全国のスクラムによって真正面で対峙し、突破口を切り開いていこう
5月30日、最高裁第2小法廷は、東京都教育委員会の10.23通達(03年「入学式・卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」)に抗議して卒業式の国歌斉唱時に不起立したことを理由とする元都立高校教諭の再雇用を拒否した処分取消を求めた事件で、職務命令は憲法19条に違反しないとする不当判決を出した(申谷雄二さん嘱託採用拒否事件)。
さらに6月6日、最高裁第1小法廷は都立高校教職員13人の嘱託採用拒否撤回裁判でも上告棄却判決。14日の最高裁第3小法廷も東京都内の公立中学校の教諭三人の処分取り消し訴訟の上告を棄却した。いずれも10.23通達合憲判断を次々と強行した。
最高裁第2小法廷5.30嘱託採用拒否事件不当判決は、起立斉唱行為が「国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為」と規定し、「個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる」と述べ、その行為そのものが慣例上の儀礼的な行為であり、国旗国歌法や学習指導要領に規定されており、地方公務員の職務として式典の円滑な進行が求められるなどと列挙して、「総合的に較量して、本件では間接的制約を許容しうる必要性及び合理性が認められる」と認定した。つまり都教委防衛のために個人の思想、良心の自由を「間接的に制約する」ことができると強引な主張を行ったのである。
合憲判断がかなり乱暴であったことの現われが4人の裁判官のうち3人の裁判官が補足意見を付したことだ。
須藤正彦裁判官は、「このような職務命令によって、実は一定の歴史観等を有する者の思想を抑圧することを狙っているというのであるならば、公権力が特定の思想を禁止するものであって、憲法一九条に直接反するものとして許されない」とした。
千葉勝美裁判官は、 「この問題の最終解決としては、国旗及び国歌が、強制的にではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要である」と指摘。
竹内行夫裁判官は、「外部的行動に対する制限について,個人の内心に関わりを持つものとして、思想及び良心の自由についての事実上の影響を最小限にとどめるように慎重な配慮がなされるべきことは当然であろう。その必要性、合理性を審査するに当たっては、具体的な状況を踏まえて、特に慎重に較量した上での総合的判断が求められることはいうまでもない」などと「慎重」に扱えという立場。
三人の補足意見は、いずれも10・23通達の違憲性について「ささやか」に触れながらも、国家権力統治力を防衛しなければならない階級的任務を優先し、その妥協の産物として「間接的制約を許容しうる必要性及び合理性が認められる」などと抽象的文言でまとめあげたにすぎない。なんら具体的中味を提示して証明することもなく、明らかに合憲判決と補足意見が矛盾しているにもかかわらず、あえてそのことを隠そうともしないのである。最高裁多数派のすさまじい決意と階級的判断を現しているのだ。
注目すべき「反対意見」
最高裁第1小法廷6.6採用拒否事件不当判決では、5.30判決をそのままコピーした水準でしかなく、司法の「腐敗」の深化をも現している。5人の裁判官の中で宮川光治裁判官は多数派の合憲判断に対して「反対意見」という形で出してしまうほどだ。
それは10.23通達を「価値中立的ではなく、一部教員の歴史観に反する行為を強制する意図がある」と批判する。だから「真にやむを得ない目的か、他の手段がないかなど、より厳格な基準で検討する必要がある。精神的自由権の問題を多数者の視点から考えるのは相当でない。合憲かどうかを厳格に審査すべきであり、二審に差し戻すべきだ」と強調して批判するほどの判決内容だったのである。
宮川裁判官は、第1小法廷に係属している予防訴訟の裁判長でもある。司法権力に「幻想」を抱くことは危険だが、当たり前の判断をしている「宮川裁判官」を増やしていくために司法権力を包囲していく闘いをさらに重厚に構築していくしかない。
6.14最高裁第3小法廷での処分取消事件でも上告棄却の不当判決だった。しかし5人のうち裁判長である田原睦夫だけが「反対意見」を提示するほどだ。田原は、①多数意見のように「起立斉唱行為」をひとくくりに論ずるのは相当ではない②職務命令の合憲性が肯定される場合でも、職務命令と懲戒処分が裁量権の乱用にあたるかが問題になりうる③違反行為の理由が思想・良心の自由にかかわるものであれば、違反行為の具体的態様だけでなく、違反行為によって校務運営にいかなる支障を来たしたかという結果の重大性がとわれるべきだ……云々と言わなければならないほど具体的菜な検証ぬきで合憲判断をしたことを明らかにしている。
すでに司法権力は、「国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟」(「日の丸・君が代」強制反対 予防訴訟裁判)の一審東京地裁・難波判決において10・23通達を憲法19条が保障する思想・良心の自由を侵害するものであると断定したが、控訴審ではピアノ伴奏強制拒否最高裁合憲判決(07年2月/ピアノ不伴奏教諭の思想・良心に基づくものと認めながらも、ピアノ伴奏強制そのものは憲法一九条違反でないとした)を動員して逆転不当判決(11年1月28日)を出し、国家主義と愛国心教育のバックアップへと踏み出していた。
ところが東京高裁第2民事部(大橋寛明裁判長)は、10・23通達合憲判断を維持しつつ、被処分者167人の懲戒処分を取り消す判決を出し、同日の「君が代」裁判控訴審でも懲戒処分取消判決を言い渡した(3月10日)。判決は、「不起立行為などを理由として懲戒処分を科すことは、社会通念上著しく妥当を欠き、重きに失するとして、懲戒権の範囲を逸脱・濫用するものである」と認定した。10.23通達以降の大量処分乱発にあって初めての処分取消判決だった。
都教委を追い詰める闘いは、被処分者を先頭にして粘り強く取り組まれ、裁判闘争だけでも一進一退の攻防が繰り広げられている。だからこそ最高裁多数派は、3.10高裁大橋判決のように10.23通達裁判をめぐる判断のグラツキを許さず、下級審への統制強化のために五・三〇合憲判決を初めて出したのである。
しかも3・11東日本大震災と福島第一原発事故による民衆の国家統合の危機下、「がんばろう日本」キャンペーンに見られるように新たなナショナリズムが吹き荒れるなかで5.30不当判決の政治効果さえも意図していたと言える。
事実、大阪維新の会(橋下徹大阪府知事が代表)府議団が「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」案を府議会に提出し成立を強行した(6月3日)。橋下は、条例による「君が代」斉唱の一律義務づけ強行にとどまらず、9月の府議会で不起立・斉唱しない教職員を免職処分にするための基準条例さえも制定しようとしている。
橋下は、5.30最高裁判決に対して「きちんとした判断が出た」と賛美した。大原正行・東京都教育長は「都教委の主張が認められたことは当然のことであると認識している。今後も採用選考については適正に実施していく」と述べ、10.23通達処分者の差別・排除を強化していくことを宣言した。都教委による一連の最高裁不当判決を根拠にした「日の丸・君が代」強制反対闘争への敵対強化を許さず、全国のスクラムによって真正面で対峙し、突破口を切り開いていこう。最高裁多数派と少数派の分裂を拡大させていく闘いを作り出し、諸裁判闘争の勝利を勝ち取っていこう。
(Y)