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青年戦線 第192号(2018.1.1)ができました

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報告 : アジア連帯講座公開講座「アラブ革命の展望を考える『アラブの春』の後の中東はどこへ? ジルベール・アシュカルの提起を受けて」

湯川講座 4月20日、アジア連帯講座は、文京区民センターで「アラブ革命の展望を考える『アラブの春』の後の中東はどこへ? ジルベール・アシュカルの提起を受けて」をテーマに公開講座を行った。

 2011年にチュニジアからはじまり、エジプト、リビア、そしてアラブ全域に一気に広がった「アラブの春」の運動は、イスラム主義勢力ではなく、青年、学生、女性、労働者が中心的な担い手であり、自由と民主主義と社会的要求をかかげ、独裁体制による警察・軍隊を使った残虐な弾圧にもけっして屈することなく抜いた。だが、この民衆反乱は、そのまま発展することなく、「イスラム国」の台頭、シリア内戦の激化に見られるように、中東全体が再びアラブの春以前の状態に舞い戻ってしまったかのようである。
 一体、「アラブの春」はどうなってしまったのか、どこへ行ってしまったのだろうか? 民衆の運動の後退は長期にわたって続くのだろうか? 

 ジルベール・アシュカル(レバノン/アラブ中東問題)は、多くの人々が抱くこの疑問に対して、「アラブ革命の展望を考える」(柘植書房新社)で提起している。アシュカルは言う。「『アラブの春』は挫折し、今日、『アラブの冬』を迎えることとなってしまった。だが、アラブ全域の革命過程は長期にわたる過程であるとみなしていて、現在が揺り戻しの局面に入っているからといって、けっして悲観的な立場には立っていない。長期的展望に立って、革命派の極を強化し
>ていく必要がある」と強調する。

 講座は、本書を翻訳した湯川順夫さんが解説(別掲)の提起を行った。

 国富建治さん(新時代社)は、「『アラブの春』年表」に基づいて、

①2011年1月14日のエジプトで民衆の広場占拠から独裁者ムバラクが大統領辞任(2月11日)
②リビアへの闘いの波及とシリアへの波及(しかし家産国家の付属物としての軍の役割)について
③リビア―NATOに支持されたリビア国民評議会が首都トリポリ制圧(8月)からリビアの独裁者カダフィ殺害(10月)について検証した。

 さらにエジプトにしぼり、
①議会選挙(11月~12月)でムスリム同胞団が第1党になり、2012年7月のエジプト大統領選挙でムスリム同胞団のモルシの当選について
②12月の新憲法を問う国民投票―ムスリム同胞団と軍ならびに大衆との離反の深まり局面
③七月、軍のクーデターによってムスリム同胞団=モルシ体制が転覆され、軍主導のシシ大統領政権が成立する。軍政権=シシ体制の下での新自由主義的開発政策を強行していくプロセスなどを明らかにした。

(Y)

『アラブ革命の展望を考える』を読む   湯川順夫

 ロシア十月革命は、民族自決権を掲げた東方諸民族大会(1920年9月)、全ロシア・ムスリム大会の決議(1917年5月22日)、「女性問題についての大会決議」(5月23日)などにみられるようにロシア・ツァー体制と結びついた土着支配体制の専制と搾取 それからの社会解放の展望をアラブ・中東世界にも影響を与えた。その後のスターリニズム体制下で希望は幻滅へと向かうが影響は残り続ける。

 第2次大戦後、ナセルやバース党に代表されるアラブ民族主義が当初、マルクス主義の勢力に対抗するため急進的路線を取らざるをえなかった。既存の政権は、1980年代以降、共産党、パレスチナ解放人民戦線 イスラム主義ではない潮流に対する恐れからイスラム原理主義による防波堤を建設せざるをえなかった。また、アラブ民族主義に対抗するためにサウジ王国によるイスラム主義勢力への支援が開始される。1973年10月の第4次中東戦争とその後の『石油戦略』、多額のオイルマネーがイスラム主義勢力支援によりいっそう注がれていく。

 このプロセスを私市正年は、『原理主義の終焉か ポスト・イスラム主義論』(山川出版社)で次のように要約している。

 「産油国にはアラブ諸国から敬虔な青年たちが教師や宗教指導者として集まり、多額の賃金を獲得した。都市には失業者や貧困者のスラム街が形成されていたが、国家の福祉政策は遅れ、そこに支援の手を差し伸べたのがモスク建設や慈善活動やイスラム教育などにかかわったイスラム主義者であった。彼らの活動資金は石油の富からもたらされていたのである。こうして都市スラムの住民たちがイスラーム主義者の連帯のネットワークに包み込まれていった」。

 「爆発的な人口の増加により、都市には人口が集中したが、国家はこれに対し大学の定員をふやすことで対応した。しかしそのため教室にはいりきれない学生や、本も買えず授業や試験対策も十分できない学生が急増した。イスラム主義者たちは、こうした学生たちのためにモスクで補習授業をしたり、安い値段で教材を複製コピーしたり、さらには特別のスクールバスを用意して女子学生が安心して登校できるようにもした。これらの活動にも石油の富が使われた。まさしく『石油』イスラムの誕生である」。

 「体制を攻撃したマルクス主義者たちが深刻化する社会矛盾や経済危機に有効な手段を講じられないでいるあいだに、イスラム主義者の勢力が伸長し、1970年代半ばになると、大学や職場でイスラム主義者と世俗的なマルクス主義者とのあいだで主導権争いが激化し、時には暴力的な衝突に発展することもあった」。

 「1980年代にはいると、イスラム主義運動はムスリム諸国全体に広がった。国家中枢における腐敗や汚職の実態が表にでるようになると、ナショナリストの政治指導者はますます専制的になった。またマルクス主義の権威はまったく力を失い、かわってイスラーム主義が政治権力を主張するようになった。イスラミストがとく公正な社会の実現は、宗教的な言説で語られ、具体像が提示されなかったが、腐敗、経済政策の失敗、専制主義、自由の抑圧を痛罵するメッセージ性は未来の理想社会として多くのムスリムを魅了した」。

 その後、1979年のイラン革命を契機にしながら80年代「イスラム主義の勝利」が広がり、支配層にとって「半体制」としての「ムスリム同胞団」の存在意義が示されていくのであった。

 このよう認識を参考にしながらアシュカルはアラブ世界、中東世界を観る視点を次のように提起している。

 ①歴史的に見れば、イスラム主義が一貫して強固に支配続ける「不変の」世界とはみない。歴史上、常にイスラム主義が前面に出続けて来たわけではない。内部が均質的な社会ではない。
 ②世界資本主義体制の中に組み込まれた従属的「周辺」として帝国主義支配下におかれてきたが、パレスチナ解放闘争を軸にしたアラブ民衆の反帝国主義的反シオニズム的結集という共通基盤がある。そのもとでの家産的資本主義下の国家機関、軍隊、経済への一族支配がある。だがそれを反映した内部矛盾と対立が発生し、青年、学生、女性、労働者の闘いが持続している。

 アシュカルは、本書(序章「革命のサイクルと季節」/終章:「アラブの冬」と希望を中心に)でこの構造を「一つの革命、二つの反革命」と規定し、「アラブ/中東世界における3つの勢力のトライアングル」(①イスラム主義勢力②世俗派既存政権③革命派=青年、学生、女性、労働者)を次のように分析している。

 「それは、直接的でない場合でも潜在的に三つ巴の闘争を生み出した。これは、歴史上の大部分の革命的激動におけるような革命と反革命という二項対立ではなくて、一方におけるひとつの革命的極ともう一方における二つの相互に対立し合う反革命陣営との間の三つ巴の対立なのである。後者は、地域の旧体制とそれに対する反動的な対立勢力であって、この二つはともに『アラブの春』という解放を目指す願望に同じく敵対している」。

 「この複雑性を知っていたなら誰であれ、アラブの反乱が短期で平和的なものになるかもしれないなどという幻想をけっして抱かなかったであろう。この地域では、革命的極を組織的に体現するほど十分に強力で、アラブ諸都市の広場で表明された『人民の意思』に沿った社会・政治的変革を政治的に指導する能力をもつ組織的に十分な勢力が存在していない。そうした中では、二つの反革命的陣営の間の二項対立的な衝突が、革命的極を背後に追いやることによって、支配的になってしまった。このようにして作り出された情勢は、危険な可能性をはらんでいた」。

 「『地域の政治的軌跡において、過去数十年間の反動的展開を消し去り、十分に民主主義的な基礎の上に進歩的な社会プログラムを復活させることができるような根本的な変革が起こらないならば、地域全体が野蛮に陥るという危険がある』……はたせるかな、実際には、地域の政治的軌跡の根本的で持続的な転換は起こらなかった。そうした転換は、組織的で断固とした進歩的大衆の指導部が登場した結果としてはじめて生まれ得たからである。そうした中で、『アラブの春』の陶酔感は間もなく、『アラブの冬』とほとんど断定的に呼ばれるようなものの暗黒に飲み込まれてしまった」。

