虹とモンスーン

アジア連帯講座のBLOG

【案内】3.26 東電の原発ゼロDAYアクション!

【拡散歓迎・核不拡散】
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3.26 東電の原発ゼロDAYアクション!
~福島、新潟、もう絶対動かさせない~

<呼びかけ>
経産省前テントひろば、原発いらない福島の女たち、再稼働反対!全国アクション、
たんぽぽ舎、東電前アクション!、福島原発事故緊急会議

<連絡先>

東電前アクション!
TEL 090-1219-4519(栗原)
MAIL toudenmae.action@gmail.com

たんぽぽ舎
東京都千代田区三崎町2-6-2ダイナミックビル5F
FAX 03-3238-0797

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日時:2012年3月26日(月)
   19時~20時30分頃まで


場所:東京電力本店前
東京都千代田区内幸町1丁目1番3号
JR・東京メトロ・都営地下鉄浅草線新橋駅より徒歩5分
都営地下鉄三田線内幸町駅より徒歩3分


■鳴り物、自作プラカード、歌う人、叫ぶ人、静かに意思表示する人歓迎。
■このアクションを「非暴力」「反差別」の行動として呼びかけます。


==3月26日、柏崎刈羽原発全停止-東電管内原発ゼロ実現の日に==

この日本列島で、原発ゼロまで残りあと二基のうちの一基だった東電:柏崎刈羽原発6号機が3月26日に停止します。
東電の原発がすべて止まるこの日を、私たちは苦々しい思いで迎えることになるでしょう。

福島事故の最大の責任者で加害者である東電の原発を残り二基のうちの一基まで動かさせてしまったことを。

福島の現在進行形の悲惨な事態と引き換えに「東電の原発ゼロ」が実現するということに。

なにより2003年に東電の事故隠しが露呈して東電の原発がすべて止まった時に、そのまま永遠に止めさせることが出来なかったことに。。。

そしてまた、決意を新たに3月26日を迎えるでしょう。
今度こそ絶対に東電管内-日本全国のすべての原発を二度と再び動かさせない、、、と。

東電の原発は、その電気を使ってきた東京・首都圏で生活する者の責任で廃炉に追い込む、、、ということを。

柏崎刈羽では、すでに昨年11月には新たに核燃料棒を搬入して、着々と再稼働の準備を進めています。
あるいは、福島第二の再稼働に向けて、東電は「事故の記憶はいずれ風化する」などとうそぶき、福島で根回ししていることが伝えられています。

「フクシマ」は安全な原発など存在しない、ということを知らしめました。
そして、原発を動かすということは新たな核の破局への道を掃き清めることにほかなりません。

3月26日に宣言しよう!「もう絶対動かさせない」
この決意を胸に刻んで、実現させるための最初の日が3月26日です!

東電本店前を埋め尽くそう!

::::(ここまで):::::::::::::::                                   
 

【転載】2.11 反「紀元節」デモにおける警察警備についての公開質問状

「危機」の時代の天皇制を問う! 2.11反「紀元節」行動
http://2012-211action.blogspot.com/



公開質問状

2012年3月2日

 警視庁警備部長 殿
 警視庁戸塚警察署長 殿
 警視庁新宿警察署長 殿

2.11反「紀元節」行動実行委員会


 私たち2.11反「紀元節」行動実行委員会は、2012年2月11日、新宿区西早稲田を出発し、同区大久保に至る集団示威行進をおこないました。この過程で、私たちは様々な右翼団体による妨害行為を受け、また、警察官・機動隊による多くの不当な規制を受けました。

 私たちは、これらは憲法で保障された言論・表現の自由という基本的人権に照らして、多くの問題を含んでいると考え、あらためて抗議の意志を表明するとともに、以下の点について貴職による誠実な回答を求めるものです。

1)今回の示威行進にあたって、2月7日午後、実行委のメンバーが所轄戸塚警察署に赴き、申請書を提出しました。

 しかるに、翌8日、21時24分という時刻に更新された「日本侵略を許さない国民の会」のブログは、「反天連カウンター『逆賊は死ね!女系天皇絶対反対!』」の行動を呼びかけ、そこには「反天連は16時頃出発予定です」と明記されています。そして、駅前から、私たちのデモが通る場所に移動して抗議するとしています。

 私たちが申請し受理されたデモコース、さらにはデモに出発する時間は、示威行進申請書以外には、一切対外的に明らかにしていません。また、今回のデモコースは、私たちとしては初めて通るものであり、他の団体も、このコースでの示威行進を行ったことはないと、デモ申請の際に戸塚署の警備担当者から聞いています。

 さらに当日は、彼らに加えて、20台前後の黒塗りの右翼街宣車が、私たちのデモが通る車線のほうに昼過ぎから車輌を停めて陣取っていました。

 時間もコースも、あまりにも正確に把握されています。こうした点から見て、彼らが事前にデモコースを知っていたことは明らかです。そしてこの時点では、数人の実行委メンバーを除けば、デモコースを事前に知っていたのは警備当局以外に存在していない以上、警察から何らかのルートで、右翼に対してコースや出発時間に関する情報が流されたものと断定せざるを得ません。そうであるとすれば、これは明らかに警察による違法行為であり、さらに表現の自由に対する侵害であると言わざるを得ません。

 この点について、具体的な事実を調査・確認し、それについての見解を明らかにするよう求めます。

2)デモに対する右翼の妨害・脅迫とその煽動は、早稲田通りと明治通りが交差する馬場口交差点において、「日本侵略を許さない国民の会」や「在日特権を許さない市民の会」グループ。また、そこから諏訪通りにかけた明治通り一帯に右翼街宣車と、きれいに棲み分けがなされていました。さらに、戸塚署管内を抜けて新宿署管内に入ると、街宣車も激減しました。彼らに対する規制の柵も設けられていましたが、それはむしろ、彼らがそのなかで自由に声を上げることのできるステージを、準備しているとしか思えないものでした。この点から私たちは、警察の警備担当者が、デモコースや時間を含めて事前に右翼と連絡・調整し、あらかじめ彼らの行動を保障し、この時間帯、明治通りのこの区間を、完全に通行止めにしてまで、そのための場所を作ってやったとしか考えられません。

