虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

【アジ連3.26公開講座報告】~資本主義では生きられないョ!全員集合~

ajirenアジア連帯講座 3.26公開講座報告

「~資本主義では生きられないョ!全員集合~ 『資本論』から読み解く危機と失業青年に襲いかかる失業を跳ね返えそう!」

講師:森田成也さん(大学非常勤講師)

 

 3月26日、アジア連帯講座は、「~資本主義では生きられないョ!全員集合~ 『資本論』から読み解く危機と失業 青年に襲いかかる失業を跳ね返えそう!」というテーマで資本論研究の森田成也さん(大学非常勤講師)を講師に招き、公開講座を行った(コア・いけぶくろ)。著作に『資本と剰余価値の理論――マルクス剰余価値論の再構成』(作品社/2200円)、『価値と剰余価値の理論――続マルクス剰余価値論の再構成』(作品社/2200円)、翻訳にデヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』(作品社/2600円)、多数の翻訳などがある。

 森田さんは、「1、『資本論』から読み解く際の注意点/2、『資本論』1巻の「資本蓄積論」で読み解く失業/3、『資本論』第1巻の「資本蓄積論」の限界を超えての考察」について提起し、最後に「われわれは現代の問題を見て『資本論』に足りないもの、あるいは萌芽的なものはあるが十分には展開されていない部分を見つけ出して、それを『資本論』の精神、マルクスの精神にのっとって理論そのものを発展させていくことが必要である」と述べ、資本論との格闘姿勢を強調した。以下、講演要旨を掲載する。

 『資本論』から読み解く危機と失業

森田成也(大学非常勤講師)@豊島区民センター(2011.3.26)

はじめに

 今日のテーマは「『資本論』から読み解く危機と失業」となっているが、実を言うと、「危機」という問題について曲がりなりにもお話するには、『資本論』全巻にプラスして、さらに『資本論』のいわゆる後半体系(国家、外国貿易、世界市場)というところまで話を展開させなくてはならない。だが、これはちょっと今日の限られた時間の中ではとうてい無理なので、「危機」よりも「失業」の話、すなわち『資本論』の用語で言えば「相対的過剰人口」の話に限定して、それを『資本論』第1巻の資本蓄積論との関係でお話したい。

 

  1、『資本論』から読み解く際の注意点

 

 2008年に世界金融恐慌が起こり、金融資本主義的な路線が誰の目にも明らかな形で破綻した。その後、経済危機を解明していくツールの1つとしてマルクスや『資本論』に対する興味が復活していった。それ以前にすでに新自由主義とグローバリゼーションのせいで不平等と貧困が世界的に顕著となり、それとの関連でもマルクスに対する興味が復活していた。だから2009年頃からこの日本でもいくつかの出版社が争ってマルクス関連本を出版しだした(ただしその多くは安直な単なる便乗本だったのだが)。

 

  『資本論』は完成された書物ではない

 しかし、気をつけなければならないのは、『資本論』は完成された書物ではないということだ。マルクスの生前に出版されたのは、『資本論』の第1巻(初版1867年)だけ。第2、第3巻はいくつかの草稿という形で残され、エンゲルスが10年以上かけて苦労して、ようやくそれらの草稿をつなぎあわせて第2、第3巻を出版した。

 ならばこの第1巻は完成された書物なのかというと、そこも大いに疑問だ。マルクスは最初の草稿である『経済学批判要綱』と呼ばれているものを書いてから、何度も草稿を書いて最終的に『資本論』を書いた。この間は約10年だ。初版から2版にかけてもかなり書き直している。フランス語に翻訳する際にも自ら念入りに手を入れている。大筋の論理は変わっていないが、別の著作とも言えるぐらい細部に至るまで書き直している(現在われわれが読んでいる第4版はフランス語版からかなり文章を取り入れている)。このように何度も書き直しを繰り返したことからしても、第1巻を完成された書物とみなすことはできない。もしマルクスがもっと長生きしていたとすれば、さらに書き直した可能性があるからだ。

続きを読む

鎌倉で400人の反原発デモ

kamakura4月10日、反原発一斉行動にあわせて、神奈川県鎌倉市でも行動が取り組まれた。

主催は「イマジン 原発のない未来」となっている。15時に鎌倉駅時計台広場を出発した一行は若宮大路を三の鳥居まで行って折り返し、長谷寺方面を目指す道のりを歩いていった。

鶴岡八幡宮に至る桜並木の下に繰り出してきた人も大勢いたが、その人たちにも向けて「想像(創造)しよう 原発のない未来」「自然エネルギーを選びたい」「美味しい空気が吸いたい」「原発さんお疲れ様、あなたがいなくても私たち頑張ります」などのコールをあげていった。

主催にはサーフィン愛好家、地元の雑貨屋、共同保育のネットワークが生かされているようで、サーフボードにメッセージを書き込んだり、子供達が自前のプラカードを手に歌を歌ったり、鳴り物を鳴らして踊る姿に共感して参加する人は次第に膨らんでいった。知り合いの参加者を見つけて、商店主が店頭で拍手をしていたり、親子連れが手を振っているという光景が絶え間なくみられた。解散地点の由比ガ浜では参加者は400人だったということである。

放射能の危険ということへの率直な行動が各地で始まったという実感を強くするとともに、この社会で依然として原発が受け入れられ、危険な労働に従事する人が用意されているという現実にこたえうる街頭の行動を少しでも多く準備しなければならないとも感じた。

(海)

【報告】 4.10 「浜岡原発すぐ止めて!市民集会とデモ」に2500人

410 4月10日、東京港区の芝公園で「浜岡原発すぐ止めて! 市民集会とデモ」が開催された。主催は浜岡原発すぐ止めて!実行委員会。

 東日本大震災によって深刻極まる原発災害が引き起こされてから1カ月、被害がさらに拡大し、多くの住民が避難を余儀なくされ、放射能汚染が人びとの健康・生活・生命を脅かすものであることが衝撃的に明らかにされた。それは原発建設をウソとごまかし、脅しによって進めてきた歴代政府、東電などの電力企業、御用学者。マスコミなどの犯罪性が人びとに明らかにされていく過程でもあった。

 この日の集会・デモは3月27日のデモを倍する2500人が参加し、政府や東電の責任を厳しく追及した。
 
 東海地震の震源域の真上に位置する静岡県御前崎市の浜岡原発は、東関東大地震によって、今も制御不能による「チェルノブイリ」に匹敵する危機が進行している福島第一原発と同様の、あるいはそれ以上の危険性が指摘されている。2007年9月には約1000年に一度の周期でマグニチュード9の超巨大地震が発生していることが学術調査で確認されている。しかし中部電力の計算はM8・5以上の地震は起こり得ないという想定に基づいている。

東海地震、東南海地震、南海地震の三連動型地震の可能性も指摘する中で。もし東海地震が起きた場合、津波による原子炉破壊、放射能飛散による被害は福島第一原発事故よりもさらに大きなものになると警告されている。集会では、浜岡原発の即時停止、原発によらないエネルギー政策への転換が強く訴えられ、さらに東日本大震災被災者への支援が呼びかけられた。ドイツ文学翻訳家の池田香代子さんとともに菜の花を手に登壇した、大学に入ったばかりの若者も同級生とともに原発を今すぐやめさせよう、と行動している、と語った。
 
410 2デモは、経済産業省、中部電力東京支社前、東電本社前で「原発やめろ!」の声を上げ、歴代政府、電力企業の原発推進政策を厳しく糾弾した。4月24日にはチェルノブイリ原発事故二五年にあたって「くり返すな!原発事故 つくろう!脱原発社会」集会とデモが、同じ芝公園23号地で開催される、さらにこの日を倍する結集をかちとろう!(K)












