植民地主義の歴史と現在を問う 4・28-29連続行動

4.28討論集会「地震と原発」問題もともに論じよう

●日時:4月28日(木)18:00開場

●場所:ピープルズ・プラン研究所(地下鉄江戸川橋駅下車・徒歩7分)

●主催:反安保実行委員会2010-11(fax03-3254-5640)


4・29反「昭和の日」行動

●日時:2011年4月29日(金・休)13時15分開場(13時半開始)

●お話:彦坂諦さん(作家) 
            
●場所:大久保地域センター(JR山手線新大久保駅下車徒歩8分)
*集会後デモを予定

●主催:4・29反「昭和の日」行動実行委員会

●連絡先:090-3438-0268

●呼びかけ団体:アジア連帯講座、国連・憲法問題研究会、立川自衛隊監視テント村、反天皇制運動連絡会、「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会、靖国・天皇制問題情報センター、連帯社、労働運動活動者評議会

〈呼びかけ〉

大地震、大津波、そして原発事故という惨事に言葉を失い、自らの頭上に降り始めた放射背物質に恐れをなす。だが、この最悪の事態にあっても、日本社会は相変わらず差別・排外主義の社会であり、植民地主義、領土ナショナリズム、日米安保・米軍基地の問題は、表情を変えながらそこにある。沖縄の基地問題も何一つ解決していない。相変わらず事態は米軍と日本の政財界の意図に沿ってのみ動いているのだ。

 このような中で、私たちは5回目の「昭和の日」を迎える。 昭和天皇ヒロヒトは、自らの名で植民地拡大の戦争を遂行し、敗戦後、天皇と天皇制を守るために沖縄を米軍に売り渡した。それは1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約で固定化され、日本の「民主主義」と「平和」、「高度経済成長」はその上に築かれ、多くの人びとがこれを謳歌してきたのだ。

今年は柳条湖事件から80年目にあたる。侵略と占領の数だけ巡ってくるその歴史の節目だ。継続する植民地主義と領土ナショナリズム、解決されない日米安保・米軍基地の問題。「昭和の日」とは、そういった近代日本の歴史と戦後体制の間違い、その結果の現在の矛盾を、天皇制ともども、まるごと肯定しようという記念日である。抗議の声はあげられなくてはならない。

 右傾化をたどる現在、集会の自由・表現の自由、思想信条の自由は、道路の秩序、近隣への迷惑などを口実に、会場も公園も、路上も、使えない状況が作りだされ、有名無実のものとなっている。私たちは諦めることなく行動を続けていきたい。昨年同様、反安保実行委員会主催の4.28集会との連続行動として取り組む。ともに声をあげよう。

報告 3.25 「2.20アメリカ大使館前弾圧抗議集会やるどー!」

220赤坂1、2号を奪還したぞー

 3月25日、「2.20アメリカ大使館前弾圧抗議集会やるどー!」が東京・戸塚区民センターで救援会の呼びかけ、沖縄をふみにじるな!緊急アクション実、辺野古実、ゆんたく高江、麻生邸リアリティーツアー国賠訴訟団の協力によって行われた。

 2.20弾圧とは何か。沖縄を踏みにじるな!緊急アクション実行委員会は、昨年末から沖縄・高江での米軍ヘリパッド建設工事強行に抗議して一月から三回のアメリカ大使館への抗議の申し入れを行ってきた。2月に入ると沖縄防衛局が暴力的にヘリパッド建設に抗議する高江住民の座り込みを妨害するという暴挙に踏みこんできた。実行委は、この事態を糾弾するためにアメリカ大使館抗議デモを2月20日に打ち抜こうと計画したが、警察権力は不当にも集合場所・デモコース・解散場所の変更を強要してきた。