 大量の街宣車をデモコースに長時間にわたって停車する行為は、道路交通法に違反しているのではないでしょうか。また仮に右翼が街宣許可をとったり、道路使用・占用の許可があるなど「適法」であったとしても、彼らの行為はデモ行進に対する直接的な妨害であり、殺人さえ公然と口にする、デモ参加者に対する脅迫そのもので、きわめて暴力的なものです。これらの行為は、刑法に規定される脅迫・強要、あるいは威力業務妨害に該当すると思われます。警察は、そうした彼らに行動の自由を与え、便宜を図ることによって、これら犯罪行為に協力しているようにしか見えませんが、この点について事実を明らかにし、どのように考えているのか、見解を求めます。

3)デモ行進の最中、警官は一貫して参加者を後ろから「早く進め」と楯で押し、違法な写真・ビデオ撮影を繰り返しました。これへの私たちの抗議に対して警察は、右翼が攻撃した時のために証拠を集めているなどと嘯いています。

 写真・ビデオ撮影については、デモ行進にうつる前からずっと抗議していたにもかかわらず、最後までやめようとしませんでした。そればかりか、撮影者とその保護者(撮影者が後ろ向きでデモ隊を撮影するため、その進行を援助する者)の二人一組となって、デモの宣伝カーの前に陣取って、デモの開始から終了まで一貫して、デモ隊のビデオ撮影をし続けていました。彼らは私たちへのビデオ撮影のためにのみやってきていたのであり、撮影者は「警視庁」の腕章をしていました。

 相手の意思に反して無断で撮影する行為は、明らかに肖像権侵害の違法行為です。逆に、そのような警察官の違法行為を記録するためにデモの主催者が回していたビデオは、公安警察官によって暴力的にはたき落とされようとさえしました。

 写真・ビデオの撮影は、どのような法的根拠で、なんのためになされているのか、見解を示すよう求めます。また、撮影した写真、録画されたビデオの開示を求めます。

4)デモ隊の後方には、足が不自由で、杖をついた参加者もいました。そうした参加者をも楯で押すことは、一歩間違えば、事故にも繋がりかねない危険な行為です。こうしたことについて、警察では配慮することさえしないのでしょうか。

 さらに機動隊員の中には、参加者に対して「このババア」「デモから出て行け」「俺たちが右翼から守ってやってるんだ(から言うことを聞け)」などの暴言を繰り返し発する者が多数いました。

 こうした点に現われている警察官の人権感覚の欠如は、市民の法的権利について警官への教育が十分なされていないことを物語っているといえます。このことは憲法尊重擁護の義務を負う司法警察職員として深刻な問題であると考えますが、この点について見解を求めます。

5)大久保通りで、デモ隊に対する「抗議」を準備していた右翼グループに対して、警官が「そこは危険だから、こちらに移動して」と言ってわざわざ、交番の前に彼らを移動させ、そこで抗議をやらせたことが、参加者によって確認されています。この抗議の内容とは、デモ隊に対して「殺せ殺せ」「つぶせつぶせ」と叫ぶものでした。こういった、明白な脅迫行為を、警察官が「安全」にさせるための場所を確保してやったということになります。
 このことについて、誰が、どのような理由でそうした判断を下したのか、事実を調査して、明らかにすることを求めます。

6)デモ前の屋内集会の会場に対して、右翼団体を名乗る男性から脅迫電話が繰り返しかけられ、その結果、会館の管理責任者より、戸塚署に対して警備要請が出されたと聞いています。しかるに、当日は、会館警備とはなんの関係もない大量の私服の公安警察官が建物のある敷地内にたむろし、集会参加者をチェックしていました。

 いうまでもなく、集会への参加者は、自分がどのような集会に参加しているかを、警察に対して明らかにしなくてはいけない義務などありません。公安警察の行為は、個人情報の違法な収集に当たると思いますが、この点についての見解を求めます。

 2月11日の警察の対応は、総じて、右翼の妨害行為を口実にし、それをも利用しつつ、私たちの行動に対する介入を図ったと評価せざるを得ません。これは、警察が、言論・表現の自由を保障する立場に立つのではなく、それを押さえ込み弾圧する側にたっているという姿勢を、露骨に示しました。
 しかしこうした事態は、なにも今回初めておきた事態ではありません。妨害してくる右翼を規制するのではなく、もっぱら私たちのデモの方を規制することが、あたりまえのように行われ続けているのが現状です。例えば、反天皇制運動の実行委で取り組む、8月15日の九段下でのデモに対して、大量の右翼グループは、さまざまな攻撃をしかけてきました。昨年は、デモ隊参加者への傷害をねらったと思われるナイフさえ見つかっています。このナイフは、公安警察の手によって拾い上げられ、カバンにそっとしまわれました。これはいったいどうなってしまったのでしょうか。当日の警備も、九段下交差点に「在日特権を許さない市民の会」などのための抗議場所を確保してやるものでした。また、水道橋駅前には、車線の両側に、デモの進行方向に向かって大量の街宣車が斜めに止められており、私たちはその道路の真ん中を、機動隊の楯に挟まれて行進させられたのです。

 私たちは、こうした警察の違法・不当な行為を監視し、二度とそのようなことが繰り返されないよう、重ねて申し入れたいと思います。そのためにも、事実が明らかにされるべきです。