 なおこの日、東京・高円寺で行われた反原発デモには、若者たちを先頭に15000人が大結集し、高円寺の町が反原発の声によって席巻される画期的な闘いとなった。




【反原発1988】「原発とめよう一万人行動」に二万人の大結集



第四インター日本支部機関紙 週刊『世界革命』(現『かけはし』)1988年5月2日号(第1042号)から。


4.23-24 原発をとめよう

東京の空に二万人の声
かつてない運動の広がりと高まり

4月23、24日の二日間、東京で開かれた「原発とめよう一万人行動」は、全国から二万人を結集してかつてない大成功を勝ちとった。政府・電力資本など原発推進勢力はこの反原発闘争のたかまりに直面し、早くも商業新聞各紙に全面広告を出すなどの反撃を開始した。しかしこの反原発の高まりは、推進派のデマがもう通用しないことのあらわれなのだ。四月行動の力を倍加、十倍化し、本当に原発を止めるまで闘い続けよう。

4251
●あらゆる人の予想を越えて

4月23日、24日の二日間にわたって行われた「チェルノブイリから二年、いま全国から 原発をとめよう一万人行動」は、日本の反原発運動でかつてない大成功をかちとった。

23日、15の会場に分かれたテーマ別分散会、関連企画には、どこにも会場に入り切れない人が出るほどの結集で、合計三千人を超す人々が参加し、熱のこもった活発な討論や報告が続いた。

24日の集会&フェスティバルでは、日比谷公会堂と小音楽堂をギッシリと埋めつくしただけでなく、公園全体を人の波、旗、のぼりが埋め、各所で集会、コンサート、署名、出店、そして音楽にあわせた踊りがくりひろげられた。「一万人行動」は、「二万人行動」となり、あらゆる人の予想を超えた。集会後の銀座通り、東京駅から常盤橋公園へとむかう約3キロのパレードは、先頭が解散地点に到着しても最後尾が公園を出発していないという長蛇の列となり、この間にない大デモンストレーションとなった。

チェルノブイリ原発事故から2年、伊方原発出力調整実験反対運動から一挙に高まった反原発闘争の新たなうねりは、全国各地でねばり強く闘い続けられてきた農漁民、周辺住民の不屈の闘いと結びつき、この大高揚を実現したのである。

「チェルノブイリをくりかえしてはならない」「子供たちの、自分たちの、そして地球の未来を守らなければならない」。この強烈な感情が、全国から参加した二万人を強く結びつけていた。そして全参加者は、この力をさらに押し広げ、必ず原発を止めることを固く誓い合った。本当に原発を止めるまで、全世界ですべての原発を止めるまで、休みことなく闘い続けよう。

●政府省庁との直接交渉

23日、午前十時から行動が始った。十時半から予定されている政府省庁との直接交渉に、あらかじめ決められた代表団が向かう。通産省、科学技術庁、厚生省、労働省、消防庁の各省庁は、それぞれ原発の許認可、運転や、原発で働く労働者の安全、輸入食料品の放射能汚染、原発事故の際の対策などに責任を持つべきところだ。そこに多くの人々が原発について抱くさまざまな不安や疑問をぶつけ、責任ある回答を引き出そうという行動である。

しかし、彼らの第一の回答は、霞が関一体に配備された装甲車、放水車など大量の警備車両と、何重にも張り巡らされた機動隊の列だった。各省庁側の要求を受け入れ、事前に交渉団の氏名や住所その他を伝えてあるにもかかわらず、何の権限もないはずの警察が、何度も何度もチェックを繰り返す。また、通産省を抗議の人間の鎖で包囲しようと集まった人々に対しては、全く不当にも暴力的に日比谷公園に追い立て、そこから一歩も出さないという暴挙を働いた。

交渉団を待つ間、集まった千人あまりの人々は抗議の集会を開く。伊方、上関、下北、浜岡など、全国各地から闘いの報告があい次いだ。午後1時半からの分散会に出発しなければならないギリギリの時間に、交渉団が帰り、経過を報告した。

通産省との交渉について、女川原発反対同盟の阿部宗悦さんは、「これまで二十数回も女川のことで交渉してきたが、いつも同じ判で押したような回答ばかりだった。しかし今回のは一番悪い。彼らには人間的な感情の一片もない。原発を止めるまで闘い抜く」と怒りの報告。通産省はこの間の事故の例を挙げた追及にたいして、何の根拠も示さず「日本ではスリーマイルやチェルノブイリのような事故は起こりえない」「電力会社も事故防止に努力している」などという、度しがたい答弁に終始した。

輸入食品の放射能汚染について追及された厚生省は「健康には何ら心配ない」と繰り返すだけだった。事実上ザルにチェック体制で、どんどん汚染食料品が入り続けていることが、市民団体や良心的研究者の調査でも判明しているのが現実なのだ。他の省庁の態度も、全く同様のものだった。「彼らにはチェルノブイリを防ぐ能力はない」。これが交渉が明らかにした現実だった。そして、これら原発推進派のもとで、日々危険性はふくれ上がり、悲劇は引きよせられていく。報告を受けた参加者は、ただちに各分散会会場へ向かった。

各分散会は、いずれも主催者の予想を倍する結集で、熱のこもった報告、討論が行われた。

●会場を埋める人の波

正面から入ると、日比谷公園は小音楽堂から公会堂まで、見渡すかぎり人の波、旗やのぼりの波だ。噴水のまわりで、木陰で、それぞれ集会を開き、歌い、踊り、訴えている。初夏を思わせる日差しのもとでびっくりするほどのにぎやかさ、華やかさだ。

午前11時ちょうど、公会堂で集会が、小音楽堂でフェスティバルが始まった。それぞれで、全国各地の闘いの報告、歌声が続く。

メイン会場でも、昨日の分散会に続きスウェーデンのポール・ドーイさんやオーストリアのペーター・バイシュさんが報告。サミー人の生活と文化を破壊した事故の恐ろしさ。とりわけトナカイの肉を通じた全身被曝が最高で10万ベクレル。ドーイさんのお父さんも2万ベクレルも被曝しているという報告は、会場からどよめきが聞こえるほどの衝撃だった。

3千キロも離れたスウェーデン中部のサミー人地区これほどまでに汚染したチェルノブイリ原発事故。「どこで事故が起きても世界中が汚染される。日本の原発もすべて止めるために皆さんが活動することを期待する」。

バイシュさんは、オーストリアの唯一の原発を稼働前に国民投票で廃止に追い込んだ経験を報告した。スウェーデンでも、11基すべての原発を2010年までに廃棄していくことが決定されている。二人の報告は、あらためて原発の恐ろしさを突きつけると同時に、人民の力でそれを止めることが可能なのだということを教えた。一刻も早く、すべての原発を止めなければならない。二人の報告に決意を込めた全体の拍手。

古川豪&ノビヤカス、館野公一さんなどの軽快な歌声を間にはさんで、各地で反原発闘争を闘っている人々が次々に発言した。

●止められる確信を深め

4252この間、日本の反原発闘争はいくつかの大きな勝利を実現した。四国電力の原発立地計画を押しもどし、3月21日、自社公推薦の原発推進派を破って反原発派町長を誕生させた闘いを、地元・窪川から島岡幹夫さんが報告。

「もし原発が作られれば、その電気は本四架橋で本州に送られるはずだった。これ以上四国を原発で汚染されたくない。八年間の闘いで、勝つには地域の人々の心をつかむこと、魂に訴えることだということを学んだ。リコール運動では住民の行使できる権利をすべて行使してきた。全国も窪川、日高に続いて勝利してほしい。闘えば必ず勝てるということを信じてほしい」。