 次にアシュカルは、2013年の中東情勢から一つの転換であったことを明らかにしている。要約すれば①シリア―崩壊寸前だったアサド政権がイランの軍事的支援によって生き延び、反転攻勢へ ②エジプト―同胞団のモルシ政権の打倒、軍部のクーデター、シシ政権の成立 ③イスラム主義勢力の中心的源泉―サウジアラビア。湾岸諸国の首長体制 ④カタール=「ムスリム同胞団」、アメリカのオバマ政権の路線とも合致 ⑤イラン―シーア派=イラクの支配層、レバノンのヒズボラ、湾岸諸国のシーア派 ⑥トルコのエルドアン体制―国内の危機からトルコ民族主義の強化へ→クルド族への軍事的弾圧作戦のエスカレート―などとスケッチすることができる。

 そのうえでアシュカルは、左翼の闘う指針に向けて「左翼にとって同盟とは」と問い、「長期的な戦略的同盟ではなくて、情勢に応じた柔軟で短期的な戦術的統一戦線政治的に独立した勢力として自らを堅持すること」の重要性について掘り下げる。

 例えば、「チュニジアにおけるイスラム主義派(アンナハダ)と旧体制派に対する第三の極が必要」であり、エジプトにおいては、「ムスリム同胞団との同盟は? 対ムバラク闘争の局面とムバラク後の選挙の局面との違い」はどうだったのか。「中東・アラブ世界におけるイラク反戦の大衆運動の組織化するためにイスラム主義潮流とは?」どうするのかについてアプローチし、次のようにまとめている。  「……中心的問題は、自らが宣言する、あるいは真の左翼であればおしなべて宣言すべき価値観に対して、アラブの左翼の主要部分が過去において忠実なままにとどまりつづけることができなかったということである。搾取され、虐げられたすべての人々のために、ありとあらゆる範囲の社会的・民主的闘争に積極的かつ断固として参加する左翼―フェミニスト的価値観や民族解放の価値観を擁護して活動するとともに、宗教に関する民主的な諸権利とともに世俗主義をも大胆に支持する左翼(きちんと理解された世俗主義が第一に擁護すべきなのは、ヒジャブを被らない女性の権利と同じくらいにヒジャブを着用する女性の権利である)―このような左翼だけが、中核となるべきいかなる価値観についても反対の極に立っている勢力との短期的な戦術的同盟を結ぶことができるのである」。

 「左翼は、その時々に純然たる戦術的理由で『ありそうもない仲間』と『共に打つ』―旧政権の勢力に反対してイスラム勢力と協力する、あるいはその逆であっても―のだが、どちらの場合においても、二つの反革命陣営から同じように距離を置いて自身の根本的な道を明らかにすることで、常に『別個に進んで』いくべきなのである。戦術的な同盟は必要な場合には悪魔との間でも結ぶことができる。だが、そうした場合でも悪魔を天使として描くようなことを決してしてはならない。たとえば『ムスリム同胞団』を『改良主義者』と呼んだり、旧体制勢力を『世俗派』と呼んだりして、その深く反動的な本質を表面的に飾り立てることはしてはならないのである」。

つまり闘う指針は、こうだ。「統一したアラブの革命」を展望し、①パレスチナの解放②石油・天然ガス資源の国営化③ユダヤ人やキリスト教徒やクルド人などの宗教的、民族的マイノリティーの権利の尊重、自決権の承認④国家と宗教の分離⑤女性への抑圧の撤廃などの人権と平等の確立、男女の平等、夫婦における権利の平等、未成年者の結婚に禁止、離婚の権利、名誉殺人の禁止⑥言論、結社の自由、労働者の権利、労働組合の権利の確立合⑦王制、首長制の廃止―などを掲げることだ。

 「アラブの春」の運動とは何だったのか。

 酒井啓子は、『9・11後の現代史』(講談社現代新書)の中で「『春』に希望を抱くアラブ知識人のなかには、『今はまだ長い革命の途上なのだ』と主張し、フランス革命やロシア革命など、歴史上の大革命の例を引いて自己弁護する者も少なくない」と評して遠回しでアシュカルを批判する。

 だがアシュカルが強調するのは、「歴史の終焉」=20世紀とともに「革命の時代は終わった」、「資本主義は永遠に続く」と称するブルジョア評論家たちに抗して21世紀になってもいぜん「革命」の潜在的可能性が失われていないことを立証し、21世紀になって新自由主義の下でパンなどの食料品価格の高騰、青年の失業の増大、政権の腐敗、民主主義と自由の欠如に現れる、アラブ・中東世界の矛盾はいっそう深まっている時代認識を捉えきることが重要なのである。

 この視点は、ツァー体制下のロシア1917年2月にも似た情勢という観点から分析すると興味深い。新自由主義の下でのアラブ・中東地域の経済の行き詰まりがあり、近代化とオイルマネーによる教育水準の大幅な向上があるにもかかわらず青年、女性の慢性的な高失業率だ。しかも家産的資本主義の下で、縁故(コネ)がなければ職にありつけない。女性が高学歴の教育を受けられるようになって来たにもかかわらず、差別のために就職口が限られている。このような民衆の鬱積が沸騰点に達していた。チュニジアの反乱は、露天商を営む失業青年の抗議の焼身自殺だったことに現れている。

 革命の観点から掘り下げていくためにトロツキーの提起が参考になる。

 『ロシア革命史』では「革命の最も明白な特徴は、大衆が歴史的事件に直接干渉することである。平時にあっては、……歴史はそれぞれの専門家-君主、大臣、官僚、議会人、 ジャーナリスト-によってつくられる。ところが、旧秩序が大衆にとってもはやたえがたいものとなる決定的瞬間には、大衆は彼らを政治的領域からしめだしている障壁を突き破り、彼の伝統的代表者たちを一掃し、彼ら自身の干渉によって新制度への最初の基礎工事をつくりだすのである」。

 トロツキーの視点を土台すれば、次のように要約することができる。

 「アラブの春」は、もはやたえがたいもののとなっていた旧体制に対して、やむにやまれない形で大衆が決起した。しかし、イスラム主義派は、既存のイスラーム主義政権や世俗派政権に対する具体的なオールターナティブを提示できない。現実の大衆の要求にもとづく社会運動を展開して、既存の政権(世俗派政権にもイスラム主義政権にも)に反対する運動を展開できない。

 民衆は、携帯、スマホという最先端の情報技術を武器に専制体制の検閲と弾圧をかいくぐり、情報を交換し、討論し、独裁打倒へと結集していった―不均等・複合発展の法則を体現していると言える。

 その中心勢力は青年、学生、女性、労働者であり、社会的要求を掲げた。賃上げ、組合活動の自由、女性の権利などだ。イスラム主義的要求は前面にはでなかった。世俗派、イスラム主義、宗教の違いを超えて結集した。

「春」を担った青年、学生、労働者の主体は、パレスチナ民衆のインティファーダへの連帯闘争、官製組合の指導部に抗して自立的な独立労組を求め、賃上げや食料品価格の高騰に反対するストライキ闘争、労働者のストライキを支援する学生の連帯闘争、女性の権利を守る闘いなどを通じて準備されていた。

 民衆の憎悪の的であった警察機構が真っ先に解体し、ひるむことなく決死の覚悟で決起した圧倒的多数の前では、軍隊の兵士は動揺し、分解せざるを得ない。まさにロシア革命と同じだ。

 民衆の決起は、旧国家機関を麻痺・解体し、新しい民衆自身の下からの権力機関を自ら生み出していく。萌芽的に二重権力状態だった。

 この決起によって旧来の国家権力機関は麻痺し、半ば解体状態に陥った。この権力の「空白」に対して、独裁体制を打倒した民衆は、自らの権利を主張し始めた。労働者は独裁体制とつながっていた経営者を追放し、国家と癒着した半官製の労働組合とは別に新たな自立した労働熊井の結成を開始し、賃上げを勝ち取り、非正規雇用の身分を脱して正規雇用の地位を勝ち取りつつある。チュニジア、エジプトなどでは地区では自分たちで地区委員会を結成し、革命の成果を防衛し、自らの社会・経済生活を自分たちで管理し始めた。 既存の国家権力の暴力装置に対しても同様のことが見られた。

トロツキーは言う。

 「群衆は、警官にたいしては、凶暴な憎悪をしめした。彼らは、口笛、石塊、氷の破片をもって、騎馬巡査をおいだした。一方、労働者は全然ちがった態度をもって兵士に接近した。兵営、歩哨、巡邏(じゅんら)兵、および列兵の周囲には、男女労働者があつまって、兵たちと友情的な言葉を交わしていた。これは、ストライキの発展、および労働者と軍隊との個人的結合によって生まれた新しい段階であった。このような段階は、あらゆる革命に必然的にあらわれる」(『ロシア革命史』)。

 こうした事態が「アラブの春」では起こらなかっただろうか? 軍隊による弾圧にもひるまない圧倒的大衆の蜂起の中で、アラブの既存国家の中の軍隊の兵士は動揺しなかっただろうか? リビアではカダフィによって絶望的で残虐な大量虐殺に投入された軍隊は完全に分解し、その一部は反乱する民衆の側に合流した。
 この事態を恐れたチュニジアとエジプトの軍上層部は、軍による大々的な流血の弾圧によって生じる可能性のある軍隊の全面的分解を防ぐために、それまで自らが支えて来たベン・アリとムバラクという独裁者の切り捨てに踏み切った。

 それではロシア革命との違いは何かを見てみよう。ロシア革命は、1905年の革命を経験した労働者の先進層と社会主義政党指導部の存在があったが、「アラブの春」はあくまでも「統一したアラブの革命」の長い革命の過程の始まりであった。