 以上の点について、3月12日までに、文書で回答していただけるよう要請します。なお、回答頂いた内容は公開いたしますので、ご承知おきください。真摯な対応をお待ちしています。

中国:派閥闘争の後塵に現れる「中国の特色ある資本主義」における階級闘争~全人代が終わって

20120305

毎春の政治ショーと揶揄される中国の全国人民代表大会が、この一年の総括と向こう一年の政治方針が記された政治報告を了承して3月14日に閉幕した。党指導部トップの交代が行われる18回党大会を半年後に控えた全人代だけに国内外から注目された。

閉幕の翌日3月15日、中国内外に大きなニュースが伝えられた。秋の党大会で党指導部トップの政治局常任委員会入りに注目が集まっていた重慶市書記の薄煕来がその職を解任されたというニュースだ。

薄煕来は重慶市のトップである書記に就任していらい、汚職撲滅・都市開発・就業支援・革命歌唱和などを特徴とする「重慶モデル」を実践し注目を集めてきた。しかし薄煕来の腹心で「重慶モデル」の功臣とみられていた副市長の王立軍が、全人代の開幕直前の2月初め、アメリカ大使館に逃亡し、その後身柄を中国政府に拘束された。ボスである薄煕来からスケープゴートとして切り捨てられることに抗議したものとみられる。

参考:重慶モデルの破たん (2012年2月9日)

薄煕来に対してはその後、目立った処分もなく、北京で開かれた全人代に重慶市のトップとして参加し、記者からの質問にも「解任されるというのは根も葉もないうわさだ」と答えていた。

温家宝首相は全人代閉幕後の14日に記者会見を行った。重慶市の王立軍副市長の米国総領事館駆け込み騒動についての質問に次のように答えていた。「重慶市の政府と住民はこれまで改革に多大な努力を払い、目覚しい成果を収めてきた。しかし現在の党委員会と政府は今回の一件からしっかりと教訓をくみ取り、反省する必要がある。」

そして3月15日の薄煕来の更迭のニュースである。その背景には党内部の派閥闘争があることは間違いない。薄煕来は失脚した。だが「重慶モデル」は「目覚ましい成果を収めてきた」と評価されたままである。だがこの「重慶モデル」は、中国政府がすすめてきた国有企業の民営化や都市開発に伴う農地収用などによって労働者農民の既得権を徹底してたたきつぶした荒廃地のうえに打ち立てられた中国の特色ある資本主義のモデルの一つに他ならない。

去年、そして今年の全人代では黄奇帆市長は「この三年、土地収用を理由とした陳情が行われたことはない」と平然と言い放っている。だが昨年の全人代閉幕直後の4月1日には重慶の失地農民(土地収用などで農地を失った農民)ら1000人が黄奇帆・重慶市長の罷免要求を重慶市人民代表大会事務局に提出している。2010年1月には中央政府に陳情をおこなった失地農民が重慶市公安当局にひどい暴力的弾圧されるというニュースも伝えられている。

農民だけではない。1990年代末から2000年代にかけて中国全土で国有企業の改革と称する民営化が進められ、無数の労働者が街頭に投げ出された。なかでも重慶は重点的に攻撃を受けた地区と言われている。2000年代中頃からいくつもの闘争が伝えられている。04年には重慶3403工廠の労働者三千人が民営化反対の決議を上げた闘争をはじめ、05年には重慶嘉陵化工廠、重慶特殊鋼鉄工廠における反民営化闘争が伝えられている。

09年には重慶嘉陵グループのストライキ、重慶渝運グループの陳情闘争、10年には重慶〓江での過労死を発端にしたストライキ闘争などが伝えられている。(〓は基の字の「土」が「糸」)だがそのほとんどで闘争は厳しい状況を逆転させることができなかった。

こうして農民を農地から引き剥がし、労働者を工場から叩き出した跡地を利用して進められたのが「重慶モデル」の目玉といわれる廉価な公共住宅の建設である。2週間にわたる全人代の会期中、北京だけでなく全国各地で治安維持のためにありとあらゆる暴力装置が動員され、官僚と資本家の独裁に抗する民衆の抗議の声を封じ込めようとした。

しかし暴政に抗う民衆の怒りを押しとどめる続けることはできない。温家宝首相の記者会見での「重慶市…の党委員会と政府は…反省する必要がある」発言および薄煕来の更迭は、単に党内派閥闘争を反映しているだけでなく、官僚的に歪曲された形であるにしても農民の、労働者の怒りを反映したものである。

「重慶モデル」に社会主義の幻想を抱き「北京コンセンサス」に行き詰まる資本主義のオルタナティブを重ね合わせてきた一部の知識人の夢は儚くもはじけた。そこに現れた現実は、グローバル資本主義と独裁体制の業火に抗う階級闘争の地平である。その地平は国境を越えてグローバルにつながっている。(H)

【報告】 3.11 東京で三つのアクション

touden三月一一日、東日本大震災・福島第一原発事故から一周年にあたり、東京でもさまざまな行動が取り組まれた。

午前一一時から、〈フクシマ事故から一年、「もう原発はいらない!」3・11東電前【大】アクション!〉が東電前アクション!の呼びかけによって行われ、一三〇余人が参加した。ロイターをはじめ海外のメディアがたくさん取材に訪れた。

 呼びかけ人が「①東電は加害者としての責任をとことんとれ②もう原発を動かすな③企業としての生き延びるための見苦しい算盤勘定をやめろ」と行動の趣旨を述べた。尼崎でJR西が引き起こした尼崎事故の責任追及やアスベスト問題と闘っている仲間が「京都では昨日六〇〇〇人で集会を成功させ、大阪でも一万人集会を行っている。大飯原発の再稼働を許さない」と訴え、これから郡山の集会に参加することを表明した。たんぽぽ舎は「原発は安い電力料金ですむという神話を逆手にとって電力料金を値上げしようとしている。こんなウソがあるか。事故の責任をとれ」と迫った。