つづいて、3月31日、和歌山県比井崎漁協臨時総会は、原発建設のための前調査を拒否した。関西電力、和歌山県、日高町当局のすさまじい札束攻勢と切り崩しをはねのけ、海と地域を守る闘いに勝利したのだ。この闘いを日高の漁民・浜一巳さんが報告。闘いは、もう三十年になる。浜さんが父親から引きついでからすでに13年、切り崩されては盛りかえし、また切り崩されては再組織する闘いの連続だった。しかし、絶対にあきらめることなく続けられた苦闘は、ついに勝利を勝ちとったのだ。

「日高原発が止まったことを皆さんに報告します。力をあわせれば、運転中の原発も、計画中の原発も、必ず止めることができます」。

新潟の東北電力巻原発も、巻原発反対共有地主会の存在によって4年前にストップしたままになっている。審査開始から7年、とつくに着工されていなければならないはずだ。東北電力は、共有地を除外して線引きをやり直し、安全審査を再開しようと考えているが、勝利寸前の局面にある。共有地主会の赤川勝さんが報告。

「予定地のどまんなかに私たちの共有地があるために審査を通せない。一時、三里塚のような強制収用を考えたようだ。しかし、そのためには通産省が認可を出すことが必要で、そのためには安全審査を通っていなければならないというジレンマに陥っている。しかし、通産省は、もう国の意思でやると決めたことだからやめるわけにはいかないと言っている。決して安心はできない。国の意思で作ろうと言うのなら、私たちの意思で対抗していかなければならない」。

赤川さんは、夏には共有地に立つ団結浜茶屋を海水浴に大いに利用して欲しいと呼びかけ、同時にこの六月にもチェルノブイリ事故後はじめての新規原発として着工が迫っている能登原発阻止のために、全国の力を結集しようと訴えた。

さらに、伊方原発反対八西連絡協議会から、能登から、核のゴミ捨て場に反対する北海道、幌延、天塩から、この1-2月の伊方原発出力調整実験反対運動で大きな力を発揮した九州から、そして核燃サイクル基地と闘う下北から、次々と発言が続いた。

「安心して飲める牛乳をいつまでも搾っていたい」と語り始めた幌延の川上さんは長い間、反対決議をあげられなかった隣町の天塩農協がこの4月ついに反対決議をかちとったことを報告。「このうねりのなかで動燃をたたきつぶす。押し出すのはもう一息だ。あのときもう少し頑張れば、と後で後悔しない運動をやっていきたい」と決意を述べた。

青森の小林さんは、プルトニウム空輸に反対する意見広告を「ワシントン・ポスト」に出したことを報告。この6月にも下北・六ヶ所村ウラン濃縮工場の許可が下りるかどうかの局面になっている。小林さんはこれに反対する署名を続けてきた。現在約20万人。「5月9日に通産省に提出します。もう一度日比谷に集まって下さい。どこで何をやろうとしても、人は集まるんだ、運動はつぶせないんだということを思い知らせてやりたい」。

九州の松下竜一さんの話は、今始まった反原発の高まりの性格を浮き彫りにするものだった。このチェルノブイリから丸二年の4月26日、九州全域で新聞に一項の意見広告を出す。それは高松闘争を引っ張った『まだ、まにあうのなら』の 甘蔗珠恵子さんと小原良子さんの対談で、松下さんが司会したものだ。

松下さんは小原さんも、 甘蔗さんも、チェルノブイリ当時、事故のあったことすら知らなかったことを知って、あらためてびっくりしたと言う。ところが、広瀬隆さんの本などで事実を知ったとたん、たちまちエネルギーに満ちた反原発運動者に変身したのだ。

これを紹介した松下さんは、「皆、事実さえ知れば、必ず起ち上がる。これを確信して運動をする必要がある」と訴えた。事実を知らせること、徹底的に事実を知らせること、これが新しい反原発闘争の高まりをつくり出したのだ。

集会の最後に、アピールを採択し、福井の小木曽さんが「『脱原発』制定運動について議論をおこそう」と実行委員会を代表して訴えた。

4253●明日からの新たな闘い

集会を終えて、東京電力前から銀座、東京駅を通って常盤橋公園へ向かうパレードに出発。日本の反原発運動史上かつてない大デモンストレーションだ。男も女も、子供たちも、乳母車の赤ん坊も、パンクロックの少年少女も、皆自分の反原発の思いを精いっぱい表現している。既成の組織とほとんど関係ないところで、自発的な意思がこれほど広範に結集し、ひとつにまとまって闘おうとしているのも、この間なかったことだと言えるのではないか。これは確かに、右へ向かう状況を食い破る可能性を持ったエネルギーだ。その可能性を現実のものとするために闘いぬかなければならない。

デモの解散地点で、宣伝カーの上から高木仁三郎さんが叫んでいた。「今日の行動は、二万人を越える人々の結集で大成功をかちとりました。この解散地点は、明日からの闘いのスタート点です」と。

::::::::::::::::

現地報告:津波・原発災害を受けたいわき市の今

311 4月3日、東京・御茶ノ水の総評会館で「緊急報告『福島原発震災―“いわき”からの報告』」が開催された。主催は原子力資料情報室。日曜日の夜、しかも緊急の開催だったにもかかわらず総評会館の大会議室は満席となった。メインの報告者は翌日の経産省申し入れをかねて、この日上京したいわき市議会議員の佐藤和良さん。佐藤さんは脱原発福島ネットワークの世話人でもある。

 最初に司会をつとめた原子力資料情報室の沢井正子さんが、大震災・津波に直撃された福島第一原発の事故状況の概要と現状を報告した。つづいて佐藤和良いわき市議の報告に移った。

 「明日、経産省に福島第一、第二原発10基すべての廃炉と被害の全額補償を求めて申し入れ」を行う、と切り出した佐藤さんは、自分の叔母さんも行方不明だという。「事故を起こさないために20年以上にわたって脱原発福島ネットワークの活動を行ってきたが、ついにこんなことになってしまった。私たちの非力さを自覚し、皆さんにお詫びしなければならない」と語った佐藤さんは悲痛な表情を浮かべた。
 
 「いわきの放射線線量は1.2~1.3マイクロシーベルトで、東京の100倍に達する。いわき市の沿岸部は空襲を受けたような惨状だ。いわき市34万人の市民のうち約三分の一が自主的に避難したのではないか。私の住む町内でも、夜間に電気についている家はまばらだ。原発爆発・放射能漏れの後、マスコミも一斉にいわきから逃げてしまった。社会機能はマヒし、市内は100%断水した。水が届き始めたのは3月18日以後だ。この非常事態の中でこそ地域力が問われる。つね日ごろの地域活動が機能しているところが頑張れるということが明らかになった」。

 「避難所に2万人が生活しているが、物資が届かない。対策本部と地域の現実がかみああっていない。避難所にはプライバシーがなく、いさかいが絶えない。私の生まれた第二原発立地の楢葉町の人びとは、もう戻れないと思いつめている。いま第一原発は冷却機能の回復以前のところでさまざまな障害が発生しており、事態は長期化するだろう。放射能線量の高い数値もあって日常的に住民のストレスが強まっている」。

 「4月7日に、新学期で学校が再開することになるが私の属する市議会の会派では二カ月間の休校を提案している。教育委員会に市議会会派として休校措置と各学校への放射線線量測定器の導入を求めたが、学校は予定通り再開する、線量測定器の導入は検討するが各校長の『裁量』に委ねるという回答だった。いつもは教育委員会が何でも自分たちで決め、各学校の裁量など認めないのに、こういうことに関しては無責任だ」。
 
