虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

マルクス、中国版ツイッターの実名登録の義務化を批判する

higateMarx


【解説】報道・言論の自由が制限される中、中国の人々は「微博」(ウェイボー)と呼ばれる中国版のツイッターでさまざまな情報を発信している。すでに3億人を上回るユーザーがウェイボーを利用しており、政府批判なども盛んに行われている。昨年のアラブの春ではインターネットを通じた政府批判が政権打倒の一翼を担った。今秋に最高指導部の交代が予定される党大会を前に中国政府はバーチャル空間での言論にも神経を尖らせている。巨額の費用と人員を投入しインターネットへの監視を強めている。昨年末には北京、天津、上海、広州、深センの5市でウェイボーユーザーの実名登録の義務化を発表した。以下はマルクスの新聞の自由の主張を用いてこの政策を批判した空想インタビューの翻訳。原文はこちら http://www.yadian.cc/weekly/list.asp?id=109776 (H)


+ + + + +


マルクス、中国版ツイッターの実名登録の義務化を批判する
思寧


C&K通信社2011年12月20日(思寧 記者) 中国版ツイッターのミニブログ「微博」(ウェイボー)の実名登録を義務付ける《北京市ミニブログ発展管理に関する若干の規定》が発表され、インターネット各界では大変な話題になっています。今日はイギリス・ロンドンのハイゲート墓地でマルクス氏の亡霊に、ウェイボー実名登録義務化について伺います。


記者:マルクスさん、初めまして。C&K通信社の思寧と申します。北京の政府が2011年12月17日に発表したウェイボー実名登録の義務化についてのご意見をお伺いしたいと思います。


マルクス:ウェイボーとは何のことじゃ? わしが生きていたときには聞いたこともなかったがな。


記者:ウェイボー(微博)とはミニブログのことです。誰でもインターネットという通信手段を通じて140字以内の短い情報や自分の意見を発信することができる媒体です。あなたが活躍していた時代にもあった新聞を、いまでは誰でも手軽に出版できるようになった、といえば理解していただけるでしょうか。


マルクス:ほぉ、誰でも自分の新聞を発行できるのか。それはまことにすばらしい!報道出版の自由に関しては、当時わしは個々人の自由な発展を目標に掲げておったが、報道や出版の自由に関しては実現を果たしたということじゃな。で、そのウェイボーの実名登録の義務化とは?


記者:ウェイボーの実名登録義務化の規定によれば、政府が指定した機関に個人情報を申告して実名で登録しなければ、ウェイボーで文章を発表できない、というものです。


マルクス:ん? つまり匿名で政府批判をする文章は発表できないということかな?それではまるでわしが生きていた時代に、フランス政府が起草し、秩序党がより厳しく修正したブルジョアジーの出版法とまったく同じではないか。このブルジョア出版法では「新聞に発表する記事はすべて筆者の署名を必要とする」と規定していた。1850年、わしは『新ライン新聞 政治経済論評』に発表した論評でこのようなブルジョアジーの報道独裁イデオロギーを批判した。「新聞が匿名だった間、新聞は無数無名な世論の機関と見えた。だから、それは国家における第三の権力だった。ところが、各論説に署名がついたことで、新聞は多少とも有名な個人の寄稿の単なる寄せ集めに過ぎなくなってしまった。どの論説も広告に堕落した。それまでは、新聞は社会世論の通貨として流通していた。それが今ではかなり不確実な約束手形になってしまったのである。その信憑性と流通度は、振出人の信用だけでなく裏書人の信用にも左右されるからである。」(『フランスにおける階級闘争 1848年から1850年まで』)


記者:報道の匿名性が体現していた社会世論による監督権を主張されていたのですね。ですが北京の政府は、ウェイボーの実名登録の義務化政策はマルクス主義を防衛するためである、と言っているのです。

マルクス:ウェイボーの実名登録義務化はマルクス主義を防衛するためとな?


記者:ええそうなんです。中国の憲法ではマルクス主義を指導的な思想として規定しています。ウェイボー実名登録の義務化規定の第一条では、いかなる組織または個人であってもミニブログを違法に利用して憲法が規定する基本原則に違反する情報を製作、複製、発表、宣伝してはならないとしています。つまり、ウェイボーに流す情報は憲法で定められているマルクス主義の指導的思想に違反してはならないということなのです。


マルクス:マルクス主義に対する批判はまかりならんと? 君たちの中国共産党の毛沢東前主席はこういっているではないか。「わが国では、マルクス主義はすでに大多数の人から指導思想とみとめられているが、それなら、批判をくわえてはいけないのか、と。もちろん、批判してもよい。マルクス主義は科学的真理であり、批判をおそれない。マルクス主義が批判をおそれたり、批判によってたおされたりするようなら、マルクス主義はなんの役にも立ちはしない。」(『人民内部の矛盾を正しく処理する問題について』より) 実名登録の義務化規定の第一条からして、毛沢東思想にも一致していないではないか。(※訳注)


記者:ではマルクス主義にも一致していないと?


マルクス:わしの新聞の自由に関する観念は明確じゃよ。新聞の匿名とは、社会世論の監督権を行使する手段だということじゃ。わが友エンゲルスもこう言っておる。「なんびとも、あらかじめ政府の承認をえずに、自由に自分の意見を発表することができるという権利--すなわち出版の自由である。」(『イギリスの状態 イギリスの憲法』より) ウェイボーの実名登録の義務化は、わしやエンゲルスの新聞の自由に関する概念からも逸脱している。それは「憲法が規定する基本原則」すなわちマルクス主義に反しているのではないだろうか?