 福島事故緊急会議の木村さんは「大飯原発3・4号機のストレステストを行った。三月一三日に第五回の原子力安全委員会があり、さまざまな問題が指摘されているにも関わらず、稼働しても安全であると結論を出すだろう。これを認めない傍聴活動をしよう」と呼びかけた。

 イタリア人の反原発活動家のアンジェロさんが「世界中の目があなたたち見ている。怒って下さい。これは人間の問題だ」と訴えた。江東区竪川での野宿者強制排除と闘う仲間が経過の報告と支援を訴えた。また、もんじゅの仕事についたことのある原発労働者が四次下請けで働き、正規職員の半分の給料であった劣悪な条件を述べ、当時から原発を解体しなければならないと闘ってきたことを報告し、参加者から大きな拍手を受けた。新潟市からやってきた仲間から東電柏崎・刈羽原発を動かすなの訴えなどがあった。

 鳴り物や歌での訴えなどさまざまな工夫に満ちた行動が午後一時頃まで行われた。東電柏崎・刈羽原発が三月二六日に定期検査に入り、原発が止まる。残るは北海道の泊原発のみになり、これも四月末には定期検査に入るということで、原発ゼロの日が近づく。再稼働阻止のために3・26に東電前アクションを行うと呼びかけがあり、全体で確認して行動を終え、次の行動へ参加した。

demo 午後二時から、日比谷公園中幸門に集まり、「3・11東京大行進~追悼と脱原発への誓いを新たに~」が首都圏反原発連合の呼びかけで行われ、一万人以上が参加した。

 首都圏反原発連合、3・11再稼働反対!全国アクション、さよなら一〇〇〇万人署名運動、いわきアクションママの会、ドイツ緑の党の連邦議員、中沢新一さんなどの発言が行われた。ステファノ・トドラさんが追悼の歌を披露し、東日本大地震の行った午後二時四六分に一分間の黙祷を行い、犠牲者の追悼を行った。午後三時からデモが出発したが、一時間経ってもまだ最後尾のデモが出発できず、日比谷を一周してきたデモ隊と合流する程の人の集まりであった。外国人の参加や若者・女性の参加も目立った。

kokkaki 原発ゼロ!国会囲もうヒューマンチェーンが午後四時:社会文化会館前集合、午後五時、五時四五分:開会「人間の鎖」、午後六時:首相官邸前アクション(3・11再稼働反対!全国アクション主催)という予定であったが、国会包囲行動は一時間遅れで二回にわたってヒューマンチェーンを成功させた。そして、その後首相官邸前に集まり、原発立地の福島からハイロアクション福島原発四〇年実行委、脱原発福島ネットワーク、浜岡、四国・伊方、佐賀・玄海、北海道・泊の各闘う団体と、3・11再稼働反対!全国アクションが「再稼働をするな。原発をゼロにしろ」という要請書を総理大臣宛に提出した。すべての行動が東電への怒り、再稼働ねらう政府への抗議の声に満ち溢れていた。

(M)
 

【報告】 原発いらない!3・11福島県大集会

郡山+060 3月11日、「東日本大震災・福島原発事故1周年 原発いらない!3・11福島県大集会~安心して暮らせる福島をとりもどそう~」(主催・実行委員会)が郡山市開成山野球場が行なわれ、 16000人が集まった。

 集会の冒頭はオープニング・コンサートから始まり、日音協、和合亮一作の詩の朗読から始まった。

 続いて加藤登紀子さん(歌手)が脱原発をアピールしながら震災直後に作った「今どこにいますか」などを熱唱。さらに「私たちが今被っていることは人災であり、人類が歩んできた文明の限界であり、文明災と言っていい。使用済み核燃料の行き先は地球のどこにもない。今すぐに原発を止めなければならない」と訴えた。



原発全廃を実現しよう



 本集会は「開会のことば」を竹中柳一さん(実行委員会委員長)が行い、集会が「大きな変革の始まりとなることを」と強調した。

 清水修二さん(福島大学副学長)が呼びかけ人代表あいさつを行い、「電力不足や地域経済の打撃を理由にした再稼働の動きが急速に高まっている気配があります。県民の気持は一つです。『原発いらない』。痛恨の思いをこめた叫びです。ともに前進しましょう」と発言した。

 連帯のあいさつを大江健三郎さん(作家)から行なわれ、「私たちに求められていることは何か。原発の事故をなくすことだ。この国の原発をすべて廃止すればできます。私たちの子どもたちが放射能の被害が絶対になくなるわけです。原発の電力がなくなればどうなるのかと、すでに政府、産業界、マスコミの一部までが脅迫している。しかし人間らしく生きていけるかどうかの問題であり、倫理的責任を重んじることだ。民主主義にもとづいて市民一人一人がどのように抵抗していくかだ。原発全廃を実現しよう」とアピールした。

 原正夫郡山市長からのメッセージ紹介。

 県民の訴えでは、山形県米沢に小学生を避難させている福島市の母親が「米沢はマスクもいらない。放射能を気にすることもなく外で遊べる。でも福島のほうが楽しかったと子どもが時おり寂しそうな顔をします。私たちは福島第一原子力事故がなければ福島を離れることはありませんでした。子どもを守りたいと米沢に来たこと、それでも福島が好きだということ、その気持は変わりません」とアピール。