 また強力なこの大衆運動のもうひとつの注目すべき特徴は、イスラム主義が前面にでなかったという点であり、イスラム主義勢力が最初から前面に出てこなかったという点である。それどころか、エジプトのムスリム同胞団は当初、この運動への参加をためらいさえした。また、高揚した運動の中では、宗教、宗派を超えた連帯が見られた。広場におけるムスリム同胞団とキリスト教系のコプト教徒の連帯 対ムバラク独裁体制の闘いが展開された。西はモロッコから東はイエーメン、イランにまでアラブ・中東全域に運動が拡大したことだ。

  アシュカルは、「トランプ政権下のアラブ・中東情勢の現局面」と設定し、アラブ・中東地域における主要勢力の相互関係の構図を予測している。次のように要約しておく。

①アメリカ帝国主義

  ブッシュ時代のイラク軍事侵攻が今日の地域の野蛮状態を生み出した 『野蛮の衝突』(アシュカル著/作品社)。 オバマ政権は、アフガニスタン、イラクの直接的な軍事侵攻の破産の後を受けて地上軍の撤退、クルド勢力を切り札とした介入=地域全体に対してはカタールを通じて間接的介入へ。シリア反政府派に対する積極的支援はしなかった。アサド政権のみがイラン、次いでロシアから一方的に国際的に支援される。その結果、アサド側が優勢になり内戦の力関係の逆転する。反政府勢力の中で、サウジなど湾岸諸国からの軍事的、経済的支援を受けた原理主義派部隊が優位に その一部はヌスラ戦線を経て「イスラム国」へ流れていった。チュニジア・エジプト型の大衆蜂起型の展望の挫折へとつながる。

 こうしてシリア内戦は、シリア人民に依拠した勢力の対立から遊離し、人民に統制されることのない「根無し草」的「傭兵部隊」相互間の無慈悲な戦争に転化。クルド勢力のみが大衆的基盤の上に立っている。
 トランプ政権は、イランを排除したロシアとの合意によるシリア和平 ロシアがイランを見限ることはないのでジレンマに陥っている。オバマにもとで冷却したサウジアラビアとの関係の修復の試みるが、反カタールとエルサレム問題がある。これは地域全体の戦略から導き出されたものではなく、トランプ政権の米国内基盤(シオニスト・ロビー、キリスト教保守派)をつなぎとめるものだ。保守派全体の支持を得られるかどうかは疑問だ。

②ロシア・プーチン政権

 エネルギー資源のみに依存するロシア経済から脱却できない。この危機の中でロシア民族主義にもとづく対外強硬路線、対アメリカ、対EU強硬路線(ウクライナ問題など)を選択している。それはシリアへの直接的軍事的支援をイランと結び、トルコのエルドアン政権への接近、利用へと踏み込んでいる。③イラン 核問題による対外経済関係の悪化のために経済情勢が悪化し、イスラム主義にもとづく国内に対する締め付けに対する民衆の不満が増大している。その圧力の下で支配層内で強硬路線の継続か改革かの路線の対立が発生している。

 中東地域全体に対してサウジアラビアとの間で覇権争いが起きている。シーア派勢力への支援という「口実」でシリアへの積極的な軍事支援し、レバノンのヒズボラの民兵部隊をアサド支援に投入している。

③イラン

 核問題による対外経済関係の悪化のために経済情勢が悪化し、イスラム主義にもとづく国内に対する締め付けに対する民衆の不満が増大している。その圧力の下で支配層内で強硬路線の継続か改革かの路線の対立が発生している。

 中東地域全体に対してサウジアラビアとの間で覇権争いが起きている。シーア派勢力への支援という「口実」でシリアへの積極的な軍事支援し、レバノンのヒズボラの民兵部隊をアサド支援に投入している。

④トルコ

 NATO加盟国であり、地域におけるアメリカ帝国主義の重要な同盟国だ。エルドアン政権の危機は、2015年の総選挙で現れた。公正発展党(AKP)が敗北、過半数を失う。クルド+左翼勢力の連合、極右民族主義派の伸長へ。結果としてトルコ民族主義を前面に出す路線に転換し、クルドに対する戦争を再開する。アメリカのシリア内クルド支援策と衝突し、ロシアに「接近」していく。

⑤カタール

「ムスリム同胞団」を通じた「アラブの春」の勢力の取り込みを行う。イスラム主義だが、「アラブの春」をイスラム主義の水路へと導いていった。オバマ路線とも一致だったが、しかしサウジアラビアと衝突する。

⑥サウジアラビア


 既存の政権の打倒はサウジを含む湾岸諸国の体制の危機につながるから「春」には反対だった。例外は、イランが影響力をもつ既存政権=シリア・アサド政権は打倒の対象だ。地域の覇権をめぐるイランとの対抗が基本路線だ。米軍侵攻後のイラクにおけるシーア派の台頭やシリアのアサド政権へのイランの軍事的支援に危機感を持っている。イエメンの内戦への介入を行っている。

 「アラブの春」の潜在的脅威、地域におけるイランの覇権の強まり、石油収入依存の経済から脱却し得ていない状態が続き、世界的な化石燃料「離れ」などによる危機の深まりがある。「冬」の到来による二つの反革命的陣営の対立が前面に入っている。

⑦リビア

ハフタル(旧カダフィ体制残党)対「ムスリム同胞団」系+原理主義派の内戦状態。


⑧イエメン

 現大統領(サウジの後押し)対前大統領サーレハ派+フーシ派(シーア派の一派)の間の内戦状態にある。

シリア情勢について

 アシュカルの『野蛮の衝突』の第1章を中心にして報告したい。

 当初は、地区委員会の結成などチュニジア、エジプト型の反アサド政権の大衆運動 シリア民衆に依拠した大衆的運動が拡大し、アサド政権、崩壊の危機に直面する。そのことを「今日、シリアの非アサド派地域全体に何百もの地区評議会が存在している。……これらの地区評議会は、市民社会の組織の広範なネットワークによって支えられている。これはシリアにとって、これまでになかった経験である。これこそシリア革命のエッセンスである。地区評議会と市民社会の諸組織のこの組合せは、下からの地区単位の試みの結合である。地区の人々のためにあらゆるリスクをものともしない女性と男性はヒーローである」とまとめている。

 だが、チュニジア、リビア、エジプトの前例、すなわち、ベン・アリ一族、カダフィー一族、ムバラク一家の滅亡から、アサド一族は、「政権を譲っても自分たちが生き残れる未来はない」とする「教訓」を導き出し、最後まで戦うしかない、となった。

 反政府運動が圧倒的な大衆的蜂起に向かうのを回避し、その運動を純軍事的、宗派的な軍事的衝突に持っていった。刑務所から反政府派のスンナ派原理主義派の戦士の釈放される。「イスラム国」との取引が行われた。

 こうして、大衆的デモの人数が減少するにつれて、スンナ派原理主義部隊による「ジハード」的戦闘が前面に出てくる。これはアサド政権の望むところであり、アサドはこれによって無慈悲な軍事作戦をエスカレートすることが可能になった。「テロリストと戦っている」のだという大義名分を得ることができるからだ。

アメリカのオバマ政権の対応についての評価を延べたい。

 イラク、リビアの破綻から直接的な反政府派への軍事的支援が困難になる。

 直接的軍事的支援は、クルドだけに限定した。反政府派全体への直接的な支援は行わない。「アサド政権」との和平という枠組みが基本政策だ。イラク、リビアへの介入の失敗からアメリカが引き出した教訓からだ。既存の国家体制の完全な解体は、新たな支配秩序の再建を著しく困難となり、既存の国家体制を残す。

 窮地に立つアサド政権に対しては、2013年以降、イラン、ロシアが直接的な軍事的支援を行った。

 イランはレバノンのシーア派民兵のヒズボラの部隊を投入した。2013年以降、アサド政権側の反転攻勢によって内戦の形勢逆転が起こる。イランは、当初は「アラブの春」を支持するがシリアにまで波及すると、一転して「アラブの春」に敵対する陣営に移った。

 トルコのエルドアン政権は、アサド政権やイスラム国との戦いではなくて、クルド攻撃が主要動機だった。

 サウジアラビアなどの湾岸諸国は、イランとの対抗もあり、スンナ派原理主義「戦士」を軍事的、経済的に支援した。反政府派の中で原理主義派兵士が主流になるが、その一部は、「イスラム」国に流れた。

 こうしてサウジを中心とする湾岸諸国からの大量の軍事的、経済的支援を得たスンニ派原理主義戦士たちが反政府派の中で優位になる。大衆的基盤を持たないこれらの戦士たちは、アサド政権から民衆を防衛しているというよりも、産油国の豊富な資金に寄生し、民衆から遊離した「傭兵部隊」としての性格を強めていった。

 クルド族は、トルコ、シリア、イラク、イランにまたがって存在している。現時点では、唯一、大衆的基盤を持った反政府派だ。「イスラム国」と本当に戦ったのは、クルド派民兵だ。アメリカの支援を受けるが、トルコ対アメリカ関係の亀裂、トルコの「ロシア」への接近によって困難な局面に入る。