記者:なるほど、ウェイボーの実名義務化の規定は、それ自身の第一条にさえ反する禁令なのですね。


マルクス:そうじゃ。もし北京の政府がウェイボーの実名義務化の政策がマルクス主義だというのなら、わしは彼らにこういうしかないの。「私が知っているのは、ただ、私は決してマルクス主義者ではないということだ。」(「エンゲルスからコンラート・シュミットへの手紙 1890年8月5日」より)


※訳注:毛沢東はこのように述べて中国共産党への批判を奨励する「百花斉放百家争鳴」を始めたが、批判が余りに大きかったことからすぐに批判を封じる「反右派闘争」という名の粛清を展開することになる。


【案内】2.11さようなら原発1000万人アクション全国一斉行動in東京

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

再稼働許すな!
2.11さようなら原発1000万人アクション全国一斉行動in東京

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ★ 

   1000万人署名にご協力を!      
――1000万人が動けば変えられる――
  

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

■日時:2月11日(土) 13:00 

オープニングコンサート……the JUMPS
13:30 開会

■場所:代々木公園B地区、イベント広場&ケヤキ並木 (JR原宿駅徒歩10分、地下鉄代々木公園駅徒歩8分)

■発言:大江健三郎さん(呼びかけ人)、落合恵子さん(呼びかけ人)、永山信義さん(福島県から)、増子理香さん(つながろう!放射能から避難したママネット@東京)菅野正寿さん(NPO法人福島県有機農業ネットワーク理事長)、藤波心さん(タレント)、山本太郎さん(俳優)、他 ※手話通訳あり

■パレード出発 14:30~/送り出し音楽:TEX&SUN Flower Seed/日音協コース(予定):

①ケヤキ並木→渋谷勤福→宮下公園→明治通り→原宿→千駄ヶ谷小学校→明治公園

②イベント広場→代々木公園駅→参宮橋→新宿中央公園

昨年9月19日明治公園、12月10日日比谷野音に続いての1000万人アクション実行委員会の取り組みです。子どもたちの未来のために、エネルギー政策の転換と既存の原子力発電所の廃止を求めてのアクションです。お誘い合わせご参加ください。そしてこのアクションを、来る震災発生1年目となる3月11日の全国の大きなうねりに繋げていきたいと思います。

■主催:さようなら原発1000万人アクション実行委員会

■問い合わせ先:TEL03-5289-8224/原水禁 ※プラカード、横断幕、鳴り物等アピールグッズをお持ち寄りください。

報告 10・23通達撤回!『君が代』処分撤回!2・5総決起集会

25 石原・大原都教委の暴走をとめよう!都教委包囲・首都圏ネットは、2月5日、北区赤羽会館で「『日の丸・君が代』強制反対!大阪府教育基本条例反対!最高裁『君が代』不当判決糾弾!新自由主義教育路線と対決を!学校現場の非正規雇用労働をなくせ!全ての原発を廃炉に!」のスローガンを掲げて「10・23通達撤回!『君が代』処分撤回!2・5総決起集会」を行い、130人以上が参加した。

 今春の卒業式・入学式にむけて都教委は、起立斉唱を強要する職務命令体制を確認した。これは1月16日に三件の「君が代」処分最高裁判決が「累積加重」処分について触れたため、あらためて10・23通達の「正当性」を押し出し、手前勝手な解釈によって処分強行ができるという恫喝だ。そもそも「10・23通達」(03年)は、卒業式・入学式等に「日の丸」を掲揚し、「君が代」を起立して斉唱することを強制することを通して新自由主義教育と愛国心教育の推進のためであり、グローバル派兵国家作りと連動した攻撃である。

 石原都知事は、「教育再生・東京円卓会議」(11年11月)を立ち上げ、「憲法と教育は日本人の手で考え直したほうがいい。戦後続いてきた教育の破壊的改革をしなければこの国はもたない」などと暴言を吐き、橋下・大阪維新の会による「教育行政基本条例」「学校運営基本条例」の攻撃に見習って東京版「教育基本条例」の制定を狙っている。すでに抗議の不起立闘争をはじめ反対する教職員四三〇人に不当処分を強行しているが、弾圧に抗して裁判闘争や地域ぐるみの反撃など粘り強く闘われている。ネットは、この間の闘いを集約し、橋下・大阪維新の会の二条例に対する反対の闘いと連帯し、今春の闘争体制強化をかちとった。



1.16最高裁不当判決



 集会は、ネットを代表して渡辺秀美さんの主催者あいさつで始まり、とりわけ1月16日に最高裁判決に対して「高裁での戒告処分取消判決を破棄し、処分を有効とする不当判決だ。加重処分に対して『慎重な考慮が必要』ということで1名の減給と停職1ヶ月を取り消した。『一定の歯止め』と思われるが、根津さんの処分は取り消さなかった。ここに最高裁の闘うものに対する分断攻撃と、『日の丸・君が代』による『規律・秩序維持』を乱すものは許さないという姿勢の現れだ」と厳しく糾弾した。

 さらに「大阪では『条例案』から『減給・停職』は残し、橋下は『指導研修』をしても転向しない者は辞めさせるとまで公言している。最高裁判決後、都教委は、10・23通達の合憲性と職務命令を確認している。大阪府教委も『君が代起立斉唱』を求める職務命令を出した。最高裁判決などはそっちのけで事態は進行しつつある。ともに連帯し、『卒・入学式』を闘いぬこう」と呼びかけた。

 「報告」として、がくろう神奈川の反弾圧の闘い、朝鮮学校への公的助成を求める連絡会・東京、原発いらない!3・11福島県民大集会を呼びかける佐藤幸子さん(原発を廃炉に!原発いらない福島の女たち)から発言があった。

 河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会、東京「君が代」訴訟第一次裁判、アイム89処分取り消し裁判から「1・16最高裁判決」の評価、批判などが行われた。

 根津公子さん(被処分者)は、「最高裁に問われていたのは、『君が代』斉唱時の不起立行為に対する停職処分の是非、並びにそれに対する累積加重処分の是非だった。しかし、私の過去の行為を持ち出し、それを『積極的な妨害』として『秩序を害する』としたことは、司法が『積極的な妨害』を『秩序を害する』と恣意的に判断すれば、いかなる不起立処分も妥当とされる抜け道を用意したのと同じだ。極めて恣意的かつ政治的な判決だ」と批判した。



橋下・維新の会の教育基本条例を許すな



 寺本勉さん(「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪)は、「大阪における『教育基本条例』案・『君が代』起立・斉唱強制に反対する闘い」を報告。1・16最高裁判決に対する橋下の反応を取り上げ、「職務命令拒否の一回目から指導・研修を義務づけ、誓約書を提出しない限り現場に戻さない方向へ条例案をさらに改悪しようとしている。誓約書の提出を拒み続けると、それを理由にした分限免職をねらっている」と分析。今後の闘いの方向性として2・12集会・デモ・ヒューマンチェーン、府庁・大阪市役所に対する取組みなどを提起した。