 二本松市で有機農業を営んでいる農民は、「有機農業者への打撃は深刻です。耕したくても耕せない農民の分までこの苦しみと向き合う。経営転化、離農する人たちも出ている。センセーショナルに報道されるたびに、福島県民が加害者であるような対応に怒りをもっています。マスコミが追及すべきは電力会社であり、原発を国策として押し進めてきた国ではないか。原発を推進してきたアメリカのいいなり、大企業中心の日本あり方を今変えなくていつ変えるのでしょうか。『がんばろう日本』ではなく『変えよう日本』であり、今日はその転換点にしていこう」と糾弾した。

 さらに相馬市の漁業者、飯舘村出身で福島市に避難している農民、警戒区域の県立富岡高校から郡山市のあさか開成高校に転校した高校生から発言があった。



実行委の訴え



 東日本大震災が発生した14時46分に参加者全体で黙祷を行なった。

 小渕真理さん(アウシュヴィッツ平和博物館館長)が集会宣言を提案し、全体で採択した。とりわけ宣言は、「首都圏の皆さんに訴えます」で「福島原発は東京電力の原発です。首都圏の反映をささえるエネルギーを供給してきたのです。その福島原発は、私たちの力で何としてでも全て廃炉に追い込みます。しかしまだ、東京電力には新潟の原発があります。青森の原発も建設途上にあります。原子力発電の興廃の鍵を握っているのは、電源立地地域だけではありません。電力を大量に消費する大都市住民の『生き方』が正面から問われているのです」と問題提起している。

 また、実行委員会は、「私たちは次のことを訴えます」で「●福島県では原子力発電は将来にわたり行なわず、福島県を自然エネルギー等再生可能エネルギーの研究・開発拠点とすること。●放射能によって奪われた福島県の安全・安心を国と東京電力の責任で実現すること。特に子どもたちを放射能から守ること。●原発事故に伴うすべての賠償の実現と、県民の生活と雇用の保証を実現すること」を要求している。

 最後に片岡正彦さん(弁護士)が「閉会のことば」を行い集会を終了し、参加者はデモに移り、脱原発をアピールしていった。

(Y)
 

報告 3月4日、竪川・春のビンボー祭り

tate1 3月4日、江東区によって封鎖されている竪川河川敷公園多目的広場において、竪川・春のビンボー祭りが行われ、のべ150人ほどの人が参加した。祭りに先立ってはチンドン・チームが駅前ビラをまきながら駅前まで練り歩き地域に祭りを宣伝。 


 12時に開会式が行われ、実行委員会の仲間よりこの間の経過が説明された。6年間に渡って仲間たちの生活空間を守ってきた闘い、そして昨年末に江東区が五の橋のたもとに対して行政代執行の手続きに入って以降、工事の終わったA工区への引っ越し、1月27日の江東区土木部による公園封鎖、そして2月8日、五の橋に残っていたAさんへの行政代執行による強制排除、救急車に乗せられて連れ去られたAさんは病院を出た後、雪の降り始めた路上に放置された、にも関わらず区はAさんは生活保護を取ったと、うその発表を行った。そして翌日、区へと抗議行動に行った仲間が逮捕される。


 区は公園を封鎖している理由を「利用者の安全」のためだとしているが、危険な事は何もない、暴力を行使しているのは区の方だ。と発言を締めくくった。


 そして、竪川の仲間の「これより開催します!」との宣言で祭りが始まった。


 はずは牛スジのスープと炊きたてのご飯で腹ごしらえ。その後、各地から集まった参加者がマイクを握って発言、地元で20年以上活動する江東区に夜間中学を作る会、経産省前テントからは2名がギターを持って参加し、イムジン河の替え歌で福島への思いを歌う、続いて山谷争議団の仲間が3月11日に福島出の反原発集会に参加しようと呼びかけた。模索舎からは本の屋台の出店。


 ディストピア東京は東京都安全安心条例による「不振者狩り」状況に対して問題提起。2・9竪川弾圧救援会は逮捕された仲間が保護房に入れられ、食事の際にもハシなども使えずにいた事、そして逮捕理由の器物破損ではなく、威力業務妨害で起訴された事を報告、裁判闘争への支援を訴えた。


 祭りのメインイベントは餅つき、子供連れの人も多く、盛り上がる。


 ここでブースの紹介、竪川と連帯する関西有志の仲間はチヂミを出店「長居公園味です」、持たざる者の仲間はTシャツの店を、あすじゃの仲間は揚げたてのえびせん、フリーター全般労組は労働相談、ロカ・キッチンはケーキの店を。


 渋谷のじれん、三多摩野宿者ネットワーク、荒川堀切の仲間、甘酒の店を出したカミイカ・ナイト、代々木公園テント村と参加者は実に多彩であった。


 ステージではモンゴルの独特の発声を使っての歌、荒川の野宿者Kさんの歌、プロの歌手・魅酒健太郎さんなど多彩な出演者。映像ブースではこの間の竪川の反排除の闘いが流されている。


 祭りの最後はテントは命の砦と書かれた神輿を担いで会場を練り歩き一日を締めくくった。


 6年間に渡って仲間たちの生活空間を守ってきた竪川の闘いは、きわめて厳しい局面にたたされている。公園の封鎖は今も続き、仲間たちの話し合いの要求に対しても、区は一方的に排除を迫っている。行政代執行の危機は未だ去ってはいない。


 東京スカイツリーの開業を控えてその周辺の墨田区、江東区などでは野宿者のテントや排除や、炊き出しへの圧力が強まっている中、竪川の闘いはその流れにあらがう象徴的な闘いとなっている。


 竪川への再度の行政代執行を許さない闘いに支援を。


(板)

読書案内『高校紛争1969~1970』――闘争の歴史と証言

102149 
『高校紛争1969~1970』――闘争の歴史と証言
 
小林哲夫著/中公新書/八六〇円+税

 