 こうして三つ巴の対立の中で、シリアは、革命派の運動は後景に追いやられ、2つの反動的陣営の対立が前面に出る野蛮の衝突の局面に入る。

 アシュカルは、「春」の後のエジプトについての情勢について、「ムスリム同胞団」支配の破綻からシシのクーデターへのプロセスを分析している。以下、要約して報告する。

 「2011年1月5日に開始された革命の波には、その後まもなく、既成体制に対する反対派の中で主要な反動的構成要素であるムスリム同胞団が参加してきた。進歩的構成要素である左翼とリベラル派は、ムスリム同胞団とはそれまで不安定な協力関係を維持していた。同胞団は革命プロセスの拡大を食い止めようとして、潜在的反革命の選択肢として闘争に加わった」。

 この革命の第一波は、軍による2月11日のクーデターで乗っ取られた。これは、ムスリム同胞団の支持を得て、旧体制を保護しようとする保守的クーデターだった。反革命両派はどちらも1月25日革命の目標に敵対していたが、イスラム原理主義派の影響力が大きくなり、国家支配を求めての最後の一線を越えようとするまでは協力していた。

 一方、革命プロセスは発展を継続させ第二波へと突入していた。その第二波は、とりわけ労働者の闘争が頂点を迎える中に出現し、2013年6月30日に運動がクライマックスに到達する前には現実のものとなっていた。この第二波は、モルシが2013年6月30日に大統領となった瞬間から、反革命的イスラム原理主義を第一の攻撃対象としていたので、革命勢力には再び[腐敗した]反対派の主要な反動的構成要素、すなわち反革命の別の翼、今回は旧体制派が加わってきた。

 革命の第二波は、次の7月3日、反動的クーデターで乗っ取られた。軍が本格的に旧体制を復活し始めるまでにそんなに長くはかからなかった。エジプト革命の絡み合った道筋は完全に一回りした。要するに、それは長期的な革命プロセスにおける最初のサイクルであった。

 この過程でモルシ(ムスリム同胞団)の政権と軍事クーデターによってそれを倒したシシ政権に共通することは、①IMFの構造調整策への無条件の屈伏とその履行(緊縮と赤字財政の解消)②公共労働者への締め付け、物価高騰③労働運動に対する弾圧の強化などだ。

 以上の過程におけるアラブ民族主義派と左翼の連合の戦略の問題点は、二つの反革命陣営に対して第三の戦線を構築しようとする首尾一貫した戦略を追求しようとしなかった。

 2011年11月~12月、同胞団主導の「民主連合」の一員として選挙に(6議席、同胞団125議席)出る。


  その後、ムルシ政権と対立すると、2012年の大統領選挙に第三の陣営として立候補する。


 「フルル(ムバラク残党)でもなく、同胞団でもなく、革命はまだ広場にある」のスローガンが象徴的だ。第1回投票で20.7%を獲得したが、その後、ムバラク派の残党や軍との連合を選択する。だが、第3の戦線の路線を貫徹できずの状態が続いている。

【沖縄報告】2018年4月18~23日(辺野古500一日目)

沖縄報告2018年4月23日の本文は掲載され次第リンクを張ります。


2018.4.18キャンプ・シュワブゲート前座り込み。工事車両に「不法工事やめろ」とアピール

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2018.4.18キャンプ・シュワブ第1ゲート。米軍車両に抗議。「人殺し工事やめて」「海兵隊は撤退を」

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2018.4.18キャンプ・シュワブゲート前座り込み。この日2回目の資材搬入・強制排除を前に、歌を歌い団結。

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2018.4.18キャンプ・シュワブゲート前座り込みの向かいで、ひとり読経し新基地反対を訴える。

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2018.4.21キャンプ・シュワブゲート前座り込みに150人。終日資材搬入はナシ。稲嶺進前市長も駆けつけ、「勝つまであきらめない」とアピール

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2018.4.21キャンプ・シュワブゲート前座り込みに150人。終日資材搬入はナシ。生物学者の屋冨祖さんがヒメサンゴの骨格を手に埋立阻止を訴え。

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2018.4.23ゲート前連続一週間500人行動。早朝から結集したたくさんの人が座り込み。県警はあえて排除に乗り出した。午前9時。

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2018.4.23ゲート前連続一週間500人行動。座り込みの力を軽く見て排除に乗り出した警察機動隊。午前910分。

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2018.4.23ゲート前連続一週間500人行動。午前11時。ゲート前の人海は、排除されても減らない。

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2018.4.23ゲート前連続一週間500人行動。この日のゲート前行動に参加するためアメリカから駆けつけたVFPの人びと。

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2018.4.23ゲート前連続一週間500人行動。警察の排除は相変わらず乱暴。人に対する節度がない。救護班が倒れた人を看護。12時。

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2018.4.23ゲート前連続一週間500人行動。防衛局は無理やりダンプの進入をはかったが、ゲート前の人波に阻まれ立ち往生。午後1

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【東峰地区声明】四者協での「成田空港の更なる機能強化」決定は認められません

3月13日、成田国際空港会社、国土交通省、千葉県、空港周辺九市町で構成する「成田空港に関する四者協議会」は、①B滑走路の南側に、新たに3500mのC滑走路を増設②B滑走路を北側に1000m延伸し、3500mに変更③夜間飛行制限の発着時間を6時~24時(翌0時)に変更する(現在は6時~23時)などを合意した。

3・13合意は、住民説明会で多くの反対の声が上がっていたにかかわらず無視し、空港公害の押しつけでしかない。東峰住民は、生活破壊に満ちた3・13合意に抗議の声明を公表した。以下、配信する。(三里塚空港に反対する連絡会・Y)



「地元同意」は得られていない!
四者協での「成田空港の更なる機能強化」決定は認められません
2018年3月末 成田市東峰区


■私たち住民は同意していません。首長だけの同意は地元同意とは言えません。

 この3月13日、「成田空港に関する四者協議会」は、夜間飛行制限撤廃など空港被害拡大に対する多くの反対があることを承知のうえで、「成田空港の更なる機能強化」を決定しました。周知のとおり、四者協は国、NAAのほか、県と9市町の首長だけで構成されています。騒音地域も合わせて面積1万ヘクタール以上、人口数十まんにも及ぶ地域住民の生命や財産、大小の地域共同体の存否にかかわる大問題にもかかわらず、四者協では住民は意見表明や議論する機会は一度も与えられていません。住民や報道陣の傍聴も許されない非公開の会議で、「地元同意」と判断されたというのです。おかしくありませんか。私たち東峰区も3回にわたって「説明会」を行いましたが、どの会でも住民の誰ひとりも「更なる機能強化」に賛同したことはありません。住民個々の生命財産にかかわる「合意」は首長は代行できるのでしようか。

■「説明会」は一方的な説明以上ではなく、とても「話合い」とは言えません。


 四者協は一昨年冬から各市町各集落で行われてきた「説明会」で、住民との話合いが行われて合意が得られたというかもしれません。しかし、東峰区での説明は「飛行回数や飛行時間を増やす」ことに伴う防音工事や移転など「飛ばす側」からの「対策」ばかりでした。

肝心なこと、「用地問題や騒音・落下物被害、地
域間格差の拡大など、現在の空港でも未解決なものを多くかかえたままで、もう一つの空港ほど大がかりなものを造れば、問題や被害を拡大するだけではないのか」、「朝5時から深夜1時まで、BC独立運用による1分半に一度の騒音でも、住民の睡眠や健康な生活は確保されると考えるのか。その根拠は?」、「永年人が住む内陸に大国際空港を造り運用する以上、夜間飛行制限など当初からの最低限の制約があって当然ではないのか」などの問いや批判には、「開港時、シンポ円卓の時代とは状況が変わった。空港間競争に勝ち抜かねばならないから」という答えしか返ってきません。住民が、健康や生活、地域の将来について空港との関係を問うているにもかかわらず、「対策」や技術的な問題だけで「事足れり」なのです。問いと答えが大ズレでは話合いは成立しません。

朝5時から深夜1時まで
の運用時間にどこでも大反対されて、出てきたのが「6時間スライド案」と聞いて、その発想が信じられずあきれるばかりでした。睡眠時間スライド制など、私たち地域住民すべてが空港の従業員扱いされて、みんなの生活をそれに合わせろと言われているのですよ。

 本来なら住民の一番近くにいる自治体が、そのズレに気づき、問題点の指摘を細くしたり、再検討をうながさねばならないはずです、答えは四者とも同じでした。「わかりません」、「検討していません」、「(昨年NHKで繰り返しとりあげられた『睡眠夫妻があぶない』などの「資料」も)見ていません(見直すつもりもありません)」などの答えばかり。これでは双方向での議論はとうてい成り立たず、「説明会」は「話合い」と呼べるものなっていないことは明らかです。

■夜間飛行制限撤廃―A滑走路先行実施には同意も協力もいたしません。その提案そのものが最初の「説明会」での約束違反です。

 一昨年12月、東峰での最初の説明会でNAAは「いつまでと期限を切ることもせず、地域の皆さんに説明し了承していただく」と明言しました。そのとき夜間飛行制限「緩和」は「更なる機能強化の1つ」として、BC滑走路の延長新設後の運用開始からとされていました。しかし、なぜか「6時間スライド制夜間飛行案」と一緒に、突然「東京オリンピックまでにA滑走路での夜間飛行制限撤廃、24時半までの運用」が持ち出されたのです。つまり、「期限を設けず」と言っていたにもかかわらず、もっとも反対の声が高い夜間飛行制限撤廃について「東京オリンピック前までに同意を確定しろ」と、住民や自治体に迫ったわけです。そしてこの3月、「時間が迫られている」と9市町の首長らだけで「7時間スライド」とA滑走路先行実施に地元「同意」を決定したのです。当然やられるべき新提案についての各地説明会も一切なしで「決定」されたのです。住民としてこれらを「地元同意」での決定と認めることはとうていできません。