 大阪と福島のカンパアピール後、大嶽昇一さんが業績評価裁判勝利の意義、学校職場での非正規雇用の実態と問題点について報告する仲間、卒業式不起立闘争にむけた決意表明などが続いた。

 最後に集会決議、行動提起(①裁判・集会・行動参加②都教委への抗議申入れ③卒業式ビラまき)を確認し、シュプレヒコールを行った。(Y)

転載【反天連声明】国家による死者の簒奪を許すな!天皇出席の3.11「東日本大震災追悼式」に反対する

ten1ten2【反天連声明】国家による死者の簒奪を許すな!
天皇出席の3.11「東日本大震災追悼式」に反対する


 2012年2月1日
 反天皇制運動連絡会(http://hanten-2.blogspot.com/

 1月20日、政府は「東日本大震災1周年追悼式」を開催することを閣議決定し、内閣府に「追悼式準備室」を設置した。報道によれば、「追悼式」の会場は東京都の国立劇場で、1500名の規模。「地震発生時刻の午後2時46分に1分間の黙祷をささげる」「実行委員長を務める野田佳彦首相の式辞や、天皇陛下のお言葉、岩手、宮城、福島3県から招く遺族代表のあいさつなどを予定している」という。

 1年前のこの日、筆舌に尽くしがたい惨事が東北を中心とする人びとを襲った。それまでの生活は一瞬にして破壊され、たくさんの命が失われた。それを目の当たりにした人びとにとって、また、そういった人びとに直接繋がる人びとにとって、この日が特別の意味をもつことは当然であり、失われた命に思いを寄せ、その死を悼むことはあたりまえの感情である。だが、国家が「追悼式」において果そうとしていることは、国家がそういった人びとの感情をすくい取り、さまざまな人の持つ多様な思いを、ある種の政治方向へと集約していくことにほかならない。だからこそ私たちは、国家による「追悼式」をけっして許すことは
できない。

 野田首相は、1月24日の施政方針演説で次のように述べている。「大震災の発災から1年を迎える、来る3月11日には、政府主催で追悼式を執り行います。犠牲者のみ霊に対する最大の供養は、被災地が一日も早く復興を果たすことに他なりません。……東日本各地の被災地の苦難の日々に寄り添いながら、全ての日本人が力を合わせて、『復興を通じた日本再生』という歴史の一ページを共に作り上げていこうではありませんか」。

 「犠牲者のみ霊に対する最大の供養」が「復興」であるという。これは、例年、8月15日に天皇出席のもとで行なわれる「全国戦没者追悼式」における、国家による死者の「追悼」の論理とそっくりである。私たちは、毎年、「全国戦没者追悼式」への反対行動に取り組んでいるが、それは、戦争の死者を生み出した責任の主体に他ならぬ日本国家が、その死者を「戦後日本の繁栄」をもたらした存在として顕彰することによって意味づける儀式であるからだ。そこに決定的に欠落しているのは、その死をもたらした戦争に対する反省の意識である。国家がなすべきことは、戦争の死者を褒め称えることではない。被害者(戦場に駆り出された兵士たち、空襲や原爆投下などによるおびただしい死
者、そして日本の植民地支配と侵略戦争によって生み出された他民族の被害当事者と遺族たち)にたいして責任を認めて、謝罪と補償(恩給などというものではなく!)を行うことである。

 この8.15と同様の政治が、3.11においても起動されようとしている。そして8.15において隠蔽されるものが国家の戦争責任であるとすれば、3.11において隠蔽されるものは国家の「原発責任」とでも言うべきものである。

 野田の演説において、地震・津波災害と原発事故災害とは、たんに並列されているだけである。地震・津波の被害をあれほどに拡大させてしまった責任は国にもあるはずだが、それ自体は「自然災害」ではあろう。しかし、それによって起こされた原発事故は100%の人災である。国家的なプロジェクトとして原発を推進し続けた国に、事故の根本的な責任があることは明白である。自然災害はおさまれば確かに暮らしは再建され「復興」に向かうはずだ。しかし、現在進行形の原発事故は、決して旧に復することのできない深い傷を、日々刻み続けている。

 原発政策をそのままにした「復興」などありえない。野田もこの演説で「元に戻すのではなく、新しい日本を作り出すという挑戦」が「今を生きる日本人の歴史的な使命」であるなどと述べている。だがそれは、「自然災害に強い持続可能な国づくり・地域づくりを実現するため、災害対策全般を見直し、抜本的に強化」することであり、「原発事故の原因を徹底的に究明し、その教訓を踏まえた新たな原子力安全行政を確立」することでしかない。こんなことは、従来の原発推進路線においてすら、タテマエとしては掲げられてきたことではないのか。

 このふたつの災害を切り離して前者のみを語ることは、その責任を負っている国家にとっては、決して許されることではないはずだ。「追悼式」において、死者の死はもっぱら今後の「復興」にのみ結びつけて語られ、いまなお原発事故の被害を受け続けている人びとをも含めて、被災一般・苦難一般へと問題は解消され、それを乗り越えて「復興に向けて頑張ろう」というメッセージへと「国民的」な動員が果たされる。野田の演説にも見られる「全ての日本人」「日本再生」といった言葉は、多数の被災した在日外国人を排除するだけではない。被災者のおかれているさまざまな苦難の差異を消し去り、あやしげな「共同性」に囲い込み、挙国一致で頑張ろうと忍耐を求める国家の論理なのだ。

 さらに、国家によって「追悼」されるのは、個々の固有の名を持つ死者ではありえない。儀礼的な空間の中で、具体的な個々の死者は、集合的に追悼されるべき単一の死者=「犠牲者」なるものに統合されてしまう。その抽象的な死者に対して、国家のタクトにしたがって、「国民的」行事として一斉黙祷がなされる。それはあくまで、儀式を主宰する国家の政治目的のための「追悼」なのだ。それはそのとき、さまざまな場所で、自らの思いにおいて個別の死者を悼んでいるだろうすべての人びとの行為をも、否応なく国家行事の側に呑み込み、その一部としてしまう。それが、国家による死者の簒奪でなくて何であろうか。