こんな不当弾圧を許さず、参加者は徒歩で大使館に向かったところ、こんどは赤坂警察署の指揮によってJTビル前で通行妨害を行った。不当な阻止線に抗議するのは当然の権利だ。ところが警察権力は、この抗議行動に対して公務執行妨害罪を適用して二人の仲間を不当逮捕した。赤坂一号は警視庁本庁、赤坂二号は三田警察署に勾留された。しかし二人の獄中での闘いと獄外の救援会、仲間たちの闘いが一体となって権力の闘争破壊を跳ね返し、3月3日、二人を奪還した。集会は、獄中・獄外を貫く反撃によって勝利したことを確認し、高江連帯・ヘリパッド建設反対の新たな闘いを作り出していくステップとして行われた。

不当弾圧に抗して沖縄連帯闘争は続く

 集会は、さっちゃん(立川自衛隊監視テント村)から二月にヘリパッド建設に抗議する高江住民とともに座り込み行動に参加したことの報告から始まった。

 「2月の本格工事強行以降、毎日百人近くの作業員が動員されている。作業員の多くは若者だった。座り込みをなぜ行っているのか語りかけていった。だが上からの命令で突如座り込みに体当たりしてきたり、暴力的になった」ことを糾弾した。

 さらに国が高江住民などを相手にヘリパッド工事妨害の損害賠償などと称して提訴した「SLAPP訴訟」(恫喝訴訟)を取り上げ、「住民に対する訴訟費用、時間的拘束など大きな負担をかけてきている」と批判した。

 高江住民の会からの連帯メッセージが紹介され、「3月から6月までの間、沖縄防衛局は希少鳥類の営巣期間であるため、騒音の大きい重機を使った作業を控えるとしており、今現在工事は中断していますが、また七月から本格的な工事再開が予想されています」と支援を訴えている。

  「高江にヘリパッドを造らせるな!」の声を抑えつけるな!沖縄を踏みにじるな!緊急アクション実行委員会は、「警視庁と一体となって都公安委員会がデモ申請を認めずコース等の変更強制してきた。抗議して『仮処分』を申し立てた。ところが都は五〇ページにわたる『過激派キャンペーンにもとづく『意見書』を出してきた。デモへの過剰な規制と禁止を許してはならない」と批判し、大使館前規制と二人の仲間の不当逮捕もこのような権力の姿勢の延長にあったことを糾弾した。

 奪還された赤坂一号は、「山谷闘争、野宿者運動の経験からしても、今回の不当逮捕でもあらためて権利を掲げて実現していくことの重要性を実感した。権力の横暴を許さず、権利を掲げて反弾圧を闘っていきたい」と決意表明した。

 赤坂二号は、代用監獄である三田署において権力の人権・人格を否定した対応を認めず、果敢に抗議の闘いを繰り広げ、不当な取調べを跳ね返していったことを報告。そして「獄中において外からの激励行動が聞こえていた。大変力強かった」と勝利宣言した。

 救援会は、①2.20経過②救援対策③分析④イラク開戦以後の弾圧状況について提起し、「今回の反弾圧の闘いの成果を確認し、沖縄基地撤去の闘いを行っていこう」と呼びかけた。

 さらに発言がゆんたく高江、麻生邸国賠訴訟団、辺野古実、みんなの宮下公園をナイキ公園化計画から守る会、フリーター全般労組、沖縄をふみにじるな!緊急アクション実から行われ、今後の闘いの方向性など提起した。(Y)

福島が示したこと―原発は核の破局を意味する

fukushima errorインターナショナル・ビューポイント オンライン・マガジン: IV434 - March 2011


福島が示したこと―原発は核の破局を意味する

http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2027

ダニエロ・タヌロ

 起こったことは完全に予測可能だった。それはいまだもう一つの核の大「事故」のレベルである。この文章を書いている時点では、福島がチェルノブイリに類似した惨事の局面に入っているかどうかは定かではないが、悲しいことにそうした方向に展開しているように見える。しかしそれが大惨事に発展するかいなかにかかわらず、われわれは、再びテクノロジーが100%安全であることなどありえないという証拠に直面しているのだ。


その危険は恐るべきものであるので、結論は明白だ。核エネルギーを放棄すること、しかもできるだけ速やかに放棄することが緊急の課題なのだ。ここに書くことは、福島の教訓についての最初の学習である。それは終わりなき成長という資本主義モデルへのオルナタティブに関する真に社会的な討論を必要とする、きわめて根本的な社会的・政治的問題を提起している。