 また昨年12月の東峰区の説明会で「Aだけといっても、事故などでA滑走路閉鎖の時にはBも使うだろうし、空港直近の騒音時間拡大も考えれば、A先行実施には反対」と言ったら、「Bを使うことはありませんから」と、あとはにべもないお返事でした。B開業以来、私たち東峰区民の了承もなく頭上を飛び交う飛行機ではあっても、台風や事故での遅延など深夜までの飛行の連絡がNAAからあれば、「人道問題」でもあり、否とも応とも言えず、そのことがNAAなど他からみれば「了承」「協力」と受け止められたかもしれません。しかし、今後はどんな事態でもA夜間飛行制限撤廃で増便運航される便のB使用については一切否、非協力です。区に隣接するターミナルや駐車場での自走やエンジンテストなど「営業騒音」の時間延長や騒音被害拡大も認めるつもりはありません。

四者協は、「空の行政代執行」へと突き進んでいます。
独断での行政手続きの進行をとめ、住民との話し合いの場を設けるべきです。

 今回のように、住民が何を言っていようが、個々の生命財産にかかわる重大事を首長が代行して決定できるとすれば、それはまさに「空の行政代執行」にほかなりません。住民がいくらダメだといっても頭上を飛ばれれば、生涯心身を傷つけられ続けるか、自己防衛のためにその家や土地から離れるしか選びようがないのです。これは暴力的手段での空港建設ではないのですか。

 四者協は、3月13日の「地元同意」をもって次の行政で続きへと進んでいます。しかし、これは繰り返しますが「住民の同意」を得たものではなく、「話合いで空港をつくる」という『空港と地域の共生』の根本から大きく逸脱したものです。四者協は現行の行政手続きを停止し、地域住民とのきちんとした「話合い」の場をつくられるよう、切に望むものです。 以上

報告 4.14国会前大行動

14 (2) 森友・加計疑惑と公文書改ざん問題、防衛省のイラク日報隠し、財務省の福田事務次官のセクハラ発言など問題が次々と明らかになるなか、4月14日、国会正門前で安倍政権の退陣を求める大行動が行われた。この日の集会は戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会、未来のための公共、スタンドフォートゥルースの共催で実現した。そして怒れる3万人の市民が国会前を埋めつくした。

 「腐り切った安倍政権を必ず倒そう!今すぐ退陣!みんなの力で政治を変えよう!」怒りの大コールが響き渡るなか集会が始まった。総がかり行動実行委員会を代表してあいさつを行った福山真劫さんは「安倍を絶対に許さない。国家権力を私物化して政治と官僚を腐らせた。ウソと悪事があふれ出して、もう隠しきれなくなっている。それでも延命を図ろうとしている。しかし原因のすべてが安倍にある。ただちにやめてもらおう!世論は安倍の退陣を求めている」とアピールした。
 
 続いて国会議員から発言を受ける。立憲民主党の長妻明議員は「自民党は『追究はやめて防止策をつくろう』と言ってきている。しかし問題はすべてのウミを出しつくすことだ。証人をすべて出せばすぐにでも真相は究明できる。また自衛隊の日報隠し問題はシビリアンコントロールの重大な危機だ」と発言した。

 共産党の志位和夫議員は「森友問題は背後に圧力がなければできなかったこと
だ。加計問題は愛媛県にウソをつく動機がない。ウミは安倍首相自身だ。防衛省による日報隠し問題は、自衛隊が戦場に行っていたことを隠そうとしたのではないか。安倍が『ない』と言うものはだいたいある。市民と野党の共闘で安倍首相をやめさせよう!日本の民主主義を取り戻そう!」と訴えた。

 社民党の又市征治議員は「権力は腐敗する。政治倫理もあったものではない。安倍自身がウミだ。やめてもらおう!いま必要なのは行政と政治の信頼を取り戻すことだ。ウソつき安倍内閣を一日も早く打倒しよう」と発言した。
 
 その後リレートークが続き、セクハラ問題、改憲問題、オスプレイ配備問題、署名活動などの発言が行われた。立教大学特任教授の金子勝さんは「公文書改ざん問題は統治機構が崩壊しかねないという深刻な問題だ。自衛隊の日報隠し問題は証拠を何とでもできるようになるということで、情報を隠蔽するなどして何でもやりたいことがやれるということになる。社会の民主的な部分が破壊されるということだ。安倍は歴代の首相のなかで最悪だ」と訴えた。

 その後もトークが続けられ、沿道から人々があふれ出すように国会前の道路は
人で埋めつくされた。皆が皆、安倍政権に対して怒りの拳を振り上げる。今度こそ腐敗しきった安倍を退陣に追い込もう。

(R)

報告 3.27 都立病院の地方独立行政法人化を都議と考える学習講演会

IMG_2448都立病院の地方独立法人化を許さない

安達智則さんが講演

 三月二七日午後六時半から、「第二回都立病院の地方独立行政法人化を都議と考える学習講演会」が都立病院の充実を求める会の主催で行われた。東京都は一月二六日、都立病院の将来像を示す六年間の中期計画案を公表した。その中で、都立病院の独法化も検討するとした。

東京都立八病院について、都立病院経営委
員会は一月二九日、経営主体を都から地方独立行政法人に変えるよう、都に検討を求める方針を決めた。 独法化すれば、医師ら約七〇〇〇人が非公務員となる。

 最初に、氏家祥夫共同代表が経過報告した。

 「中期計画に対するパブリックコメントに一五〇を超える意見が寄せられた。地元の都立病院を守る会や充実する会は署名・宣伝・都議への働きかけを行っている。都立病院がある墨東・広尾・大塚などで地域学習会を。本日開催の都議会に署名四一一〇筆を請願として提出した。第二回定例都議会で議論になった。五月二〇日までに、三万筆の署名を集めよう。都立病院は一般会計から四〇〇億円が支出されていて赤字だと流されているが、そうではないということを伝え、都民的・全体の運動として広げていきたい」。

 次に、和泉尚美都議が「小池知事になっても、中央卸売市場の豊洲への強行移転、オリンピック、岸体育館改築など石原都政時代の闇にメスを入れられていない。都立病院は一六から八つに減らされた。公立化から民営化への流れを止め、都民を守らなければならない」と発言した。

 安達智則さん(東京の自治、都政分析、行財政問題の調査研究で三十数年。名古屋大学などで講師歴任)が「 行政的医療から医療行政へ、皆保険回復へ向けて」として題して詳細なレジメに基づく講演を行った。①日本の医療問題②小池都政をどのようにみるのか③「都立病院新改革実行プラン2018(仮称)素案」の批判的検討④すべての都民の医療保険は、都政の基本任務。

 ①「日本型国民皆保険の解体には絶対反対すべきである。ここに日本医療の生命線がある」(川上武)、「日本の医療はいま、全般的危機といっていい状況にある。公的な医療保険にカバーされない人々の数が劇的に増加しつつある」、「医を経済に合わせるのではなく、経済を医に合わせるのが、社会的共通資本としての医療を考えるときの基本的視点である」「市場原理主義が、世界を滅ぼしつつある」(宇沢弘文)。

 ②四月から東京都が国民健康保険の指導的保険者になる。国保問題(東京都が日本で一番高い保険料・保険証の取り上げなど)は解決していない。無保険者の増大(無保険者の実態調査がない。人口増の中、加入者減少)。

 ③都立病院の病床削減の危険性がある。四〇〇億円の一般会計負担を病院財政問題にすべきではない。国の報酬の不十分さのために、医療収支が一〇〇%にならない。その不足分を補充している(行政的医療)。地方自治と予算からの「自由」が、都立病院の地方独立法人化のねらい。

 ④止めること 都立病院の地方独立法人化。見直しをすること 「都立病院新改革実行プラン2018(仮称)素案」。創り出すこと 行政的医療から医療行政への転換。医療行政の基本的役割。皆保険を回復する。●国民健康保険料の値下げ●保険証の取り上げは原則ゼロ化。無保険者の調査と保険証交付。皆検診を実現する。都立病院が無料低額診療に取り組む。診察を受けても薬局に行かない問題。薬代の助成制度が必要。全国で一〇の自治体で行っている。一人年間七万円の予算で可能。



 講演の後に質疑応答があった。「独法化の先は何か?」、「国の印刷局病院は独法化し、その後民間に売却された。その先は売却か閉鎖かだ。埼玉県では二年前に二つの病院を売却した。今、九州の民間医療法人が九州では安い賃金の医師や看護師が多い利点を生かして、M&Aで病院を買っている」。「質の高い医療について。まだ未完成の技術だ。北欧では一〇年経ったら現場を離れて一年間研究する時間を与えている。せめて日本でも半年ぐらい保障する制度、福祉国家の仕組みが必要だ」。

 次回学習会は四月二五日午後六時半から、文京シビックセンター四階ホール「改革プランと経営委報告の虚実を検証する~経営形態と財務諸表を中心として~」講師:太田正さん(作新学院大学名誉教授)。この日、印刷所から届いたばかりの『労働情報』四月号で特集「自治体病院『独法化』の闇 東京・大阪・大津」が販売された。独法化によって病院がどのようにダメにされていったのかを具体的に分かりやすく紹介している。ぜひ参考にしてほしい。