 この儀式において、天皇の「おことば」は中心的な位置を占めるだろう。天皇は、昨年の震災直後にビデオメッセージを発し、また、被災地を慰問して回った。そこで天皇が果した役割は、被災者の苦難にたいして、その悲しみや怒りを、「慰撫」し「沈静化」させることであった。そのパフォーマンスは、マスコミなどで「ありがたく、おやさしい」ものとして宣伝され続けた。しかし、天皇とは憲法で規定された国家を象徴する機関である。そのような存在として天皇は、震災と原発事故が露出させた戦後日本国家の責任を隠蔽し、再び旧来の秩序へと回帰させていく役割を、精力的に担ったのだ。それこそが天皇の「任務」なのであり、3.11の「追悼式」において天皇が果すのも、そのような役割であるはずだ。

 国家がなさねばならないことは別にある。震災と原発事故の被災者の生存権を守り、被害に対する補償や支援をし、さらには被害の一層の拡大を防止するためにあらゆる手立てが尽くされなければならない。そして、これまでの成長優先社会の価値観からの転換がなされなければならない。しかし、政府が行おうとしている方向性は逆だ。原発問題一つとっても、老朽原発の寿命の延長を可能にし、インチキな「ストレステスト」を強行して無理やり再稼働に進もうとしているではないか。それは、「復興」されようとしている社会が3.11以前と同じ社会であること、そこにおいて利益を享受していた者たちの社会であることを物語ってしまっている。この点で私たちは、国家による「追悼式」への抗議の声を、3.11というこの日においてこそ、反原発という課題に合流させていかなければならない。

::::::::::::::::::

【報告】竪川公園の野宿者排除を許さない!2.1江東区役所包囲デモ

tate4 2月1日、竪川河川敷公園の野宿者排除に対して江東区役所包囲デモが行われた。

 11時より東陽公園で行われた集会ではまず実行委の仲間がこの間の経過を説明する。昨年12月に江東区が竪川河川敷公園の五の橋付近に住む仲間たちに対して「弁明機会通知書」を突きつけ、行政大執行の手続きが始まったこと、その場所はA工区の工事に伴ってA工区に住む仲間たちが区によって集められた場所であること、1月21日に仲間たちはその場所から不本意ながらも出ていき、工事の終わった所にある「多目的広場」に避難したこと、そして今、その場所で区との緊迫した攻防が続いていること、五の橋には体の悪い仲間1名の小屋が残っており、その中魔に対して区は「大執行令書」を出したこと、などが報告された。

 多目的広場では23日にさっそく、江東区土木部水辺と緑の課が荒木課長に率いられてやってきて、威圧をしている。話し合いを求める仲間の声にはいっさい声を傾けることもなく「お前達と話すことは何もない。」と言い放った。

 27日には公園を封鎖するフェンスを設置しに土木、業者、そしてガードマンが導入され、抗議する仲間達を暴力的に排除し、フェンス設置工事が強行された。

 その際、何人もの仲間がガードマンと土木の暴力によってけがを負っている。そしてその際ガードマンは排除の直前、胸につけた社名のワッペンをベリベリと剥がし、暴行に及んでいる。

 しかし、この明らかな警備業法違反行為の一部始終はビデオ画像に記録され、ネットに流されている。(山谷労働者福祉会館ブログ参照)

 フェンスを張られたことによって、竪川のほとんどの仲間が従事しているアルミ缶集めのための自転車やリヤカーが公園の中に持ち込めないなどの事態が生じている。

 そして今も竪川現地では強制排除の危機が続いている。

 続いて竪川の仲間が「団結してがんばろう!」「みなさん遠くからありがとう」と一人づつ発言。

 次に宮下公園のナイキ公園化に伴う行政大執行、美竹公園脇の東京都児童館での耐震工事工事を名目とした排除などと闘ってきた渋谷・のじ連の発言。三多摩からは夜回り三鷹、立川サンキュウハウスの仲間が発言。

 江東区で生まれ育ったという女性は「地域住民として子供の頃から遊んでいた竪川河川敷公園が、金儲けのための公園になることに反対です。」と発言。

 次に反原発戦線から経産省前テントから駆けつけた仲間とたんぽぽ舎が発言。たんぽぽ舎の仲間は山谷の越年に支援を呼びかけ、全国からたくさんのカンパが集まったことを報告し、「みなさんの闘いは全国の人が支持しています。」と発言した。

 続いて荒川堀切で国土交通省による排除と闘っている仲間、21日から支援に来て常駐体制をとっている関西の仲間の発言を受けて、江東区役所に向けたデモに出発した。

 平日にも関わらず100人近くの結集。大阪の仲間たちの見事なパーカッションの演奏もあって道行く人々から大いに注目されるデモとなった。歩道でもたくさんの人々がビラを受け取り、アパートの窓から手を振る姿も確認できた。

 しかし、江東区役所ではどういうつもりなのか、そろいのジャンパーを着た職員がスクラムを組み、緊張した面もちで出迎える。

 区役所前ではいっそう大きな声で「排除反対!」「区は話し合いに応じろ!」「暴力をやめろ!」とシュプレヒコールを行った。

 デモの後は区役所前で情宣活動を行い、この日の行動を終えた。                

(板)

*竪川河川敷公園強制排除続報*


 
 竪川河川敷公園の行政代執行による野宿者のテント強制排除の動きは緊迫した状況が未だ続いている。

 先週21日夜に行政代執行攻撃をかけられてきた五の橋のたもとからの移動を仲間達は行った。22日の「野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ」の報告でも簡単に書いたが、これは工事のすでに終わったA工区と、間もなく工事の終するB工区をつなぐ場所である五の橋のたもとに対してかけられてきた「行政代執行」の手続きが進行する中で、強制的な、そして暴力的な排除から逃れるために、その範囲から出て行かざるを得なかったという事である。