危険なテクノロジー

 1957年のウインドスケール(訳注:1957年10月10日に、英国ウインドスケールのプトニウム1号炉で起きた放射性物質大量排出事故)、一九七九年のスリーマイル島、1986年のチェルノブイリ、1999年の東海村、そして現在の福島。原子力発電の事故のリストは拡大し続けている。違った道に進むことなどありえないし、なぜそうなったのかを理解するには核物理学博士になる必要などない。

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【韓国チャムセサン】死刑廃止国は増加し、死刑執行の減少

韓国の社会運動情報サイト:チャムセサンから翻訳
http://www.newscham.net/news/view.php?board=news&nid=60840

アムネスティ・インターナショナルの発表で、"韓国でも死刑制度の廃止を早急に決断しなければ"

キムドヨン記者2011.03.28 05:34

dj(画像は金大中に死刑判決を下した軍事法廷 1980年)

2010年の全世界の死刑執行件数は、前年度に比べ減少した一方、死刑廃止国は増加するなど、国際的な死刑廃止の動きが持続的に現れている。

アムネスティ・インターナショナルは28日、『年次死刑の現状レポート:2010死刑と死刑執行』を発表し、"過去10年の間、死刑廃止の流れの発展によって、死刑を行う国々がますます孤立している"と主張した。

アムネスティ・インターナショナルの発表によると、死刑制度の運営に関連して機密性を維持している中国を除いて、正式に記録された全死刑執行件数は、2009年の最低の714件から2010年の最低の527件に減少した。

また、昨年2月、ガボン共和国ですべての犯罪に対する死刑制度が廃止されたことで、2011年3月16日現在、すべての犯罪に対する死刑廃止国は、昨年より一カ国増の96カ国で、1991年(48カ国)から着実に増加していることが分かった。

アムネスティ・インターナショナルは、引き続き、現在の一般的な犯罪への死刑廃止国は9カ国、事実上の死刑廃止国は34カ国で、まだ死刑制度を存置している58カ国のうち、2010年、実際に死刑を執行した国は半分以下の23カ国だけだったと伝えた。

アムネスティ・インターナショナルのシェティ事務総長は「死刑執行は減少したが、相変らず多くの国家が重犯罪を除いては死刑の使用を禁止している国際法に違反して、麻薬関連犯罪、経済犯罪、同意の下に結ばれる成人間の性関係(訳注-同性愛を含む)、神聖冒涜などの罪目に死刑を宣告してきた」として、「世界的な死刑反対の動きに逆らって死刑制度を組織的に使う少数の国家は、昨年処刑された数千人の生命に対する責任がある」と指摘した。

一方、今年、死刑執行停止14年を迎え、事実上の死刑廃止国に分類されている韓国の場合、2010年12月31日現在確定死刑囚は61人で、昨年2月、憲法裁判所は5対4の裁決で死刑制度を合憲と宣言した。(訳注-2010年2月25日に韓国の憲法裁判所が死刑制度を裁判官9人中,合憲意見が5人,違憲意見が4人で「合憲」と判断したこと)

キムフイジン:アムネスティ韓国支部事務局長は「今年で死刑執行停止14年を迎えた韓国社会では死刑制度の存廃について、今岐路に立っている」とし「現在、国会で三つの死刑廃止法案が準備されており、昨年10月には六つの政党の代表的な議員らが、世界の死刑廃止デー記念式を開催し、国会議員の共同宣言を発表するなど、国会内で死刑制度の廃止にかなりのコンセンサスが形成されている。 国会の速やかな決断が必要だ」と主張した。

2010年の一年間の合計67カ国で少なくとも2,024人が新たに死刑を宣告され、現在地球上には少なくとも17,833人以上の死刑囚が存在する。


【アムネスティ・インターナショナル日本】
2010年の死刑~過去10年の進展により、死刑存置国はさらに孤立
http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=940