  「歴史に見捨てられた闘争」
 

 <『高校紛争』1969―1970 「闘争」の歴史と証言>が二月末に刊行された。著者は一九七六年に高校入学というから、この闘争に直接関わったわけではない。高校二年の時、「歴史に見捨てられた闘争」について書きたいと思い、取材に一〇年、全国を回り関係者二五〇人以上からインタビューしたという。

 構想から実に三五年かけただけあって、闘争のビラや高校関係者の出した学校史、回顧録など実によく資料をあたっている。北海道から沖縄までの高校でどのような闘いがあったのか、高校生たちは何を要求し、どのように闘ったのか。そして、学校側はどのように対処したのか、丁寧に調べている。もう一つは六〇年代末の闘いだけでなく、五〇年代から六〇年安保闘争時の高校生の闘いも紹介している。

 闘争のピークは一九六九年九月から七〇年三月で、全国で二〇八件、三五都道府県の一七六校で起こっていた、という。もちろん、記録されないものを含めればこの件数はかなり多くなるだろう。要求は学内民主化要求、受験体制批判、ベトナム反戦、沖縄闘争などの政治課題など多様である。「帝大解体」「自己否定」などという「帝国主義支配の手先」にならないという考え方も特徴的だ。

 戦術も生徒会を通じた闘いから、校長室占拠、バリケード封鎖・学校占拠などこれもさまざまである。闘争の中心には活動家グループがいたが、数百人規模の集会・デモなど大衆的な闘いとして取り組まれた。一九六七年から始まるベトナム反戦闘争や大学闘争などいわゆる新左翼党派による闘いと介入が高校生闘争に影響したことは確かである。プラス・マイナスをも注意深く丹念に追っている。

 大学闘争でのバリケード封鎖に機動隊が導入されるようになると、高校においても同じように、学校は警察を導入し、生徒たちを逮捕させたり、退学などにより排除した。そんな中でも数百人規模の大衆的な処分反対集会、学校側によるロックアウト反対などの高校生たちの熱い闘いがあった。著者による様々な角度からの紹介・分析によって当時の生々しい高校生たちの息吹が伝わる。
 

私の高校闘争経験に照らして



 私も一九六〇年代末の高校闘争を闘った一人であるが、今まで高校闘争を振り返ることはほとんどなかった。高校闘争はその後の人生を決めた決定的なものではあったが、通過点だったからではないかと思う。

 今回、この本を読んで驚いたのは、当時は自分たちの高校(静岡県掛川西高校)の闘争でせいいっぱいで(学内に留まっていたわけではなく、処分撤回闘争のために日比谷野音や明治公園での数千人の集会で訴えたり、全県をオルグしたこともあった)、全国にこれほど闘争があったことを初めて知ったことである。読むにつれて、闘争の感覚は同じだったとも感じた。

 私にとって、強烈な出来事は一九六八年二月に起こった寸又峡事件(静岡県清水市)であった。在日朝鮮人金嬉老が暴力団との抗争で二人を射殺し、寸又峡の民宿に立てこもり、在日朝鮮人への差別を訴えたことであった。この行動を支援する動きが全国に起こり、金嬉老のオモニ(お母さん)が住んでいた掛川でもそうした動きがあり、私もそれに参加して、オモニとも知り合いになった。当時高校一年生であったが、クラスでこの問題を提起して論争した記憶が今でも鮮明にある。「教わることのなかった日本の侵略や差別構造」について、勉強するきっかけを与えられた。ベトナム戦争などの戦場カメラマンであった岡村昭彦が支援のため掛川に講演に訪れた。その話にすっかり魅了された私は一時、彼に弟子入りし戦場カメラマンになりたい夢を抱いたこともあった。

 また一九六九年一月の東大安田講堂攻防戦は「帝大解体」の象徴であり、強烈なインパクトを与えた。ベトナム戦争に加担する日本を変えなければならない。日本帝国主義の手先となるような帝大体制に加担しない。そうした生き方を自分も貫くし、一般生徒にもそうなろうではないかという呼びかけを行い、受験体制批判や学内民主化要求・政治活動の自由などを掲げて闘った。そしてそれは「戦後改良主義運動ではなく、革命的闘争によってしかできない」という考え方も持っていた。

 高校生の場合、親元から通っていることにより政治活動が制限されるので、闘いの持続性・急進性を維持するのがたいへんだった。教師は生徒を弾圧する手段として親を必ず使った。闘争が「教師」との対立そして親との対決へとエスカレートした。「家族帝国主義」粉砕などという言葉もあったくらいだ。

 一九六九年六月の静岡県伊東市で開かれたアスパック反対闘争(アジア・太平洋協議会首脳会議)で八人参加のうち四人が逮捕され、無期限停学の処分がなされたわれわれの場合、その後二カ月半にわたり家出をして闘争を続けざるをえなかった。

 本書でも触れているが当時の高校闘争にとって、新左翼諸党派の高校生組織が大きな役割を果たしたので、この点について一言触れておきたい。われわれの掛西高反戦会議も中核派系の反戦高協につながりメンバーにもなったが、東京であった反戦高協の大会に参加後すぐにキャップであった私が抜けて、静岡県反戦高協議長のみが組織に残る事態になった。その彼も高校闘争後、別の党派に入ってしまった。高校独自の闘いと高校を政治拠点としようとする政治党派との関係は微妙だ。「党派の引き回し」と思われるような「指導」がありうる。

 われわれは一年半ほど学内問題などを提起しながら、いかに大衆的に闘うかで苦心してきた。そんな中、アスパック闘争での大量逮捕・処分となり、処分撤回闘争が中心テーマとなった。そして、八月三一日の処分撤回全国闘争での学内突入・一時占拠戦術をとり、他高校生を含む一一人が逮捕された。その結果、急速に運動はつぶされていった。ああした戦術を含めて闘争の見通しをどう立てていたのか考えざるをえない。