 仲間達にとってはこれは全く不本意で納得のいかないものであった。五の橋のたもとに十数軒のテントが集められたのは江東区の指示であったからである。江東区土木部水辺と緑の課はそのために川を埋め立てて移転地を造成したのであった。しかし、今回の行政代執行にあたって区は「許可無く占有している」などとして言っているのである。しかも「話し合いを行う」「強制的な手段は取らない」と言っていたのは区の方なのである。

 しかし、このままでは強制的に排除されてしまうという中で、仲間達は工事の支障となっている五の橋のたもとから出て行く決断をしたのであった。区がこの事によって今一度、約束通り、話し合いでの解決の道に立ち戻ると信じて。

 しかし、その期待は見事に裏切られた。仲間達が避難したA工区の「多目的広場」には翌日から水辺と緑の課が、A 課長に率いられて登場し、「お前達とは何も話す事が無い!」と威圧し、恫喝をしている。警察権力も同行し、仲間達が少しでも挑発に乗れば介入する構えである。

 そして、27日には公園を分断するフェンスを張り巡らしたのである。その理由を「公園利用者の安全」などとするデタラメぶり。この時の混乱では社名などをテープで隠したガードマン(警備業法違反では?)や作業員の暴力で数人がけがをさせられている。そして「2月3日までに撤去しろ」と「指示書」をテントに張り、新たにここでも行政代執行の動きに出てきているのである。

 五の橋での「行政代執行」の「除去命令」に不本意ながらも従った仲間達がどこかに「避難」しなければならないのは当たり前ではないか。
P1285760
 そして、公園を歩いて見れば分かるが、仲間達が避難出来る場所は公園の中で「多目的広場」意外には無いのである。区はC工区ヘ移れと言うがB工区の工事が終わればC工区の工事が始まるのであり、そもそもC工区には元々住む仲間、B工区から移転させられた仲間達が住んでおり、五の橋の仲間達が移転出来る場所的な余裕は無いのである。

 人を人とも思わない江東区のやり方に怒りや疑問の声がわき上がり、連日、たくさんの人々が支援に訪れている。

 江東区へ抗議の声をぶつけるために緊急にデモが計画されている。平日ではあるが多くの仲間の参加を。そして江東区に抗議の声を!。                  

(板)

*江東区役所抗議デモ 
  2月1日(水)11時東陽公園(東西線東陽町下車)11時デモ出発

【報告】経産省前テントを守れ! 「撤去通告」をはねのけ1・27テント前にに800人が結集

127 一月二四日午前、枝野経産相は閣議後の記者会見で、昨年九月一一日の経産省包囲行動以後、経産省前の敷地に設置された脱原発「テントひろば」のテントの撤去と退去を求める、と発言した。それを受けて同日午後経産省厚生企画室長名で「平成二四年一月二七日までに当省敷地からの退去・テントや持ち込み品の撤去」を求める命令の文書が提示された。

 経産省前テントひろばは、すでにすでに四カ月以上にわたって原発推進政策の元締めである経産省前で、脱・反原発の思いを抱く多くの人びとの出会い・交流・討論の場として実に重要な役割を果たしてきた。一〇月二七日からの「原発いらない福島の女たち」の座り込み、それに続く「全国の女たち」の座り込みは、「テントひろば」が霞が関のど真ん中に設置された市民たちの民主主義的な公共空間として発展していく契機となった。

 海外のメディアや活動家たちもこのテントからの市民たちの「脱原発」の意思表示に注目し、年末・年始にもひっきりなしに取材・訪問が続いた。テントひろばでは連日のように数々の企画が催された。女たちのテントを含めてテントの数も三つに増えた。

 これまでも経産省前テントには右翼の威嚇・挑発、警察の監視と妨害、経産省当局からの「退去要請」などがなされていたが、テント前に集った人びとは丁重に討論を求め、「脱原発」への転換、再稼働の断念などが行われないかぎり「自主的」撤去はしないことを繰り返し表明してきたのである。枝野の「撤去要請」、経産省からの「退去命令」に対して、テント前ひろばの人びとは、自主的撤去をしないことを改めて確認し、「強制撤去」をすることのないように経産省側に要求した。



 一月二七日、「退去通告」期限の午後五時に合わせて午後四時からテント前での緊急集会が呼びかけられた。午後一時からは弁護士会館で記者会見も行われた。すでに昼過ぎから多くの人びとが続々と集まり始め、集会の終わる午後六時には経産省前は八〇〇人を超える結集となった。

 集会ではテント広場の渕上太郎さん、女たちの座り込みの呼びかけ人の椎名千恵子さんのアピールの後、福島の女たち、全国の女たち、弁護団、双葉町から避難している女性、浪江町の被災牧場主、六ヶ所村の女性、ジャーナリストの志葉玲さん、たんぽぽ舎の柳田真さん、福島原発事故緊急会議の木村雅夫さん、東電前アクションの栗原学さんと園良太さん、東京オキュパイ運動、反原発民衆法廷の矢野さん、市民法廷の高橋さん、元国労闘争団の佐久間さん、同じく闘争団で国会前マラソンを続けてきた中野さん、中学生の若い仲間などが続々と発言した。

 テント前は夜遅くまで熱気に満ちた交流が続き、経産省側はついに姿を現すこともなかった。

 大震災・津波・原発災害から一年の三月一一日を迎えて、政府・電力資本などの財界は、危機感をつのらせている。四月末にはついに稼働原発がゼロになってしまうのだ。「再稼働阻止」を軸に、被災者の生活・雇用・権利を守り、国と東電による無条件の損害賠償を求めて全力を上げよう。経産省前テントひろばを守りぬこう。(K)

集会全容

↑■福島・浪江町の酪農家の訴え(01:41:00頃)

【報告】1.22 野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ

tate5 一月二十二日、野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモが行われた。これは江東・竪川河川敷公園の野宿者に対して江東区が行政代執行による強制排除の動きに出てきた事に対して急遽呼びかけられたもの。