 このように語った佐藤さんは、「3.11前とその後ではまったく異なる新しい世界に入った。それは現実としての廃炉の中で被曝に日常として向き合わねばならないということだ。そこから逃れることはできない。海洋汚染も含めて絶望の中でどう生きていくか、ということなのだ」と訴えた。

「第一原発立地の双葉町は戦争中に陸軍飛行場のあったところだ。その土地を西武の堤一族が買い占め、原発用地として売り渡した。こうして国策につき従っていった時の犠牲の大きさを今実感している」「福島原発で作られる電気はすべて首都圏に送られ、福島県内では一切使用されない。首都圏の人びとは福島からの電力はあてにしてはならない。これから電力利用はすべて地域分散型で行うことが必要だ。東京電力はこの期に及んで福島原発7・8号基の建設計画を提出している。なんということか」。

佐藤さんは最後に、「『福島第一・第二原発の十基をすべて廃炉に。原発をなくせ』と要求して首相官邸を十万人で包囲するような闘いが必要だ。いま全原発を止めずしていつ止めるのか」と呼びかけた。

放射能被害に心身・生活を日々脅かされている原爆震災被災地からのこの痛切なアピールを受け止め、行動に移していくことが私たちの緊急の課題である。(K)

東日本大震災と自衛隊の救援活動を考える

jdf●災害有事=「史上最大の作戦」
 
 東日本大震災にあたり、自衛隊は「史上最大の作戦」を発動した。3月11日菅政権が災害出動を発令した自衛隊の動員規模は5万人。それだけで阪神淡路大震災の際のピーク時の1万9千人をはるかに上回った。

しかし被害の規模がほぼ明らかになった翌12日に、菅首相は動員規模を倍の十万人にすることを要請、北澤防衛相は13日の防衛省対策会議で「救助の手を差し伸べることができるのはわれわれ自衛隊しかいない。全軍を視野に入れて十万人態勢を築いてほしい」と指示を下した。この十万人態勢に伴って、防衛省は従来の災害対策動員では陸海空それぞれ別の指揮系統に置かれていたのを、陸自東北方面総監に指揮を一元化。さらに3月14日には即応予備自衛官と予備自衛官にも招集命令を出すことを決定、3月23日には即応予備自衛官一六〇人の「編成完結式」が宮城県の陸自多賀城駐屯地で行われ、被災地に出動した。予備自衛官の招集・出動は初めてである。
 
3月15日には、菅内閣の緊急災害対策会議本部の会議で被災地への食料・水などの支援物資輸送に関して、地域ごとに陸自駐屯地や空自基地に物資を集積し、輸送を自衛隊によって一元管理することになった。

こうして動員された自衛隊員の規模は3月26日段階で陸海空合わせて約10万7千人で、実に三自衛隊実員総数約23万人の半数近くに及ぶ。「災統合任務部隊」(JTF―TH)と名付けられ、新たに編成された動員部隊は、ヘリ約200機、固定翼機約300機、艦艇五〇隻に達する。

陸自の動員部隊は北海道から九州までに及び、空自の輸送拠点は宮城県の空自松島基地だけではなく岩手県の花巻空港、福島空港といった民間空港にも置かれた。また海外派兵の先遣部隊でもある陸自中央即応集団は、福島第一原発に配置されている。自衛隊員は、救援、食料・物資の輸送、瓦礫の除去、遺体の捜索、搬送だけではなく福島第一原発への放水作業という特殊任務にも従事した。

大震災で機能が崩壊した被災地自治体の行政機能を自衛隊が「肩代わり」する光景が各地で見られる。ある自衛隊幹部は、この自衛隊の活動について「侵攻してくる敵か、災害か、の違いはあるが、態勢は『有事』と全く同じ」と語ったという(「朝日」3月27日)。
 
●米軍の「お友だち作戦」
 
東日本大震災にあたっての自衛隊の「有事」出動は、同時に「日米共同作戦」としても展開されている。ゲーツ米国防長官は大震災が発生した翌日の3月12日には、ルース駐日大使と電話会談を行い「日本政府の依頼にはすべて応じたい」と伝え、ただちに米韓軍事演習に向かっていた空母ロナルド・レーガンを随伴艦チャンセラーズビルなど三隻とともに三陸沖に向かわせた。横須賀基地からは巡洋艦カウペンスなどイージス艦七隻が急派された。八戸沖には佐世保基地の強襲揚陸艦エセックス、揚陸艦四隻が派遣され、海兵隊員計3000人を乗せ、救援物資を運搬した。揚陸艦トーテュガは苫小牧で陸自隊員273人と車両93両を乗せ、青森県の大湊港に上陸用舟艇で上陸させた。国内で米艦艇が陸自部隊を輸送したのは初めてのことである。

沖縄の第三一海兵遠征軍も強襲揚陸艦エセックスで東北沖に展開しており、普天間基地や岩国基地からは輸送機で連日の物資輸送作戦が行われている。

「オペレーション・トモダチ」(お友だち作戦)と名付けけられたこの作戦には米第七艦隊の艦艇20隻、航空機140機、兵員1万2千人が参加している。そして陸自仙台基地に置かれた「日米共同調整所」において3月14日以後、朝夕二回自衛隊幹部と米第三一海兵遠征軍の将校とが綿密な作戦会議を行っている。自衛隊と米軍との共同救援作戦は、こうして東日本大震災被災者救援を契機に、「有事」に対応する実戦的対応としていっそうの深化を遂げているの。それは例年展開されてきた「防災」名目の化学戦を想定した「対テロ」作戦訓練を実際の出動を通じて決定的にレベルアップする役割を果たしている。

さらに米国にとっては、福島第一原発事故は核戦争に対処する独自の意義を持っている。北朝鮮の核実験の際に放射能を測定した空軍の大気収集機「コンスタント・フェニックス」が派遣され、無人機グローバルホーク、U2偵察機、情報収集衛星などの活動と組み合わせながら、福島第一原発災害での放射能飛散への情報収集につとめていることは「日本側発表の事故情報への不信感が背景にある」と報じられている(「毎日新聞」3月20日)。
 

●自衛隊の救援活動とわれわれの立場
 
それでは、東日本大震災救援活動における日米の軍事的共同作戦の飛躍的強化に対して、どのように考えるべきなのだろうか。

われわれは第一に、この戦後最大規模の地震・津波・原発事故が複合した大惨事という緊急的情勢において、菅政権が持てるあらゆる手段を総動員して被災者の救援、原発災害の拡大の防止、生活再建に総力を上げるよう訴える。そして、国家的手段・資源の総力での動員には、自衛隊が持つ専門的な組織的能力を被災者救援のために全面的かつ効果的に活用することも含まれる。被災者の救援、食料・生活物資の支援、原発被害の拡大防止という緊急優先課題のために、当面、自衛隊が果たす役割を民間組織や自治体によって代替するのは不可能だからである。

もちろん労働者・民衆は独自の立場から被災者・避難民の支援と、生活再建にむけた活動を全力で展開していかなければならない。福島第一原発事故の災害が拡大することを避けるためのあらゆる方途についても住民の立場に立つ信頼しうる専門家の知見に基づく提案の実行を求め、被曝の脅威にさらされる原発作業員や住民の安全と権利を防衛するだろう。

その際われわれは自衛隊による住民支援活動に反対しないどころか、自衛隊が被災者救援のために、その持てる組織的・技術的能力を救援のために最も効果的に発揮することを求めるだろう。必要に応じて自衛隊員の活動の個々の実践的側面に「協力」していくこともありうる。この局面において、「反自衛隊」の立場から自衛隊の被災者救援活動に反対することは誤りであり、最も困難な状況に直面している人びとの理解を得ることはできない。その際われわれは、自衛隊に対する原則的な批判の立場を変えることはない。自衛隊がブルジョア国家の「暴力装置」としての本質を持っているという規定についてもなんら棚上げする必要はない。