【報告】3.27反原発緊急デモに1200人の結集

 3月27日、東京・銀座で反原発デモが開催された。この日のデモは首都圏の反原発市民団体が呼びかける「再処理とめたい!首都圏市民のつどい」が主催したもの。首都圏では3月11日以後で最も規模の大きい行動となった。デモ出発地点の水谷橋公園にはのぼり、横断幕などを持った市民が続々と結集し狭い公園敷地から路上にあふれた。午後二時にデモが出発してからも参加者が詰めかけ、デモの列は1200人に膨れ上がった。


 
 数寄屋橋交差点を通り、内幸町の東京電力本社前ではデモ隊が立ち止り、「東電はウソをつくな」「責任を取れ」「被曝労働をさせるな」などの怒りの声が渦巻いた。

 デモ解散地点の日比谷公園内ではたんぽぽ舎の柳田真さんの司会で、集会が行われた。最初に今回の地震・津波で亡くなった人びとを追悼しで黙祷した後、最初に福島第一原発の立地自治体である大熊町の住民で避難先の栃木県から参加した方が発言。避難を強制され、郷土を奪われた現地の住民の怒りを語った。たんぽぽ舎副代表の山崎久隆さんは、政府・東電とも、柏崎刈羽を襲った地震のレベルでも福島第一原発は耐えられないことを知っていた、と語り「想定外」というウソを暴きだした。山崎さんは、今すぐやらなければならないこととして今動いている原発をただちに止めること、とりわけ浜岡原発を止めなければならない、と怒りを込めて訴えた。

 続いて福島老朽原発を考える会の坂上さんは、放射能汚染が広がっていること、チェルノブイリの強制移住地の六倍のセシウム137が検出されていることをお指摘し、食品汚染の基準を緩和しようとしている政府の策動を批判した。さらに脱原発東電株主運動の木村結さん、東電前での抗議活動を続けてきた「新宿ど真ん中デモ」の園良太さん、ふぇみん婦人民主クラブの山口さん、浜岡原発停止を政府に求める意見書を市議会で採択させた清瀬市議の布施さん、プトニウムなんていらないよ!東京の高木章次さん、原発核燃とめよう会、ストップ原発・核燃意見広告の会、ピースアンドピースの斎藤美智子さん、映像作家の荒川さん、チェルノブイリこども基金、と発言が続いた。

 発言の中では、マスメデイア、御用学者の「安全」宣伝に怒りが集中した。

 地震・津波・原発災害被災者への支援活動に全力をあげるとともに、浜岡をはじめとする稼働中の原発の即時停止を勝ち取り、脱原発社会へ大きく舵を取ろう。(K)


▲"FUKUSHIMAは警告する"
3月25日、ドイツ各地で反原発同時行動 警察発表で25万人の結集

リビアで何が起こっているのか―ジルベール・アシュカルとのインタビュー

インターナショナル・ビューポイント オンライン・マガジン: IV434 - March 2011

リビアで何が起こっているのか―ジルベール・アシュカルとのインタビュー
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article2038

 ジルベール・アシュカルがスティーブン・R・シャロムからインタビューを受けた。このインタビューは3月19日にZネットに掲載された。(IV編集部)



――リビアの反政府勢力とはどのような人びとなのでしょうか。一部の人びとは、反乱勢力の間で王制時代の旗が掲げられていることに言及していますが。



 この旗は王制のシンボルとしてではなく、イタリアからの独立を勝ち取った後に採用されたリビア国家の旗として用いられているのです。決起した勢力が、カダフィが毛沢東と彼の『語録』をまねて『緑の書』とともに押しつけた緑の旗を拒否するために。この旗を使っているのです。三色旗は決して王制への郷愁を示すものではありません。最も共通の解釈では、この三色旗はリビアの三つの歴史的地域を象徴するものです。三日月と星はアルジェリア、チュニジア、トルコ共和国に見られるものと同じシンボルであり、王制のシンボルではありません。