 あいにくの雨の中、会場の文泉公園には全国から約二百人の参加者が集まり、この問題への関心の高さをうかがわせた。


 山谷で作ってきた弁当を食べて腹ごしらえをした後、十一時から集会は始まった。まず始めに実行委の仲間より、基調報告。六年間に渡って追い出しと闘ってきた竪川の仲間の闘いの経過、そして昨年末より江東区が行政代執行攻撃をかけてきた事、さらに前日夜の出来事についての報告が行われた。


 公園を民間企業の管理するスポーツ施設などを中心としたものに変えるという工事が始まり、二〇一〇年十月、公園を三つに分けた工区のうち最初に工事の始まったA工区のでテント生活を送る仲間たちが江東区土木部水辺と緑の課によってA工区のはずれ、五の橋のたもとの川を埋め立てて区が造成した一画に集められた事、その際、A工区の工事が終わった後には「話し合いを行う」「強制的な排除は行わない」と区が約束していた事。


 それが工事が進展するにつれ、追い出しが激しくなり、A工区の工事が終わり、B工区の工事が進む中で、A工区と、B工区をつなぐ場所である五の橋のたもとの仲間たちが、集住する場所に対して昨年末ついに区は行政代執行の攻撃をかけてきたのだ。


 十二月二十二日に「弁明機会通知書」が出され、それに対して仲間たちは一月五日、「弁明書」を提出、十二日には十八日を期限とする「除却命令」が出され、そして二十日には「戒告書」が出され、いよいよ「代執行」が秒読み段階に入ってきた。


 そのような中でデモの前日夜、まさに敵の虚をつく形でテントの移動が行われた。仲間の追い出しを行うガードマンの通報によって事態を知った水辺と緑の課の課長が一一〇番で警察を呼んだ時には、すでに仲間たちは降りしきる雨の中、工事の終わったA工区の中で唯一空いている「多目的広場」の片隅に九軒のテントを移動し終え、お茶を飲んで休憩をしているところであった。


 パトカーや自転車で次々に集まってくる警察官たちは二十人ほどが集まり部隊を組むと警棒を抜いて威圧しながら「こんな所にテントを建てるな」と迫ってくるが、仲間たちは「命を守るテントだ!」「警察官にそんな権限は無い、都市公園法を知っているのか?」と返す。何も言えなくなる警官隊。


 すると今度は私服の公安が「責任者は誰だ!」と何回も(三十回ぐらい)繰り返しながら体をぶつけたり、傘を仲間の頭にぶつけるなどの挑発行為に出てきた、見ると警官隊はこちらが何かすればすぐにでも襲いかかってくる体制である。なるほどこらが噂に聞く「転び公妨(公務執行妨害)」というやつか、仲間たちは努めて冷静にこの哀れで滑稽な公安を笑い飛ばし、挑発に乗る事は無く一切の介入をさせなかった。


 結局、なす術を無くした権力は少し離れたところに下がり威圧するだけという状態になった。そこへ今度は四名のガードマンと共に水辺と緑の課の職員がやってきた。


 「ここはテントを建ててはイケナイところです」などと一種懸命に言っているが、近づくと酒臭い、おそらくどこかで飲んでいたところを課長に電話で呼び出され現場に寄越されたのだろう。「酒臭いぞ!」と言うと「いや、飲んでない」などと言うが、目がうつろである。一緒に来たガードマンの中でも、寝ている仲間の小屋を揺すぶるなど、一番悪質なやつが、「プライベートなんだから飲んでったっていいんだよ!」などと怒鳴る。「えっプライベートなの、公務じゃないの」すると職員はあわてて「公務です、飲んでません!」どっちなんだよ!と、全然不甲斐ない。


 「そっちが代執行で出て行けって言うから引っ越してるんじゃないか。」「来週以降ちゃんと話し合いをやろうぜ。」結局、職員も引き上げざるをえず、警官隊もばつが悪そうに解散していった。というのが二十一日夜の出来事であった。警官隊の登場から撤退までの所要時間は約一時間ぐらいか?。


 基調の次は竪川の仲間たちの発言。「月曜日からの役所との攻防に、みなさんご支援を!」「これからも応援よろしく!」「オレは最後の1人になっても闘うぞ!」「ホームレスと差別されるけど、生きる権利は平等だ!」一人一人がその思いを表明する。


 続いて江東区内で頻発する少年たちによる野宿者襲撃についての報告。昨年十二月十一日に大島小松川公園で少年たちによって襲撃を受けた野宿の仲間が肋骨三本を折る重傷を負った事件は大きく報道されたが、それだけではなく、区内では少年たちによる襲撃が冷えている、竪川でも少年三人が仲間の小屋に可燃物を投げ、小屋が全焼するという事件が昨年十一月に起っている。


 区による野宿者排除の動きが強まるにつれ、襲撃も増えてきているが、江東区は全く有効な手を打ってこなかったばかりか、「工事によって野宿者をゼロにする」と明言している。


 次に、竪川と同じく排除の攻撃にさらされている荒川・堀切橋付近の仲間たちの「竪川の仲間と一緒に闘っていく」という発言を受けて亀戸一周のデモに出発。


 太鼓を叩きながらのデモに道行く人々も大いに注目し、雨中のデモにも関わらず、歩道で撒くビラを多くの人々が手に取っていく。


 竪川の五の橋付近を通るときにはひときわ大きく「追い出しをやめろ!」と声を上げ、亀戸駅前で、流れ解散となった。


 解散後は竪川の新しくテントを建てた場所に移動して交流会。静岡、名古屋、横浜・寿町、そして前夜の闘いにも合流した大阪の仲間。そして東京からは夜回り三鷹、三多摩野宿者人権ネットワーク、渋谷・のじれんの仲間が発言した。


 多くの仲間に支えられて竪川の闘いは新たな局面を迎えている。引っ越しによってひとまずは行政代執行を回避したが、新たな移転地でも行政代執行がかけられないとも限らない。また悪質なガードマンを使った嫌がらせのエスカレートも懸念される。


 さらに多くの人々の注目と支援が決定的に重要である。


(板)