われわれは自衛隊による救援活動の範囲と任務、期間についての正確な情報の公開を求めるとともに、自衛隊あるいは米軍が、住民あるいは支援の人びとの独自の自主的な活動に不当な妨害、敵対をすることのないよう求め、監視し、妨害に対してはきっぱりと抗議する。

「隊を敵とし、兵を友とせよ」という反軍闘争における基本的立場はここでも貫かれる。われわれは危険な業務にたずさわる自衛隊兵士の発言権・団結権、その安全や不当かつ危険な命令への「拒否権」も防衛する。同時にわれわれは「有事」を口実にした労働者・市民の政治的・社会的諸権利を奪い去ろうとする企図を容認しない。

「かけはし」四月四日号に掲載された福島県いわき市の仲間の報告の中で、全港湾労組小名浜支部の活動が紹介されていた。チャーター船による自衛隊の救援物資の荷役作業から全港湾組合員を排除しようという動きに対し、反戦平和の立場を取る全港湾労組はそうした権利はく奪の目論見を拒否し、組合員を動員・配置して自衛隊救援物資の荷役をやり遂げたことが報告されていた。これは一つの重要な闘いである。
 
●軍事作戦としての救援活動
 

その上で、第二にわれわれが確認すべきは、自衛隊と米軍によって組織された大規模・緊密な「共同救援作戦」は、昨年一二月に閣議決定された新防衛計画大綱で明らかにされた、グローバルな危機に対応する日米間のより実践的な共同作戦態勢の構築、そのための国内体制構築の具体的一環である、ということをはっきりと意識することである。

新防衛計画大綱の「V 防衛力の在り方」の「1 防衛力の役割 (1)実効的な抑止及び対処」では「ア 周辺海空域の安全確保」「イ 島嶼部に対する攻撃への対応」「ウ サイバー攻撃への対応」「エ ゲリラや特殊部隊による攻撃への対応」「オ 弾道ミサイル攻撃への対応」「カ 複合事態への対応」と一連の「有事」における軍事的対応が続き、その最後は「キ 大規模・特殊災害への対応」でしめくくられている。すなわち自衛隊にとって空前の規模の今回の「災害救援作戦」の展開は、「ア」から「カ」に至る軍事作戦と決して切り離すことのできないものであることを忘れてはならない。

そして災害救援における緊密な日米共同作戦もまた、グローバルな「日米軍事一体化」の一環であり、それをより実戦的にレベルアップした活動が現に展開されていることに注意すべきである。われわれは二〇〇四年一二月のスマトラ沖大地震以後、国際的救援活動の軍事化が米国が主導する「対テロ」戦争戦略の一環としての性格を強め、米軍と一体となった自衛隊の海外派遣にはずみがつけられていると述べてきた。陸自中央即応部隊を派遣した昨年のハイチ大地震もその典型的な例であった。

そしてまた今回の日米共同による救援軍事作戦の中で、あらためて「日米同盟の意義」があからさまな形で人びとに印象づけられようとしていることを、われわれは厳しく批判する。米海兵隊当局者は「この支援活動で、普天間飛行場の位置が災害対策に決定的に重要であることがはっきりした」と語った。米政府によって日米間の震災救援協力の調整役に任命されたのは、「沖縄はゆすりの名人」という差別に満ちた暴言で米国務省日本部長の職を解かれた元沖縄米総領事メアである。

沖縄の人びとの闘いを踏みにじり、救援活動を沖縄での新基地建設を正当化するために利用しようとするこうした意図を、われわれは怒りを込めて糾弾する。
 

●自衛隊の装備・編成は「救援活動」には適さない
 

「日本は一つのチーム」「日本は強い国」「がんばろう日本」というメッセージが社団法人・ACジャパン(公共広告機構)のCMを通じて、くりかえし垂れ流されている。「国民の公共意識の涵養」を主眼に設立されたACジャパンによるキャンペーンは、東日本大震災の惨劇で被害にあった人びとを支援しようという人びとの意識を利用しながら「日本国民の団結」を促し、空前の原発事故をもたらした歴代政府と東電の責任追及をそらそうという思惑に貫かれたものである。

「国難」を打開するための民主党と自公野党の「救国・大連立内閣」の動きが加速する中で、「日米同盟」と自衛隊の果たす役割の重要性という宣伝がさらに強化されようとしている。

先述したように、われわれは政府が、あらゆる持てる国家的資源・組織を有効に動員して被災者救援活動にあたることを求める。その中には現にある自衛隊の能力の緊急活用もふくまれる。

しかしそのことは同時に自衛隊の根本的性格の問題をあらためて俎上に載せることになる。国家の「暴力装置」としての自衛隊は、軍事組織=戦争と治安弾圧のための組織であり、その装備・編成において「災害救援」を本務とするものではないことは阪神淡路大震災での活動の中で、自衛隊幹部からも公然と語られた。

F4やF15戦闘機、最新鋭のイージス艦搭載兵器や潜水艦、弾道弾迎撃ミサイルなどの正面装備は、十万人を動員した救援作戦においては無用の長物以外の何物でもない。それは、「日米同盟の深化」に対応した「動的防衛力」の構築という軍事戦略・編成・装備、在沖・在日米軍基地、さらには日米安保そのものへの本格的批判をあらためて多くの人びとに提起する基盤を作り上げるし、また労働者・市民はその課題を積極的に提起していかなければならない。

自衛隊の解体と国際的・国内的な恒常的災害救援専門組織の建設をふくめて、われわれは広範な論議を開始すべき時である。(K)

【反原発1988】伊方原発の出力調整実験に反対する人々が通産省に突入

▼記録映画『実録 伊方原発出力調整実験反対行動』から


第四インター日本支部機関紙 週刊『世界革命』(現『かけはし』)1988年3月7日号(第1034号)から。

:::::::::::::::::

出力調整実験糾弾! すべての原発を今すぐ止めろ!

2.29 百万人の署名持ち通産省へ抗議
「原発やめて、命が大事」 鉄柵のりこえ抗議の叫び


22912月29日、グループ「原発なしで暮らしたい」(別府)、「原発なしで暮らしたい」九州共同行動、伊方原発反対八西連絡協議会のよびかけで、全国から集まった労働者、学生、市民500人が、通産省に対して、2月12日に四国電力伊方2号炉で強行された出力調整実験に抗議する申し入れ行動を行った。この実験は、第二、第三のチェルノブイリに直結する恐るべき危険性を持っている。そしてこれが「成功」すれば、過剰設備にあえぐ全国の原発で、日常的に危険極まりない出力調整が行われることになる。

「私たちの生命を、子供たちの未来を守れ」という、九州、四国の女性たちを中心にした抗議の叫びは、わずか二カ月で百万人を越える実験反対の署名となって燃え広がった。しかし、通産省、四国電力は、この声を無視し、危険な実験を強行した。そしてこの日も通産省は、抗議の申し入れも、署名の受け取りも拒否し、鉄柵と扉を閉ざした。

2293怒りの声と叫びは、通産省前で爆発した。鉄柵を乗り越え、正面玄関前で話し合いを要求する闘いは昼過ぎから夜まで続いた。これに対して権力は、多数の女性や幼児をふくむ仲間たちを通産省正面玄関前から暴力で引きずりだした上、中学生と高校生をふくむ三人を全く不当にも検挙した。しかし、全国から集まった人々はこれに屈することなく、夜遅くまで抗議の闘いを展開した。

私たちには時間がないんだ!