 それでは反政府派とは何者なのでしょうか。反政府勢力の構成は、この地域を揺るがしている他のすべての反乱勢力と同様に、きわめて不均質です。これらすべての同質性を欠いた勢力を統一させているのは独裁の拒否であり、民主主義と人権への熱望です。その上に、多くの異なる展望が存在しています。とりわけリビアでは、人権活動家、民主主義の支持者、知識人、部族的要素、そしてイスラム主義勢力が混在する非常に広範な連合が存在しています。リビアの蜂起において最も傑出した勢力は「2月17日革命青年連合」です。かれらは民主主義的政綱を持っており、法の支配、政治的自由、自由選挙を呼びかけています。リビアの運動は、分裂して反対派勢力に加わった政府機関や軍部隊の一部を含んでいます。そうした部分はチュニジアやエジプトには存在していませんでした。

 したがってリビアの反対派は諸勢力の混合であり、かれらに対してこの地域の他の国の大衆的決起に対するものと異なった態度を取る理由などありません。



――カダフィは進歩的存在なのでしょうか、あるいは以前は進歩的だったのでしょうか。




 カダフィが1969年に政権を取ったのは、第二次世界大戦と1948年の「ナクバ」(イスラエル建国によるパレスチナ人の追放と離散)に続いたアラブ民族主義の波の遅れた表現でした。彼は自分のモデルとして、また自分が示唆を受けた存在と見なしたエジプトの指導者ガマル・アブデル・ナセルを模倣しようとしました。そこで彼は王制を共和制に取り換え、アラブの統一を唱道し、リビア領内の米空軍ホイーラス基地を撤退させ、社会的変革のプログラムを主導しました。

 カダフィの政権はその後、イスラム化した毛沢東主義に示唆を受け、ラディカルな路線に沿って独自の道を進んでいきました。一九七〇年代には国有化が広がり、ほとんどすべてが国有化されました。カダフィは直接民主主義を打ちたてたと主張し、国名を正式に共和国から「大衆国家」(ジャマヒリア)に変更したのです。彼は、直接民主主義を伴った社会主義的ユートピアを実現したものへと国家を転換させたと装いましたが、それにだまされる者はほとんどいませんでした。「革命委員会」は実際には、国家をコントロールする治安部隊とともに支配機構として機能したのです。同時にカダフィは、彼自身の権力の道具として部族主義を新たに活性化させたという点で、とりわけ反動的役割を果たしました。彼の外交政策はますます無鉄砲なものとなり、ほとんどのアラブ人は彼を異常な存在だと見なすようになったのです。

 ソ連邦が危機に陥る中で、カダフィは社会主義的偽装から転身し、西側とのビジネスに経済を開放しました。彼は、毛沢東の「文化大革命」の物まねをした後にゴルバチョフのペレストロイカを物まねし、経済的自由化は政治的自由化を伴ったものだと主張しましたが、その政治的主張は空虚なものでした。米国が「大量破壊兵器の捜索」を口実にイラクを侵略した時、彼は次は自分の番ではないかと心配し、突然驚くべき外交政策の転換を実行して、「ならず者国家」から西側諸国との密接な協力者へと目を見張るような地位向上を勝ち取ったのです。とりわけ彼は、米国と協力して、いわゆる「対テロ戦争」を支援し、イタリアのために、アフリカから欧州に行くことを望む移民を追い返す卑劣な仕事を行いました。

 この三回の変身を通じてカダフィ体制はつねに独裁そのものでした。カダフィが初期において進歩的措置を実行したのだとしても、彼の体制の最終局面では進歩主義や反帝国主義のひとかけらも残ってはいませんでした。その独裁の性格は、彼が抗議行動に対処するやり方に示されています。即座に実力での弾圧を決定するのです。そこには民衆に対して何らかの民主主義的はけ口を提供しようという試みなど存在しませんでした。今や彼は、抗議行動参加者に対して有名な悲喜劇的演説をするに至っています。

 「われわれは、綿密に、家ごとに、小路ごとにお前たちを探し出す。……われわれはお前たちを戸棚の中から見つけだす。われわれは情け容赦はしない」。

 カダフィが、アラブの支配者の中で唯一、独裁者ベンアリを引きずり下ろしたという咎でチュニジア民衆を公然と非難したのは驚くべきことではありません。彼はベンアリをチュニジア民衆が見いだせる最善の支配者と描き出していたのです。