【報告】1.18 大飯原発再稼働阻止「ストレステスト」抗議アクション

photo1月18日、経産省、原子力安全・保安院で行われる大飯原発3、4号機の再稼動に係る「ストレステスト」の意見聴取会に対して緊急の抗議行動が取り組まれた。


日本で稼動している原発はあと5基とまでなった。これは言うまでもなく、昨年の福島事故に対する政府・東電・電力資本への怒りと反原発運動の高揚、原発立地地域住民と自治体の再稼動を許さない闘いの広がりの成果だ。


「このままでは日本のすべての原発稼動ゼロが現実のものとなる」と危機感を募らせた政府と電力資本は、菅前首相が導入した「ストレステスト」を突破口にして、なんとしても原発再稼働を強行しようとしている。しかも、すでに保安院は、大飯原発の「ストレステスト」をパスさせる方針であるということがメディア報道で伝えられているという茶番ぶりだ。


しかし、この「ストレステスト」自体が、「原発の耐久性」を机上の数字の計算によって証明するものでしかなく、その「確度」は現実の地震や津波でしか証明することができない。また、欧米では「ストレステスト」において、飛行機の激突やミサイル攻撃、隕石の衝突まで含めて耐久計算がなされるべきだ、という議論が主流になりつつあるが、今回の原子力安全・保安院による「テスト」ではそこまでの計算はなされていない。

保安院自身が、福島事故を起こした当事組織の一つとして責任を問われ、環境省への移管と再編が既定コースとされている状況であり、なにより電力資本と一体となって原発を推進し、原発立地自治体における原発の住民説明会で「やらせ」を指南するような組織だ。こんな中立性にまったく欠ける組織が、福島事故を経ても「原発の安全性」を審査する資格などあるわけがない。


そして、この「ストレステスト」の審査関わる三人の委員は、原発メーカーである三菱重工から献金を受け取っていた御用学者たちである。


このような見え透いた「茶番」で、原発の再稼働の是非を決めることなど許されるわけがない。この「ストレステスト」の結果は、1月26日に来日が予定されているIAEA(国際原子力機関)の委員の審査に合わせて急ピッチで進められているのだ。要は「先にスケジュールありき」としか言いようがない。


この日「福島原発事故緊急会議」の仲間は聴取会の傍聴闘争を組織し、また、「東電前アクション」は『殺されてたまるか!保安院前を埋め尽くせ!』と聴取会への抗議アクションをたった一日の呼びかけ期間という緊急アクションを行った。


この日の聴取会は、なんと前回まで認められていた傍聴を実際の聴取会会場ではなく、別室でモニターを見せる、と保安院は発表していた。15時に保安院がある経産省別館前で行動を開始した仲間たちは、「インチキなストレステストが、さらに傍聴まで封じ市民を排除して原発を再稼働させるなんてことは許せない。私たちは堂々と傍聴の権利を求める」として、16時に経産省の建物に入って行った。


傍聴団は、保安院が用意した「傍聴室」のある10階ではなく、聴取会が行われている11階に向かい、受付を通過して堂々と聴取会会場に入り、「市民の傍聴を認めろ」「民主主義を守れ」と主張。一部のマスメディアは、このときの様子を「反原発派が乱入」などと報じたが、実際は当然の権利を求めて入室しただけである。

そして傍聴団は「審査の公平性のために、原発メーカーから献金を受けた三人の委員を辞任させろ」と要求。この傍聴団の当然の要求に、委員たちは黙りこくるのみ。その結果、聴取会の開始は遅れに遅れることになった。


次第に、経産省の周囲は警察車両で埋め尽くされていく。そして、機動隊の部隊が経産省に入っていこうとする。建物の外で集会を行っていた仲間たちは、機動隊に「なんの任務で建物に入るんだ?」「傍聴団の強制排除を許さないぞ!」と横断幕やスクラムで二度に渡って、機動隊の介入を阻止して追い返した。しかし、経産省の別の玄関から機動隊は建物に入って行った。


弾圧の機会を虎視眈々と狙いながら威嚇する機動隊に対して、傍聴団の「傍聴させろ」というあまりに当然の要求と毅然とした態度に、機動隊は最後まで介入することはできなかった。


photo2
結局、保安院は、聴取会の会場を経産省本館に急きょ移して、約4時間遅れで会議を開始することになった。しかも、「市民を傍聴させないような会議で審査することはできない」と二人の委員は、場所を移しての聴取会をボイコットする事態となった。枝野経産相は、記者会見で「もうストレステストの傍聴は認めない」などと発表。もはや、政府・経産省・保安院自身が、「ストレステスト」などに一片の正当性がないことを吐露したにも等しいところにまで追い込まれることになった。


20時頃、傍聴団は堂々と外で行われていた市民集会に合流。「今日の行動は、保安院の目論みを完全に破産させた。これからは、ストレステストなど無効だと訴えていこう。そして、次々に予定されているストレステストの聴取会に波状的な抗議行動を展開していこう」とを呼びかけられ、傍聴団と外の抗議団合わせて150人で「原発再稼働を許さないぞ!」「殺されてたまるか!」「原発ゼロを実現するぞ!」とシュプレヒコールを上げて、この日の行動を終わらせた。


(F)

【報告】1.16「原発? No. Thank you! ヨルダンの国会議員・弁護士は訴える」

IMG_0805 一月一六日、東京・水道橋の在日韓国YWCAで「緊急集会 『原発? No,
thank you!』ヨルダンの国会議員・弁護士は訴える」が行われ、一〇〇人以上が参加した。主催はミーダーン≪パルスチナ・対話のための広場≫。FoE Japan、JACSES(「環境・持続社会」研究セ ンター)、JSR(アル・ジスル――日本とパレスチナを結ぶ)、JIM―NET(日本イラク医療支援ネットワーク)、NINDJA(インドネシア民主化支援ネットワーク)、福島原発事故緊急会議、アジア太平洋資料センターが共催した。

 集会には一月一四日、一五日に横浜で開催された脱原発世界会議のために来日したヨルダンのモオタシム・アワームレさん(国会議員、医師、議会の保健・環境委員長)、ジャマール・ガッモーさん(国会議員・エネルギー委員長)、ムナ・マハメラーさん(弁護士)が発言した。