 また本書でも触れているが、政治党派の内ゲバや銃での武装蜂起といった間違いがあっても、高校生はそれに巻き込まれている。「通過点」である高校生に対する「政治指導」はその政治党派に大きな責任を持たせるものである。



闘いを始める時はきっと来る
 

 高校時代の闘いの資料を改めて読み直してみた。一九六九年八月三一日、退学処分粉砕を掲げた掛川西高全国集会の後のデモで私は逮捕・拘留され、その後少年鑑別所に送られた。出てきたのは十月半ばになっていた。学校での闘いがどうなっているのかはまったく分からなかった。この一カ月半、外では処分はおかしい、撤回しろということで学内に残った仲間たちが校門前ビラまきなどして、教師や親たちと対立しながら活動を続けていた。しかし私が出る頃には闘いは終焉していた。

 今回資料を調べたら、実名を出してチラシを配っていた生徒の名があった。私が活動していた時は遭遇していなかった人たちだ。その一人と昨年、四二年ぶりにあった。その人は大学にはいかず会社に就職したが、会社が高校に問い合わせをして、「活動」のことを報告したというのだ。そんなこともあり、その会社をやめざるをえなかったと言う。「別に間違ったことをやったわけではないし、自分の生き方の基本線のようなものは今でもある」と話してくれた。あの時代、いかに深く「生き方」を問う高校生がいたかということだ。

 最後に、東京都知事石原や大阪市長橋下よる教師への強権的な「日の丸・君が代」強制や教科書の天皇制や侵略を肯定する歴史修正主義史観が強まっている。かつての高校闘争の時代は教師対高校生という対立構造であったが、今ではその教師を標的にして、教師の「自主性・自律性」を奪う攻撃が行われている。企業や支配者に従順である生徒づくりのために、「右翼史観」や受験戦争の強制が行われている。こうした強制をされる側の高校生たちが異議申し立てや拒否・抗議運動を起こしたということを聞かない。教師たちやそれを支援するさまざまな闘いがねばり強く行われている。抑圧される側の高校生たちがしなやかな感性を持って立ち上がる時がきっとくるだろう。「アラブの春」は若者たちによって担われている。



(元掛西高反戦会議 松下)

【第四インター声明】シリア民衆革命に連帯を アサド体制を打倒せよ!

声明
シリア民衆革命に連帯を アサド体制を打倒せよ!

第四インターナショナル国際委員会
 
imagesCAWQS165 シリア民衆は、血まみれの腐敗した専制の弾圧の下で幾十年も生きてきた。息子のバッシャールが後を継いだ前独裁者ハフェズ・アル・アサドの家族の盾の下で、バース党が権力を独占してきた。

 アラブ地域の革命の始まりの後、この政権は革命のプロセスから逃れられるだろうと思った人もいるかもしれない。グローバル帝国主義とイスラエル国への抵抗という見せかけと、弾圧機構の強さがその理由である。

 しかし民衆の決起は、こうした信念を無価値なものにした。一年後の今、シリアの大衆は街頭に進出し、日常となった虐殺を前にしながら英雄的かつ平和的に地歩を固めてきた。権力によるこの弾圧は、一万人以上の死者、数万人におよぶ負傷者と行方不明者、拷問による死の危険にさらされながら拘留されている人々を作り出している。拷問と殺人のセンターとなった病院に、負傷者を運びこむことはできない。弾圧部隊は、すべての民衆的抵抗を粉砕するという決意をもって、全国、とりわけ犠牲の町となったホムスで、幾百もの住居や公共のビル、そして全地域を破壊してきた。

 ロシア、中国、イランの政府は、恥ずべきことにバッシャール・アル・アサドの側に立ち、プーチンはアサド政権への軍事的支援を保障している。しかし、それと並行した米国、欧州諸国、トルコ、カタールとサウジ王制の策謀に対して、第四インターナショナルはシリアへのあらゆる類の軍事的介入に反対することを確認する。そうした軍事介入は、ここに挙げた世界と地域の諸国の自己利益を強めることを目的にしたものであり、シリア民衆にとってはいっそうの破局的事態をもたらすことになる。

 決起したシリアの民衆は、その英雄的なプロセスの中で、自由と社会的公正という目的に向かって下部からの組織化を進め、行動を調整し、闘争の手段を発展させてきた。かれらは、シリアの政権と一部の湾岸諸国が進める、あらゆる宗派的分裂の策動を拒否してきた。

 恐るべき虐殺に直面しているシリア民衆は、闘いを持続している。全世界の民衆は、この血まみれの体制を最後的に解体する闘いへの連帯を、確認しなければならない。われわれは諸国政府の外交的策謀に、いかなる信頼も置かない。これまでシリア民衆の支援への訴えに余りにも小さな応答しかしてこなかった労働者運動、民主運動に、この連帯を真のものにすることがかかっている。シリアの左翼活動家勢力は、民衆の自己組織化の発展のために、政治的・社会的平等に基づく新しいシリアを可能にさせる、民主主義的で社会的で政教分離で反帝国主義的なオルタナティブのために、この蜂起に参加している。第四インターナショナルは、この闘いを支援するために可能なあらゆることを行う。

盗賊と人殺しの体制を打倒せよ!
バッシャールは出ていけ!
シリア民衆革命万歳!