 カダフィは、抗議行動を行っている者たちはアルカイダの麻薬中毒者であり、コーヒーに幻覚剤を注いでいると主張し、脅しと暴力的弾圧に訴えました。蜂起した人びとをアルカイダと非難したのは、西側からの支持を取り付けようとする彼のやり方です。ワシントンやローマから支援の申し出があったとすれば、カダフィは喜んでそれを受け入れたのは確実です。彼は実際に、ともにパーティーを楽しんだ仲で親友であるイタリア首相シルビオ・ベルルスコーニの態度に激しい失望を表明し、他の欧州の「友人たち」も彼を裏切ったと不満を述べたてました。

 この数年間、カダフィは何人もの西側の支配者や体制側の人物と真の友人になっていました。カダフィの「友人」たちは、ドルの大金のために自らを嘲りながらカダフィと抱き合いました。元英首相トニー・ブレアの「第三の道」の際立った理論家であるアンソニー・ギデンズは、2007年にカダフィを訪問して彼の使徒への道を踏み出し、「ガーディアン」紙に、いかにリビアが改革の道を歩み、中東のノルウェーになろうとしているか、と書いたのです。



――3月17日に採択された国連安保理決議1973をどう評価しますか?



 決議それ自体は、反カダフィ決起派の飛行禁止区域を求める要求を考慮する――そしてそれに応えるように見える――形で文章化されています。反政府派はまさしく、外国の軍隊がリビアの領土に配備されないという条件で飛行禁止区域を設定するようはっきりと求めていました。カダフィは航空機、戦車を備えた多くのエリート部隊を持っており、飛行禁止区域の設定は、彼の軍事的有利さの大きな部分を実際に帳消しにする効果を持つでしょう。蜂起勢力の要求はこの安保理決議の文書に反映されており、国連加盟諸国が「外国軍がいかなる形でもリビアの領土を占領することを排しつつ、ベンガジをふくむリビア・アラブ・ジャマヒリヤ内で攻撃の脅威にさらされている市民ならびに市民居住地域を守るために……あらゆる措置を取る」ことを認めています。この決議は「市民の保護のためにリビア・アラブ・ジャマヒリヤの空域に飛行禁止区域」を設置することにしています。

 決議の文面には、帝国主義の目的のためにこの決議を利用することを禁じる十分な保証はありません。あらゆる行動の目標は市民の保護であり、「体制変革」ではないとされているものの、どのような行動がこの目標に合致するか否かを決めるのは、蜂起した勢力ではなく、国連安保理でさえなく、介入する諸国に委ねられています。決議は驚くほど混乱したものです。

しかし、カダフィの軍によるベンガジ攻撃が不可避的に引き起こす虐殺を防止するという緊急性の下では、そして市民の保護という目標を達成するための別の対案がないという条件の下では、誰もそれに反対することはできません。棄権票を理解することはできます。国連安保理常任理事国の五カ国の一部は、かれらの否認、そして/あるいは適切な監視がないという不幸を表明しようとしましたが、差し迫った虐殺への責任が欠如していました。

もちろん西側諸国の対応は、石油への欲望によるものです。西側は紛争の長期化を恐れています。大虐殺が起きたら、かれらはリビアの石油への禁輸をしなければならなくなるでしょう。そして現在のグローバル経済の状況の下で石油価格を高レベルにしておくことは、ひどい逆効果をもたらします。米国をふくむ一部諸国は、気の進まぬ行動をとりました。フランスだけが強力な行動を取ることに強い賛意を示しました。それはフランスが――ドイツ(安保理の投票に棄権)、イギリス、とりわけイタリアと異なり――リビアの石油に大きな利害関係を持っておらず、カダフィ後の政権の下でより多くのシェアを手に入れようと望んでいる事実と結びついています。