それは、まさにあっと言う間だった。銀座通りを縦横にデモした300余人が、通産省前に到着したのは午後1時半。鉄柵を閉ざして話し合いを拒否する通産省に抗議し「中に入れろ!」「開けて!」と叫んでいた仲間たちは、一人、また一人と作を乗り越えはじめ、内側から柵をあけ、通産省前でデモの到着を待っていた反原労など100数十人とともにまたたく間に全員が構内に入ってしまったのだ。

2292階段をかけ登り、二番目の柵も越え、ガラス扉を押しまくる。厚い扉がきしみ、今にも破れそうだ。「何で開けてくれないの!」「僕たちの言うことを何で聞いてくれないんだ!」。女性や、中学生、高校生など若い仲間たちが先頭だ。最初のうちは「通産省」の腕章をまいた職員数人が扉の横に立っていた。広瀬隆さんが、彼らに激しく詰め寄っている。「私たちには時間がないんだ!」。

そうだ。明日にも、いやこの瞬間にも事故が起きるかもしれないのだ。日本のどの原発でいつ大事故が起きても何の不思議もない状態にあり、この間もまさに瀬戸際としか言いようのない事故が連続している。そしてひとたび大事故が発生すれば、もうどんなことをしても取り返しがつかない。日本全土が汚染されるだけでなく、放射能は海外にまで深刻な汚染を広げるだろう。このせまい日本で、逃げる場所もなく、移住する場所もない。人民の未来は閉ざされる。

「明日がないかもしれない」。この強烈な切迫感が、皆を突き動かしている。そして皆、思い思いに自分自身の気持ちを、精いっぱい体で表現しつづけている。日比谷公園から東京電力前、銀座を通るデモの間じゅう続けられた踊りが始る。打ち鳴らされる太鼓に合わせ、笛の音に合わせ、手をたたきながら、通産省玄関前いっぱいに踊りまわり、そして歌う。「原発やめて、命が大事」「原発やめて、子供が大事」「原発やめて、仲間が大事」」「原発やめて、緑が大事」。

2294構内には、段ボール箱数十個につめ込まれた百万人の署名簿が持ちこまれている。だれかが、それを一枚一枚通産省入口の階段に広げ始める。正面玄関の壁にも、一面に無数の署名簿が貼りつけられる。そして鉄柵にも、あらゆるところに、全国の人々の思いを込めた署名簿が貼られる。そのひとつひとつに、千羽鶴を下げている女性もいる。まだ中学生ぐらいだろうか、ガラス扉に全力で体当たりを繰り返し続けている男の子もいる。

この私の絶叫を聞いて下さい

突然、年配の女性が叫ぶ。「皆さん!この私の絶叫を聞いて下さい!私の夫は長崎で被爆し、32年間苦しみ続けてガンで死にました。被爆二世として生まれた息子は、小さい時から体が悪く、体のあちこちに何度も腫ようができ、医者にも今後も良くなる見込みもないと言われています。息子は私に『何で僕を生んだんだ!』と言いながら、ビールビンや、皿をぶつけ、怒りをぶつけてきます。31歳になりますが、結婚する望みすらないのが現実なのです。最近は私の苦しみも理解してくれるようになりましたが、私の生活は地獄でした。放射能ほど恐ろしいものはありません!だから、今すぐ原発を止めてください!」。歌も、踊りもやみ、静まり返った一瞬だった。

2295全国からこの闘いに駆けつけた人々が、それぞれの闘い、それぞれの思いを語る。下北核燃サイクルと闘う浜関根共有地主会の放出さんは怒りの声をあげた。「反原発の動きが高まれば高まるほど、青森ではテレビ・ラジオで原発のコマーシャルがひっきりなしに流れ、原発関係の番組で占領されている。彼らは力で闘いをつぶそうとしている。人間の住む村に核のゴミを持って来る。文句があるやつは死ねと言う。核廃棄物の源である原発を止めよう。伊方、高松、通産省と高まった闘いを、4.9の青森現地行動と百万人署名に結びつけ、原発と核燃をつぶすまで闘う」。

出力調整反対のステ貼りで不当逮捕された松山のA子さんは「私が貼ったのがもし動物愛護のステッカーだったら、警察は逮捕したでしょうか。市民が、いやなものをいやと言うこともできないなんて許せない。私は裁判を起こして闘います」と力強く語った。

能登では、12月にも原発の着工が予定されている。「もし着工されたら、チェルノブイリ以後はじめての着工だ。絶対に建てさせてはならない」。この訴えも女性だ。

中学生の女の子がマイクを握る。「四電の前でも、今日も、一生懸命話しかけたけど、ひとこともしゃべってくれなかった。子供たちは、子供たちにつながりを作り、皆につたえて頑張ります」。

弾圧に怒り新たに闘いの決意

22962月1日、浜岡でまさにゾッとする事態が発生していた。浜岡原発1号炉の再循環ポンプが二つとも停止したということだけが報道されたが、このとき、無停電電源、すなわちどんな事態になっても、あらゆる電源が止まっても確保されているはずの電源まで止まり、原子炉の自動停止も緊急停止もできず、4時間後に電源の一部を回復し手動で止めはじめ、12時間後にようやく止めることができたというのだ。

この間、原子炉の中がどうなっているのか、どんな状況なのか、何ひとつ分からなかったということが明らかになったのだ。浜岡1号炉の設置許可申請では、再循環ポンプについての項が75年に変更され、それまで「二つとも止まることはない」となっていたものが「もし止まっても原子炉は自動停止する」とされた。しかし、自動停止どころか、手動で停止することすらできなかったのだ。

この恐るべき事故について語った静岡の仲間は、事故の全データを公開し、それにもとづき公開討論をするよう求め、その結論が出るまで停止せよと要求して署名運動を開始することを報告した。

この日の行動の呼びかけ三団体の連名で、なぜ実験を強行させたのか説明を求め、通産省に申し入れをするとともに、原子力安全委員会に対して「出力調整」に関する説明会の開催を申し入れていた。これに対する科学技術庁の回答は驚くべきものだった。①人数は三人以下 ②時間は30分 ③住所、氏名、連絡先を事前に明らかにする ④当日、身分証明書持参 ⑤カメラ、テレコ、拡声器、旗、ゼッケン持ち込み禁止。奇異な服装でなく常識的な服装(スーツなど)で来る ⑥子供連れはだめ ⑦これらの条件をのんでも、科技庁で了解した人とだけ対応する。当日平穏な話し合いができない状況が生じた場合(その判断は科技庁がする)には、話し合いをやめる。

これでは、話し合いでもなんでもない。科技庁が嫌だと思えば、代表者であっても無視することができ、途中でいつでも中断できるというのだ。しかしこの日、全体を代表して九州共同行動の中島さんが科技庁を訪れた。彼らの言い分は次のようだった。

「公開討論会はできない。すでに国民の声を聞くために公開ヒアリング15回、公開シンポジウム1回をやっている。9年前の公開シンポではヤジと怒号に終始した。この経験から、同レベルの能力を持つ人とやり合わなければ意味がない。だから、学術会議や原子力学会の主催、後援のような形のもの以外にはできない。しかも、あなたたちだけに説明会を開くと、次から次へと説明会の要求が起こって対応できなくなる。したがって、あなたたちだけに説明会を開くと『公平の原則』にもとる。私たちの見解は、マスコミを通じて広く国民に伝わっているはずだ」。

まさに、怒りなしには聞けない、人民を見下し切った答弁だ。しかも「マスコミを通じて」などと言っておきながら、この日の会見に報道関係者の立ち合いを要求したところ「事態を曲解されると困るのでだめだ」と拒否したのである。科技庁から戻ってきた中島さんの報告に、あらためて怒りの声が湧き上がる。