(M)


【書籍紹介】「治安維持法と共謀罪 今こそ検証したい戦後の大いなる矛盾」内田 博文 著

330652【紹介】「治安維持法と共謀罪 今こそ検証したい戦後の大いなる矛盾」

内田 博文 著/岩波新書


 第1章は、治安維持法の制定から弾圧対象の初適用から拡大のプロセスを検証している。加藤高明内閣は、1925年に普通選挙法(満二五歳以上の男子全員に投票権を与える)を制定すると同時に共産主義・社会主義運動等の社会運動を封じ込めるために治安維持法を結社規制法(「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」)として制定した。

 しかし、「当局は治安維持法を制定したものの、適用対象をあぐねていた」(内田)。すでに治安警察法による弾圧によって第一次共産党(1924年)は解党していたからだ。警察当局は、治安維持法を初適用しようと京都学連事件(1926年1月15日、大学の社会科学研究会の全国組織を弾圧)に着目し弾圧体制を敷いていった。「1月以来、4カ月にわたって、思想検事の平田勲(東京検事局)の指揮のもとに、各府県警察部特高課を動員して記事報道を差し止めた上で全国の社会科学研究会員の検挙が実施された。……検挙された学生のうち三八名は治安維持法違反、出版法違反および不敬罪で起訴された」。

 以降、治安維持法の適用を拡大させ、特高を先兵に次々と不当逮捕・弾圧を広
げていったが、内田はこのプロセスを総括することによって「共謀罪」(改正組織的犯罪処罰法〈『テロ等準備罪』〉/2017年6月)の初適用、弾圧拡大を警戒していくうえで重要な指摘と問題提起を行っている。

 第1は、政府は「『テロ等準備罪』はマフィア対策だ、あるいはテロ対策だとされているが、現実にはそうなっていない。『真の立法事実』は隠されているといってよい。『裏の立法事実』との間には大きな乖離が見られる。このような立法の場合、事件のでっち上げがなされる可能性は高いということに警戒が必要であろう。罪刑法定主義、なかでも明確性原則はこのでっち上げに対し歯止めの役割を果たすものであるが、『テロ等準備罪』の要件の無限定性はこの歯止めを奪っている」。

 第2は、(『テロ等準備罪』は)「行為者の内心の『目的』が処罰根拠となるこ
とから、事実認定の中心は行為者の主観に置かれることになる。この主観を針小棒大に膨らませ、被疑者・被告人らの事件関係者に対し『暴力団関係者』、「テロリスト」、「社会の敵』といったレッテルを貼ることによってこの主観についても規範的評価が先行する」。外の応援団としてマスメディアを最大限利用する。「報道統制」、情報操作によって共謀罪弾圧は「正当」のキャンペーンを張り、萎縮作用を働かせ被弾圧者に対する支援、連帯の輪の広がりを防ごうとしてくる。

 第3は、「治安維持法の解釈・運用は思想検事が牽引した」が、現在の「検察官司法の下で、『テロ等準備罪』の解釈・運用は捜査官の裁量にもっぱら任されることになる。……この裁量が濫用に陥るのを阻止するシステムを私たちは設けていない」から濫用を防止するシステムを導入することが重要だ。

 第4は、「テロ等準備罪」の適用・運用のために必要な個人情報収集のために通
信傍受法の適用を拡大し、室内会話の盗聴をねらっている。盗聴法改悪をゆるしてはならない。また、GPS(全地球測位システム)捜査の立法化も射程にしている。最高裁は、裁判所の令状を取らずにGPSを使う捜査手法は違法(17年3月)と判断したが、GPS捜査の立法化を行えと指示もしている。プライバシー侵害を合法化する立法化の危険性を暴いていく必要がある。

 第5は、共謀罪による政府による住民監視とともに「一般国民同士がお互いの行
動や思想を監視しあう」ことの恒常化を作りだしていくことの危険性だ。すでに「安全・安心まちづくり条例」が各自治体によって制定されているが、この条例を通して住民相互監視を緻密化のために警察が軸になって町内会自治会末端と日々連絡システムができあがっている。人権とプライバシーの侵害の攻防において一つ一つクローズアップし、社会的な抗議が求められている。

 共謀罪には司法取引制度導入による「自首減免の規定」(実行に着手する前に
自首した者は、その刑を軽減し、又は免除する)がある。スパイ育成・転向強要のために公安政治警察はこれを多いに使ってくるだろう。被疑者の減刑、釈放をエサにしてえん罪でっち上げが多発してしまう恐れがある。この人質司法の人権侵害を糾弾していかなければならない。

 そのうえで内田は、「治安維持法の制定および拡大がそうであったように共謀罪の創設も安保法制や秘密保護法などとの関連において捉える必要がある。今以上に世界中に軍隊を派遣できるようにする時には反対者がもっと広範に出てくるだろう。政府としては、それを徹底的に取り締まる法律が必要になる。その時に共謀罪はその気になればいくらでも使える、そういう風にできている」と集約し、警鐘乱打する。

 安倍政権は、改正組織犯罪処罰法施行後、同法違反での逮捕、起訴件数は現時点で〇件だとする答弁書を決定している(17年11月14日)。また、大垣警察市民監視意見訴訟院内集会(2月16日)で山尾志桜里衆院議員(立憲民主党)が「先の国会の法務委員会で上川陽子法相は、『共謀罪で捜査している事件はゼロである』と答弁した」ことを報告している。つまり、共謀罪を適用した捜査・逮捕はしていないが、公安政治警察の日常業務は続行中であると断言しているのだ。

 治安維持法制定後、検察と警察中枢は、初適用に向けたターゲットをリサーチ
していたように現在の公安検察と公安政治警察は、初適用のターゲットを絞り込んでいるはずだ。警察庁が共謀罪施行を見据えて全国の都道府県警に「同法の捜査は警察本部の指揮で行う」(17年6月23日)と全国通達をしているように、これは初適用のタイミング、効果ある弾圧対象の設定にむけた謀議を繰り返していることの現れだ。

 公安政治警察は違法な住民監視、運動破壊工作を警察法に基づく合法的な業務だと居直り続けている。グローバル派兵国家建設の一環である対テロ治安弾圧体制の強化にむけて2019年の天皇代替わり、大阪G20サミット首脳会議、2020東京五輪を通して構築していこうとしている。その突破口として位置づけているのが共謀罪適用だ。敵の密集した共謀罪初適用に対しては、全国のスクラムによってはねかえしていこう。

(Y)


【書籍紹介】情報隠蔽国家 青木理

_SX336_BO1,204,203,200_「森友学園」への国有地売却に関する決裁文書の財務省改ざん事件発覚によって、安倍政権は政府危機に追い込まれている。政権の反動化と官僚の腐敗・堕落
に満ちた有り様の全面化だ。首相官邸の指示なのか不明だが、政官一体で情報隠蔽と操作だけでなく、公文書の改ざんまで強行していた。政権と官僚の危機の結果として、自己保身に満ちた強権的な権力機構の推進途上で必然的に現れてしまった。この危機の現れを青木は、本書を通してその予兆の諸事件を取り上げ、検証することを通してすでに沸騰点から暴発に達していたことを証明している。

 「衝撃なノンフィクション」としてとり上げたのが、冤罪事件をでっち上げられた自衛官、イスラム教に改宗したために退職に追い込まれた元公安調査官の告発、公安政治警察と地方警察の犯罪などだ。すべてを紹介することはできないが、その一つとして日米安保下における防衛省・自衛隊・警務隊の無残な実態を明らかにしたのが「第1章 日米同盟の暗部と葬り去られた国家機密―現役自衛官が実名告発」である。

 背景と経過はこうだ。2015年、安倍政権は、グローバル派兵国家建設に向けて憲法違反の集団的自衛権を行使するために戦争法を制定し、米軍との共同実戦体制の構築へと加速しつつあった。

 戦争法は、衆院段階で強行採決し、論議は参議院に移っていた。9月2日、参議
院の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」で統合幕僚長・河野克俊が14年12月中旬に訪米し、米陸軍参謀総長のレイモンド・オディエルノと会談した記録「統幕長訪米時のおける会談の結果概要」(2014年12月24日)という防衛省・自衛隊内部文書を共産党の二比聡平参議院議員が入手し、質問した。そこには戦争法が成立していないにもかかわらず、次のような記録が明記されていた。

 オルディエノ「現在、ガイドラインや安保法制について取り組んでいると思う
が予定通に進んでいるか?何か問題はあるか?」

 河野「(この直前の総選挙での)与党の勝利により、来年(2015年)夏までに
は終了するものと考えている」

 安倍首相の米上下両院合同会議での戦争法制定表明(2015年4月)よりも前に法案制定を前提に米軍幹部と自衛隊幹部で確認していた。つまり、自衛隊幹部の暴走というよりも国会論議を軽視し、民衆の戦争法反対が国会包囲として取り組まれているなかでの会談であり、民衆無視の安倍政権の姿勢がこのような形で現れていた。

 中谷元・防衛相は「いかなる資料か承知していないのでコメントすることはで
きない」、安倍首相も「確認できなかった」と答弁し、逃げ切りを演じた。

 ところが防衛省・自衛隊警務隊は、「存在しない記録」のはずなのに証拠隠蔽と漏洩犯人捜しに奔走する。「記録」問題が明らかになった翌日の9月3日に「取扱厳重注意」扱いから「省秘」に指定し、防衛省情報本部のパソコンに残っている記録データを削除させた。河野の訪米直後、「記録」は情報本部にメールで配信されていたからだ。