二〇一二年二月二九日、アムステルダムにて

3・11原発ゼロへ!国会囲もうヒューマンチェーン/3・11再稼働反対!全国アクション

3・11原発ゼロへ!国会囲もうヒューマンチェーン/3・11再稼働反対!全国アクション

◆3・11原発ゼロへ!国会囲もうヒューマンチェーン

【3・11スケジュール】
16時 社会文化会館前に集合
   (最寄駅:有楽町線・半蔵門線「永田町駅」)
16時30分頃  出発
   (二手に分かれて議事堂エリアを囲みます)
★17時    「人間の鎖」(1回目)
★17時45分 「人間の鎖」(2回目)
☆18時~19時  首相官邸前アクション
   (要請書の提出など)
※人間の鎖、官邸前アクションから参加される方は、永田町駅または国会議事堂前駅から合流してください。

※社会文化会館地図
http://www.syabunkaikan.org/Traffic.html

  

<趣旨など>

  • 午後のアクションと夕方早めの各地からの合流アクションという二段構えで取り組む。
  • フランスの脱原発ネットワーク発の「世界各地でヒューマンチェーンを」の呼びかけに呼応して、今まで試みていないシンボリックなアクション(参加者が集まりやすいもの)として、国会を「人間の鎖」で囲み、後半に首相官邸付近に集まり、声を届ける。
  • メーリングリストやホームページ http://nonukes.jp/ などで告知を開始し、ブログやツイッター、フェイスブックなどでの広報を呼びかける。
  

 

【呼びかけ】 3・11再稼働反対!全国アクション
 (連絡先) ピープルズ・プラン研究所
 (TEL) 03-6424-5748    (FAX) 03-6424-5749
 (E-mail) contact@2011shinsai.info
 (URL)http://nonukes.jp/
 (ツイッター)@1111nonukes 

【アクション呼びかけ】

東日本大震災と東電福島第一原発事故の発生から1年を前に、野田政権は、被災者・避難者への賠償や高線量地域からの避難などの最優先すべき課題をないがしろにしたまま、原発の輸出や再稼働へと動いています。

経産省・保安院は、傍聴者を締め出し、原発メーカーから献金を受けた委員を辞めさせぬまま、ストレステスト意見聴取会を強行し、大飯原発3、4号機の再稼働を狙っています。さらに、世界から市民が集い、脱原発の砦とも言える「経産省前テントひろば」の撤去に向けた動きも強めています。
 
当たり前の権利を認めさせ、再稼働を許さず原発ゼロの日本を実現するために、私たちが行動し声を挙げることが必要です。

福島現地で大集会が行われ、世界各地でも原発NOのヒューマンチェーンが取り組まれる3月11日。東京でも、再稼働ではなく「脱原発」を政治決断させるためのアクションに取り組みます。

残るはあと3基(2月20日にはあと2基に)!

それぞれのアクション後にぜひ国会を目指してお集まりください。国会を囲む「人間の鎖」と首相官邸前アクションを成功させましょう!

【案内】3.18 『だからこそ、反戦を!』集会&デモ

『だからこそ、反戦を!』
日米安保、沖縄、自衛隊PKO改憲、治安管理、
「防災」、武器輸出、核・原発 …-

http://d.hatena.ne.jp/hansentoteikounofesta09/20120302/1330614860

2012年3月18日(日)

13時開会、集会 16時デモ出発



新宿歴史博物館
 (四ツ谷駅徒歩10分)

地図:http://www.regasu-shinjuku.or.jp/?p=91



「戦争ではなく平和を、敵対ではなく協調を、抑圧ではなく自由を!」

だれもが求めてやまないこれらの価値は、いま深刻に、これまでになく深刻に蝕まれている。

銃口から「平和」がもたらされると考える人たちによって。

「敵」を作り出すために協調する人たちによって。

「自由」の名を借りた抑圧をうち立てる人たちによって。

どんな人たちか?


イラク、ソマリア、ハイチにつづいて、南スーダンにも
自衛隊を送ろうとしている、

安全保障」の名目で、沖縄の民意を踏みにじり、ますます高度な「基地の島」へと再編しようとしている、侵略責任にほおかむりしながら、朝鮮への敵意と蔑視をいたずらに煽り「制裁」という名の戦争を進めている、そのような人たちのことだ。


「人道介入」や「民主化」といった美名のもとにリビアに爆弾の雨を降らせた、

イランやシリアにたいしても同じような「介入」「制裁」に向けて足並みを揃えている、

集団的自衛権」の名のもとに、ともに手を携えながら「世界の警察」のようにふるまっている、そのような人たちのことだ。


そのような状況のなかで、「反戦」とは何か? 何であるべきか? あるいは、何であってはならないか?


イラク反戦から9年。この国の「反戦」はどうなっているか。

恒久海外派兵法、治安立法、緊急事態基本法武器輸出三原則緩和、改憲を目指す憲法審査会への策動など、留まることを知らない戦争加担・軍事化への動きを糾弾する声は、ますます小さくなりつつあ
る。


こんな状態では、いま盛り上がっている「
脱原発」も、日本の核開発政策という根本問題にまでは届きようもない。


現況がこのようなものであるからこそ、わたしたちは声高に反戦をさけぼう。

戦争で安全は作れない。 軍隊で平和は作れない。


だからこそ、
反戦を!



★ 討論のための問題提起(予定)


1.社会生活軍事

 大西一平(立川自衛隊監視テント村


2.アメリカの世界戦略と日米安保

 国富建治(反安保実行委員会


3.自衛隊再編のゆくえ

 池田五律(戦争に協力しない! させない! 練馬アクション)


4.沖縄基地問題における植民地主義の歴史と現在

 沖縄を踏みにじるな! 緊急アクション実行委員会


<呼びかけ団体>(随時更新)

沖縄を踏みにじるな! 緊急アクション実行委員会

戦争に協力しない!させない!練馬アクション

立川自衛隊監視テント村

安保実行委員会

反天皇制運動連絡会

有事立法-改悪阻止 反帝国際連帯 反戦闘争実行委員会


<問い合わせ>

沖縄を踏みにじるな!緊急アクション実行委員会(新宿ど真ん中デモ)

E-mail:no.base.okinawa@gmail.com

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