闘いは続く。踊りも続く。歌も続く。右翼の宣伝カーがやってきて「共産主義のウジ虫どもめ、原発をやめて穴ぐらで暮らしたいのか」とわめき散らす。これが、やつらの水準だ。いまや出力調整に踏み込まざるを得なくなったことによって、いまや崩壊しつつある低水準のデマに、右翼も、通産省も、電力資本もしがみついているのだ。皆の意気はかえって上がるばかりだ。

午後5時45分。地方の仲間が帰り始めて人数が減り、人通りも少なくなった頃を見計らって、通産省は機動隊を導入した。子供をギュッと抱き締める女性も、容赦なく引きずり出し、突き倒す。固いスクラムでグッとこらえる。引いてなるものか。百万人の声が、頑張る仲間を支えている。

6時20分。ついに全員が通産省構内から引きずり出され、排除された。不当にも検挙された三人のうち、中学生と高校生が入っていたことにも、彼らの弾圧が手当たり次第であったことが示されている。通産省周辺では、9時近くまで「原発止めて」の声が響き続けた。伊方、高松、通産省。反原発、まさに直接生命のかかったこの運動の中に新しい闘いが生まれ始めていることを感じさせる闘いだった。闘う労働運動が、この流れと結びつく努力を意識的に開始することが問われているのである。

::::::::::::::

「原発は必ず止められる」
出力調整を考える公開討論会に900人

2月28日、社会文化会館(東京)の5階大ホールを900人の人々がうめつくした。公開討論会を主催したのは、伊方原発2号炉の出力調整実験に対する抗議行動を展開してきた三団体、グループ「原発なしで暮らしたい」(別府)、「原発なしで暮らしたい」九州共同行動、伊方原発反対八西連絡協議会。

三団体は、2月17日付で原子力安全委員会の全委員に対して「出力調整に関する公開討論会への招請状」を送付して公の場で討論に応じることを要求していた。あわせて、出席不可能の際は、アンケートに個人として回答することも要請したが、原子力安全委員会の委員たちは、だれひとりとして誠実な対応をしなかった。アンケートの返送さえ全く行わず、全員が、三団体の要求を黙殺する態度をとったのである。

残念ながら「公開討論会」は実現しなかったが、当日は京大原子炉実験所の海老原徹さんと広瀬隆さんが報告を行った。海老原さんは、原発は出力100%の連続運転用に設計され、安全審査もそれを前提に行われていること。出力調整運転には不適切な構造になっていることを強調。広瀬さんは、「徹夜で一睡もしていません。その理由は、重要な書類がたくさん私のところに届いていて、その整理がたいへんだから」と切り出して、浜岡原発できわめて重大な事故が発生していたことを報告した。

2月1日、浜岡原発1号機の再循環ポンプが2台共停止した。再循環ポンプとは、沸騰水型原子炉にとってはまさに命綱で、一次冷却水を炉心からとりだして、再び送り込むものである。故障の原因は電源系統の電磁リレーの損傷。しかし、原子炉は緊急(自動)停止しなかった。中部電力は、出力が定格の半分以下になった原発を、そのまま運転しながら故障原因の究明作業を続け、何とか原発が停止したのは事故の発生から12時間後であった。

「本当に恐ろしいことです。中電は、12時間の間、原発がどうなっているのか、何がなんだかわからなくなっていたのです。伊方の出力調整試験の十日も前に、すでに私たちは終わりになっていたかもしれない。幸運だったとしか言いようがありません」。広瀬さんの報告は、背筋の寒くなるものだったが、彼は最後にこうつけ加えた。

「全国各地を飛びまわっていて、はじめて運動に参加する人たちの『これからは私たちにまかせて』という力強い声をたくさん聞きました。希望を持ってがんばりましょう」。

その後、伊方現地からの発言や、ステッカーをはっていて不当弾圧された女性の裁判への支援の要請、四電社長(もちろん本物ではないが)と参加者とのフリー討論などが行われ、集会はいっそう盛り上がる。司会をしていた小原良子さんのしめくくりの言葉が印象に残った。

「私は、自分自身のために、自分の子供のためにこの運動を続けています。みなさんもそうだと思います。だれのためでもなく、自分自身と子供たちのために、未来のために、みんなの力を合わせれば原発は必ず止められます」。

:::::::::::::::::::::::

▼記録映画『実録 伊方原発出力調整実験反対行動』 (全篇)
続きを読む

罪は帝国主義の側にある-ソマリア人四人の日本送致・起訴を許さない

d(日本政府はこんな小舟の「海賊」を1万キロの彼方へ拉致した)

東京地検は4月1日、先の3月5日にオマーン沖において商船三井のタンカーを襲撃したとして、海賊対処法違反(乗っ取り未遂)でソマリア人(と思われる)三人を起訴、未成年と思われる一人を家裁に送致した。私たちは、法的に処罰する正当性もないままにソマリア人四人を日本に送致し、起訴したことをグローバル派兵の時代における「越境軍事裁判」と「敵国人の捕虜化-懲罰政策」の始まりとして、強く抗議し糾弾する。

そもそも、いかなる裁判も「犯罪行為」の認定とその処罰のみを目的とするものではない、というのが法と刑罰の精神の重要な柱であるはずである。そして、その犯罪行為のみではなく、容疑者-被告人の生い立ち・個人的背景・社会的背景・動機なども総合的に勘案されるなかで、その処罰の量刑と酌量が決定されるべきなのは、論を待たないだろう。

そして、この「海賊」とされる四人のソマリア人たちは、1991年に勃発した内戦によってかつてのソマリア民主共和国が三分割された状態となり(メディアでは「無政府状態」と言われるが三つの勢力がそれぞれ暫定政権や自治・独立を宣言している。いわば「主権が弱い」状態であっても完全な「無政府」ではない)、統一国家による統治が崩壊した状態で、彼らの本名や身元を確認するすべもない。

日本政府は、どこの誰かも確認できない者たちをどうやって裁くというのだろうか。日本から1万キロも離れた場所で生活してきた人々が、なぜ・いかにして「海賊」という行為に及んだのか、その背景や動機をどのように解明するというのだろうか。

この四人の捜査段階において、警察は苦労してソマリ語の通訳を見つけたという。そして、裁判では地裁があらためてソマリ語の通訳を見つけ出さなければならない。国家権力のカネとネットワークで裁判のための通訳を見つけ出すことは何とかできるかもしれない。しかし、被告たちにつけられた弁護士もまた別の通訳を見つけ出さなければならず、それ自体が困難を極める作業になるだろう。

日本政府は公正な裁判を保証できるかも不確定なままに、ソマリア人を拉致し、報復と威嚇のためだけに初めての「越境軍事裁判」を行おうとしているのだ。そして、起訴状から審理・判決に至るまで被告人たちにとっては何が起きているのかほとんど分からない暗黒裁判によって、日本の刑務所に放り込もうとしている。この四人の日本送致と裁判(そして収監)は精神的苦痛を与えることを目的とした一つの拷問だ!