 警務隊は、配信された「記録」メールを通常業務として部内に配信した防衛省情報本部の大貫修平3等陸佐(42)を「犯人扱い」し、防衛相の承認の下、大貫さんの自宅官舎・実家への家宅捜索、ポリグラフ検査も使った過酷な取り調べを行い、自白強要を繰り返した(2015年9月中旬以降)。しかし、大西は「やってもいないことを認められるわけがありません」と反論していった。

 結局、大貫さんは警務隊の取り調べ後、東京検察庁に自衛隊法違反(機密の漏えい)容疑で書類送検(17年8月)されたが、「嫌疑不十分」(17年9月22日)で不起訴となった。

 大貫さんは、「身に覚えのない内部文書の漏えいを疑われ省内で違法な捜査を受けた」として、国に慰謝料500万円を求める国家賠償請求訴訟をさいたま地裁に起こした(17年3月17日)。国会で安倍首相、中谷元防衛相(当時)らは「同一の文書は存在しない」と否定してきたが、口頭弁論の中で国は、文書の存在を認めた(17年12月)。安倍、中谷の嘘答弁があらためて確認される始末だ。

 つまり、財務省改ざん事件と同様な態度を先行して繰り返し、悪質な隠蔽と情報操作をしていたのだ。それを「糧」にして安倍政権と官僚機構は民衆無視の腐敗・堕落を助長させ、常習犯として現在に至っていることを示している。

 1章の後半のクライマックスは、青木による大貫さんへの長時間インタビュー(17年10月10日)だ。警務隊の人権侵害・冤罪作りの不当な取り調べをリアルに再現し、告発する。そのうえで青木は「森友学園や加計学園をめぐる疑惑につきまとう政権と政府の情報隠蔽体質であり、『一強』政権の意向を忖度して行政をねじ曲げて恥じぬ官僚たちの姿であり、何よりも米国にひたすら追従して軍事一体化にひた走る日米『同盟』の実像でもある」と総括し、さらに「南スーダン共和国を舞台とした国連平和維持活動の日報隠蔽問題」(16年7月)なども含めて「防衛省・自衛隊を舞台とした抜きがたい情報隠蔽体質」を厳しく批判する。

 さらに青木は、「第2章 『私が従事してきた謀略活動と共産党監視』―元・
公安調査官が実名告発」、「第4章 共謀罪と公安警察と前川スキャンダル」などを通して「情報隠蔽国家」と権力犯罪を浮き彫りにしながら、読者にとっては次々と発覚する政官一体によって引き起こした財務省改ざん事件の必然性をより鮮明に理解することができる。

 最後に青木は、「公的情報は徹底して隠され、私たちは情報獲得の手段すら与
えられていない。そう、私たちは暗闇の中に立たされていないか。無知に追いやられ、都合よく支配されようとはしていないか。それはまさに悲劇への序章ではないのか。そうしたことを痛切に再考する一助に本書がなれば、著書としてそれ以上の幸せはない」と結んでいる。

(Y)


報告 : 三里塚管制塔占拠闘争40年 今こそ新たな世直しを!3.25集会

P3250950 三月二五日午前一一時から、東京お茶の水連合会館で「1978年3・26三里塚管制塔占拠闘争40年 今こそ新たな世直しを! 3・25集会」が三里塚芝山連合空港反対同盟(柳川秀夫代表世話人)、元管制塔被告団の主催で行われ二八五人が集まった。北海道、宮城、福島、新潟、群馬、長野、静岡、関西、広島、山口などと関東から、当時ともに闘った仲間たちが駆けつけ同窓会的な雰囲気をかもしていた。

壇上には九ゲート突入闘争で火炎に包まれて亡くなった新山幸男同志、管制塔被告であった原勲さんの遺影と当時管制塔を占拠した時に掲げた「先鋒隊」の旗そして反対同盟の旗。壁には当時、管制塔占拠を伝えた商業新聞、集会に合わせて発売された『加瀬勉 闘いに生きる 我が人生は三里塚農民と共にあり(上)』(柘植書房新社)や3・26マグカップ、Tシャツなどが並べられた。

 映画「三里塚のイカロス」の上映が第一部。上映後代島監督は「三里塚闘争の支援にだけはさわらない方がよい」と忠告を受けたが、「この映画を一九六七年の羽田闘争の写真から始めたのは時代を思い出し、問い直してもらいたかったからだ。一〇~二〇代の人に、あの時代をタブーにするのではなく理解し、肥やしにして欲しい」と述べた。



 第二部の集会は中川憲一さん(元管制塔被告団)の司会で始められた。柳川秀夫さん(反対同盟代表世話人)が空港をめぐる現状とどのような闘いをすべきかを発言した。

 「空港会社は第三滑走路を作り、空港を巨大化しようとしている。加瀬勉さんが住んでいる所は騒音直下になり、ズタズタにされる。五二年前は村々が総決起して闘い始めた。今は個人個人で反対していても、力を合わせて目的に向かっていくとならない社会構造になっている。反対の決起集会もない。日本全国の共同体はもう存在しない。地域の生活に執着しない。便利なものができ、情報が入る。反対同盟も大半が去っていった」。

 「三里塚の課題は魂の問題だ。腹八分で持続できる社会をめざす。世直しの考え方が備わっていかないとダメだ。私は七〇歳になった。悔いのない生き方をするために最後のがんばりをしたい」。

 次に平田誠剛さん(元管制塔被告団)があいさつした。

 「四〇年前、マンホールから飛び出し、青い空を見た。全身炎に包まれた九ゲートの新山は亡くなり、管制塔の原君は自ら命を絶つというつらい経験をした。面白かったこと、辛かったことがあったが世の中に悲劇はない。全部が笑いとなった」と平田さんらしい言い回しをしながら、現在福島原発事故被災者支援運動を行っていることを報告した。

 「二〇一一年三・一一福島原発事故後、ウシトラ旅団を組織し、支援に入った。いわき市で場所を提供し支えてくれたのは三・二六闘争の仲間たちだった。福島の被災者たちが熊本地震の被災者たちを励ますために仮設住宅を訪ねたいと言うのでカンパを集めた。和多田さんがカンパしてくれた。そして、熊本に行くと三・二六を闘った人々が支えてくれた。熊本の仮設住宅の人たちは『福島の人たちと交流し、初めて笑ったり、泣いたりできた』と話し、福島の被災者を感動させた。相手と心が通じることができた。みんなできる力がないと思っているが人を信じてがまんしながら進みましょう」。



 管制塔裁判の弁護団だった清井礼司さんは、一九七一年の時三里塚闘争はベトナムに通じていると思っていたが今は、沖縄の空とつながっていると自覚しながら闘うことが重要だと指摘した。

 三里塚物産の平野靖識さんが「管制塔を壊しても社長になれると言われるが私も四〇年前に三里塚物産を立ち上げた」と経歴を話し、「NHKのラジオに『今日は何の日』という番組がある。一九七八年の今日、成田管制塔に駆けあがって管制室を破壊する事件があり、これによって開港が二カ月延期になったと放送した。過激派によってなされたということではなく、淡々とする報道だった。日本の社会に忘れることのないエピソードになった。民衆の思いに逆らって政策を強制するとしっぺ返しを受けるということだ」とエピソードを紹介した。

 平野さんは闘争と暴力の問題についてもふれた。「私は中国の文革の時代に中
国を訪れ下放運動に影響されて三里塚に入った。毛沢東は『銃口から政権が生まれる』という考えを広めた。それに影響された人たちがあさま山荘事件や三菱重工爆破事件を起こし、人々のひんしゅくを買い、革命ごっこになった。それに対して管制塔闘争は実力行使に自己規律『人を殺さない、傷つけない』を持っていた。人を傷つけることなく快挙を成し遂げた」。

 生産と闘いをどのように結びつけるのか。「反対同盟の農家は有機農業をいち
早く取り入れた。若い人は有機農業に魅力を感じ、たくさんの人が訪れ、定着率も高い。闘いの経験が力になっていて、三里塚物産も三・二六闘争を闘った仲間の息子さんが後継者になってくれている」。



 参加できなかった人たちのメッセージがビデオなどで紹介された。加瀬勉さんの新年旗開きでのあいさつ。加瀬さんは別に集会用に「国家権力の空港建設の暴政に抗すること五〇年。青天霹靂三・二六管制塔に翻った赤旗は、月陽の如く天宙に輝いた。断固たる我々の戦いの決意・我々の勇気は、日本人民の将来、未来を指し示すものであった。時はいま、空港機能拡大阻止の戦線に征かんとす。吾、老いて野に伏すも志は千里にあり。壮心盛んにして新なり。二〇一八年三月二五日」という連帯のメッセージを寄せた。

2017木の根幻野祭の映像、大森武徳さんが「私は三九歳。一つの歴史として興味を持っている若者はいる。今後、①有機農家を増やしていく②木の根ペンションや合宿所などを歴史遺産として維持していく。Tシャツ、グッズなどを作り、楽しい運動を作っていきたい」とビデオメッセージを寄せた。