 昨年一二月、臨時国会はわずか半日ほどの審議でヨルダンとの原子力協定を承認した。


通常国会では、八月二四日に参考人として発言したJACSESの田辺有輝さんが人口密集地域での原発建設の危険、水資源に乏しい砂漠地帯で冷却水の供給が首都アンマンの下水処理場の処理水しかない問題、シリア・アフリカ断層の上に位置する地震多発地域であること、さらに被占領パレスチナ、シリアなどと接する紛争地域であることを指摘し、そのこともあって承認は見送られた。だが原発輸出競争で勝ち抜くことに原発延命の活路を見出そうとする資本の圧力によってヨルダンとの原子力協定はついに承認されてしまったのである。

 しかしヨルダンでは国王が議員を任命する上院(六〇人)は別にしても、普通選挙で選ばれる下院(一二〇人)では反対する議員が多数派であり、福島第一原発事故以後は世論でも反原発の気運が高まっている、と言われる。この日の緊急集会は、野田政権が進める「原発輸出」政策を批判し、ヨルダンの人びとの生の声に耳を傾けるために設定された。
 
 田浪亜央江さん(ミーダーン)が進行役をつとめた集会では、最初にフリーランス・ジャーナリストの鈴木真奈美さんが、原発輸出の問題点を鋭くえぐり出した。

 鈴木さんは、日本での原発の新設は、かりに福島原発事故がなかったとしてもきわめて困難であったこと、新設がなければ運転年数の上限四〇年なら二〇四五年にはすべて終わり、仮に六〇年に延ばしても二〇六五年にはなくなることを指摘した。米国では価格競争力、事故リスクなどの面で一九七〇年代以後新設原発はゼロとなり、原子炉の設計能力はあるものの製造・建設の技術と人材が衰退してしまった。米国は核兵器という軍事用技術に特化した形でしか人材を維持できていないこうして今のままでは世界で運転される発電用原子炉は二〇五五年にはほぼゼロになってしまう。

 こうした中でいま新興市場・途上国市場をねらった原発輸出で原子力産業の延命を図ろうという動きが進んでいる。中国、インド、ベトナムでは電力供給の拡大と将来の原発輸出国となることを目標として、リトワニアではロシアへのエネルギー依存を減らすために、中東・インドネシアでは石油・天然ガス資源を外貨獲得用に残すために、など新興国・途上国の側の思惑はさまざまだ。

 澤明・三菱重工原子力事業本部長はヨルダンを契機に他の新興国市場への原発輸出を進めていくこと、そしてそのためにフランスのアレバ社との協力を強めていく、と語っている。二〇〇六年の「原子力立国計画」では、建て替え需要が始まるまでに輸出により技術と人材を維持し、法的・制度的整備を進めていくと述べている。二〇〇七年の「日米原子力共同行動」では、日本が米国の新規原発建設を支援するとともに日米でパートナーを組んで「世界の原子力拡大に貢献」することをうたっている。こうして、原子力輸出とは核産業の延命策であり、輸出国と輸入国の双方の政治・社会・経済を核のしがらみにしばりつけるものだ。

 鈴木さんは、このように語って「ポスト・フクシマ」の時代での「開かれた議論」の必要性を訴えた。



 次にヨルダンからの三人のゲストが報告した。

 ジャマール・ガッモーさんは「福島の悲惨な事故がヨルダンでも世界のどこでも起こってはならない」と述べ、次のように語った。

 「ヨルダンは被占領パレスチナ、イラク、シリアに接しており、そうした地域では数々の戦争で禁止された兵器が使われてきた。木も枯れ、植物も育たなくなった。イラクでは劣化ウラン弾が使われた」。「二〇〇三年以前、ヨルダンはイラクから非常に安く石油を輸入してきた。半分は無料、半分は半額だった。したがってエネルギー自立など考えてこなかった。二〇〇三年以後、イラクからの石油は止まりそれへの代替戦略として、国内備蓄への依拠、エジプトからの天然ガス、国内のウラン採掘などが挙げられた。そして国内のウランを使って貧しい国から豊かな国になることができる、との希望が呼び起こされた」。

 「このウラン開発で中国、ベルギー、フランスとの交渉が始まったが、三年後中国とベルギーは撤退した。国内には十分な量のウラン鉱がないことが分かったからだ」。

 「いまどこに原発を作るのかの場所もはっきりしないまま、入札が行われてきたが、ヨルダンには十分な冷却水供給減もないし、人材面でも運営に限界があり、廃棄物処理技術もない。結局、利益だけを求める企業に食い物にされてしまうだけだ」。

 モオタシム・アワームさんは「ヨルダンでは代替エネルギーとしての太陽光の発電の可能性が大きい。しかしその可能性は意図的に無視されてきた」と語り、次のように批判した。

 「核大国クラブは原発ルネッサンスの計画で途上国を説得している。しかしそれは技術を持つ国への依存を深めるだけだ。私は議会の環境委員長として、また医師として放射能の危険性を認識しており、その影響は一時的なものではない。米国、ソ連、日本といった先進国でも事故が起こった。こうした事故がヨルダンで起こればどうなるのか。ヨルダンはトルコから紅海に至る断層の上に位置している。政治情勢も不安定だ。かつてイラクやイランの発電施設が攻撃された。廃棄物処理はだれが責任を持つのか、その費用はだれが負うのか。被害をもたらすエネルギーではなく、農業などへの支援をこそ期待する」。

 弁護士のムナ・マハメラーさんは「ヨルダンは世界で最も水資源の乏しい国の一つであり、電力を化石エネルギーに依存している。その九七%が輸入だ。うち七五%がエジプトからの天然ガスだ」と説明した。

 「パレスチナの正義と平和を求める国連決議は一貫して無視されてきた。近隣にはイスラエルという核保有国、そして核兵器開発を進めているとされるイランがある。事故や戦争の危険性に私たちは取り巻かれている。もし日本がヨルダンに原発を輸出すれば、ヒロシマ・ナガサキの惨劇に同情してきたヨルダン人の日本へのイメージが変わるだろう。ぜひ日本政府に原子力協定を取り下げる運動をしていただきたい」。

 この呼びかけに参加者たちは共感の拍手で応えた。

 原発輸出政策をやめさせ、世界の人びととともに脱原発を実現しよう。

(K)
記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