このような人権侵害がまかり通れば、次には「日本企業を襲撃した」あるいは自衛隊が海外で展開する地において「敵対した」と見なされた人々を次々と日本の地に送致して一方的に裁き・収監するということが常態化するだろう。いずれ、日本にもアブグレイヴやグアンタナモのような過酷な捕虜収容所が設立されることにもなりかねないのである。

繰り返して言う。被告人の背景を考慮しない裁判は無効である。欧米や日本のメディアでは「ソマリアの海賊」と言われる人々は、はたして、ただの「物盗り」なのだろうか。1991年の内戦勃発により国家主権と支配が著しく弱体化したソマリア沖では、誰も追及することはできないと主に欧米の船舶による化学物質や核廃棄物の投棄が大規模に行われた。国連の調査でも、ソマリア沖でウラニューム、放射能廃棄物、カドニューム、水銀などの毒性の極めて強い廃棄物が投棄されていることが確認されている。そしてまた、ソマリア沖の海洋生物の生態系が一変してしまうほどの無軌道な乱獲が、世界各地からの漁船によって行われた。

「ソマリアの海賊」とは、このような「欧米グローバル企業-帝国主義の海賊」に対する「海洋自警団」として生み出された人々なのである。そして、そこには、明確な「反帝国主義意識」すら持ち合わせているのである。「海賊」とされるグループの一つは、2010年1月のハイチにおける大震災において「我々はハイチに支援物資を届ける能力がある」として被災者のへの支援を申し出、「ハイチへの人道援助は欧米によって牛耳られてはならない。彼らにはそのようなことをする道義的な権威がないからだ」「彼らこそ、長い間、人類から略奪を繰り返してきた張本人なのである」と語っている。(出典

この「海賊」とされる人々は、はたして「粗暴な物盗り」として裁かれるべき人々なのだろうか、それとも「帝国主義列強に対するレジスタンスの一環」と考えられるべきなのだろうか。少なくとも、日本の裁判所にそれを判定する能力はないだろう。

そして、日本を含む欧米諸国・大国・帝国主義の強盗たちに、ソマリアの人々を裁く資格などない。むしろ裁かれるべきは、言うまでもなくこの帝国主義の強盗たちだ。

ソマリアの歴史は、欧米諸国による植民地化と略奪の歴史だ。19世紀末にはイギリスが北部を、20世紀初頭にはイタリアが南部を「領有」し、第二次大戦において両国はソマリアの権益をめぐって争うことになる。1960年に南北それぞれが独立をはたして1969年にソマリア民主共和国に統一されることになるが、現在のソマリアの分裂状況は、この植民地として分割された残滓であることは疑う余地はない。

そして、1991年の内戦勃発を機に多国籍軍がソマリアに軍事介入し、映画『ブラックホーク・ダウン』に描かれた1993年の「モガディシュの戦闘」(撃墜された米軍ヘリの乗員を救出しようとして18名の米兵が死亡した事件。この救出作戦において15時間で350人から千人以上のソマリア人が虐殺された)の失敗によって、アメリカはソマリアから撤退を余儀なくされた。

しかし、内戦の泥沼化と主権の弱体化による欧米船の無法行為は90年代にはすでに始まっており、それに対抗する戦いも次第に激化していった(なかにはほんとうに粗暴な海賊もいただろう。しかし、それすらも帝国主義の植民地化と略奪政策が生み出したのである)。そして、欧米中心の「国際社会」がソマリア沖を「海賊の巣窟」として強く認識するようになるのは2005年頃である。そうして、ソマリア沖はイラク・アフガニスタンと並ぶ、「国際的な反テロ共同対処地域」として、日本を含む欧米・中国・韓国の軍艦が展開する海域となっていったのである。

この帝国主義の強盗たちに、ソマリアの人々を裁く道義的・倫理的な正当性は一片もありはしない。帝国主義の強盗たちこそ、アフリカを植民地にし、奴隷として連れ去り、分割統治し、武器を与えてアフリカ人同士を争わせる代理戦争を煽り、この21世紀においても飢餓と戦乱をもたらしてきた犯罪者であり、その数々の犯罪こそ時効なき「人道に対する罪」として裁かれなければならない。

 日本政府は四人のソマリア人を即刻解放しろ!
 海賊対処法を廃止しろ!
 海上自衛隊によるジブチの「海賊対処前線基地」化をやめろ!
 自衛隊とすべての外国軍はソマリア沖から出ていけ!
 多国籍企業船舶による不法投棄と乱獲こそ監視・規制しろ!

(F)

【案内】浜岡原発すぐ止めて! 4・10東京集会&デモ

浜岡原発すぐ止めて! 4・10東京集会&デモ
~福島原発震災を二度とくり返さないために~(仮称)

4月10日(日)
場所 芝公園 23号地
(都営地下鉄三田線芝公園下車 徒歩5分)

集合 12時45分
集会開始 1時
デモ出発 2時

デモコース/経済産業省別館前・中部電力東京支社前・東電本社前・銀座ソニービル前を通り、常磐橋公園で流れ解散(東京駅の先)

参加費無料

主催 浜岡原発すぐ止めて!実行委員会
問い合わせ先 TEL 03-5225-7213 FAX 03-5225-7213 共同事
務所AIR内090

呼びかけ/浜岡原発を考える静岡ネットワーク/ふぇみん婦人民主クラブ/日本消費者連盟/チェルノブイリ子ども基金/原子力資料情報室/プルトニウムなんていらないよ!東京/たんぽぽ舍/福島老朽原発を考える会/チェルノブイリと日本の未来を考える会(3/28現在)

以上 4月1日現在です。

【案内】サンフランシスコ講和条約・日米安保条約調印から60年植民地主義の歴史と現在を問う 4・28-29連続行動

サンフランシスコ講和条約・日米安保条約調印から60年植民地主義の歴史と現在を問う 4・28-29連続行動

4.28討論集会「地震と原発」問題もともに論じよう

●日時:4月28日(木)18:00開場

●場所:ピープルズ・プラン研究所(地下鉄江戸川橋駅下車・徒歩7分)

●主催:反安保実行委員会2010-11(fax03-3254-5640)


4・29反「昭和の日」行動

●日時:2011年4月29日(金・休)13時15分開場(13時半開始)

●お話:彦坂諦さん(作家) 
            
●場所:大久保地域センター(JR山手線新大久保駅下車徒歩8分)
*集会後デモを予定

●主催:4・29反「昭和の日」行動実行委員会

●連絡先:090-3438-0268

●呼びかけ団体:アジア連帯講座、国連・憲法問題研究会、立川自衛隊監視テント村、反天皇制運動連絡会、「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会、靖国・天皇制問題情報センター、連帯社、労働運動活動者評議会

〈呼びかけ〉

大地震、大津波、そして原発事故という惨事に言葉を失い、自らの頭上に降り始めた放射背物質に恐れをなす。だが、この最悪の事態にあっても、日本社会は相変わらず差別・排外主義の社会であり、植民地主義、領土ナショナリズム、日米安保・米軍基地の問題は、表情を変えながらそこにある。沖縄の基地問題も何一つ解決していない。相変わらず事態は米軍と日本の政財界の意図に沿ってのみ動いているのだ。

 このような中で、私たちは5回目の「昭和の日」を迎える。 昭和天皇ヒロヒトは、自らの名で植民地拡大の戦争を遂行し、敗戦後、天皇と天皇制を守るために沖縄を米軍に売り渡した。それは1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約で固定化され、日本の「民主主義」と「平和」、「高度経済成長」はその上に築かれ、多くの人びとがこれを謳歌してきたのだ。

今年は柳条湖事件から80年目にあたる。侵略と占領の数だけ巡ってくるその歴史の節目だ。継続する植民地主義と領土ナショナリズム、解決されない日米安保・米軍基地の問題。「昭和の日」とは、そういった近代日本の歴史と戦後体制の間違い、その結果の現在の矛盾を、天皇制ともども、まるごと肯定しようという記念日である。抗議の声はあげられなくてはならない。

 右傾化をたどる現在、集会の自由・表現の自由、思想信条の自由は、道路の秩序、近隣への迷惑などを口実に、会場も公園も、路上も、使えない状況が作りだされ、有名無実のものとなっている。私たちは諦めることなく行動を続けていきたい。昨年同様、反安保実行委員会主催の4.28集会との連続行動として取り組む。ともに声をあげよう。

記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