 石井紀子さんのメッセージを野島みかさんが代読した。野島さんは狭山闘争支援に積極的に関わっていて、狭山再審を求めている石川一雄さんとえん罪無罪を勝ち取った足利・布川事件などの元被告たちの映画『獄友』が上映されていることを紹介した。

 「1978年当時結婚3年目で、育児に忙しかった。管制塔占拠闘争を知り、よくぞやってくれた。うれしかった。じいちゃんは『しばらく帰れない。後を頼む』と言って家を出て行き、横堀要塞戦で逮捕された。しっかり家を守ることが運動を前進させると考えた。そうした底辺を支えた女たちがいた」。

 「今回、女性発言者が1人もいない。今、運動を担っているのは男ばかりだ。1971年、男ばかりの戦場に、ウーマン・リブ運動に参加していた私は、三里塚を女たちの闘いの場、リブの出先機関の役割を担うというつもりで三里塚闘争に参加した。その後、現地に女たちが100人くらい集まることもあった。しかし、どこへ行ったの? 何を考えているのか聞いてみたい。闘争を担ってきた女性がいる。身近な人の話を聞き、思いを語って下さい。前進していかなければならない。女の人の話を聞かなければならない。初心に立ち戻って、それぞれの立場で新鮮な出会いができるようにがんばっていこう」。

 現在の運動の持っている「男中心のあり方について」鋭い指摘が石井さんから
投げかけられた。


現地で常駐している山崎宏さんが、第三滑走路をめぐる状況について報告した。

 鎌田慧さん(ルポライター)が「管制塔占拠という突出した闘いを実行できたのは、連帯する会の坂さん、廃港要求宣言の会・前田俊彦さんなどの広い運動があったからだ。三里塚の農民たちが要塞に入って逮捕投獄されていた。秩父困民党、谷中村の闘い、砂川闘争を引き継いだ闘争だ」と闘争の意義を語った。そして、「第二、第三の管制塔占拠を」とは言わない。「あの当時の盛り上がりの中でできたことで今は無理だ。占拠しなくても勝てる闘いが問われている。沖縄・辺野古闘争、カヌーで、ピケで車を止める。素手で闘う非暴力闘争。管制塔を上回る闘いの準備を日常的につくるのか問われている。追憶するのではなく、自省してがんばっていかなければならない。知恵の源泉にしていく、広げていく。もう少しがんばっていこう」。

 次に、闘う仲間からの発言。全国空港反対連絡会(反空連)の渡邊充春さんが「全国の空港は四〇から九七に増えている。赤字の垂れ流し、膨大な税金を投入している。騒音・落下物の問題。佐賀空港にオスプレイ配備計画、軍民共用という問題もある」と指摘した。

福島からの中路良一さんが「原発事故避難者は五万人と言われるが八万人以上いる。事故が収束していないから帰れない。除染で出た放射能汚染物問題も解決しようがない。そして、東京電力に刑事責任をとらせる裁判が昨年から始まっていて、津波を予想していたが対策をとっていなかったことが明らかにされている。東電に責任を取らせ、支配階級の中から獄友を増やしてほしい」と訴えた。

いわき自由労組の桂さんは「私は一六歳から三里塚に関わり始めた。『三里塚は私たちの教室だ。農民は教師だ』と教えられた。以前は除染作業者の賃金の問題が相談の中心だったが、今は原発労働者の相談が多い。去年の一〇月、過労により構内で亡くなった。労災死だろうと追及している。福島現地に来て欲しい。三里塚闘争と根っこは同じだ」と話した。

 羽田空港の増便問題を問うている反空連の仲間が「B滑走路でコンビナートの
ある川崎に向けて離陸させてはならないとしていたが増便して飛ばしている。事故があったらたいへんなことになる。海から海への飛行をとるべきだ」と語った。



 集会の最後に参加した元管制塔被告団一二人全員(四人が欠席)が壇上に勢ぞろいした。一言ずつ短くアピールを行った。

 「一〇年がんばって、五〇周年も実現しよう」、「今日の集会で主役はいっぱいいたと分かった。いっしょに闘った仲間が主役だ」。和多田粂夫さんは「三七歳で逮捕され、五〇歳で刑務所を出てきた。あの闘争は偶然性が重なった闘争だった。『エアポートレビュー』という雑誌で空港の構造が分かり作戦を立てた。管制塔にたどり着くにはものすごく多くの困難があった。そうしたことを忘れてはならない。第三滑走路に反対して闘う反対同盟があるかぎりいっしょに闘っていきたい」とまとめの発言をした。

 集会の後、三部の懇親会を行った。そこでも闘いに参加した仲間から当時の闘いの話や三里塚闘争への思い、女性差別問題などに言及した発言もあり、多元的に三里塚闘争を問う中身の濃い四〇周年集会となった。

(M)


報告:2018原発のない福島を!3.17県民大集会

配信:福島 3月17日、福島県楢葉町天神岬スポーツ公園で「2018原発のない福島を!県民大集会」(主催:実行委)が行われ、3300人が参加した。

 角田政志実行委員長が主催者あいさつを行った。

 「原発事故から八度目の春を迎えた。被災地の復興が進んでいるとはいえ、住民の帰還には多くの課題がある。亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたい。今年は被災地の楢葉町を会場に準備を進めてきた。被災地で集会を行うことについては、『第一原発事故の収束にいたっていない中で大規模集会をやるべきではない』『被災地に多くの人を集めることは福島は安全だという国の復興政策と同じにみえる』など様々な意見がなげかけられた。昨年は多くの地域で避難指示が解除された。しかし、住民帰還に関しては、一人一人様々な思いがあり、選択が迫られ、新たな課題が生まれ、人々の分断も生まれている。これが福島の現状であり、実態だ。どの意見がよい、悪いということではなく、この事実をしっかりと押さえておかなければならない」。

 「被災地で県民集会を行うことの意義について、議論を重ねてきた。元の生業を取り戻したいと帰還した人の今の生活の姿がある。しかしそれを簡単に取り戻すことはできない。古里の帰還を諦めた人、今も思い悩んでいる人もいる。これが原発事故をもたらした事実です。原発事故の風化が進む中で皆さんに原発事故によって奪われた暮らしと人々の人権、原発災害の苛酷さを実際に見ていただきたい。福島の事実を多くの人々に広めていただくことがなにより重要だと結論を出した。県民集会の大きな目標は、東電第二原発の全基即時廃炉を実現することだ。福島に原発はいらない。原発のない社会を作っていこう」。

 連帯あいさつが鎌田慧さん(さようなら原発1000万人署名市民の会)から行われ、「安倍政権を打倒できないわれわれの力不足を感じている。原発事故がなかったように川内、伊方、高浜と続き、これから玄海、大飯原発の再稼働が進められている。使用済み燃料を処置できない出口がないにもかかわらず突進している。歴史的な教訓を生かせず安倍政権に引き継がれている。森友・加計学園問題に見られるように政治が私物化されている。原発政策が破たんしているにもかかわらず推進し、輸出しようとしている。国会内外の闘いでこのような政権は打倒するしかない」とアピール。

 武藤類子さん(ハイロアクション福島)が呼びかけ人の訴えを行った。

 「今、福島では帰還、復興、再生、未来などのポジティブな言葉が飛び交っている。2020年のオリンピックを控え、莫大な復興予算が投入され、沿岸地域を中心にイノベーション構想が進められている。福島県は、できるだけ早く避難者をゼロにしたいと考えている。しかし、その影で苦しんでいる人が多くいる。避難住宅の無償提供が打ち切られ、生活は困窮し、追い詰められて望まない帰還をする人、ホームレス、自死する人も出ている。この帰還政策は、本当に妥当だったのでしょうか。安全、暮らしが保障される施策がなかったのか。国連は原発事故被害者の人権状況を是正するように政府に勧告した」。

 「福島沖の海は、原発事故によって大量の放射性物質が流されたのに、さらに人為的に流すのか。許し難いことだ。甲状腺ガンの疑いが一九六人となった。さらに増えていることが発覚した。甲状腺ガン検査を縮小する動きさえある。裁判では東電の責任を認める判決が出ている。刑事裁判も始まっている。原発事故は被害者の人権を侵害し、生きる尊厳を傷つける。分断されず、なにが力をあわせることができるのか。この時代を生きる有り様が、次の時代を作っていくことを忘れずに今を誠実に生きていきたい」。

 三瓶春江さん(浪江町津島地区の原発訴訟原告団)は、「古里を返せと裁判を行っている。被害者は全国に避難を強いられている。原発の被害者を出してはならない、将来の子どもや孫たちに後始末をさせてはいけないという思いで一杯だ。残酷な状況になったのも原発事故のせいだ。何事もなかったかのようになぜ原発を再稼働するのか」と糾弾した。

 高校生平和大使の二人は、核兵器廃絶運動の取り組みや原発廃止に向けて発言
した。

 最後に「原発NO!」のプラカードアピール、集会アピールを採択した。


 また集会は、「私たちは訴えます!」―①東電福島第二原発を廃炉とし、福島
県では原子力発電は将来にわたり行わず、福島県を再生エネルギーの研究・開発及び自立的な実施拠点とすること。②放射能によって奪われた福島県の安全・安心を回復し、県民の健康、とりわけ子どもたちの健やかな成長を長期にわたって保障すること。③原発事故に伴う被害の賠償、及び被災者の生活再建支援を、国と東京電力の責任において完全に実施すること。―を確認した。


(Y)



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