私たちすべてが西側諸国の口実とダブルスタンダードについて知っています。たとえば空爆による市民の被害への憂慮なるものは、不法な占領を促進するイスラエルの軍用機によって幾百人もの非戦闘員が殺された二〇〇八~九年のガザには適用されたようには思えません。また米国は、大きな米海軍基地を持つバーレーンで、自らの顧客である体制が、この地域におけるワシントンの別の属国の援助を受けて民衆の決起を暴力的に弾圧した時、それを容認しました。

 それにもかかわらず、もしカダフィが攻撃を続けることを容認されてベンガジを制圧すれば、大虐殺が起きるだろうという事実は残ります。それは住民が本当に危険に陥り、かれらを守る別のもっともらしい対案がないというケースになります。カダフィの軍部隊による攻撃は、数時間、長くとも数日後に迫っています。反帝国主義的原則の名の下に、市民の虐殺を阻止する行動に反対することはできません。同じことですが、われわれがブルジョア国家の軍隊の本質とダブルスタンダードを知っていたとしても、反資本主義原則の名の下に、誰かがレイプの現場に立ち会い、レイプ犯を阻止する別の方策がない場合に軍隊に助けを求めることを非難できないのです。

 つまりわれわれは飛行禁止区域の設定に反対と語ることなく、諸国の遂行する活動を監視し、国連安保理決議が委託した市民の防衛を超えて進むことがないようにするために、抵抗を表明したり十分な監視を支持したりしなければならないのです。TVを見ていると、ベンガジの大衆は決議の一節を歓迎していましたが、私はその中に、アラビア語で「外国の介入反対」と書かれた大きなボードを見ました。この都市の人びとは地上戦部隊の介入を意味する「外国の介入」と防衛的な飛行禁止区域の設定とを区別しています。かれらは外国軍に反対しています。かれらはその危険性に気づき、賢明にも西側諸国に信頼を置いていません。

 したがってまとめて言えば、危険に瀕する住民を守るしっかりした代案がないという状況の下で、反帝国主義的展望から見て、飛行禁止区域に反対できないし、すべきでないと私は考えています。エジプト人たちはリビアの反政府勢力に武器を提供している――それはいいことです――と報じられていますが、それ自身としては、間に合ってベンガジを救い出すことには影響しません。しかし繰り返しますが、西側諸国を行うことに対してきわめて批判的な態度を維持しなければなりません。



――いま何が起ころうとしているのでしょうか。



 いま何が起ころうとしているのかを語るのはむずかしいですね。国連安保理決議は体制変革を呼びかけているわけではありません。それは市民の保護にかかわるものです。カダフィ体制の将来は不確実です。鍵となる中心問題は、トリポリをふくむ西部リビアで民衆決起が再開し、政権側の軍部隊の分解を引き起こすかどうかです。それが起こればカダフィは速やかに追放されるでしょう。しかし体制側が西部への支配を強固に維持できれば、国家は事実上分裂するでしょう。国連安保理決議が、リビアの領土的一体性と国民的統一を主張しているとしてもです。カダフィ政権が国連決議の受諾と休戦を宣言していることから見れば、これはおそらく体制側が選んだことです。そうなればカダフィが西部を支配し、反政府勢力が東部を支配するという、長期的な手詰まり状況になるかもしれません。

そうなれば反政府勢力の側が、エジプトからあるいはエジプトを通じて受け取っている武器を統合して、カダフィの軍を敗北させるようになるためには時間がかかることは明らかです。リビアの地理的特性を考えれば、これは人民戦争ではなく広大な広がりを持った地域を移動する正規軍間の戦争になるでしょう。結果を予測するのが難しいのはそのためです。

 ここで再び肝心な点は、リビアの民主主義的決起の勝利を支持することです。カダフィがこの決起を敗北させれば、現在中東と北アフリカを揺り動かしている革命の波に否定的影響を与える厳しい後退をもたらすでしょう。



▼ジルベール・アシュカルはレバノン出身の国際政治学者。ロンドンの東方・アフリカ研究スクールで教鞭をとる。邦訳書に『野蛮の衝突』(作品社)、『中東の永続的動乱』(つげ書房新社)。

▼(「インターナショナルビューポイント」11年3月号)
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